自分の生まれについて考えたことはあるだろうか?
それは例えば人里でいう所の団子屋や花屋が、つまりどの程度昔から存在していたのかという話。もしかしたら親が店を構えたのかもしれないし、逆に稗田家のように代を継がせるほど長い間続いてきた仕事なのかもしれない。少なくとも子供にはその跡を継がせたいだろうから、仕事の仕方とその役割の起源くらいは話したりするのではないだろうか。それは稗田家に留まらず、友人である白黒魔法使いや古道具屋の店主にも言えることである。
と、此処まで話してみた所で私――博麗霊夢の生まれとは何なのだろうか。
よく分からない。
◇
「……」
「……」
いや、何も分からないんですけど。
場所は変わって私の自室。あの後何とか平静を取り戻し、内から沸々と湧き上がる疑問を抑えつつ戻って来たのが此処だった。とはいっても、その話を聞かされた時点で先日纏めたばかりの『彼女』についての資料はしっかりと持って来てはいるのだが。ちなみにそれは今私の前にある机、若干私寄りの場所に置いてある。
その更に奥――机の反対側にいる紅白の巫女と挟む形で。
「もう一度話を整理させて貰いましょう」
「……」
机に置いた資料に軽く手を置き、私は彼女の表情を窺いつつ言葉を続ける。
「……昨日紫さんが霊夢さんの所に訪れて、その際に妖怪退治の依頼をした、と。此処までは合ってますか?」
「そうよ」
「それで、霊夢さんはその妖怪を全く知らないので此処まで調べに来た、と……?」
「えぇ」
……さて、一体どの部分から手をつけ始めれば良いのやら。
とりあえずは霊夢から聞き出すべき情報と与えるべき情報を整理していく。八雲紫の依頼、退治、ひより、創始者を知らない博麗、稗田家を訪れた霊夢――千年前の封印の真相、初代博麗とひよりの関係、八雲紫とひよりの間柄、ひよりの実力、博麗の巫女について……。
考えて迷う。導き出した結論から、選択する。
これは――
これは、どっちだ?
「……まず稗田家としての回答を。霊夢さんの仕事の為に情報を提供する、という点については全面的に協力します」
「そ、ありがと。それで見返りは何が良いのかしら?」
ちらりとも此方を見ないまま意図を射抜く霊夢。流石に勘が鋭いと言われるだけの事はある。
私は黙っていた後半の部分について切り出した。
「見返りという訳ではないのですが、紫さんから説明された依頼について詳しく教えて下さい」
そう言うと、彼女はこの部屋に来て初めて私と視線を合わせた。訝しむような、意図が分からないといった感じの視線。それもその筈、霊夢はこの情報が二週間前に編纂された物という事を知らないのだ。更にその情報の提供者が八雲紫を初めとする幻想郷の主軸達であることも、恐らくはまだ――
だからなのだろう、霊夢は然程考える素振りもせずに肩を竦めた。
「……ま、良いわ。別に減るものでもないし、長い話でもないから」
「助かります――あ、ちょっと待って下さい!一応記録しますので!」
といっても、袖口から手帳と万年筆を取り出すだけなのだが。
私はそれらを机に広げ、手帳の新たなページを開き、そして筆を湿らせる。
もうこの時点で何となく、新たな歴史を編纂する必要があることは分かっていた。
『ある妖怪を退治して欲しいのよ』
この発言に興味を持っていたのは、どちらかと言えば私より魔理沙の方だった。
「妖怪退治って、つまりあれか?里とかを困らせてる奴を退治するって奴だろ?」
「そういう事、魔理沙は物分かりが良いから助かるわね」
いや、別に大して思考が必要な話でもないと思うのだが。
それはどうやら魔理沙も同じ意見だったようで肩透かしを食らったような微妙な顔で此方を見てくる。大方『私だけじゃ詳細を聞きだせない』といった所か……まぁ、それでも紫の立ち位置と魔理沙の立ち位置から考えてみれば随分と距離は縮まっているのだろう。本来なら博麗の巫女として私に依頼する筈だった話を、今こうして魔理沙と共に聞かされているのが良い証拠だ。
その発展してきた仲を裂きたい訳でもないので、私も口を開く。
「物分かりは良い方じゃないのよ、私。詳しく話しなさい」
