蠱毒と共に歩む者   作:Klotho

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予約投稿を2018年にしてしまい何時までも投稿されず首を傾げていた人が此処に。


『永遠の変化』

月面戦争という史実が一千年程前から月には存在していた。

 

 その概要を掻い摘んで説明するのであれば、恐らくは月に対する最初で最後の地球からの侵攻。何の予兆もなく唐突に現われ、そして影も形も残さず逃げていった魑魅魍魎との争いの記録。編纂したのは、当時月で未知の脅威への対処を担当していた綿月依姫と主に行政へのご意見番を勤めていた綿月豊姫、その人である。彼女達の伝えた事実は月に大きな震撼を与えた。月でも指折りの実力を持つ依姫とそれを最大限援護出来る二人を以ってして『脅威』であると、彼女達はそう結論付けたのである。この事実は当時の軍部内でのみ伝えられ、二人が相手をした侵攻者が残した『傷跡』の残る場所には、一般人はおろか研究者ですら近付くことは許されなかった。それだけの影響を、ソレはばら撒いていったのだ。

 

そして私……鈴仙・優曇華院・イナバもまた、当事者の一人だった。

 

 

 

 

 

――という訳ではない。

 

 当時この戦争が勃発した頃の私はまだ一兵卒にも満たない見習いで、そもそもこんな戦争があったことすら知らされていなかった。それは軍部に所属してからも同じで、私はおろか上司やそのまた上司までもが知らないような情報だったのだ。これを知った当時はどうして黙っていたのかと、そう思ったことも無い訳ではない。――けれど、それを思い直すことになったのもまた、その史実を知った直後で。

 

「レイセン、これが当時の記録係が撮影した映像だ」

 

そういって私に手渡してくれた上司、綿月依姫の顔は今でも忘れることは出来ない。

 

彼女は申し訳なさそうにこう言った。

 

「相応の立場であるお前には見る権利がある。同時に、見ない権利もある。知らない方が幸せになれることだってあるのだから。……けれど『知るべきではないことを知ることは罪』だ。その選択権は、君にある訳なのだが」

 

結局私はその媒体を受け取り、そして全てを知る。

 

一度も想像したこともない地球に住む穢らわしき妖怪達の姿を。

 

それ等を処理する為に出向いた上司、綿月依姫の後ろ姿を。

 

そして――

 

そして彼女達が脅威と認めた、その黒き穢れを放つ少女を。

 

 

畏ろしかった。

 

 撮影されたのは戦場の遥か後ろ、照準越しでなければ姿すら見えない程の距離からの撮影だというのにそれは今でも脳裏に焼きついている。剣を交えながら後退していく依姫と豊姫、その二人からの指示で光線銃を放った玉兎達。体勢を崩し、そのまま依姫の能力とフェムトファイバーによって動きを封じられた首謀者の少女。

 

そして見る。

 

糸を崩して刀を腐らせ、そうして立ち上がった異形の怪物を。

 

その一対の瞳らしき物がカメラの方を向いて――

 

 

何も映していなかった。

 

 

光線を放っていた玉兎達は初めから、彼女の視界には入っていなかった。

 

否、そもそも生命として認識されていなかったのである。

 

これは駄目だと、そう思った。

 

 だって、自らを殺すために攻撃を放っていた者達に何の感情も抱いていないのだ。故に、きっと彼女は躊躇なく殺しただろう。玉兎を、月人を、依姫を、豊姫を、私を。自分が認知していなければ、それは『生きていても死んでいても同じこと』なのだから。

 

だから綿月依姫は私に言ったのだ。

 

『知らない方が幸せでいられることもある』と。

 

自分が生きていても死んでいても同じことだなんて、知りたい者が居る訳がない。

 

 後々になって調べてみれば、彼女と直接視線があったように『感じた』者達は皆使い物にならなくなってしまったらしい。それもその筈、それは殺されることよりも辛く厳しい宣告である。例えば地面を歩く蟻が踏み潰されるように、存在すら否定されたまま消えるというのは――

