交差した骨の尖兵の首魁の一族に憑依転生した。   作:五平餅

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第六話 襲撃一過

 ヂチと鳥の鳴く声が聞こえた。

 フロンティアⅣの設定されている気候風土に似合わぬインコの声が戦火から一夜経った空に奏でられていた。

 いつもどおりに訪れた朝に眠れぬ夜を過ごした人々は安堵した。今日も自分たちが生きる大地はあり続けるのだと分かり、初めて自らが生き残ったことを実感するのだった。

 

 そんなふうに多くの人々に安らぎの光が降り注ぐ中、暗い闇の中に一人の蹲る少年が居た。

 山の麓にある広大な敷地の中に建てられたクラシカルで瀟洒な建物、連邦から派遣された高官や各種企業体の重役を饗すために建てられた建物、迎賓館。その一室のベッドの上で少年が悪夢に魘されていた。

 

「ぅ……」

 

 苦悶の呻きを漏れる。何かから逃げようとでもしているのか、それとも耐えようとしているのか、彼はギュウとベッドのシーツを握り、首を振って寝返りのまね事をする。

 

「―――ぅあぁっ!」

 

 悲鳴とともに、彼の目が見開かれた。目に映るのは白いシーツに白い掛布。そして、目を動かせば見慣れない室内。

 

「――?―――?、?……夢、か」

 

 景色が一変したことに彼の脳が追いついていかない。二度三度と、瞬きをしていく。そして、ようやく先ほどまで自分が見ていた光景の正体に気がついた。

 むくり、と上体を起こす。

 

「――くっそ……何が“さほど感じない”だ」

 

 少年、ディナハン・ロナは眉をひそめ、額に手をやって汗を拭き取ると吐き捨てるように自嘲を口にした。

 その言葉は昨夜、従姉セシリー・フェアチャイルドに言った言葉と全く同じものだった。彼女に強がりで言ったわけではない。その時は実際そうであったし、そう思っていたのだから。

 だが、その実、彼の心には浅くない傷がついていたのだ。自らが殺した者の断末魔の声によって。

 

 ニュータイプ能力を上げた弊害。

 チラ、とディナハンの頭にそんなことがよぎった。テーブルに置かれたコンピュータ端末に視線が止まる。

 チートツール、Gジェネアプリによって上昇した各種能力。戦闘に役立つと見越してニュータイプのレベル、つまり洞察力と三次元把握能力、そして感応能力を引き上げた。それが仇となったのだろう、必要以上に人の死を感じ取ってしまう。

 

……ニュータイプレベル(NT値)をゼロまで下げようか?

 

 ふっ、とそんなことが浮かんでくる。Gジェネアプリのキャラクターカスタムを使えば能力を上げることが可能なように、任意に下げることだって可能だ。

 数瞬後、彼は頭《かぶり》を振った。

 

「それじゃあ本末転倒だろうが」

 

 視線を自らの手に落とす。既にその両手は血に染まった。目に映るのはまだ柔らかさを残した幼い子供の掌。この手が連邦の兵士を殺した。

 それが辛いからと言って逃げ出すのは間違っていると、ディナハンは断じる。

 慣れなければいけない、人を殺すことに。心を鈍化させなければいけない、人が死ぬことに。価値を見出してはいけない、他人の命に。 

 その上で上手く立ちまわるのだ。 

 圧倒的な実力の差。絶対の強者のみが持ちえる余裕から生まれる傲慢。それをもって相手を圧倒し、活かさず殺さずに無力化する。

 昨日のように敵意に怯え、人の死に怯えてはいけないのだ。

 ディナハンは――できるはずだ、自分なら、と決意を込めて拳を握った。 

 

 そうしてベッドから降りた彼は、窓辺に近づくとサッとカーテンを開けた。朝の日差しに目を細め、手で日陰を作りゆるゆると目を慣らす。昨日の混乱が嘘のように暖かい光であった。

 丁度そこへ訪いの声がかかる。

 

「お目覚めでしょうか? お召し物をご用意しました」

 

 ドア越しのそれにディナハンが答え、するとクラシカルな服装のメイドが迎賓館でのディナハンの護衛を務めるクロスボーンの武官とともに入って来た。

 ディナハンがベッドの上に服を置くように言うとメイドは丁寧にそれを実行し、その後朝食の準備ができたので持ってくるかどうかを聞いてくる。

 

「いや、食堂でとろう」

 

 そう言うと彼は手早く着替えを済ませ、控えているメイドと武官を伴って部屋を出た。  

 

