◇
起床。
「ふ、あぁ……」
目を開き、外から差し込む陽の光を感じ取り、上半身を持ち上げる。隣を見れば既に目を覚ましているのであろう、丁寧に畳まれた布団が一式置いてあるだけだった。どうやらひよりは妖怪であるにも関わらず朝から活動しているらしい。その布団を暫く眺め、そうしている内に段々と意識がハッキリとしてくる。身体を布団から捻り出し、着替えるのが面倒だったのでそのまま着ていた巫女服を整える。
食欲を刺激する、魚の脂が焼ける匂いに気付いたのもその時。
私は急いで背後にある襖を開いた。
「……あら?」
いや、確かに作りたての朝食がそこに並んでいた。
けれど一つだけ予想外だったのは、それを作った筈のひよりがそこに居ないという部分。私は足元で寝ていた萃香を踏みつけ居間へと入り、そのまま台所の方へと足を運んだ……がやはり誰もいない。冷めてしまわないようにと弱火にかけられた味噌汁の入った鍋と、恐らくはこれから盛る筈だったのだろう白米が入った櫃だけ。こんな中途半端な状態でまさか何処かへ行ってしまうという事もないだろう。そう考え到った所で、私は自身の耳に聞きなれた音が飛び込んでくるのを捉える。『バチバチ』と何かが弾けるような音と、何か大きな物体が空を切るような、そんな音。
――あぁ、成る程。
「どわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「今日は随分早いのね」
その音の原因であろう片割れは、居間から見える外の庭へと姿を現した。
白黒帽子に白黒の服、尻餅をついて腰と箒を押さえているよく見知った顔の魔法使い。
霧雨魔理沙。
「いてて……おい、霊夢!良いのか?朝っぱらから侵入者だぜ」
「えぇ、そうね。とっとと追い払っちゃいましょう」
その言葉を聞いて安心したらしい魔理沙。私は傍に落ちていた札を拾う。
ベシリ
魔理沙の顔目掛けて投げつけた。
「……」
「……なぁ、霊夢」
「何よ」
「私は魔理沙だ」
「そうね」
「……妖怪じゃないぜ?」
「知ってるわ」
今度こそ魔理沙は訝しげな視線を私へと向けた。
けれど私だって考え無しに彼女へ札を投げつけたのではない。つまり魔理沙が今まで対峙していたのは妖怪であり、それはこの時間帯に博麗神社で活動をしていた妖怪という事になる。こんな事は、きっと萃香でも容易に想像してみせるだろう。直感で物事を進めようとする魔理沙が私や萃香なしにひよりと会ったらどうなるか、考えていなかった訳でもない。
どうせ全身黒染めで怪しいから侵入者、とでも思い至ったのだろう。
そして負けたと。
「おい霊夢、もしかして――」
此処へ来てようやく魔理沙もそれに気付いたようだった。
私は軽く頷き、そうして縁側に出て上空を見上げる。
「朝ご飯冷めちゃうわよ」
「ん、ごめん」
ひよりが博麗神社に住むことになった、次の日の出来事。
◇
小鳥――ではなく怪鳥の囀り。
「く、あぁ……」
軽く目を擦り、完全に今の鳴き声に起こされたなと溜息を吐く。普段の私ならばそんな風に後ろ向きになることはないのだが、生憎現在の時刻は何時もの起床時間より一時間程早かった。鬱蒼と茂る森の中に住まいを構えているので日光に邪魔されることがないとはいえ、妖怪の遠吠えや怪鳥の鳴き声に悩まされるのも中々楽な物ではない。既に幾度と繰り返してきた起床パターン……そんな思考を適当に切り上げて立ち上がった。
さてさて、何から始めれば良いのやら。
朝食の準備、部屋の片付け、魔法の勉強……するべき事は沢山あるが、今のテンションでしたい事ではない。となると、やはり自分が楽しいと思えるようなことをするのが一番か。例えばこのまま博麗神社へ行って、流れで日の当たる縁側にて昼寝をし、偶然にも霊夢の作ったバランスの悪い朝食を食べるとか。楽しい……と聞かれれば首を捻るところではあるが、少なくとも私は『楽』だ。
「よし、決まり!今日の朝飯は白米と味噌と胡瓜だな」
昨日確認しておいた博麗神社の台所事情を思い出してそう確信。
博麗霊夢に朝食を任せるのであれば、これ以上望むのは過ぎた欲と言わざるを得ない。
当然、それ等を自分が料理するという選択肢はなかった。
