蠱毒と共に歩む者   作:Klotho

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『ひよりと未来』

冗談じゃない。

 

吹き飛ばされ、地面に転がった所で霊夢は先の光景を思い出す。

 

 互いが完全に初見である以上、双方の攻撃がどちらもある程度通るのは覚悟していた。封魔陣も夢想封印も当たったし、逆に彼女の突進や貫手も例に漏れず私にダメージを与えている。……少なくとも、意識ある私はそのダメージが自分に通っている事を理解していた。現に今、私の右腕は攻撃の余波で動かせるような状態ではない。

 

しかし――

 

「……反則よね、本当」

 

此方の攻撃は当たっていたが、それが通用した訳ではなかった。

 

 驚異的な再生能力と霊力とは反対の性質が組み合ってなのかは分からないが、彼女は此方の攻撃を全て無力化して見せたのだ。咆哮、両手、或いは無視という――言い換えれば、私がしたような技巧を凝らさずに、という事。

 

本当に笑えない。

 

「まぁ、それも含めて仕事なのか」

 

立ち上がる。

 

 紫が自身で諦めそれでも私の元へ来た理由は、つまり『彼女には出来ない方法で勝つ事が出来る』から。幻想郷の管理者であり大妖怪でもある彼女にすら出来ない戦い方を私はすることが出来た。それは別段手間が掛かるという訳でもないし準備が必要という訳でもない。唯私が使うと決めて能力を行使するだけで、それは容易に発動することが出来るのだ。

 

背中に大幣を戻し、霊符も陰陽玉も回収して袖に仕舞う。

 

遠くに佇む影を見据えた。

 

 

「『夢想天生』」

 

 

 

一瞬だけ霊夢が眠ってしまったのかと勘違いした。

 

 先ほどまでしっかりと放たれていた霊力が突如として消えたのだ。私の攻撃を受け吹き飛び、地面に倒れ、立ち上がり、そして此方に顔を向けた直後の出来事だった。霊夢の様子を良く見ようと目を凝らしてみれば、彼女はどうやら瞳を瞑っているらしい。足は地面につかず若干宙に浮いていて、心なしか彼女自身も消えているような錯覚を覚える。

 

 

動き出した。

 

「う、わわっ」

 

「……」

 

ゆっくりと此方に近付いて来るのと同時に放たれる球体。

 

先ほどまでの札と比べて拍子抜けする見た目のそれは、霊符よりも強い霊力を纏って。

 

「暴走……じゃない、か」

 

どうやらさっきの間抜けな声も聞こえていないようなので一人呟く。

 

 今更ながら自分に一千年程の空白の時間があったことをすっかりと忘れていた。それだけの時間があれば勿論妖怪退治の手法も、博麗の巫女の退治手段も変わるに決まっている。そして目の前の少女は、唯それを行使しているだけに過ぎないのだ。

 

ただ、その規模がとんでもないというだけで――

 

「っ!――げ」

 

「……」

 

二度目の貫手。

 

蠱毒と妖力で勢いのついたそれは霊夢の居る位置を貫通した。

 

貫通しただけだった。

 

「――」

 

今度は霊夢の動きが俊敏になる。

 

 仕返し、とでも言わんばかりに私の正面で手を掲げた。本来ならば何の意味も成さない筈のその行為によって出現した霊力の塊を、私は距離を取りながら蠱毒で相殺していく事で消していく。出現して、消して、薙いで、通り抜けて、先ほどとはまるで意味の違う、互いが互いに攻撃を放つだけの空間。意識があるのかどうかも怪しい霊夢に耐え切れず、今度は私が後方へと大きく下がった。

 

「……どこが弱いのさ」

 

この様子では、恐らくどんな攻撃も彼女に届くことはない。

 

距離を詰めて来る霊夢を見て、次に何処かで覗いているであろう紫を視て私は溜息を吐く。

 

 先ほどまでの霊夢も充分強かったが、それでも突び抜けた攻撃性を見せてはいなかった。――という事はやはり、今眼前にて行われているこの『現象』こそが紫の言っていた博麗霊夢の恐ろしさなのだろう。確かに妖怪の私が言うのもなんだが人の身には余る力である。それを行使している当の本人は此方すら見ていないのだから尚更。

 

ついでに言うと、紫はこの技について一言も私に伝えていない。

 

「霊夢相手に頑張ってくれる()()で良い、ね……」

 

 多分紫からしてみれば冗談交じりのサプライズだったのだ。現代の博麗の巫女がどの位成長しているのか、それを手早く教える為にこの方法を選んだに違いない。つまり彼女の本当の計画は『それぞれに自分の見せたい物を見せる事』であり、体面上は私にああ言ったけれど、結局の所私が勝っても霊夢が勝っても良いと考えている。霊夢が負ければ本来の目的通り自らの力が及ばない存在を知ることが出来、私が負ければそれを肴に酒でも酌み交そうという魂胆か。