  ◇

 

 食堂のテーブルには既に二人の人物が座っていた。

 昨夜、食事を共にした彼より三歳ばかり年嵩の少女、セシリー・フェアチャイルド。そしてもう一人はその兄、ドレル・ロナだった。

 

「おや……おはようございますドレル従兄上、ベラ従姉上」

「ああ、おはよう、ディナハン。だが、ベラはまだ、セシリー・フェアチャイルドだ」

「ん?―――……ああ、そうでしたね。フフッ、セシリーさん、おはようございます」

 

 実兄と従弟のやりとりに少し困ったような顔をした後、彼女は小さな笑みを作って「ディナハン、おはよう」と言った。

 

「でも、それをいうなら従兄上だって、セシリーさんをベラと呼んでいます」

「……はは、確かに。だがベラはやはりベラだからな」

 

 ディナハンもまた席に着き、そんなふうに言葉をかわす。そんなところに、給仕が話の合間を見計らって彼の朝食を出してきた。

 パンに、サラダ、ポタージュスープにソーセージ。そしてオレンジジュース。

 ディナハンは、出されたオレンジジュースを口へと運び、喉を潤した。

 

「しかし、従兄上は此方に来られていたのですね」

「私だってベラと話がしたかったからな。だが、今は中々に忙しくまとまった時間がとれない。だから少しでも、な。まぁ、また直ぐに取って返さなければならないが」

「……他のフロンティアへ行くのですか?」

 

 咎めるようにというわけではないが、話を請われた少女の少しばかり非難の色を帯びた声音がそんなことを問うた。

 それを耳に入れながらディナハンは、何事もないかのようにフォークに刺したソーセージを口に運ぶ。

 

「いや、まだ本格侵攻の予定日ではないからな。今はこのフロンティアⅣの掌握と、復旧が急務だろう」

「……でも、それでは連邦軍の体勢が整うのでは?」

「一気呵成に侵攻する。それは考えとしては間違っていない。しかし、連邦がそのようなものであるなら、元々我々は戦争など起こしてない。

 ここの連中をお前も見ただろう。彼等には自分が何を守るべきかという基本的な考えが欠如しているのだ。だから、あのような無様を晒す」

「……」

 

 セシリーは、学校に落ちてきたモビルスーツを思い出した。その記憶を呼び水にして次々と連邦軍の愚昧さが脳裏をかすめていく。

 

 コロニーに住まう人ならば誰しもが厭うコロニーに穴を開けるという行為を平然と行い、内部に入ってきた連邦のモビルスーツ。

 避難する人々が足元に居るにもかかわらず応戦し、結果、出した空薬莢によって赤ん坊を抱えて逃げ惑う若い母親の命を奪ったキャノンタイプのモビルスーツ。

 子供ばかりの自分たちを盾にしようとし、あまつさえそれを口憚ることもせず、逃げようとすれば守るべき市民にすら銃を向け、発砲する連邦の士官。

 

 確かに、彼女は自分が持っている軍隊のイメージ、秩序だったそれと実態の落差を目の当たりにした今、反論の言葉を見つけることができなくなってしまっていた。

 だが、そうではない。本当に言いたいことはそうではない。

 

 連邦軍の腐敗、連邦という組織の歪み、そういうものがあることを見知ってしまった。故に憤る。だから変えなければならない。

 それはわかる、理解できる。だが、何故、武力の行使なのか? 別のやり方もあったのではないか?

 暴力によるよらないに関係なく変革というものには犠牲は付き物。特に暴力による変革の犠牲は、多大な流血を強いてしまうが常。ならば、もっと穏便な方法を取るべきでは無いか?

 

 彼女は、本当はそんな当たり前の疑問をぶつけてみたかったのだ。だが、きっかけが掴めない。

 

「ベラ、とりあえず父に会っておけ。十年ぶりで驚くかも知れないがな」

「?……はい、そうさせて貰います」

 

 ドレルの皮肉な笑みにセシリーは疑問符を浮かべた。それが本当の父親のことには違いないのだろうが、何を意味しているのかまでは分からない。

 だが、彼女が思い出せる父親の姿は朧気で、祖父こそが父のような感覚に戸惑ってしまう。

 

 ―――そう、お祖父様。お祖父様になら訊けるだろうか?