「さぁて、とりあえず昼寝から始めるか」
寝癖を整え、掛けていた帽子を被り、箒を掴んで扉を蹴飛ばす。
私服のまま寝たので着替える必要はなかった。
魔法の森を数分飛ばして、視界の先に捉えたのは友人の住む家兼神社。
眼下を見下ろせば、大蛇でもひっくり返るような長さの階段があの場所へと続いている。一体どうしてこんな場所に建てたのか、恐らくは今後一生解決されることのない謎なのだろう。けれど確かに魔理沙の知る神社はどれも高い場所にあるようなイメージがあるし、そういった風に考えればこの神社も然程変ではないと言えないだろうか?……いや、変だ。参拝の途中に妖怪や獣に襲われる神社なんて、きっと世界中何処を捜してもこの博麗神社だけだろう。
しかし不思議なことに、今日は何時も階段で眠っている筈の妖獣の姿がなかった。
何度霊夢に追い払われようと毎日あそこに居る奴等が、だ。
「ま、そんな日もあるか」
その一言で終わらせる。だって、参拝客しか困らないし。
それよりも、今は一刻も早くあの日当たりが良い縁側に寝そべって――
「……んん?」
今度こそ魔理沙は疑問符を発した。
視界の先に見えていた縁側へ、神社の中から出てくる誰かの姿を捉えたのだ。
常識的に考えるなら霊夢か萃香だ。けれど今の時刻は七時。本来なら私だって寝ている時間だし、彼女達が起きてくるにはもう少し時間が必要だろう。つまり、普段通りであればあの場所に誰かが立つなんてことは有り得ない訳で、しかもそれが霊夢や萃香でない事は一目瞭然だった。
その誰かはこの距離から見ても分かる程全身真っ黒なのである。
そんな奇異な姿をしている存在なんて――
「私か泥棒くらいなものだろうなぁ」
私ではないので、つまりあの黒いのは泥棒である。
そう結論付けた魔理沙は縁側を見下ろせる上空へと滞空すると、そのまま暫く黒い存在の動向を監視した。黒いのは物珍しげに周囲を見回していたが、その視線が空へと向った所で此方の姿を捉えた。一体あれは何だと、そう思っているのかも知れない。けれどその視線は、何処か焦っているようにも見えた。
――いよし。
「初めまして、だよな。泥棒さんよ」
「……」
そこでようやく私は黒いのが『少女』であることに気付く。
黒髪黒目の、如何にも人間らしい少女だった。黒に紫で様々な動物をあしらった着物、綺麗な文様が施された帯……何より彼女の頭で光り輝く髪飾りが、この少女の平凡性を醸し出していた。今まで出会ってきた誰よりも人間の少女らしく、また誰よりも泥棒するイメージが沸かないと言えば分かり易いだろうか。その証拠に、少女の瞳には罪悪感やそれといった物が見えない。
けれどその視線は、確かに一度居間の方へと向ったので。
「言わせて貰うが、この神社には目ぼしい物は何も無いぜ。中から出てきたんだから分かるだろうが、白米三合と味噌少しと胡瓜四本しかない家だ」
「えーと――」
「おっと、懐柔するつもりなら諦めな。私はお前を止めたって名目で、このまま此処で朝ごはんを頂くつもりなんだ」
少女は今度こそ焦った。そりゃそうだ、誰だって撃退されるなんて思いはしないだろう。
彼女には申し訳ないが、此処は大人しく私の為に犠牲となって貰うことにする。
八卦炉を取り出した。
「被弾一回、スペカ無しの勝負だ。良いか?」
「……」
少女は訝しげな視線で私を見た。どうしようかと、そんな瞳で。
まさかとは思うがこの少女が自分よりも強いという事はないだろう。それは言い換えれば、つまり博麗霊夢や私達に負けた者達よりも強いということになる。そんな存在を知らない訳はないし、だからこの勝負の勝利は私にとって揺ぎ無い物なのだ。または、それを理解しているから挑むのと躊躇っているのか。どちらにせよ、逃げ道は塞いでやらなければならない。
「受けないってんなら、私は今直ぐ霊夢と萃香を起こしてくるぜ」
博麗霊夢と伊吹萃香。この二人を知らずして、此処へ盗みに入ることはない。
それは逆に言えば、少女の想定外を起こすと言っているのだ。
「……分かった」
「よし、じゃあこいつが落ちたら開始な」
不承不承といった感じで頷いた少女に、霊夢にあげる筈だった毒茸を取り出す。
空中へと放り投げた。
「……」