 

しかも、現状からしてどちらの可能性も捨てきれてはいない。

 

どころか状態としては私の方が劣勢である。

 

「私達、騙されてるんだけど」

 

「……」

 

駄目元の説得は霊力弾の返事のみ。

 

頼りにしていた紫の助けも、こうなってみると到底来る気がしなかった。

 

 さて、残る選択肢は二つ。私が負けを認めて彼女に嬲られるか、この場から全速力での逃走を図るか。前者はどの程度で終わるか分からないので却下だとして、後者はどうだろうか――意外と悪くはないかもしれない。良くも悪くも紫への意趣返しにはなるだろうし、両者が負けないというのは双方の尊厳が保たれるので凄く平和な解決方法な気もする。その代わり、私には敵前逃亡の上にその相手の家に住み着く妖怪というレッテルが貼られてしまうだろうが。

 

周囲を霊力塊に囲まれてしまったので霊夢の居る場所に突撃する。

 

すり抜けた。

 

攻撃だけ突き抜けるのかと思えば、どうやら存在自体も浮いているようで。

 

初めて他人の中を通り抜けたという快挙は、霊力弾を回避した為余韻に浸ることすら出来ず。

 

「今のこの子に勝つ方法、か……」

 

 距離を取りつつ内部を総動員して大会議。無数に案は挙がれど、その殆どは退避や紫に助けを求めるといった後ろ向きな物ばかり。かく言う私も、相手に攻撃が通じないのではその位しか思いつかないが。

 

けれどもし私の考えが正しければ――

 

「可決」

 

勝機は薄い。まだ確定ではない要素も、幾つかある。

 

約束を破るつもりはなかった。

 

 

 

 

『夢想天生』

 

 その起源は約一千年ほど以前にまで遡る、未だ人妖の調和が取れていない時代の話。初代博麗の巫女が後世の者達の為に『理論』だけ完成させ、そうして二代目へと引き継いだ奥義。人間が空を飛ぶという非日常的な力と、人間は空を飛べないという思い込みにも似た世界の常識を利用して『あらゆる現象に干渉されないように浮く』ことが出来る。一度発動されたが最後、幻想郷に住んでいる全ての人妖の力を総動員しても打ち破ることは出来ない。完全にして無欠にして完結な、戦闘という概念を通り越した現象である。

 

博麗の巫女は代々この技を使って危機を乗り越えて来た。

 

「……けれど、あの子だけはこの技を使わなかった」

 

決して平和とは言えない動乱の時代。

 

 後代の誰にも負けない程厳しかった筈なのに、彌里は概念だけ完成させて早々に押入れの奥へと放り込んだ。練習もせず、使う素振りも見せず、その存在だけを知っている私が何故と問いただそうとした事もあった。

 

けれど、その疑問は今対峙する二人の姿を見て解決した。

 

「貴女は、自分が浮く事を良しとしなかったのね」

 

博麗彌里は滅多に空を飛ぼうとしなかったのだ。

 

 飛べない訳ではない。嘗て不死身の蓬莱人と稽古をしていた時には空中戦を披露していたし、妖怪退治の時にも空を飛ぶ妖怪相手に飛ぶ時だってある。――けれど、彼女はそれを日常生活の枠に当て嵌めて使う事はなかった。過去、現在、そして未来を通して便利だと言われ続ける力を。

 

「……」

 

多分その理由は、自らが尊敬する母の為。

 

妖怪が育てた人間が『世界から浮く』事なく生きた証明。

 

傍から見れば自己満足とも捉えられる()()は、時代を超えて二人を繋いだ。

 

「だから後は貴女がそれに応えるだけよ、ひより」

 

スキマに映る光景。一方的に攻撃を加えられる黒き小さな彼女。

 

 霊夢は決して大妖怪に遅れをとるような少女ではない。それは霊夢自身の実力も然ることながら、彼女が博麗の巫女が代々受け継いできた技術を最大限に引き出せる才能の持ち主だからだ。器用裕福と言ってしまうのも癪だが、それでも彼女には天衣無縫という言葉を当て嵌めるだけの物が揃っている。

 

そんな博麗霊夢の欠点と成り得るのが、唯一つ――

 

「『負けないことで勝てるとは限らない』」

 

絶対無敵と思われている夢想天生の、唯一にして致命的な弱点。

 

 世界から浮いて全ての攻撃を一方的に無効化する、つまり使った者が負けなくなるという究極の技。一見無敵のように見えてしまうソレは、しかし裏を返してみれば現象の無効化でしかないのだ。