「えぇ、知ってるわ。だから説明するわね。……弾幕生け捕り如何を問わない正式な退治依頼よ。対象の名前はひより、種族は蠱毒。年齢としては千四百を超える妖怪だけど、その内千年は封印されていたわ」
私が訪ねると流れるような速さで紫は全てを話した。
ひよりや蠱毒といった聞き覚えのない名前を頭に留めつつ、私はついで訊ねる。
「正式な退治をするって事は、正式な戦いが成立しないって事ね?」
「その通り。今の彼女は弾幕ごっこなんて遊びに付き合う程お人好しじゃないわ」
それに知らないだろうし、と紫は困ったように苦笑した。
「分からないな」
次の質問へと私が移る前に、隣に座っていた魔理沙が口を開く。
「名前と種族を知っていてお人好しだって分かっているってんなら、つまり紫とひよりって奴は知り合いなんじゃないのか?だとしたら退治するしないの前に、そいつともう少し話し合ったりとかするべき事もある筈だぜ」
「……」
「確かに私もそう思ったわ……紫、どうなの?」
魔理沙も私も形式上訊ねてみたが、その答えは明白と言わざるを得なかった。
この八雲紫という妖怪に限って――幻想郷を長年に渡って管理し、成立させてきた彼女を以ってして試されていない可能性など残っていないのだ。多分私達の元へ訪れる前にそのひよりを説得し失敗、そして実力行使すらも失敗に終わっている。
だからこそ、今こうして彼女は此処に立っている。
深刻と悲嘆を混ぜた瞳も、変わることなく。
「……お察しの通り、今のひよりは既にかつての彼女と呼べる状態ではないわ。封印された事による人への憎しみと、その結果大切な者と引き離された悲しみで暴走状態にある。私が会いにいった時も言葉は通じなかったし、私の姿を見て動きを止めてくれるような事も無かった」
これで大体の辻褄は合った。そう判断しつつ、私は隣の魔理沙を見る。
彼女もどうやら私と同じ結論に至ったようだった。
「「退治」」
どうしようもない、つまりそういう事。
紫が色々と試行錯誤をし諦めたのならそれ以上何かを進言する必要はないという事だ。彼女自身が此処まで来て依頼をしに来たのも、その覚悟の表れと考えてしまうのが妥当だろう。そしてそれを聞くほど私は野暮ではないし、それと同じ位魔理沙も野暮ではなかった。
けれど――
けれど、その結論に至らなかった者も居るようで。
たった一人、残りの一人はそうは思わなかったらしく。
「残念ですが、今回は博麗の巫女である博麗霊夢にお願いしたいと思います」
紫は瞳を閉じたままそう言い放ち、ゆっくりと腰を折り曲げた。
それは誰でも知っている、謝罪や感謝の意志を伝える際の姿勢。私に向けてではない。紫の頼みなら、と意気揚々に飛び出そうとした魔理沙の気持ちに対する感謝と、その行動の気持ちだけしか受け取ってやれないことに対する謝罪である。そしてそれが彼女の出来る最大限の礼儀だということは、普段は使わない丁寧な口調と閉じられた瞳で分かった。
勿論そこで文句を言うほど魔理沙も子供ではない。
「流石に理由が聞きたいぜ」
「えぇ、勿論よ。よく聞いて頂戴……別に、魔理沙を除け者にしようとした訳じゃないの」
彼女が話すのは、多分この話が私だけの元に来た理由。
そして彼女が――
「私と藍の二人掛りで、既に彼女を殺すことに失敗しているわ」
八雲紫がひよりという妖怪を諦めた、その原因。
つまりは強過ぎたのだと紫は言う。
「正確には殺しきれなかった。蠱毒という種族はね、大体で言えば小さな者達の集合体みたいな物なのよ。本来はそれぞれが意志を持っていて、それ等を統括しているのがひよりだったんだけど……」
「その統括している奴が暴走しているって事だな」
紫は不承不承といった感じに頷く。断定は出来ない、その余地を残しているらしい。
「……じゃあ、殺し続けていれば死ぬのかしら?」
「えぇ、そうよ。でも、そこまで簡単な話ではないの。正確には殺しきれないってさっきは言ったけど、でもやっぱりひよりは強いのよ」
「強いのか?」
境界の妖怪と九尾の狐を同時に相手して、打ち勝つほどに。
紫は迷わず頷く。