「……」
果たして――
博麗神社に入る度胸のあるこの少女は、一体どれ程強いのか。
落下していく茸ばかり眺めて此方へ見向きもしない黒衣の少女。
その、初動は。
落下
「よっと!」
まずは小手調べとして、少し幅を広げたランダムと規則を入り混ぜる。
弾幕ごっこでは通常弾幕と呼ばれる部類の攻撃だ。これ単体で相手に被弾をさせることは難しいが、今は被弾一回で負けという条件である。規則性に慣れ始めた辺りでランダムに引っ掛かってくれればそれで良い。そんな軽い気持ちで私は弾を発射した。
対して、少女。
自身に迫ってくる弾幕を眺め、ただ突っ立っているだけだった。
飛翔も、反撃も、移動もしない。
やる気はあるのかと、そう声を荒げようとした瞬間にそれは――
弾け飛んだ。
「っ、んな――」
例えでもなく、嘘でもなく、唯風船が割れるように簡単に。
少女はその姿を数千の鳥へと変えて飛び立った。
「……もしかして夢でも見てるのか?」
有り得ない話ではない。笑えない夢ではあるが、現実であるよりはマシだ。
私は自分を無視してどんどんと上へ飛んでいく、その鳥達を眺めて――
黒衣の少女を眺めていた。
「うっ、」
「てい」
わぁ、とそう声を上げる暇もなく。
目の前を過ぎる筈だった鳥が突然先の少女へと変わり、その小さな両手で私の両肩を突き飛ばした。あまりにも唐突で、更には反撃が来るなんて思いもしなかった私の身体はそれだけでバランスを崩す。崩して、ついつい箒を掴んでいた手を使ってバランスを取ろうとしてしまい――
落ちた。
それはもう、見事といって良い程に。
「どわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ドグッ、と聞きたくないような鈍い音がした。
◇
博麗神社で迎えた朝は呆れかえる程清々しかった。
「……んむ」
ついつい間抜けな声が口から漏れてしまう。既に封印から目覚めて一度、紫の家に泊まらせて貰ったが、此処までゆっくり休むことは出来なかった。やはり他人の家で寝たというのも関係していたのだろうか。とりあえずは布団から出て、まだ隣でぐっすりと眠っている霊夢を起こさないように布団を畳む。畳んで、それを部屋の隅に置いてから部屋を出て――
ギュムと、変な物を踏んだ。
下を見る。
「……何やってんのさ」
ぐがぁと、その身に似つかわしくないイビキを発する萃香の姿。
まさか昨日居間で酒盛りをしてそのまま此処で寝たとでも言うのだろうか。
仕方ないのでそうっと跨ぎ、スルスルと襖を閉める。
さて――
「朝御飯でも作るかな」
「初めまして、だよな。泥棒さんよ」
少し高いところから私を見下ろしているのは白黒の服を着た金髪の少女。
どうしてこうなったのだろうか。
朝御飯を作ろうとして、博麗神社の台所事情に軽く驚愕をして材料を取りにいき、何とか朝食を作り上げた。……此処までは良い。そうして今が七時前であることを思い出し、弱火にかけつつ霊夢達が起きてくるのを待つ為に縁側へ出ようとして、私は泥棒と間違われたのだ。
……というか、寧ろ彼女の方がそれっぽい格好をしているのだけど。
そこは長年の勘で口には出さない。荒事を出来るだけ避けるのが死なないコツである。
「……」
しかし困った、どうやら彼女は霊夢の知り合いであるらしい。
一度チラと居間の方を見て、そこに三人分の朝食しか用意していなかったことを後悔。勿論霊夢からそんな友人が居るという話は聞いていないので知っていろという方が無茶なのだが、それでも一言教えてくれれば用意することも出来た。こんな朝早くに来たのだ、当然彼女だってまだ朝食も食べていない筈で――
そんな私の考えを知ってか知らずか少女はニマリと笑う。
「言わせて貰うが、この神社には目ぼしい物は何も無いぜ。中から出てきたんだから分かるだろうが、白米三合と味噌少しと胡瓜四本しかない家だ」
知ってる。言わせて貰えば、胡瓜は一本駄目になっていた。
けれどそれを知っているということは、間違いなく彼女は霊夢の友人であって。
「えーと――」
「おっと、懐柔するつもりなら諦めな。私はお前を止めたって名目で、このまま此処で朝ごはんを頂くつもりなんだ」