 

 そうやってセシリーは、曖昧な記憶の中の父、カロッゾではなく、確かに覚えている穏やかな笑みを浮かべる祖父へ心のなかで語りかけた。

 

「で、ディナハン。お前、今日はどうする予定だ?」

「私ですか……今日は、政庁の仕事を勉強がてら見学しに行く予定です。その後は連邦の新型機のパイロットと面会出来ないかお願いしに行きます」

 

 既にディナハンは、鹵獲されたF90Vのパイロット、ナナ・タチバナが意識を取り戻したら面会したいので一報を、と希望を伝えていた。

 まだ、その報は彼の耳に届いていなかったが、そのことを確認するとともに彼女の兄であるらしいシュテイン・バニィールとの約束もあってディナハンは念押しに出向こうと考えていたのだ。

 

「新型―――ああ、そのことを聞こうと思っていた。良くも破壊せずに捕らえられたものだ」

「シェフィールド大尉がほとんどしてくれましたから」

「フン、負けて戻ったとはいえ焔の虎は健在といったところか。」

 

 ドレルがそうシェルフ・シェフィールドが先の任務に失敗したことに触れた。

 

「ええ。大尉が先の任務で出会ったモビルスーツもガンダムタイプだったようですし、意趣返しの意味もあったのでしょう」

「―――連邦の新型……今後も出てくるか?」

「フロンティアⅠには連邦の海軍戦略研究所がありますから、あのモビルスーツもそこのやつだったと思います。あそこの連邦が逃げ出していなければ、十中八九出てくるでしょう」

 

 ドレルのそれは、本当は誰に訊くでもない独り言であったが、ディナハンが受け取った。

 彼の言うことはフロンティアⅠの軍関連の施設のことと公に公表されているモビルスーツのリリースアナウンスの情報を知っていれば、直ぐさま出てくる推論ではあった。

 が、しかし彼の場合のその言葉は、推論の類を述べたわけではなかった。

 ディナハンは確実に連邦の新型機があることを知っていた。それも一体どういった特徴を持ち、何と呼ばれ、誰がパイロットを務めるのか、ということすらも良く知っていた。そうした理解が彼の視線をセシリーへと向けてしまう理由になった。

 見られていることに気がついた彼女が小首を傾げる。

 

「……何か?」

「あ、いえ。つまらない話でしょう、従姉上?」

「ああ、すまないなベラ」

「いえ、そんなことは。ただ……」

 

 そこで一旦言葉を切ったセシリーは次の言葉を言おうか言うまいか少しだけ躊躇してから、やはり口にすることにした。

 

「他のコロニーも戦場になってしまうのか、と思うと」

「そう言えばあの時、ボーイフレンドと逃げていたのだったな……たしか、シー……ブッフだったか?安否の報はまだ届いていないのか」

 

 ドレルはそんなセシリーの言葉に思い出す。彼女を見つけたのは桟橋近く、それも友人が一緒に居たのだったな、と。

 彼の言った友人の名前の間違いを、セシリーは訂正しようとして止めた。それは彼を、シーブック・アノーのことを強く印象づけてしまうのではないかという危惧を抱いたからだった。

 

「ええ……」

「従兄上が従姉上と再開したのはスペースポートの発着場近くでしたか……気休めかもしれませんがクロスボーン・バンガードは逃げる民間人のスペースポートを襲ったりはしないでしょう」

 

 と、ディナハンが言うが、その言葉は全く効果を発揮せず、彼女に穏やかな心を取り戻させてはくれなかった。

 セシリーはあの時、ドレルのモビルスーツの手にその身を預けた際に、シーブックがなんの反応も示さなかったことが気になっていた。

 

 ―――シーブック、あなた、まさか……。

 

 その想像に何故だか彼女は身も凍るような寒気を感じた。それはあってはならない現実のように思えて仕方がない。

 

「行方の探索は頼んでいるのだろう?」

 

 ドレルは、セシリーの弱さを見せまいとする態度に満足しながら慰撫するように言う。

 

「……たしか、アンナマリー・ブリュージュという、私と同じ年頃の女の方が調べてくれている、と思います」

「アンナマリー……ああ、ザビーネの―――」

 

 女か、とつい浮かんでしまった下品な思考を口にするのは流石に躊躇われた。

 

「分かった。私からも、その後どうなったか訊いておくとしよう」

「……お願いします、ドレルお兄様」

 

 丁度そんな時、一人の士官がドレルに時間を告げに入ってきた。

 思っていた以上に早く時間が過ぎてしまったことに驚きを示したドレルが、残る二人に「もっと話をしたかったのにな」と軽く別れの言葉を告げる。

 そうしてドレルの背中を見送ったセシリーは、視線を紅茶の注がれたカップに落とした。手をつけるでもなく、ただジィっと。

 