 

当時の私を、どうしようもなく絶望させて。

 

そして同時にレイセンを()()()

 

照準を覗けなくなったのも、その影響の一つ。

 

人間の月侵攻の度にそれを思い出し、そうして、私は――

 

 

 

 

月から逃げ出した。

 

 

 

 

テープを渡した依姫の顔を、私は今でも忘れることは出来ない。

 

 

 

眼前に立ち尽くす女性に、少なくとも私は見覚えがなかった。

 

 その紫の髪も長く先端の曲がった耳も、自身の知る兎妖怪の姿とは大分違う。……いや、億が一だが彼女という可能性も否めないのではあるが、まぁないだろう。高々一千年ちょっとであのてゐがこんな姿になるとは思えないし、そもそも彼女なら出会い頭でも軽く冗談を飛ばしてくる程のお調子者であるのだから。それに対して眼前の彼女は、驚愕と焦りの混じった表情で此方を見るだけに留めている。

 

留めてはいるがそこから動こうとはしていない。

 

その身体は微かに震えているようだった。

 

「……ん」

 

そして気付く、自身に向けられた感情の正体――『畏れ』

 

初対面で私を恐れる相手なんていないので、つまり彼女は何処かで私を知ったという事になるが。

 

それがさっぱり分からない。

 

「ねえ」

 

「っ、!」

 

声を掛けたら物凄い勢いで下がり――尻餅をつかれた。

 

 ……それを見て段々と理解が追いついてきた。此処まで過剰に反応するということは、彼女は何処かで私の本気を見ているらしい。そしてそれを見せた場所なんてのは極一部に限られる訳で、恐らく輝夜を迎えに来た使者の生き残りか紫と共に月へ行った時にあの都に住んでいた者なのだろう。そのどちらにせよ死を直接撒き散らすような私に近付きたいと思う筈もないので、この反応は当然と言える訳だ。

 

前者が此処に居て生きている訳がないので、恐らく後者。

 

であるならば、彼女も輝夜の家族である筈で。

 

「……何もしないよ。もう帰る」

 

「え――」

 

私は長い兎耳の女性に背を向けて、元来た道を歩き始めた。

 

本当は輝夜と妹紅に会いたかったが、彼女に場所を訪ねるのも酷という物だろう。

 

此処は大人しく、また別の機会にでも――

 

「ま、待って!」

 

「……」

 

しかし呼び止められる。他でもない彼女によって。

 

振り向けば、彼女は若干後悔したような顔持ちで立っていた。

 

「わ、私は……」

 

それでも、先のような畏れは消えて

 

彼女は初めてその紅く綺麗な両目を私へと向けた。

 

 

「……私は鈴仙(れいせん)。永遠亭に住んでいる、玉兎よ」

 

 

 

 

私は一体何をしているのだろうか。後ろに居るであろう少女に意識を向け、溜息を吐く。

 

 よりにもよって彼女――自らが地球へと逃げてきた理由を招き入れた理由が分からない。今でも本能は注意を促してきているし、身体は何時でも逃げ出せるように浮き足だっている。そして彼女はそんな私の態度に気付いているのであろう、けれど決してそれを口に出そうとはせず唯後ろをついてくるだけ。拍子抜け……というのも些か変ではあるのだが、それでも彼女が何もして来ないのが不思議で仕方なかった。

 

……いや、理由は分かっている。

 

『そうねぇ、確かに貴女の言う通りひよりは多分身の回り以外の誰が生きて死のうが関係ないんじゃないかしら』

 

『なら――』

 

『でも、それは私や貴女も同じよイナバ。それとも貴方は、月にいた頃地球の人間達の生き死にを気にしていたの?』

 

自分の事だけで手一杯になるのは当然だ、と蓬莱山輝夜は言って笑った。

 

その屈託のない笑顔の所為で、多分今も私は逃げずに彼女と歩いているのだろう。

 