 

例えばそれは神風の如き速さで逃げる鴉天狗の記者。

 

例えばそれは強力無比な力で正面から耐える花妖怪。

 

例えばそれは幾ら殺し続けても怯まない黒衣の少女。

 

双方が負けない場合、不利になるのはどうしても博麗の巫女になる。

 

相手の目的が何であれ、巫女の目的は退治なのだから――

 

「吸血鬼が余興で終わらせたように、亡霊の目的自体を止めたように、鬼が戦うこと自体に満足したようにはいかない事も、世の中にはあるのよ」

 

それは、教えて上げないままにするには危険過ぎる落とし穴。

 

何時か何処かで、思わぬ形で彼女に牙を剥くだろう。

 

「だから、存分に教えて貰いなさい」

 

欠点を教わり、強さを学び

 

そして出来れば愛情を知って欲しい。

 

 

スキマの先では、霊夢が御幣を取り出していた。

 

 

 

次に視界に映ったのは不気味な程に濃い黒。

 

 

 

「……っ」

 

一瞬だけ周囲を見回し、その明るさからかなりの時間が経過した事を悟る。

 

夢想天生が、凌がれたのだ。

 

 自分自身初めての経験だった。発動したが最後、決まって意識を取り戻す時には相手の妖怪は倒れているか消滅しているか……少なくとも此方の意識の限界によって引き戻されたことはない。

 

けれどよくよく考えてみれば、能力である以上限界も存在する訳で。

 

「……もう使えないか」

 

全身に纏わりつく倦怠感は、今までと比べ物にならない程長時間使用した事を意味して。

 

そして目の前のコイツは、それを耐え切ったという事か。

 

「本当に、紫の頼みなんか聞くんじゃなかった」

 

ひよりが踏み込んでくる。

 

殆ど込める霊力もないまま御幣を取り出す。

 

バキリと何かが圧し折れる音を聞いた。

 

「っ――」

 

 一瞬肋骨が折れたのかと思ったが、どうやら然程力を込めていない棒切れでも役に立ったらしい。折れた御幣よりも思い切り後方へと吹き飛びながら、私は漠然と今後の展開について考えを馳せる。

 

八つ裂きにされるか、あの呪いのような黒に堕とされるか。

 

少なくとも、逃がしてはくれないだろう。

 

「がっ、は……」

 

背中が強かに木へと衝突し、肺の空気が無理矢理外に押し出される。

 

乱れた呼吸を整える頃にはもう目の前に彼女が居た。

 

「……」

 

「……」

 

戦いが始まってから初めて私はひよりの瞳を見つめる。

 

紅い双眸は悲しんだように揺れていた。

 

「もっと――」

 

もっとまともな形で知り合えていたら、きっと。

 

私はほんの少しだけ、私の事を好きになれたかも――

 

「はぁい、二人共そこまで」

 

知れないのに。

 

「……」

 

すぐ横から聞きなれた声。

 

チラリと視線を自身の背中にある木――その横に立つ妖怪へと向ける。

 

 声を放った本人である紫は私の視線に気付いて、軽く片目を瞑っただけで視線を外した。数歩前に出て、私が戦っていたひよりと対峙するように前に立ち、そうして口を開く。

 

「お見事、腕は鈍っていないみたいね」

 

その賞賛は、間違いなく私ではなく目の前の怪物に向けられて。

 

「紫っ……アンタまさか」

 

まさか、なんて驚くような事ではない。

 

嵌められたのだ。

 

 なのでこの場合の『まさか』は、どちらかと言えば現在に到るまでの状況が信じられなかったという意味合いが強い。態々私だけを嗾け、阿求も含めて騙し、ひよりと私を手加減抜きで殺し合わせるという計画――それ自体が出来すぎているというか、疑うべき矛盾点が一つも無かったという部分が特に。

 

今にも彼女が恐ろしい叫び声を上げて飛び掛ってくるのでは、と。

 

視線を正面に戻した時には、既にあの怪物の姿は無かった。

 

「……」

 

代わりに立っていたのは黒衣の少女。

 

 萃香に負けずとも劣らない身長。今までに見てきたどの妖怪達よりも人間をしていそうな黒髪に、黒目。先ほどまでの身震いするような妖力と邪気は消え去り、今は唯微弱な妖力だけを放っている。

 

少女は私の視線に気付くとペコリと頭を下げて

 

「ひより」

 

「……どうも」

 

余りに端的で無機質だった故に、思わず此方も会釈を返してしまった。

 

そして彼女と共に紫を睨む。

 

「……」

 

「……」

 