両手を広げてキッパリとそう告げた黒白の少女。
本当ならば感心したり褒めたりしたい所ではある。だが、そんなことよりも――
この流れは、不味い。
「被弾一回、スペカ無しの勝負だ。良いか?」
奇妙な物体を此方に向けつつそう言い放つ少女を見て、私は内心で頭を抱えた。
そう、この流れは当然泥棒退治一直線である。つまりそれは彼女が私と戦うという訳で、そうなるとやはり『すぺるかーどるーる』に則って『だんまくごっこ』というのをやらなければならないのだ。しかしそこが問題なのではない。泥棒と勘違いされることよりも攻撃されることよりも、こうやって勝負を持ちかけられることが不味いのだ。だって、私は弾幕ごっこを知らない初心者なのだから。
紫は霊夢に聞けと言った。けれど昨日は遅かったから、今日改めて聞こうと思った。
だけどまさか早朝から挑まれるだなんて、誰が予想出来たというのだろう。
「受けないってんなら、私は今直ぐ霊夢と萃香を起こしてくるぜ」
そんな葛藤は当然伝わる筈もなく、魔理沙はそういって神社に視線を落とした。
確かにそれも、一つの解決方法ではあるのだが。
「……分かった」
けれど私は彼女の勝負を受けた。ぶっつけ本番で弾幕ごっこをやることに決めた。
だって、絶対に笑われるし。
「よし、じゃあこいつが落ちたら開始な」
そう言って彼女が取り出したのは茸――タマゴタケ。
宙へ放り投げた。
「――」
あ、と声を上げようとしたがもう遅い。
タマゴタケは食用の茸だがその性質上非常に脆く原型を保たせるのが難しい。その分旨みも香りも強くて美味しいのだが、採取から調理まで一筋縄ではいかない食材でもある。それを空中に投げてしまえば――もうどうなるかは分かるだろう。ボロボロと所々が欠け落ちて、そうしてもう食べられる状態ではなくなってしまった。
しかもこれから地面に落ちようとしているのだ。
救いようがない。
そして落下。
隠れた美味、タマゴタケはその身を地へと散らした。
「よっと!」
そんなことはお構いなし、とばかりに少女は大量の玉を射出する。
――っ、弾幕ごっこの最中だった。
「……」
そして改めて考える。弾幕ごっことは、どういうルールなのか。
被弾一回と彼女は言った。
すぺか、というのは恐らくスペルカードの事なのだろう。これは無しと。
そして彼女は現在進行形で、私に向けて攻撃を放っている。
……よし、大体掴めた。
つまりは相手の攻撃を避けつつ相手より先に攻撃を当てる、そういう遊びなのだ。
だから私も妖術で鳥を生み出し、その中に紛れて彼女の居る上空へと飛翔した。
弾を避けつつ、他の鳥達もぶつけないように。
そして――
「全く、そうならそうと言ってくれれば良かったんだ。霊夢ん所に住むことになったんなら、霧雨魔理沙さんのことも当然聞いていたんだろう?」
「聞いてない」
「話してないもの」
「……」
霊夢がそう端的に答えると、魔理沙は恨めしい顔をして霊夢を見つめた。
現在食卓に座っているのは三人。私と、霊夢と、魔理沙である。本当はそこで転がっている萃香の為に作った朝食は、隣に座る魔理沙の『冷めちゃ勿体無い』という
山菜となめこの入った味噌汁を啜り、一息。
見れば、既に霊夢と魔理沙は朝食の入った器を空にしていた。
「はぁー……久し振りに手が加わった物を食べたぜ。おい霊夢、ひよりってまさか?」
「えぇ、うちに住んでるわ。掃除担当が私で食事担当がひより。ちなみに昨日の夕飯は――」
「いや、言うな。言ったら最後お前の家に住み込むからな」
空になった器をチラと見て宣言する魔理沙。どうやら彼女も余り料理はしないようだ。
彼女は『魔法の森』という場所に居を構えている魔法を使う人間らしい。魔法の森……恐らくは私が眠っている間にそういう因果を持ってしまった森なのだろう。覚えのない場所だが、魔理沙からの話を聞く限り食料の調達には困らない場所のようだ。彼女の他にも『ありす』という魔法使いや、香霖堂なる建物も存在しているとのこと。
今度行ってみようと、そう密かに心の中で決める。
するとそれを見越したかのように霊夢が此方へ視線を向けた。
「ひより、アンタはとりあえず弾幕ごっこを覚えなさい」
「えー……」