「大丈夫。御友人達は生きていますよ」

 

 そんなディナハンの言葉に顔を上げる。彼女の目には、柔らかく微笑む少年に言葉以上の他意は無いように見えた。

 

「……そうね。そう信じるべきだわ」

 

 セシリーはそう口にしてカップに手を伸ばした。口に含んだ紅茶は、やはり少しだけ温くなってしまっていた。

 

  ◇

 

 フロンティアⅣの政庁では多くの官僚やクロスボーンバンガードの文官が忙しく動き回っていた。

 昨日の戦闘により穴の開いたコロニーの応急修理と修復工事の依頼やら、今も流出し続ける空気に合わせて大気組成の調整やら、フロンティアⅣの五十万を超える市民の内、避難した十四万人の把握やら、農業区画の食料出荷状況やら、情報の収集と分析、その結果の報告、連絡、会議、通達、等々、正に大わらわ。

 そんな中、こんな場に似つかわしくない年端もいかない少年が一人、物珍しげにその様子を見回していた。そう、政庁に勉強がてら見学に来ていたディナハンである。

 彼は、忙しげな職員達がたまに送ってくる冷ややかな視線を努めて無視しながら、脂汗を拭きながら説明をする政務官の話に耳を傾けていた。

 

「なるほど。流通システムは滞り無く機能しているのですね」

「はい」

 

 クロスボーン・バンガードは、その侵攻時に極力市民とインフラにダメージを与えて無いように厳命されていた。それは、侵攻軍として、また建国を目論む勢力として当然の事でもあった。

 だが、それでも少なからず被害は出る。人的被害も五千人を超えていた。そうした中、スペース・コロニーという箱庭の日常を支える各種システムが無事だったことは僥倖以外の何者でもなかった。

 

「そう、ですか……良かった」

 

 他人から見ればその言葉は市民の生活を安堵する言葉に聞こえたかもしれないが、事実は違う。

 武力によって侵攻してきた侵略者への隔意は有っても、とりあえずの己の生活の安定の目処が立つとわかれば、人は個人ではなく大衆と言う群れとなり迎合へと走る。衣食足りて―――という言葉がある。大衆と化した人々の行動が礼節といえる物ではないのは明らかだが、それはある意味同じような反応ではある。

 ディナハンはそうした大衆がクロスボーンへ、すなわちロナ家への犯意の醸成を促す材料が減ったことを安堵しただけなのだった。

 

「他の設備はどうなっているのですか?そう――― 一番重要な空気とか」

「え、ええと、はい……」

 

 政務官が返答に困っていると政務官付きの秘書官らしい男が資料を手渡す。

 

「昨日からの酸素流出量は大きな穴は応急処理をしましたので2%以内にとどまっています。ですが穴が開いたため気象コンピュータでの雲のコントロールが難しくなっており、ここ暫くは天候が不安定になるかと報告が上がっています」

「不意に雪が降ったり、ですか……ふふ、まるで本当の自然の中にいるようですね」

「は、はぁ」

 

 ディナハンのその無邪気な言い様は子供のそれであったが、その中に見える皮肉が政務官の返事を曖昧なものにさせた。

 

「おじい―――マイッツァー総帥の意向で環境の設定は厳し目、北ヨーロッパ型の気候になっていると思いますが、市民から何か上がっていますか?」

「いえ、特には。」

「今はまだといったところでしょうか」

「たしかにコロニーの天候は中庸を前提としていますが、一般の認識にヨーロッパ型の気候が文化を醸成、促進したのではないかと言う考えは定着していますから、説明さえすれば特に反発はないかと思います」

「なるほど……」

 

 そういった政務官の見解に頷き、ディナハンはマイッツァーか、カロッゾに演説の時にでもそういった説明も盛り込んでもらうべく進言しておこう、と心の中のメモ帳に書き加えておいた。

 そうして彼は再び政務官の説明に耳を傾けるのであった。

 

  ◇

 

 フロンティアⅣを脱出したシーブック達のスペースポートが三百数十km離れたフロンティアⅠへと辿り着き、資源採掘場に受け入れられてから既に反日が経っていた。

 その採掘現場に医師がいたことはシーブック・アノーにとって幸いだった。シオ・フェアチャイルドの銃撃によって負った負傷は本人が思っていたほど酷いものではなかったらしく、若い外科医はあっという間に弾丸を摘出して化膿止めに抗生物質、縫合促進剤など数種類の薬をシーブックに渡した。