「えぇ、えぇ。二人が言いたい事は分かってるわ。確かに二人にはそれぞれ嘘を吐いちゃったけど、結果としてはちゃんと望んだ結末になったじゃない。霊夢は無事ひよりの暴走を止める事が出来たし、ひよりは当初の目的通りに霊夢を負かす事が出来た。――ほら、これで無事解決!」

 

パン、と手を打って喜ぶ紫を無視して今度はひよりを見る。

 

「紫なんかに協力するんじゃなかった」

 

 そう言うが早いか、彼女は私の正面で屈んでその両手で私を抱っこでもするかのように持ち上げた。その小さな体格と身の丈にあった腕からは想像も出来ない程容易く私の身体は持ち上げられ――ひよりが両手を最大限に伸ばし、私が微妙な膝立ちの姿勢になる所までは持ち上がった。そこからはもう自身の力で立ち上がり、改めて少女と対峙する。

 

瞳には先とはまた違う色の悲哀。

 

「……ごめん」

 

「……良いわよ、別に。ありがと」

 

何に対しての謝罪なのかは分からないが、私に対しての気遣いは伝わった。

 

さて――

 

「それで、アンタは紫に何を言われたわけ?」

 

「ちょっ」

 

「『霊夢が怠けてどうしようもないからとっちめたい』」

 

ひよりは真っ直ぐに此方を見てそう答えた。正直者の目だった。

 

「で?」

 

「ま、まぁ、それに近い事は言ったけど……それが目的じゃないのよ?」

 

対して紫は此方と目を合わせようとせず、先ほどまで私が背中を預けていた木を見つめていた。

 

自称保護者より初めて会った妖怪の方が信用できるというのも、また皮肉な話ではあるが。

 

でも、まぁ……

 

「流石に紫の言いたいことが分からなかった訳でもないわ」

 

幾ら状況的に騙された所で、ひよりも私も真剣に戦った上で負けたのだ。

 

 もしもこれが本当に意思のない妖怪相手だったら、或いは悪意のある大妖怪相手だったら……紫が伝えたかったのはそういう事なのだろう。確かに紫が私に言ってきても適当に流してしまうような気はするし、そういった意味ではスペルカードルールではない勝負に負けるというの良い経験になった。絶対なんて事はこの世に存在しないのだと、改めて再認識させられる程度には。

 

だからその点に関して言えば、私は如何にも紫を怒る気にはなれなかった。

 

「……はぁ」

 

代わりの出たのは溜息一つ。誰に向けてでもない、自分に対しての。

 

今回の騒動の半分は多分私の責任でもあるのだ。

 

ひよりを見た。

 

「えーと、ひより……様?さん?その、巻き込んで悪かったわね」

 

「ひよりで良い。別に、私は霊夢と手合わせ出来て楽しかったから」

 

彼女はそう言って右手を差し出す。

 

「改めて、よろしく」

 

「……よろしく」

 

 

握り返したひよりの手は、思いの外暖かかった。

 

 

 

さて、ではあの後どうなったのか。

 

 無事霊夢との顔合わせを済ませた私は、机を挟んだ反対側に紫、隣に霊夢、間に藍を挟む形での会合を終えた。――別に会合という程の物ではなく、事の顛末と紫の思惑を明らかにした上で被害状況を纏めただけなのだが。お互いに真面目に戦い合ったにも関わらず霊夢は意外にも私に好意を寄せてくれているようで、その後改まって何か説明をすることもなく和解する事が出来、そのまま流れるように私が博麗神社に住むことが決定。

 

彼女は私を『ひより』と。

 

私は彼女を『霊夢』と呼ぶことにした。

 

「ほら、着いた。此処が――説明は要らないかしら」

 

「ん、大丈夫」

 

そして、今。

 

霊夢と共にスキマから降り立ち、先に佇む博麗神社を眺めていた。

 

『これなら数百……もっとかな、それ位は持つと思う』

 

 そう言ったのは紛れもない私なのだが、まさか此処まで原型を残しているとは思わなかった。永琳の設計図が良かったり、代々の巫女達が大切に使ってくれたというのが理由なのだろう。所々傷ついた鳥居と石畳は数百年が経って古くなりつつも、尚美しいという印象を持たせる。

 

かつて、この石畳を毎日のように掃除していた巫女が居た。

 

「さ、行きましょ」

 

歩き始めた霊夢の後に続いて私も神社へと歩き出す。

 

鳥居を潜り、石畳を踏みしめ

 

そうして賽銭箱の前。

 

「あー……先にうちの居候を紹介しとこうかしら」

 

「……居候?」

 

私の少し前で立ち止まった霊夢が此方を見ないまま頷く。

 

 紫から少しだけ聞いていた話を思い出す。博麗神社には、つい先日幻想郷で騒ぎを起こした妖怪が霊夢の勧誘によって住んでいるのだとか。その騒ぎという物についてやその妖怪については訊ねていないので分からないが……まぁ、私の知っている妖怪ではないだろう。

 

「『萃香』、帰ったわ」

 

「……」

 

居候の名前は『すいか』というらしい。

 

こう言ってしまってはなんだが、まるで食べ物のような名前である。

 

「おーう!おかえり、霊夢!」

 

霊夢に応えるようにして聞こえて来たのは幼く、しかし芯のある声。

 

その声は今頃地底に居るであろう友人の姿を彷彿とさせて――

 

……?