「えー、じゃない。現代のルールには従って貰うわよ。ちなみに分裂も物理攻撃も駄目。……まぁ、どっちも弾幕としてなら例外はあるけれど」
うんうんと頷く魔理沙と霊夢を交互に眺め――内心で冷や汗を流す。
先の魔理沙の弾幕を分かったことだが、あれは鳥になって避けていたからこそ良かったけれど、本来なら生物が通り抜けられるようなスペースなどないだろう。いや、多分彼女達からしてみればあるのだ。けれど私にとっては何処からどう見ても弾の壁であり、その中から時折不規則に飛び込んでくる弾丸は厄介以外の何物でもない。唯一の売りである不意討ちも、直接的な攻撃や分裂を封じられてしまうとどうしようもない。
どちらかと言えば私は相手の動きを分析して先読みしていく戦法なのに。
『多種多様なスペルカード』を、皆それぞれ持っているとのこと。
「……はぁ」
「勿論私だって手伝うぜ。朝食までご馳走になっちまったしな。それに、ひよりに聞きたいこともあるし」
昔の紫や萃香のこととかな、と言って悪い笑みを浮かべる魔理沙。
きっと理由がなくても手伝ってくれたのだろうが、それを付けたのは彼女なりの礼儀か。
彼女はスッと右手を差し出した。
「霧雨魔理沙。ま、仲良くやろうぜ」
「……ひより。よろしく」
当然のことながら、この日は夜まで弾幕ごっこに付き合わされる破目になった。
◇
「あら、じゃあ弾幕ごっこは出来るようになったのね。おめでとう」
ズズズ、と湯気を放つ湯呑みからお茶を啜り紫が言う。
霊夢と魔理沙の弾幕指導から四日、丁度それくらいの時間が経過していた。本来であれば基本的なルールと流れだけ説明して実践形式――の筈だったのだが、私が『空を飛ぶことが出来ない』という問題が見つかった為にこの内の二日間は飛行の基礎練習をしていたのだ。動物の姿になって弾幕を避けることが許されない以上人の姿で飛ばなければならないのは当然であって、別にそこに関しては文句はない。……けれど、まさか
そうして何とか霊夢から外出許可を貰える位には出来るようになって。
だから私はこうして紫の家で紫とお茶を飲んでいる。
――訳ではない。
「それで、最初は何処へ行くつもりなのかしら?」
「……そう、だね」
つまりはそういう話。目覚めたという報告を、誰から伝えていくのかという話題。
けれどこれに関しても一筋縄ではいかないのだ。
長らく待たせてしまったぬえや、何故か私を待っている幽香。結局何も言わずに別れてしまった妹紅や、全てを話した上で無理矢理納得させた輝夜。ぬえは兎も角、他の三人は出来れば代理を立てて報告したいくらい気が進まなかった。……嫌いな訳ではない。嫌いな訳ではないが、一悶着以上あるのは間違いないのだ。痛いのも怒られるのも嫌である。
しかしそれでも、順序をつけるとするならば……
「妹紅の所かな」
内心で輝夜の所でもあるけど、と付け加えて。
幽香は大丈夫、彼女の性格からして多少の遅延は気にしない。
ぬえは端から心配などしていない。
私が彼女達を優先する理由は――
「妹紅には黙っていたからかしら?」
「……まぁ」
全てを話したから、とも言えるのだけれど。
特に輝夜の方はそこはかとなく不安だった。私は輝夜をよく知っているからこそ分かるが、本来彼女はこういった世情を尊重する性格ではない。あくまで自らが生きる上で楽しく退屈をしないかが重要なのだ。そんな彼女にとって真実を知りつつも手を出せないという状況は、ストレスにこそなれど、楽しみに転換できるなんてことはある筈もなく。
それを彼是一千年程続けて。
本当に、もう何時爆発しても可笑しくはないのだ。
「ちゃんと謝らないと、ね」
そう言って隣を見ると、紫はそうねと言ってクツリと笑った。
「大丈夫よ、きっと。だって、親友なんでしょう?」
「別に親友は関係ないけど。……ま、そうかな」
または爆発の矛先が『お互いへと向かった』か。
……嫌な予感。
「ね、紫――」
「分かってるわ。……それで、居場所の検討はつくのかしら?」
湯呑みを片付けに来た藍にお礼を言い、紫が開いたスキマの正面へと立つ。