 しかし、本当ならばどこかの病院で入院して安静、経過観察と言った処置を取るべきだろうが、医師もそして採掘場で働く工員も皆、シーブック達にフロンティアⅣでの出来事を聞くと一人、また一人と最後には全員がその場を離れていった。

 それは一見、薄情とも思えるが、クロスボーン・バンガードを名乗る謎の軍隊がレアメタルやポーキサイドなどの鉱物資源をふんだんに含む小惑星を持つフロンティアⅠを襲わない理由がなく、家族のもとに走るのは当然のことと言えた。

 それでも、彼等はその親切心からか、電池や食料の入った小屋の鍵をかけないでいてくれていた。シーブックたちは、それに感謝しつつ拝借することにするのだった。

 

 シーブックは痛む左腕のせいで身動きがとれない自分に情けなさと苛立ちを感じていた。

 

「駄目よ。動いたらせっかく縫ってもらったのに傷口が開いちゃうじゃない」

 

 妹のリィズ・アノーが心配気に叱ってくる。甲斐甲斐しく世話を焼いてくる妹に煩わしさとありがたさが込み上げてきて何も出来ない自分が情けなくて悔しかった。

 自分の分までリィズが働いてくれていることが一層それに拍車をかける。

 ズキリ、と痛みが走った。

 その痛みが、あの時のことを思い出させる。自分に銃を撃った男、セシリーに銃を向けていたのは確かにパン屋でみた男。彼女の父親らしい男であった。

 

―――いったい何があったんだ?

 

 そう彼女のことを想い心配するシーブックの耳に、赤ん坊の鳴き声が聞こえ始めていた。

 

  ◇

 

 異形。

 目の前の存在をセシリーは驚愕を持って相対した。確かに声も口調も父のそれであるように思えた。だが、その風貌も巨大な体躯もとても懐かしいなどと思えるものではなかった。

 踵を返し出て行こうと一歩踏み出した時、自分を呼ぶ声に足が止まった。

 

<ベラ!>と。

 

 そこで、ふと思う。ああ、そうか自分はベラ・ロナだったのだと。ならば、と目の前の異形へと問う。その仮面をつけた理由を、貴方は本当に父親なのかと。

 

<……驚くのも無理は無い。このように変わり果ててしまっていてはな。だが、私はたしかにカロッゾ・ロナだ。お前の実の父親だ>

「でしたら、その仮面をとって素顔をお見せ下さい。十年ぶりではないですか」

 

 そう言いながらもセシリーは自分の言葉の矛盾に痛痒を感じた。こうして目の前に父がいるにもかかわらず、未だその顔をはっきりと思い出せない自分。その事実は、今まで自分が思っていた以上に自分は薄情な人間なのではと疑わせるのに十分だった。

 

<これは、願掛けのようなものだ。そうだな、覚悟といっても良い。お祖父さまの夢、コスモ・バビロニアを建国し、世にコスモ貴族主義を教示、知らしめるまでは人前では取らぬ、とな>

「コスモ・バビロニア? コスモ貴族主義?」

<夢だ、我がロナ家が求める夢。人をこの後も人として生き永らえさせるための我がロナ家千年の夢>

 

 仮面の中で反響し奇妙に歪んだ声音には、どこか妄執の色が滲んでいるように思えてしまう。だが、内心でそんなことを思ってもセシリーは口には出さなかった。

 

<しかし、その実現には私は弱すぎた。だから、そんな弱い自分を恥じ、自らの肉体と精神を強化した。この姿はその結果だ>

「……よくわかりませんが、聞く限りのニュアンスとして父上はそのための礎になるという覚悟の現れですか、その仮面は」

<そうだ。―――それを情けない、とお前は笑うかね?>

「……」

<まぁ、良い。子供の頃は、お祖父さまのされるお話をよくよく聞いていたお前だ。おいおい分かってくれるだろう。

 そのお祖父さまもお前と会うのを楽しみにしている。さぁ、案内しよう>

「お祖父様がこのフロンティアⅣにいらっしゃっているのですか?」

<ん、ああ、お見えになっている。―――それと、ベラ。ここは既にフロンティアⅣではない、バビロン、コスモ・バビロン。我がコスモ・バビロニアの首都となったのだ>

 

 カロッゾがそう口にして先に発つ。

 セシリーは、父親の背中を見ながら付いていくもしかし、見上げる背中には違和感しか感じなかった。

 