「強過ぎる。生命を絶命させるという観点だけで見ても、幽々子の完全な上位互換と考えてくれて結構よ。食らったら死に掛けるとか致命的というレベルじゃない、一から零になるような単純な呪いの暴力」
「……あぁ、そういうこと。だから私は良くて魔理沙は駄目なのね」
職業巫女と職業魔法使いでは、共に吸血鬼や鬼退治は出来ても呪いの防御は出来ないと。
これには流石の魔理沙も何か言い返そうとしたらしい。縁側から腰をほんの少しだけ浮かせて、浮かせたまま……結局腰を降ろす。魔理沙は弾幕ごっこの部分だけで見れば間違いなく私と同等かそれ以上の実力の持ち主だが、それでもやはりそういった妖怪を相手にするにはまだまだ足りない部分があった。小妖怪、中級妖怪ならいざ知らず、大妖怪相手に弾幕抜きで勝負するには彼女の八卦炉では少々心許ないのだ。
紫はだから、魔理沙に対して先ほど頭を下げた。
今でも申し訳ないと思っているに違いない。
「……あーあ、折角面白そうな話が来たと思ったんだけどな。まさか戦力外って理由で外されるとは思わなかった」
「魔理沙」
「分かってる、分かってるよ。別に紫を恨んでいる訳でも霊夢を羨んでる訳でもないぜ。今回参加出来ないのは、単純に私の力不足だ」
そして真面目な霧雨魔理沙は、自身の不甲斐なさを恥じて縁側に倒れた。
潔く、往生際良く、除け者なりに格好良く。
「任せたぜ、親友」
「任されたわ、相棒」
隣から伸ばされたその右手に対して、私は自身の左手をぶつけ合わせる。
立ち上がった。
◇
「以上が、恐らく現時点で霊夢さんが必要としている情報の全てです」
「……」
唖然。表情には出ていないか、それすらも自信がない。
阿求はパタリとその手帳を閉じて溜息を吐いた。疲れた、という風ではない。まるで人生の遣る瀬なさを嘆いているような、または自身の知らなかった何かに対して呆れを見せるような溜息。そうしたいのはこっちも山々なのだが、しかし此方は話を聞いただけで終わりという訳にはいかない。その後の方がメインであるのだから尚更。
とはいえ、先ほどの話に考えさせられる部分があったのも事実だ。
初代博麗とその親代わりであるひよりの話、とか。
「ねえ、阿求」
「何でしょうか?」
「どうしてひよりは神社を建てて人間を育てたのかしら?」
ほんの少しだけ依頼を外れて自身の起源を探ってみる。どうして博麗は出来たのか、という事。
それは博麗霊夢が、博麗の霊夢である理由。
阿求は然程考える素振りもせず答えた。
「多分そこに因果関係はないと思いますよ」
「……」
阿求は続ける。
「つまり、神社を建てた事と初代を育てた事に繋がりはないという事です。三代目稗田の記録によれば、彼女は自ら里に住み人々との壁を取り除き、彼等の暮らしをより良くする為に神社を建てたと記されています」
そして恐らく紫もその事に関わっていたのだろう。
けれど、初代を育てたのは稗田でも紫でもなかった。
「しかし、初代博麗を育てた事とは何も関係がないと私は考えています。神社の為でもなく、人の為でもなく、ただ当時の巫女ですらなかった少女の為だけにひよりという妖怪は人を育てる道を選んだのではないでしょうか?」
「だとしたら、相当な変わり者だったのね」
確かにそうですね、と答えた阿求はしかし笑わなかった。どうやら彼女にとってこの話とは、冗談半分に話すことの出来るような話題ではないらしい。
その瞳は今まで以上に真剣な光を帯びて。
「だから霊夢さん、私は紫さんの話に少々疑問を覚えます。果たして本当にひよりさんは人を恨んでいるのでしょうか?」
「……紫が嘘を吐いている、そういう事?」
肯定はされなかった。否定もされなかった。
ただ、その首を横に振るだけ。
「……分かりません。確かにひよりさんが人や妖を恨む理由なら沢山あります。けれど、彼女が他者に恨みを向けるような妖怪だとは思えません。しかしそれも彼女以外の蠱毒達が率先して動いている、と言われれば納得の出来てしまう話ですので――」
他者が何をどう考えているのかなんて、それこそ誰にも分からない。
それでも――
「霊夢さんが確かめて来て下さい」