 

疑問に対する答えを私の脳が弾き出すより先に、前に立っていた霊夢が口を開いた。

 

「先々月くらいに地底って場所から出て来た鬼っていう種族よ。見た目はアンタ位小さいんだけど、力は間違いなく大妖怪だから気をつけて頂戴」

 

「うらっ!霊夢っ、誰が何位小さいっ――」

 

神社から縁側へと続く道から境内に飛び出してきた少女。

 

「……て?」

 

「久し振り」

 

私は伊吹萃香と数百年振りの再会を果たした。

 

 

 

 

失念していた。

 

 何がと言うまでもない。先日自分で言ったばかりの事を自分で忘れていたのだ。それはつまり、普段のひよりの妖力が小さすぎてついつい意識の外にやってしまうという事。数百年間会っていない上に、その間に出会った様々な人妖の気配の所為で全く気付けなかった。彼女が霊夢と一緒にこの神社へ来るということは既に分かっていた筈なのに、だ。

 

目の前には、微妙な表情で固まる霊夢とひよりの姿。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

空気まで微妙だった。

 

 ひよりは自身が言った『久し振り』に対する答えを待っているのだろう。そして多分、霊夢は私かひよりが互いの関係を説明してくれるのを待っている筈だ。……しかし、私としては今の登場の仕方を如何にかしたいと思っている。それこそ霊夢とひよりに頼み込んで、全てなかったことにしてもう一度登場し直す位には。

 

だって、数百年ぶりなんだ。

 

待ちに待った再会の最初の一言があれだなんて、そんな酷い話はないだろう

 

「……やり直す?」

 

「ぷふっ」

 

ひよりが此方の顔色を窺うようにそう言い、隣にいた霊夢が口元を抑える。

 

……っ

 

「……そういうのは聞くんじゃなくて黙ってやるもんだよ、ひより」

 

「ごめん」

 

悪意はない。それが逆に、どうしようもないという気分にさせてしまう。

 

相変わらず、ひよりはひよりのままだった。

 

右手を差し出す。

 

「んじゃ、改めて――久し振り。それと、おかえり」

 

「久し振り。それと……ただいま」

 

最後の部分は若干照れ臭そうに呟き、そうしてひよりは私の右手を握り返した。

 

そこで今まで笑っていた霊夢が口を開く。

 

「はー、面白かった。……それで、二人は知り合い?」

 

「あー……」

 

「うん、友達」

 

何と答えようか、そう考えている私の代わりに答えたひよりを見る。

 

『友達』

 

 確かに封印される前から彼女とは色々な付き合いがあったが、まさか友人として扱ってくれているとは思いも寄らなかった。ひよりと戦ったのは勇儀であって、助けたのは射命丸であって、夢を見たのは紫だった筈なのに。

 

霊夢を見て、ひよりを見て

 

「……あぁ、数少ない仲間さ」

 

そう答える。

 

勿論、言われて嬉しくない訳はなかった。

 

それを悟らせないように、私は二人に背を向ける。

 

「さて、顔合わせも済んだしさっさと入るわよ――ところで」

 

背後で聞こえる二人の談笑に耳を傾けながら。

 

「仲間っていうのは、つまりそういう仲間なの?」

 

「……うん」

 

何となく視線が私に向いている事を自覚して。

 

「萃香は封印されないまま一千年過ごして、ひよりは封印されていた。でも、全然変わってないって事は――」

 

「言うな」

 

「言わないで」

 

何か照らし合わせた訳でもなく、けれど時に同じ思いを抱き。

 

「十年後までには霊夢を見下す!」

 

「頑張る」

 

「じゃ、今日から毎日柱に傷でも付ける?アンタ達の身長が伸びるのが先か柱が倒れるのが先か、勝負しましょう」

 

ちなみに私は柱に賭ける、と平然と言い放つ霊夢を睨み

 

私も柱に……なんて表情をしているひよりを小突き

 

「んじゃ、私も柱に賭けようかな」

 

そう言って二人と顔を見合わせて、笑いあう。

 

 

こういうのも悪くないなと、そう思った。

 

 