これはあくまで勝手な推測だが、輝夜が一千年も私を起こさなかったのは何も私の言葉が原因ではなかったと思う。少なくとも何回か、永琳の静止を振り切ってでも動こうとしてくれた筈だ。けれどそれが功を奏していないということは永琳以外の抑止力があったということであり、それは、少なくともてゐではないだろう。
だとすれば、もう一人。
『輝夜姫、今も何処かで生きてるよ』
彼女の存在を知る同じ存在が、もう一人だけ。
だから間違いないだろう。
「『迷いの竹林』へ、お願い」
開かれたスキマの向こうに映る竹林群は、あの時から変わらずそこにあって。
「宜しいのですか?紫様」
スキマへと飛び込んだ少女を見送った後、背後から聞こえた声。
私はスキマを閉じ、何時の間にか湯呑みを片付けて立っていた藍を振り返った。
「何がかしら?」
「ひよりを竹林に行かせて、ですよ。あそこはまだ全体像も把握できていない未開の地じゃないですか。何があるのか、それこそ検討も――」
「本当に?」
そういうと、藍は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
――空気が一巡して、再び口を開く。
「……ひよりの言う『三人目の親友』が居るのは明らかです。紫様のスキマにも感知されない存在が少なくとも一人、あの竹林に居る」
「そうねぇ……」
藍から視線を外し、考える。
暫くあの蓬莱人の姿も見ていない。もしも幻想郷に残っているとするならば、やはり彼女もあの竹林に居ると考えるべきか。そして出てこないという事は、彼女にとってひよりと並ぶかそれ以上の理由がそこにあるということである。けれど、妖が跋扈し人々が争い続けてきた時代から生きている彼女があの場所に留まる理由については……やはり、検討もつかなかった。
検討はつかなかった、が。
「少なくとも千年の間は大人しくしていたのよ。その理由が何であれ、ひよりを助けに
「それは、まぁ。人によりますが」
苦々しい表情、恐らく彼女は脳裏に妹紅の姿を思い浮かべたのだろう。
素直じゃないなと苦笑する。
「なら大丈夫。きっと丸く収まるわ」
「ですが――」
尚も食い下がる藍の次の台詞は、自然と私の口から先に漏れ出た。
「『一波乱あるのでしょう?』」
「……」
実際の所どうなるかは分からない、そう次いで答える。
相手が未知数である限り、その波乱の大きさもまた未知数である。幻想郷を霧で包むか、春を奪うか、はたまた無理矢理宴会を開かせ続けるか――それ以上か。ひよりが目覚めたことによって動き始めた物に関しては、私は何も先読みする術を持っていないのだ。私達に出来ることは、彼女しか知り得ない場所で起きた『様々な出会い(エクストラ)』から生じる良いことや悪いことを見守っていくだけ。
それは例えば異変の前触れであったり
または予想もしなかったような出会いであったり
そして幻想郷全体に渡る変化でもある。
「幻想郷は全てを受け入れる。それを実現出来るかどうかは、私達次第なのよ」
幻想郷始まって以来の大騒動もきっとある。
その度に霊夢や魔理沙も巻き込んで、藍にも迷惑をかけてしまうだろう。
「……いいえ、実現させる」
それでも見据えた先に、彼女が夢見た理想があるような気がして。
◇
ザクザクと音を立てて笹の葉の道を歩いていく。
紫に送って貰った私は、とりあえず昔輝夜に見送って貰った通りの道をそのまま歩いていた。此処が不朽の竹林群であることは知っているし当然成長はしているのだろうが、とりあえずは誰の手も借りずに歩いてみようという算段である。足元を埋め尽くす笹の葉はどうして昔から変わらず増えないのかとか、そんなどうでも良い事を考えながら。竹に突き当たっては少し避け、筍に躓いては道を変える。それの繰り返し。
もしも辿り着けなかった時は、また蠱毒を遣わせてみるのも良いだろう。
まさかあれから住人が増えたなんて事もないだろうし――
「――ん」
ガサリと一度、横の竹林が揺れたと思って
「ぷはぁっ……全く、どうしてこん……な……」
「……」
長い兎耳に、同じく長い紫の髪。
そうして赤い瞳を此方に向けた彼女は、どう見ても私の知らない誰かだった。
ちなみに私の中で竹林はすげー都合よく作られてるので彼女がいきなり顔を出すことくらいなんてことはないのである。