ザクザクと二人分の足音が竹林に響く。

 

「――れ」

 

「っ!……な、なに?」

 

「……」

 

「……」

 

「鈴仙は、何時から此処に?」

 

「……五十年位前、だけど」

 

そう、丁度それくらいの時が経過していた。

 

 月では然程意識せずとも経過してしまう時間が、あの映像を見た日から人間のそれと変わらない位細かく私の中で刻まれていた。今では時間が空く度に何か考えごとをしている。黙って上司である依姫の元を離れたこと、未だ自分の知り得ない地球の様々なこと、そして――何時までこの場所に居ることが出来るのかということ。

 

多分私は明後日の満月に此処を去ることになるのだ。

 

筈なのに――

 

『貴女が此処へ逃げて来た理由は知ってる。けれどそれって言い換えれば、『まだ生きているのに殺された』のが不満だったんでしょう。つまり貴女はひよりと出会うまでは死んでいた……違う?』

 

此処五十年の間は、毎日が月とは比べ物にならない程の密度に感じられた。

 

けれどそれを最初に感じるようになったのは、輝夜の言う通りあの時が初めだった……と思う。

 

月に居た頃は死んではいなかった。が、生きてもいなかった。

 

 

どちらでも同じことだと宣告したのは、後ろを歩いている少女ではなく私自身の心。

 

 

そして今、私は月への帰還という刃を喉元に向けられている状態なのである。

 

「お」

 

背後にいる少女の声に釣られて顔を上げる。見れば、見知った建物が視界に見えてきた所だった。

 

私は一度立ち止まり、そして背後へと身体を向ける。

 

少女は建物ではなく私を見ていた。

 

「……じゃあ、私が師匠に取り次いで来るから。ちゃんと待ってて」

 

「ん、分かった」

 

 少女が頷いたのを確認して永遠亭へ向かい――その中途一度だけ振り返って動いていないことを確認し、そうして私は永遠亭へと足を踏み入れる。あの少女の元を離れても、私は胸を撫で下ろしたり、安堵の溜息を吐くことはなかった。彼女に対するそういった緊張感や恐怖心は、どうやら何時の間にか消え去ってしまったようで。

 

『この年、この月、来週の満月を以ってして、私の退屈は終わりを迎えるの』

 

 

そういっていた蓬莱山輝夜の言葉の真意が、私にはもう見えていた気がした。

 

 

 

『貴女が再び訪れるまでこの亭が永遠であることを約束しましょう』

 

『何時かまた合いに来る。その時は、永遠と程遠い変化を持ってくるから』

 

 

 一千年前、蓬莱山輝夜とひよりはそれを最後の言葉にして別れた。それは、決して短い時間ではなかった。人だけではなく妖怪も、その生死や在り方を変えざるを得ない程に長い時間。人と妖怪だけに留まらず都が、都だけでは収まらず世界全体の常識が移り変わる程の経過。一千年という時間は、まさに生物において全てを殺しきる唯一の存在なのだ。命だけでなく伝承を。伝承だけでなく噂を、語り継ぐ者を、聞いた者を、忘れてしまった者すら消えてしまう。この世界で自らは消えることなく、他を消すことの出来る概念。

 

その対象外とも言える存在が、少なくとも世界には三人存在していた。

 

永遠亭とは、その内の二人が住処としている建物である。

 

 

 

 

八意永琳にとってはその殆どが予定調和のような物だった。

 

 明後日への準備を黙々と続けていた集中力が『トントントン』というノックの音で中断される。この竹林の中で()()()()()が出来るのは最近此処に来たあの子だけなので、まず彼女であることは間違いないだろう。永琳は予測を書き連ねていた腕を止め、長時間座っていた為に少しだけ重くなった腰を動かすついでに立ち上がった。

 

扉を開ければ、そこには既に見知った顔と呼べる玉兎の姿が。

 

『鈴仙・優曇華院・イナバ』と、彼女は()()()()立ち位置を与えられた地上の兎である。

 