「じゃあ、やっぱり紫さんが元凶だったんですね」

 

「まぁ、そうね」

 

予想通り、とでも言いたい風な顔で阿求は両手を打つ。

 

 これで本当に今回の騒動は解決した。阿求との約束である依頼の真相も告げたし、留守番兼萃香の遊び相手をしてくれていた魔理沙にも説明を終えている。紫にはひよりが何かしらの罰を与えると言っていたので干渉はしなかったが、あの時の様子なら生半可な判決は下さないだろう。その時の紫の表情が愉快な物だったという事だけ心に仕舞って置く。

 

すっかり冷たくなったお茶を啜り、私は一度だけ開いた障子から空を見上げた。

 

時刻は、そろそろ夕方になろうかという時間。

 

「……」

 

「帰らないんですか?」

 

チラと視線を向けると、阿求は慌てて両手を上げた。

 

「いえ、その、何時もなら報告だけして帰るので……」

 

そう答えた阿求は、別に何も間違ってはいない。

 

 基本的に買い物以外で里に長居したことがないのだ。それは別に里の人間が嫌いだとかそういう訳ではなくて、端的に言えば里に居る理由がないからである。魔理沙は彼女の都合上人里には寄り難いし、神社に出入りしている知り合いはその殆どが人外なので同じく里に居ることは少ない。

 

それでも――

 

「今は、此処の方が良いわ」

 

「そうですか」

 

阿求は然程追求もせずに話を終えた。

 

この感情に関心を見せずに話を進める彼女が今はとても有り難く感じる。

 

「で、ひよりさんは何処に?」

 

……前言撤回。

 

 彼女がほんの少しでも私の心の機敏を感じ取ってくれればそんな質問はしなかっただろう。博麗神社に何時も居る私が此処に居て、夕刻になろうかという時間帯に帰ろうとしない理由。

 

思い出すのは、その身よりも大きなものに耐える背中。

 

「……ひよりは博麗神社に居るわ」

 

一人でね、と付け加えて。

 

「……」

 

流石の阿求も此処で萃香を数えているのかと聞くほど鈍くはない。

 

つまりは、そういう理由で私は此処に居る。

 

「最初は平然としていたのよ。でも――」

 

昔と変わらないと懐かしみ、苦笑して

 

今はこうかと驚きながら、関心しつつ

 

「『封印された裁縫箱』……それを見て、流石に表情を変えたわ」

 

最後に寝室の隅でそれを見せた時、彼女の無機質が作られた物だと分かった。

 

その時の顔は思い出したくもない。

 

「……初代の、でしょうか?」

 

「多分そうなんじゃない?分からないけど、少なくとも私に解けるような封印じゃなかった。それこそ、あの札自体を破壊しない限り――」

 

「じゃあ……」

 

「……」

 

それが可能な存在は、現在知る所唯一人。

 

阿求はそれ以上何も言わないまま、机に伏せて顔を横にした。

 

「……じゃあ、ひよりさんは博麗神社に住むんですね」

 

 その『じゃあ』は恐らく先の言葉の続きとして捉えて欲しかったのだろうが、誰がどう聞いても苦し紛れの誤魔化しにしか聞こえなかった。下手をすれば何も残されていないよりも辛い筈なのに、どうして紫は隠さなかったのだろうかと一人考える。中身を知っていたから、ではないだろう。ひよりの為になるから、なんて確信は持てない筈だ。阿求の言葉の続きを考えて結論を出すのなら、やはり『娘から母に送られた唯一の手紙』だったからだろうか。傷つく以上に意味のある物だと、そう信じているのだろうか。

 

そんな考えが身体を重くするので、私は阿求と逆向きに伏せる。

 

「萃香が来たばかりで準備に手間が掛からなかったのが幸いよ」

 

「そうですか」

 

そちらについての悶着は多分永劫語られることはないだろう。当の本人は現在地底に居る事だし。

 

聞いた本人である阿求は、やはりそんな事にはまるで興味がなさそうだった。

 

まぁ、私が同じ立場でも聞きたい話ではないが。

 

「ってことで、暫くは此処に居るから」

 

「えぇ、まぁそういう理由なら構いませんよ」

 

彼女の顔も見ないままそう告げて、私は意識を開いた障子の外へと移す。

 

 

「……あれ?でも何時帰れるかはどうやって――」

 

移した。

 

 

 

昔、里の近くに捨てられていた赤子を引き取った事があった。

 

 私の記憶としてはそれほど昔の話ではない。体感的にはほんの先週、現実的には約一千年という年月が流れてしまってはいるが。当然、目覚めた時に何かが残っていると期待していた訳ではなかった。博麗神社を除いて考えれば、私とあの子が共に過ごしていた頃の物なんて何一つ残っていないのだ。けれどそれは当たり前で――それが当たり前で、私もあの子もそういう風に覚悟を決めて別れた。お互いの歩むべき道を、それぞれが互いに指し示す形で。