  ◇

 

 勉強がてらの政庁見学の帰り、ディナハン・ロナはつい昨日まで政庁の高官達のみが使っていたリムジンタイプエレカの中で、これから会いに行く相手、ナナ・タチバナの容態の報告を情報部の士官から受けていた。

 既に彼女の意識は回復し、尋問も行われていたのだが、ずっと黙秘を続けており、ディナハンの手前どうにも手出しできない状況にあった。

 

「それは、申し訳ないことをしてしまいましたか」

「……」

「では、シュテイン―――いえ、シュン・タチバナのほうは?」

「尋問しましたが、怪しいところは発見できませんでした。司令部の人事命令により今日付けでイルルヤンカシュ要塞駐留艦隊に配属され、今は要塞への移動の準備に追われているようです」

 

 その決定にディナハンは耳を疑った。彼は、シュテインの身柄を拘束―――とまでは行かずとも何らかの監視をつけ、行動の自由くらいは規制するだろうと思っていたからだ。

 ディナハンは、その理由を求めて彼の持つ『前世の記憶』へと手を伸ばす。しかし、知らないのか、忘れているのか、それらしい覚えが出てこない。

 だから余計にわからなくなった。何故、司令部がシュテイン・バニィール、いやシュン・タチバナをイルルヤンカシュに回したのか、が。

 

「そう、ですか。彼の妹……なのですよね、彼女は」

「はい。間違いありません。彼、シュテイン・バニィールはフロンティアⅣ駐留艦隊司令カムナ・タチバナの実子で、あの新型のパイロットの実兄です。

 これは駐留軍統合本部に残されていたデータにも一致しますし、捕虜から採取した遺伝パターンは彼のそれと血縁関係を示しています」

「ふぅん……彼がクロスボーンを志願した動機というのは何か調べが付いていますか?」

「はい、表面上は職業訓練校時代にコスモ貴族主義に感銘を受け、特殊学校、つまりクロスボーン・バンガードへと進んだとありますが、彼の根底には父親との軋轢があるようです」

「軋轢……」

 

 そう言えば、とディナハンは先の戦闘中にシュテインの本名を口にし家族に銃を向けるのは辛かろう、と問うた時に彼が激昂仕掛けたのを思い出した。

 いくら名前を変えようが、彼が地球連邦軍の将官、しかも作戦目標であるフロンティアⅣ駐留艦隊司令官の息子だということは、クロスボーン・バンガード内で有名であった。当然ディナハンの耳にもそれは入る。

 だからこそディナハンは、彼に引っ込んでいるように声をかけた。

 

「親の七光りだとでも思われるのが嫌だから、という単純なものでもないでしょう?」

「はい、いえ、どうも母親を失くした時に諍いを起こしたようで、それを引き摺ったまま今日まで来ているといった状態です」

「……ふぅむ」

 

 なまじ能力主義の中で自分に価値を見いだせるほどの才能を持っていたこと。そして地球連邦と敵対を是とする思想。地球連邦軍の将官である父親への反発。

 それらが交じり合いシュテイン・バニィールという男を形作っていた。ディナハンにはそう思えた。

 

「イルルヤンカシュのことは連邦も把握しているのですよね」

「はい、それは。既に交戦記録もありますし、警戒してしかるべきかと」

 

 クロスボーン・バンガードの決起のシミュレーションでは、各サイドの連邦軍の駐留艦隊は動かないが、月の駐留艦隊だけは動くだろうと出ていた。

 そのことを知っていれば、月の軌道上に建造されたイルルヤンカシュ要塞をフロンティアサイドいやコスモ・バビロンへと移動させるのは、月側の防衛を強化するためだというのは容易に想像がつく。

 此方からの侵攻ではなく、向こうから攻めてくる。故にシュテインのような連邦に強い敵愾心を持つ人材を配置した。その判断は間違いではない。間違いではないが……。

 

 ディナハンは一抹の不安を感じる。

 同じような境遇で育ったナナ・タチバナは連邦軍を選んでいる。それは彼女が女だから父親を慕っている、というのならば良い。

 しかし、実は兄の父に対する認識が誤解から生じた結果であった時はどうだ?