 彼女が此処へ来た理由――当然のことながら分からない永琳ではない。その垂れ下がった耳と自己嫌悪を帯びた瞳を見れば、『彼女』が鈴仙の案内の元この場所まで来たのは一目瞭然だからだ。……ただ一つ予想外なことがあったのは、鈴仙がここまで落ち着き払った状態で永琳の元へと訪れたこと。永琳の予想では、彼女は泣きながらドアを蹴破ると思っていたのに。誰かが何かをしたのか、彼女自身の心の変化か。まぁ、悪いことではないのだ。然程気にすることでもないだろう。

 

だから永琳は予め決まっていたかのように口を開く。

 

「通してあげて頂戴」

 

何を、とは言わなかった。誰に、とも言わなかった。

 

けれど鈴仙はそれだけ聞くと黙って小さく頷き、そうして踵を返して入り口へと向かう。

 

扉を閉めた。

 

「……さて」

 

此処までは予想通り。蓬莱山輝夜の言葉を以ってすれば、この程度は造作もない。

 

 ただ、それでも月の使者が来る可能性を永琳は考慮していた。恐らくはひよりも此方側についてくれるし、地形や情報量から考えても此方がかなり有利な戦いになるだろう。けれど、それでも、と。可能性が零で無い限り、出来うる限りの予測と準備をして置くのが最善だと考えているのだ。

 

果たすべきは、その可能性を零にする為の方法を作り出すこと。

 

再び椅子へと腰を降ろしてペンを取る。

 

 

その直後、背後の扉越しに誰かが廊下を歩いていく音を耳が捉えた。

 

 

「……」

 

ペンを動かす手は止めない。ただ、意識だけを背後へと遣る。

 

 パタパタと、表現をするならそんな軽い音。鈴仙や輝夜のようではなく、てゐのような忍び足でもなくただ単に廊下を歩くだけの音。何の変哲もないそれを、永琳はこの時久し振りに聞いたのだ。あぁそういえばこんな感じだったなと思わず意識だけでなく手まで止めてしまう程に。今正に自身の部屋を通り過ぎようとしている彼女に、けれど永琳は声を掛けようとはしなかった。

 

――しかし、足音は扉の前辺りで一度ピタリと止まる。

 

そして再び歩き出したようだった。

 

「……また、騒がしくなるわね」

 

本当に聡明な少女だ。そう関心しつつ一人呟く。

 

もしも此処で私の顔を先に見よう物なら、輝夜はそれを許そうとはしなかっただろう。

 

どうやら彼女はお咎めなしで輝夜との再会を終わらせたいらしい。

 

……が

 

「それは難しいんじゃないかしら?ひよりさん」

 

既に去ってしまったであろう、彼女を思い浮かべて言葉を投げかける。

 

 例えば輝夜がひよりと別れたままの輝夜であれば何とかなったかもしれない。或いは、鈴仙と出会わなかった輝夜ならば許したのかもしれない。けれど輝夜は妹紅と出会ってしまい、鈴仙を家族と認めてしまった。永遠にするつもりだった物が崩れてしまい、輝夜も変わらざるを得なくなってしまったのだ。

 

それはもう一人の蓬莱人にも言えること。彼女もまた、この千年で随分変わった。

 

そして今は新しい家族が変わることを迫られている。

 

「……その後押し位は、私でも出来るかしら」

 

 

ひよりに任せっきりというのも些か格好が悪い。やはり自分の家族は自分で守るべきだろうから。

 

止まっていた腕は何時の間にか動き出して。

 

 

 

 

 

 

 

 

これはあくまで当時の理想だったのだが

 

私は輝夜と妹紅が良好とまでは言わずとも、それなりに気の合う友人になれると直感していた。

 

 

 

「……」

 

パチリと桂馬が不規則に飛ぶ。

 

「……」

 

パチリと今度はそれを邪魔するように金が置かれる。

 

 

パチリ、パチリと。

 