「……結局そうなるのね」
「えぇ、ついでに報告もお願いします」
直接確かめに行くことで分かることも、まぁあるのだろうけれど。
――それを認めてしまうと、此処に来た意味が無くなってしまうではないか。
今度こそ阿求は私を見てニッコリと笑った。
一夜明けて場所は紫の自室。
あの後森から紫の家に飛んだ私は慌てふためく紫と雑多な物が転がっている物置のような部屋を見渡し、そうして呆れ顔で紫を見ていた藍と約一千年振りの再会を果たした。藍もあの時から変わらず紫の下で頑張っていたらしく、その従者としての姿勢はすっかり板についていた。……主を敬語もなしに罵り、大仰に溜息を吐きつつも手伝わない事が従者の姿勢というならば、だが。
そんな彼女も今は静かに瞳を閉じ、紫の少し後ろに正座している。
――今までの話を纏めよう。
「顔合わせついでに巫女の教育?」
「……間違ってはいないけど、随分端を折ったわね」
復唱出来るような量じゃなかったし。
現在の幻想郷の説明から始まり、外界と結界、魔法の森なる場所、紅魔館なる建物、昔から変わらない人里、昔から聳え立つ妖怪の山――その他諸々の説明。博麗神社もやはり残っているらしく、そこに代々住む巫女が人と妖怪の間を取り持つ形で今の幻想郷を形作っているとか。後は今時の主な戦い方……すぺるかーどるーるとやらの大まかな説明もされた。
地底の様子や里の様子も事細かに説明してくれた。
その上で、である。
「……まぁ、一番気になってたことだし」
正直に言うとそれが本音。
更に的確に表すならば、私が彌里に伝えたかった事が伝わっていたかどうかの確認。今代の為でもなく、紫の為でもなく、言うなれば自己満足のような物だ。
――と、此処で紫が神妙な顔をしていることに気付いた。
「どうしたの?」
「……いえ、何でもないわ。ただ――」
「貴女ならきっと、博麗神社に住むと言うんだと思って」
「……まぁ、ね」
元よりそのつもりだったので否定の仕様がない。
そんな私の返答を聞いてなのか、紫は満足そうに頷いて微笑んだ。
「だったら尚更霊夢には上下関係をハッキリさせてあげないといけないわね。……うん、丁度良いから今回の計画についても話しちゃいましょう。――藍」
「畏まりました」
紫の呼びかけに今まで黙っていた藍が紫に何か紙切れを手渡す。
彼女はそれを炬燵に広げた。
「ざっくり説明すると、貴女を退治しに来た霊夢を撃退し寸前まで追い詰めるって段取りよ。その前段階の手回しは殆ど済んでるから、後はひよりが霊夢相手に頑張ってくれるだけで良いわ」
ふむ。
職務怠慢気味な霊夢という子に今のままでは駄目と教えるのが狙いらしい。
――っと
「手回し?」
「手出し無用って事を方々に伝えてあるのよ。幽香を含めてね」
「……幽香?」
「何故かは分かりませんがひより様の復活を察知していたようです」
今回一番の難関だったわ、と紫は疲れたように溜息を吐いた。
「……」
はて、何か禍根が残るような事があっただろうか。
あの日。確かに私と幽香は衝突して、結果的に私の方が勝利した訳だけれども……あれは私の体質を最大限活用した上で全力の不意打ちを決めたからであって、二度目がもう存在しないという事は私と彼女の間で合意していた筈だ。――つまり何が言いたいのかというと、幽香には私の復活を気にする理由も説得を受ける必要もない。もしも再び衝突したとしても、彼女の勝利に揺るぎはないのだから。
……ない筈なのに。
「……まぁ、いっか。後で話してみるよ」
「えぇ、そうして頂戴。出来るだけ早くに」
そう言いつつも、紫の表情はそれとなく楽しんでいる様だった。
だからまぁ、それほど心配する事でもないのかも知れない。
「――さて、話を戻すけれど……弾幕決闘法が制定される前の巫女である先代までは普通に妖怪を退治する事で均衡を保っていたの。人を喰らい過ぎる妖怪を厳重注意したり実力行使したり、って感じね」
「……均衡」
先ほど紫から受けた幻想郷の説明。
それを軸にして考えるなら……