 

 ディナハンの持つ『前世の記憶』が告げてくる。この世界は『ガンダム』という『物語』の世界だと。

 誤解の果てに図らずも争うことになった親子が戦場で紆余曲折を経て感動の和解を果たす……そんな美しい物語となってしまいはしないだろうか。

 そして、そういった物語の舞台背景は燃え盛る城とか最終決戦の地と相場が決まっている。

 否、この世界は物語ではない、と首を振る。

 

「? 警戒するには当たらず、と?」

「?あ、いえ違います。少し考え事を……。

 それで、彼女からはこれといったことは分からなかったのでしたね。連邦の新型、ガンダムからは何か分かりましたか?技術部から報告が上がっていませんか?」

 

 ディナハンは頭を切り替えてガンダムの情報について向かいに座る情報士官へと尋ねた。

 

「こちらに回ってきた情報は、解析の途中と但し書きが付いていましたが然程目新しい技術は見つからなかったとありました」

「そう、ですか……少し残念ですね」

 

 こちらです、と渡された資料をざっと目を通す。

 F90の1号機、2号機には従来の学習型コンピュータだけとは異なり、Type-A.R 、Type-C.AⅢとそれぞれ異なった人格を模して作られた操縦を補助する疑似人格コンピューターという特種なプログラムチップが搭載されていた。

 そのことを『前世の記憶』から引っ張りだしてきたディナハンだったが、どうにもそのようなことが書かれている気配がない。真実、解析が進んでいないため未だわからないのか、それとも最初から搭載されていいないのか彼には判断がつかない。

 うぬぬ、と唸りながら詳細を読んでいくも確かにこれはといったものは見当たりそうに無かった。

 

「情報部としては取引の手札に使いたいというのが本音です」

「手札……どうして私にそれを?」

「上層部からディナハン様の了承を取り付けるようにと言われました」

「ぅん?」

 

 それはよく分からない話だった。

 ディナハンはクロスボーン・バンガードの兵士にとって無視できない血筋ではあるが、軍に属しているわけではない。

 軍のあれこれに命令する権利などどこにもないのだ。ただ、顔見知りを通じて“お願い”をすることはあっても、命令をすることはない。

 だから、わざわざお伺いを立てに来られる必要も義理も本来ないはずだった。だが……。

 ふぬ、と彼は小首を傾げ、なんとなく思いついたことを口にしてみた。

 

「……もしかしてこの間の意趣返しですか?それともナナ・タチバナの処遇について口出ししたのが気に触りましたか?それで口出しされないように釘を差しておこうと」

「私は何も聞いておりません」

「そう、ですか……」

 

 真面目くさった顔で情報士官が口にした定型文が、ディナハンの推測が当たっていることをありありと伝えてきていた。

 意趣返しと評した前回の、つまり連邦の新型のデータが入っていない件は明らかに情報部の不手際。しかし、恐らくだが情報部独断ではなく上からの指示があってのことだったとディナハンは見ていた。それなのに何名かの情報部員が処分されている。

 それにに対し、今回のナナ・タチバナの処遇はディナハンの我儘に他ならない。

 文句も言いたくなって当然だろう。 

 ディナハンは苦笑した。いや、バツが悪くなったというべきか。

 

「わかりました。と言うか、申し訳ありませんでした。

 私がしてしまった“お願い”で余計な仕事と損害を出させてしまったようですね。以後は気をつけましょう」

「……はっ。」

「そうですね、“お願い”を総司令や総帥に直接するとしても、他所への影響おも考えなければいけなかったのですね。すみません、そこまで考えが至りませんでした。これからは考慮に入れた上で“お願い”するとしましょう」

「ッ――それは」

 

 それでは意味が無い!と士官が口を挟もうとするとディナハンは片手をあげてその言葉を遮る。

 彼は、言葉に詰まり睨んでくる士官に静かに首を横に振ると、ちいさな笑みを浮かべてから口を開く。

 

「いえ、それが最も正しいでしょう。皆様だと私がロナ家の嫡子ということで無下には出来ない。もし私の意見が真っ当であるなら、お祖父さま達が汲み上げるか否かを的確に判断されるでしょうし」

「……」

「上には、申し訳なかった、と伝えておいて下さい」

 

 それで手打ち、互いに妥協しようと言う提案だった。沈黙が車内に降りる。ディナハンは微笑み、士官は苦い顔をして見つめ合っていた。

 深い溜息が漏れた。

 

「……直接の口出しはしない。そうお約束して頂けるのですね?」

「ええ、約束します。以後、今の立場で直接口出しはしません」

「……わかりました。そう上には伝えましょう」

 