白髪の少女と、それに相対するような黒髪の少女が腕だけを動かしていく。

 

 私はそんな二人の間、盤を横から眺めるという役を担当していた。言い換えれば、この勝負が終わりどちらかが敗北するまで待っていてくれと言われたのだ。てっきり開口一番怒鳴られ投げ飛ばされるくらいを予想していた私にとっては願ってもないことだったのだが、しかし勝負を始めてみればその言葉は取り消さざるを得なくなった。明らかに可笑しい。少なくとも、駒の一つである王将が『輝夜』と『妹紅』になっている時点で異常はひしひしと伝わった。それに加えてこの真剣さ加減、そこから導き出されるこの勝負の内容とは、つまり――

 

いや、まさか今でも殺し合いなんかしてるとは思わなかった。

 

そんなものは最初の百年足らずで終わると思っていたのに。

 

「初めて見ると面白いっしょ?」

 

そんな私に声を掛けてきたのは私が来るまで審判を務めていたてゐ。

 

「お前さんの持ってきてくれたトランプやら囲碁なんてのはもう飽きちまったってんで、今は文字通り『命をかけた将棋』の真っ最中って訳さ。勝った方が負けた方を無抵抗のまま好き放題殴るっつールールなんだけど……まぁ、守られたことは一度もないねぇ」

 

「……お疲れ様」

 

つまり最初から審判など必要ない勝負なのさとてゐは笑う。

 

「まぁでも、唯殺し合うよか全然良いと私は思うけどね。輝夜も妹紅も蓬莱人ではあるけれど、それが『死んでも良い理由』にはならないし」

 

それは確かにその通りだ。

 

――ふむ。

 

「輝夜、妹紅」

 

「……」

 

「……」

 

パチリパチリと駒を動かし続ける二人に向けて口を開く。

 

「忙しいみたいだから帰るよ」

 

――腕が止まった。

 

そして溜息。勿論二人分綺麗に重なって。

 

「……はぁ、やめよ。今日は機嫌が良いから勘弁してあげる。ほら、とっとと帰りなさい。私はこれからひよりと大事な話があるから」

 

「前半については概ね同意見だけど、帰るのは私とひよりだ。どうせ遅いだの何だの言うだけなんだから、お前は後でも良いだろ」

 

バチバチと二人の間で火花が散る。幻覚ではなく、多分本当に。

 

「ふん!」

 

「けっ」

 

犬猿の仲というには、些か争い合う程度が幼稚というか何というか。

 

――でもまぁ、()()()やれているようで何よりである。

 

「ただいま、二人共」

 

私はあえてどちらに話かけることもなくそう言った。

 

 封印される前、私が妹紅に放った言葉の真意はちゃんと伝わっていたようだ。少々考えさせられる関係ではあるけど、それでも二人は仲が悪いという訳ではない。少なくとも盤を挟んで遊べる位には互いを許しているのだ。ならば、それ以上は私が何かを言うべきではない。きっと時間は掛かるだろうけれど、それでも二人は最終的に仲良くなるだろう。

 

ほら、その証拠に。

 

 

「「おかえり、ひより」」

 

予感はすぐさま確信へと変わって。

 

 

蓬莱山輝夜は上機嫌だった。

 

 その理由は多々あれど、まず第一にあがるのは待ちに待った親友の帰還だろう。本来ならばそれだけでも充分お釣りが来るのだが、しかし輝夜には他にも喜ぶべき理由があった。今ひよりを挟んで反対側にいる蓬莱人を加算してもいい程の、だ。

 

それはつまり、ひよりが戻ってきたことにより動き出す周囲のこと。

 

彼女が戻ってきたのなら、此処はもう永遠である必要はない。

 

「ねぇ、ひより。少し相談があるの」

 

「ん」

 