「外の世界で死亡確定の行いをした人間を此方に連れて来たりよ。自殺とか愚行によって死ぬ人間は問答無用で地獄行きだから、その手間を幻想郷で省くという条件で外界の地獄とも合意済み。それでも数は不特定多数だから食べ過ぎは良くないんだけど――」
その者達の魂は、きっとあの閻魔様が裁くことになるのだろう。
意識を紫に戻す。
「今の霊夢では本気の大妖怪に立ち向かう事は出来ないわ。弾幕ごっこでは無類の強さを誇っているのだけどね」
「博麗の巫女としての自覚、か……」
確かに紫の懸念も最である。
しかし、元々彌里ですら博麗の巫女として据えるつもりは無かったのだ。あの時は紫の懇願と状況からそういう風に決まってしまい、結果的に上手くいった――けれど、やはり私達の考え出した巫女の選出方法の欠点として、『相手に選択権を与えられない』という欠点がある事だけは変えようがない。
だから私としてはその霊夢という子に強制はしたくないのだが。
チラと紫の方を窺う。
「先代は霊夢がまだ自我も持ってない頃に亡くなったわ」
「……」
「先代まではちゃんとその前の代が面倒を見て上げられていたのよ。でも、先代は後天的な持病を抱えていたから」
誰も彼女と共に居てやる事が出来なかった、と。
「……うん、分かった」
「お願い出来るかしら?」
何が、とは言われない。漠然とした問い。
それに対する答えを、きっと私はその子に与える事が出来る。
◇
博麗霊夢は淡白な性格である。私の周囲の人妖は言う。
けれど一つだけ訂正をするならば、別に私は淡白ではないと言っておきたい。他の人からは見えないだけで、これでも一応ある程度のこだわりやルールに則って動いてはいるのだ。ただその矛先が普段飲むお茶や起床時間や食事のバランスに偏っているというだけで、その性質だけで捉えてくれれば私が如何に普通の巫女をやっているのかが分かるだろう。それでも他に他者と違う点があるとするならば、それは過去と未来の見方くらいだ。
過去は過去、未来は未来。明日は昨日足りえず、後は先に及ばない。
初代だの創始者だの先代だのという物に、私は全くと言って良いほど興味が沸かなかった。
――それでも
「やっぱり此処に居たのね」
「……」
私はひよりを見つけ出した。
「紫が心配していたわよ」
「……」
答えない。
眼前数メートル先に佇む黒い影。霧のようではなく、まるで暗闇のような襤褸を全身に纏ったような異形の怪物。身長こそ私よりも低いものの、その黒の中から見える双眸は底冷えする程暗く深い。腕のような蛇のような、よく分からない物がボンヤリとだがその輪郭を人として定めている程度の塊。
少なくとも嘗て人の子供を育てた妖怪の姿ではないだろう。
けれど彼女が、きっとそうだ。
私が彼女を見つけたのは阿求からひよりについての話を聞いてから五時間程経過した時の事だった。段々と日が暮れ始め、それと同時に彼女が居そうな場所も減り、そうしてまだ探していない場所が数える程になった所で唐突に働いた直感。それに付き従って来て見れば、彼女は『無縁塚』に一人佇んでいた――という訳である。
博麗神社でもなく、人里でもなく、無縁塚。
彼女が封印される前には無かった場所である筈なのに。
「此処は無縁塚。外界から来て死んだ人間とか縁者が分からないまま死んだ人間の埋められる場所。少し先の階段を登れば冥界、更に先にある河を渡れば地獄にすら辿り着く……そんな場所よ」
死んだ人間の魂が保留される場所と裁かれる場所。
そこへ通じる場所に、彼女が立っていた理由-―
「……アンタが何を思って此処へ来たのかは分からないけど、馬鹿な真似は止めなさい。此処にはもうアンタの捜している奴は居ないのよ。もう――」
とっくに転生か成仏してしまっていると。
そう言いきる前に、彼女は一歩此方に近付いた。
「――っ、」
「……」
慌てて距離をとって霊符を構える。それと同時に心の片隅で抱いていた期待――もしかしたら彼女を正気に戻すことが出来るかも知れないという願いにも似た思いが薄れていく。
そんな私の心と同じように、彼女の足元が黒く染まって。
「……仕方ない、か」
私は彼女を救うという選択肢を諦めた。