 このやりとりに渋々といった態度を見せていた情報士官だが、内心ではホッと胸を撫で下ろしていた。思った以上に容易くディナハンの言質を取ることが出来たことを喜ぶ。

 ディナハンがいう“お願い”の性質上、それを止めさせることはほぼ不可能。ならば足枷をつけるのが良い。そのためにはディナハンの視野の広さこそが大事となってくるのだった。

 ドレル・ロナのようなニュータイプではないか、という噂はあるにはある。しかしディナハンは13歳という子供。背伸びをしたがる年齢に違いはない。加えてロナ家の嫡子、御曹司という立場。捕虜の取り扱いに一家言をつけてくるほどの自己主張。癇癪を起こされる可能性は高かった。

 だが、どうだ。会ってみるとどうやら自分の立場というものを正確に把握しているようであったし、こちらの立場をもきちんと理解して非を認めた。その上で自身の意見を通す方法を開示し、理解を求めてきた。

 なるほど、ロナ家の教育はきちんと為されているのだな、と彼は思った。

 

 しかし―――

 

「ただ、あえて私見を言わせてもらいましょうか―――」

「ッ――?」

「ふふ、話のついで、ですよ」

 

 ディナハンが静かに笑って冗談でも言うように、しかしはっきりと再び口を開くものだから、今さら何を言い出すのか?と彼は訝しんだ。

 

「アナハイムに流すのなら問題はないと思いますよ、アナハイムになら、ね」

「?……それは、どういう」

 

 アナハイムならば問題ない、それは言い換えればディナハンが情報部がアナハイム以外に情報を漏らすことを想定している、もしくは好ましくないと考えているのだということだった。

 こういった軍事、モビルスーツの技術を欲しがるところは今の地球圏にはさして多くはない。鹵獲機を作った海軍戦略研究所と競合しているアナハイムエレクトロニクス、解体したとはいえまだジオニズムを捨てきれない一部のテロ屋。視野を広げれば、その独自性ゆえ地球との技術の違いを知りたい木星圏のコロニー群があるにはある。 

 そういったことに思い至った士官がディナハンの狙いを口にする。

 

「木星ですか?それは―――」

 

 木星圏からヘリウム3やその他の資源を搭載したサウザンズ・ジュピターが極近いうちに地球圏に到達することを指しているのだろう、と彼は睨んだ。その際に彼等を此方側に引き入れようとする工作のことも。

 

―――しかし、何故懸念を示す?この子は一体何を言いたい……いや何を知っている?

 

 木星はこれまでの地球圏の諍いに常に中立な立場をとってきた。ある特定の陣営に何か助力をすることがあったとしても、それは必ず一個人のことで、組織、団体として一所にだけ注力するということはなかった。

 それを数多の勢力が黙認してきたのは、彼等が扱う品が今の人類に取って欠くべからざる物であったことと、彼等には直裁的な力が少なく、根拠地も大勢に影響おを及ぼすには距離がありすぎたということもある。

 そんな理由で、例に漏れずコスモ・バビロニアも彼等と友好関係を構築すべく穏便に接触をしようと計画を練っているのだったが……。

 

 しかし、いくら考えても彼の疑問は氷解しない。そして業を煮やして遂にディナハンの真意を質そうとした時、丁度間の悪いことにエレカが目的地へと到着し、その動きを止めた。

 

「―――まぁ、折角の手に入れた手札なんだから安売りするのは嫌だな、ってだけですよ」

 

 子供の見せる笑顔でそう言ったディナハンは、一回りは離れているだろう士官の釈然としていない顔を眺めながら、今の時点で木星にガンダムの技術を流さないで済ます上手い言い訳はないものか、と考え続けていた。




【独自解釈&俺が考えた設定】
○ポーキサイド
フロンティアⅠに基部としてくっついている小惑星に多く含まれる鉱物の名前。ボーキサイトとの関連は不明。
(小説 機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガードより )

○擬似人格コンピュータチップ
1号機にはType-A.R (明言はされていないが、おそらくアムロ・レイの人格を再現しようとしたもの)、
2号機にはType-C.AⅢ(これも明言されてないが、シャア・アズナブルの人格を再現しようとしたもの)が使われている。
UC0121.03、火星でジオン残党オールズモビルズとの戦闘で1号機、2号機とも損傷を受け破壊されてしまった。らしい
その後、同じものが再現されたかどうかは不明。

宇宙世紀において人格、記憶の再構成する技術は、木星帝国のアマクサや、ズィー・ジオン・オーガニゼーションのシャア存続計画の成果アフランシ・シャアなどにも見られる結構ゴロゴロしてる技術というか発想っぽい。

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