 

『博麗彌里』……それが私と共に暮らした巫女の名前。

 

私が育てた大切な娘の名前だ。

 

「……」

 

その彼女が、一体この裁縫箱に何を残したのか。

 

何となくだが、中身が手紙や言葉ではない事だけは分かっていた。

 

 かつて私がこれを使っていた時には、それはもう本当に重宝していた。彌里の成長に合わせて丈を継ぎ足したり、或いは一から作り直しになったり、妹紅との修練で穴の開いた部分を補修したり、又は作り直しになったり、と。――そんな裁縫も彌里が自分で出来るようになってからはなるべく彼女に任せるようになって、最後に裁縫箱を使ったのは彼女を一人前と認めた時の贈り物を作った時である。

 

思えば、ちゃんと面と向かって物をあげたのはあれが最初で最後だったか。

 

本当に駄目な親だったなと、そう思い自嘲。

 

「――でも、ありがとう」

 

約束を守ってくれてありがとう、と。

 

私は札を破壊した。

 

パリンと、凡そ札とは思えない破砕音が響き渡る。

 

 少なくとも純粋な妖力で破れるような生半可な物ではなかった。自身の妖力と、蠱毒を混ぜて本気で力を込めなければそもそも触れることすら出来なかっただろう。

 

開ける。

 

 

 

 

 

彌里がつけていたリボン

 

私が挿してあげた髪飾り

 

見たことのない模様の札

 

それだけだった。

 

 

「……うん」

 

それだけで、もう充分に満足してしまった。

 

 まずは髪飾り、花の名前は忘れる筈もない百日草。私が彌里に渡したあの日から全く変わらない輝きを放っているそれを定位置――耳の横、少し後ろの辺りへと挿す。これで漸く、目覚めてからずっと頭にあった違和感が解消された。彌里に渡した時は必死で気付かなかったのだが、やはり五百年も共にいるとない方が落ち着かないのだ。

 

幽香から守ったなんて事も、良い思い出である。

 

本人の前ではあまり豪語すべきではないが。

 

 

次に、彌里に送ったリボンを取り出す。

 

「……?」

 

リボン、というには些か長い。

 

 けれど間違いなく彌里にあげたリボンだった。……違う点は私が編みこんだリボンを主軸にして、左右に向けて長く編み込まれている部分。謎感性と不器用さが作り出した私の奇怪な模様もそのまま引き継いでいるらしく、まるで帯のようだと――

 

帯のようだと……ではなく、帯か。

 

シュルリと、今自分がつけていた帯を外して裁縫箱に放り込む。

 

 覗いているような酔狂な者が居るとは思わないが、それでも気持ち的に手早く済ませる。どうやって採寸したのかは分からないが私が普段使っていた帯と殆ど同じ長さで、見下ろしてみると逆に此方の方がしっくりくるような感じがした。

 

まさか、こんな形で返してくれるとは思いもしなかった。

 

……この機会にお洒落でもして下さい、と言いたいだけかも知れないけれど。

 

「最後は、と……」

 

残ったのは見たことのない紋様の札。

 

 私が妹紅に教えた物でもなく、妹紅が彌里に教えていたどれにも当て嵌まらない、恐らくは彌里が自身の手によって作り出したのであろう霊符。それは今までに感じてきた誰の物よりも強大な霊力を纏っていて――けれど何故か私の手を焼くようなことはなく、私の手の平の上でほんのりと温もりを伝えてくる。私と会えたことを喜んでいるように、と……考え過ぎだろうか。

 

――いや

 

「『神狼(ホロケウカムイ)』」

 

『……』

 

名を呼んだ瞬間、霊符が輝き煙と共に懐かしい姿が目の前に現れる。

 

 この狼は彌里が初めて神徒と契約を交わそうとした時に出て来た子だ。神の気紛れなのか加護なのか、本来彌里が呼び出すことの出来る強さの範疇を超えて、だ。勿論私も知らない訳ではない。彌里以外には甘えた態度を見せることはなかったが、それでも私と共に昼寝をすることもあったし、妹紅とじゃれついたりもしたし、普通に紫を嫌っていた。

 

そんな彌里の神徒であるこの子が、どうして私を前にして座っているのか。

 

理解は難しくない。

 

「『此処まで出来るようになりました』ってね……。私でも良いの?」

 

『グルル……』

 

言葉こそ喋りはしなかったが、神狼は目を細めて私の手に頭を寄せた。

 

私はその頭を撫でつつ、今度は座っていた賽銭箱に視線を落とす。

 