 場所は竹と竹や竹のような物が一望出来る縁側。夕陽は沈み周囲が暗くなり、月が上り始めたであろう辺りの時刻。私とひよりと妹紅はそこに座り、三人とも思い思いに時間を過ごしていた。私は竹を見ていたし多分ひよりも竹を見ていたし妹紅も竹を見ていたのだろうが。私が声を上げたのは数分ほどそうし続けていた最中、丁度竹観察に飽きた頃である。

 

 

問いかけに二人分の意識が此方へ向く。意外にも、妹紅は黙ったままで。

 

「鈴仙にはもう会ったかしら?なんていうかしょぼくれた雰囲気の子なんだけど、その子を迎えに明後日の満月に月から使者が来るのよ」

 

「……それで?」

 

「大事な家族なの。追い返すのを手伝って頂戴」

 

此方を見つめるひよりと視線が交錯する。ほんの一瞬、けれど考えるには充分過ぎる時間。

 

ひよりは肩を竦めた。

 

「嫌われてるみたいだったけど」

 

「あれは自己嫌悪みたいな物よ。ひよりを嫌いな訳じゃないわ」

 

『いいよ、手伝う』と、そう言ってひよりは視線を正面へと戻す。

 

さて――

 

「妹紅は何時輝夜と会ったの?」

 

「ん、割とすぐだよ。ひよりと別れて四年経ったかそこいらって、そんな感じ」

 

 今度は妹紅とひよりの会話に耳を傾ける番。意外にも妹紅が私とひよりの話の最中黙ってしまっていたので、必然的に私も大人しく聞く義務があるだろう。

 

「で、どう?輝夜は」

 

「まるで駄目だな。世間知らずで高慢チキ、おまけに短気で飽きやすいときたもんだ」

 

「なっ――」

 

ニヤリという擬音が似合う笑みを浮かべて此方を見る妹紅。

 

勿論黙っている訳もなく――

 

「どうした、輝夜。何か言いたいなら言ってもいいんだぜ?いや勿論、私だってさっきの話に興味はあったけどな。再会したばかりの会話を邪魔しちゃ悪いと思ってね」

 

「ぐ、ぐくく……!」

 

なのに立ち上がれないでいた。なんとなく、そういう流れであると悟ったのだ。

 

今回は、多分私が折れてやる番なのだろう。今にも動き出してしまいそうな両膝にそう語りかける。

 

「仲良くなれると思うけど」

 

「……ま、それについちゃ否定はしないけどさ」

 

そんな事を考えていたからか、笑いあう二人の遣り取りを聞く事は出来なかった。

 

けれど此方をチラチラと見る妹紅を見る限り、どうせ録でもないことを話していたに違いない。

 

しかし――

 

 

「……此処暫くは、あんまり人前に姿見せないようにしてる」

 

 

不愉快な笑みは、次の瞬間には消えていて。

 

「彌里と最後まで顔を合わせられなかったから、かな。何となく気が進まないっていうか、その……怖いのかも、しれない」

 

そうして見せた表情は、私の見たことのない後悔と悲哀に満ちた表情で。

 

 少なくとも私が妹紅と出会い、殺し合い、時に両者動けぬまま言葉を交わした時には見せなかった表情だった。そして、年相応の弱々しさを見せる妹紅を見るのも初めてだった。あれだけ口が悪くて、私にだけ高圧的で、何故か勝手にこの竹林に住み着いている彼女が唯一信頼出来ると考えているのであろうひよりの前で見せたのは、再会の喜びや感動ではなく――自責の念。

 

何故か、私は胸を締め付けられるように感じた。

 

普段は多種多様な手を使って悔しがる様を見ようとする相手に、だ。

 

「妹紅」

 

「っ」

 

そんな妹紅にひよりが声を掛けた。たったそれだけで、彼女の肩は大きく揺らぐ。

 

「これ」

 

グイと、半ば無理矢理顔を掴んでひよりは妹紅を抱きしめた。

 

「――っ!……これって」

 

「そう、彌里の」

 

彌里。ひよりの娘であり、妹紅を師としていた人間の少女。

 

 流石にこの時ばかりは私もそれを唯の帯だと思うことは出来なかった。ひよりの娘がひよりの為に、一千年という年月を超えて残した物なのだから。月でも短いとは言えない時間、地上の様々が変わっても残り続けたのであろうそれは、多分私がひよりにあげた髪飾りと全く同じ意味を持つ物なのだろう。もし、一つ違うとするならば――

 

あの帯は、ひよりにとってだけでなく

 

「っ、そう、か……っ!」

 

「……」

 

妹紅にとっても大切な物であるという事。

 

 帯に顔を埋めてエグエグと泣く様は誰がどうみても無様で、普段なら軽口の一つや二つ出るのだけれど――やはり、そういう気分にはなれなかった。

 

だって、多分()()は私にとっての永琳やてゐや鈴仙であって

 

そしてやはり、ひよりの大切な物でもあるのだから。

 

ひよりが口を開く。

 

「『神狼』」

 

「――あら」

 

ボウンという音と共に現れたのは巨大な白銀の狼。一度も見たことのなかったその姿に、私は思わず声を漏らす。

 

とても美しい狼ね、と。そういう為に口を――

 

「う、うぅ~……お前も居たのかぁ……」

 

「これも彌里から」

 

「……っ、あんたねぇ」

 

今度は即座に帯から顔を離し、すぐ隣に立つ狼の身体へと埋めて泣き出す妹紅。

 

ヒクリと、間違いなく頬が引きつったのを私は理解した。

 

 妹紅に悪意がないのは分かっている。彼女にとってはひよりと顔を合わせず別れたことよりも、彼女が師をしたひよりの娘の方を気にかけたのも分かってはいる――いるが、少々泣き過ぎではないだろうか。これでは声を掛けるどころか、完全に蚊帳の外である。

 

 

……でもまぁ、人の為に涙を流す妹紅を見てほんの少しだけ関心したのは事実で。

 

 

ニヤリと――

 

 ひよりから丁度見えないように、しかし私にだけ見えるように此方を覗き口角を吊り上げた妹紅の顔を私は見逃さなかった。

 

「――へっ」

 

そして明らかに笑った。私を見て嘲笑った。

 

……前言撤回。

 

「……ひより、先に部屋に戻って頂戴。この白髪婆を土に還したら一緒に寝ましょう」

 

「へえ、もしかして誰かと一緒じゃないと寂しくて眠れないのか?私も手伝ってやるよ。ひより、こいつを眠らせたら私の家で話そう」

 

「……二人共、ほどほどにね」

 

妹紅と共に縁側から庭へと飛び出し、ひよりが溜息と共に部屋へ戻るのを見届ける。

 

ピシャリと、障子が閉められて

 

「おらぁぁぁぁ!」

 

「うらぁぁぁぁ!」

 

 

それでもやっぱり目元は赤く腫れていたので、少し手加減をしてしまったのだけれども。

 

 

 

トントントンと、ノックの音を聞くのは二度目だった。

 

 

「開いてるわよ、入って頂戴」

 

 私は扉の方も見ないでそう言った。陽は落ち、もう月が真上に昇ろうかという時間。先ほど休憩をしてしまったが為に遅れてしまった作業を進める為、今度は相手に開けて貰う方を選択したのだった。――さて、此処でようやくドアの方に意識を向ける余裕が出て来る。ノックをしたという事はてゐや輝夜ではないだろうから、恐らく鈴仙かひよりなのだろう。確立としては五分五分……さて、どちらが入ってくるにせよ――

 

「久し振り」

 

「……えぇ、お久し振りね。ひよりさん」

 

手を止めなければならないことは、やはり間違いない訳で。

 

 

 

 

「月から使者が来るんだってね」

 

輝夜から聞いたよ、とひよりはそう言って此方を見た。

 