長年を経て、賽銭により凹み、雪や雨によって劣化し、それでも変わらない私の定位置。

 

 

『と、当面の目標はその犬の躾だな』

 

『ごめんなさいっ!』

 

何時も私は此処からあの二人の修練を眺めていた。

 

 

『よく躾けてあるじゃないか彌里。まさか残飯まで食べてくれるとは』

 

『――よーし決めた。この瞬間に大決定、今日の夕飯は狐うどんだ』

 

何時も私は藍と妹紅の喧嘩を見て笑っていた。

 

 

『藍の意見には概ね賛成だけど、夕飯はきつねうどんが良いわね』

 

『ゆ、紫様……冗談でもあの白髪婆を喜ばせるような事は――』

 

何の解決をするでもなく現れる紫に呆れるのが、どうしようもなく楽しかった。

 

 

『師匠も何か言ってく――イダダダダダっ』

 

『あぁっ、もうっ!駄目ですよ、メッ!』

 

『彌里、真面目な話をするとそいつは犬じゃないんだ。だから……』

 

『この調子だと、夕飯は四人分だけで大丈夫みたいね。ほら、ひより――』

 

お腹が空いたから夕飯にしましょう、と。

 

 

その時の私がどう思っていたのかは分からない。

 

 

 

どんな顔をして答えたのかも、思い出せない。

 

 

だけど、もし

 

今の私が過去に戻り、同じ場面に出くわしたとしたら――

 

 

『夕飯は各自』

 

 

多分そう言って彼女たちの不平不満を一身に受け止めただろう。

 

そして多分、同じように封印されて目覚める。

 

 

これで、良かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベロリと、頬を舐められる感触で意識が現実へと引き戻される。

 

 隣を見れば、そこには石畳に座っていても私と身長の変わらない狼の姿。何を考えているのやら、一心不乱に私の頬を舐め続けている。鬱陶しくて仕方がなかったが、これもスキンシップの一環なのだと信じ暫くの間は身を任せることにする。

 

そういえば、彌里が泣いていた時も同じように頬を舐めていたっけ。

 

「……くすぐったいよ」

 

そんなに舐められるともう何が何だか分からなくなる。

 

唾液なのか、涙なのか、もう、本当に。

 

「――っ、くすぐったいっ、て」

 

パタリパタリと、自身の膝に雫が数滴落ちた。

 

それを確認しないように無理矢理顔を上げて、そうして私は正面を見据える。

 

「……」

 

鳥居が、夕日が、その先にポツンと、人里が見えて。

 

 

その奥に、未来が見えた気がした。

 

 

 

『霊夢さんは今直ぐ神社に帰るべきです!』

 

 

「……はぁ」

 

そう言われるがままに追い出され、今は神社の階段を飛行している真っ最中。

 

 別に悪いことは何もしていないのに、なんとなく帰るのが嫌になっている自分がいる。もしひよりが涙でも流していて、その場面に自分が立ち会ってしまったらどうすれば良いか分からないからだ。

 

謝るでも、励ますでもない。

 

放って置くのが一番良いと、私はそう思っていた。

 

だから――

 

「ん、お帰り」

 

「……ただいま」

 

こうして平然と夕飯を作り、丁度並べていた場面に遭遇するのは予想外で。

 

流石にこの場面に立ち会ってどうすれば良いかは分からなかった。

 

「阿求……稗田の当主への報告してきた。多分これで人里にも普通に入れると思うわ」

 

そう言って並べられた食事と机を前に、座る。

 

「お疲れ様、有難う」

 

コトリと湯気の立つご飯の入った茶碗を私の前に置き、ひよりはそういって正面へと座った。

 

「いただきます」

 

「召し上がれ」

 

箸を、動かす。

 

 そうしつつも、内心ではこの嫌な空気をどう断ち切るかを考えていた。湿っぽいのは好きではないし、多分彼女も望んでやっている訳ではないのだ。ならば此方から何か言うしかあるまい――そう思って、咄嗟にひよりの全身へと視線を向ける。

 

髪飾りが付いていて、帯が新しくなっていた。

 

「似合ってるわよ、それ」

 

そして、後悔。

 

 ひよりが此処から動いていなくて、人里の服屋や雑貨屋に行っていないことなんて一目瞭然の筈なのに、ついそう口走ってしまった。

 

勿論、嘘を言った訳ではない。

 

けれど、それが彼女の遺した遺品である事は明らかで。

 

「――」

 

ひよりは無表情を崩し、驚愕と困惑の入り混じった視線で此方を見つめ――

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

二度目となる彼女の本当の表情は、そこに一切の翳りなく。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はもう少しあまぁくしたいですね。

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