 一体輝夜からどの程度まで話を聞いたのかは分からない――まぁ、多分何も話して貰っていないのだろう。けれど彼女が此処に来てくれたという事は、輝夜と妹紅の方に決着がついたという事だ。その上で、どうやらひよりも今回の件に協力してくれるらしい。念の為ひよりを含めて計画を立てていたこともあってか、私はそれを聞いても然程驚くようなことはなかった。

 

しかしそれでも、やはり心は躍る。

 

「ただし守る側と攻める側が逆ですけど、ね……そして多分、此方へ来る相手も」

 

「……」

 

そう、恐らくだが今回迎えに来るのは豊姫と依姫。

 

奇しくも私達が月面戦争と呼んでいる史実を逆にしたような形だった。

 

「それで、勝算はどれくらい?」

 

「ひよりさんが協力してくれるなら充分にあるわ。……但し、それは『永遠亭から誰も居なくならない』のが勝利なだけであって、誰も()()()()という訳じゃないけれど。説明は、必要かしら?」

 

「ん、いいや。その役引き受ける」

 

これも想定していた答え。ひよりは充分に考えた上で、引き受けると言ってくれた。

 

ならば此方も遠慮をする方が野暮という物だろう。

 

私は右手を差し出した。

 

「じゃあ今回は完全に協力して貰う訳だから、形式的にもお願いさせて貰うわね?……ひよりさん、明日貴女の力を貸して頂けるかしら」

 

「うん、明日一日永琳の指示に従う」

 

その小さな手で私の手を握り返し、彼女は強く頷いた。

 

あとは――

 

「それともう一つ、明日使う術についてなのだけれど……確実に上手く行く方法を取って『本物の月』と『偽の満月』を夜が明けるまですり替えるわ。こうすることで両者は完全に繋がりを絶たれて、どちらからも偽りの場所にしか辿り着けなくなる。豊姫の能力があったとしても、彼女がこの現象に気付く頃にはもう間に合わないでしょう」

 

「ん……ん?」

 

まぁ、当然か。首を捻るひよりを見て、私は内心で苦笑する。

 

「つまり明日一日月が偽物になっちゃうの。それについては、大丈夫かしら?」

 

「……あー」

 

おや、と思ったのはひよりが意外にも悩む素振りを見せたから。

 

彼女は暫くの沈黙の後、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「多分、知り合いが何人か止めに来ると思う。傍から見れば明らかに『異変』だから霊……博麗の巫女とか、幻想郷の管理者とかが解決しようとするかも」

 

「……成る程。確かに妖怪や巫女にとっては、この異変は解決しないといけないのね」

 

 そうすると、もしかしたら私達が戦うのは月の民ではなく幻想郷の住民ということになるのかも知れない。勿論私も輝夜も弾幕ごっこという遊びについてはてゐから聞いているし、実践もしている。ただ、それの勝敗だけでこの術を止めなければいけないとなるならば――

 

それ相応の準備が必要になるだろう。

 

結論付けて顔を上げると、何故かひよりが苦笑していた。

 

「今、凄く楽しそうに笑ってたよ」

 

「あら、そうかしら?」

 

思わず頬に手を当てて確認すれば、確かに若干だが釣り上がっているように感じる。

 

 前回は私と輝夜の都合上自ら月へ行くことは出来なかった。そして現在も、この竹林からは出ない方が良いという風に結論付けている。だから、もしひよりの言う通り幻想郷の住民達が攻めてくるというのなら、それはそれでまた必要な変化なのかも知れない。妹紅が此処へ辿り着いたように、鈴仙が逃げ込んだように、今回もまた、新しい風が吹き込もうとしている。

 

目前で此方を見て苦笑する、この少女の手によって。

 

私は――

 

「ひよりさん」

 

「ん?」

 

「……ありがとう」

 

そう言って頭を下げた。様々な思いを含めた、複雑な礼だったと思う。

 

当然、全てが伝わるとは思っていなかったのだが

 

 

 

 

 

「輝夜と約束したからね」

 

どうやら一番伝えたかったことは、しっかりと伝わっていたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次週『月は出ているか?』をお楽しみに!(嘘)

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