もうこうなってしまえば目前のソレは初代の母でも博麗の祖でも何でもない。ただ退治すべき妖怪として、幻想郷の均衡を崩しかねない脅威として認識し直す。そうして考え直す程に、紫の言っていた『脅威』の意味がハッキリとしてきた。
呪い
まるでその存在を認めないかのように、黒は地面を荒廃させる。
『――――ッ!!』
「っ、はぁっ!」
動き出したのは同時。
幾つもの動物が一度に果てたかのような凄惨な咆哮と共に突撃してきた彼女に対して、私は咄嗟に手に持っていた霊符で壁を作り距離を取った。そうして私が展開した霊力の迸るそれを、しかし彼女は初めから予測していたかのようにすり抜けてくる。
けれど、此処までは予想通り。
「『封魔陣』」
更に踏み込んできた彼女を、私は距離を取った時に撒いた四方の霊符の中に閉じ込める。
弾幕に使う物とは違う――妖怪を退治する為に拘束する術式に。
「『夢想封印』」
そしてそのまま一番得意とする術を彼女へと撃ち込んだ。
本来ならこの技も弾幕用があって、それは色とりどりのホーミング弾を相手に飛ばすという物なのだが流石にそんな隙を作る余裕は無かった。ありったけの霊力を込めて、恐らくは弱点だと思われる目の辺りに向けて全ての霊符を衝突させる。
並の妖怪なら消滅。大妖怪でも、恐らくは大ダメージを被る一撃。
彼女は避けなかった。
『ガァァァァァッ!!』
「うっさ――」
咆哮。
たったそれだけで陣を壊し、彼女は再び此方へ突撃する。
全身に当たる夢想封印には怯みすらしなかった。
「っ、ぐぅ!」
瞬時に背中に差していた大幣に霊力を込めて防ぐ。
吹き飛ばされた。
「――っ、傷一つ付かない、か」
空中で体勢を整えつつ一人呟く。
先ほど彼女を拘束した封魔陣も攻撃に使った夢想封印も決して弱い技ではない。特に妖怪においては絶対とも言える拘束力と必滅の威力を持った攻撃である。けれどそれを同時に食らう筈だった彼女は咆哮一つで陣を破り、夢想封印に関しては脅威とすら感じていなかったのか避ける素振りすら見せなかった。
そうして今も此方に近付いて来ているその姿には、何処も変化した部分はなく。
紫と藍が二人掛りで殺しきれなかったというのも強ち間違いではないと。
――改めて気を引き締めなおす。
「アンタには悪いけど、本気で退治するわよ」
ソレはほんの少しだけ喜んだように揺れた。
空中で私を見下ろしている少女――博麗霊夢。
彼女の格好は私が彌里の為に作った服によく似ていた。大きな相違点はといえば、長袖だった部分が簡単に取り外しの出来る篭手のような物に変わっているというだけ。全体を紅白で整えた調子も、その頭に着けているリボンですら似通った部分が窺える。そこから考察してみるに、どうやら私が思っている以上に博麗の巫女は代々細部まで引き継いで来たらしい。彌里を育てた私からすれば、それは喜ぶ事であって決して悪い事ではない。
……代々引き継ぐならもっと良いのを作りたかったのだけれど。
「……それに、札も」
霊夢に聞こえないように呟く。
先ほど彼女が構えた霊符。その構成は大分強化されたとはいえ、均衡やバランスは全くといって良いほど変わっていなかった。――分かり易く言うのなら、当時私が書いた文字の間隔や位置が採用されたままなのでいざ眺めてみると非常に残念な物に見えてしまうと、そういう事である。
今更のように過去の軽率な行動を後悔。
「でも、まぁ――」
それ以上に、何処か喜んでいる部分もあって。
動きを止めた私を霊夢は訝しむように見つめていた。先の彼女の発言から恐らく私は『不条理に娘と引き離されて暴走しつつも再会を願う妖怪』という風に伝わっているのだろう。
勿論その思い込みを利用しない手はない。
――跳躍
「『陰陽鬼神玉』っ!」
一直線に突っ込んだ私に対して霊夢は素早く対応した。
彼女が懐から取り出したのは二つの小さな球体……恐らくは妖怪退治の過程で生み出された私の知らない技なのだろう。霊夢が軽く霊力を込めるとそれは人の頭程度の大きさにまで膨張し、先ほどまでとは比べ物にならない霊力を放ち始める。
そのまま向って来た。
はたき落とす。
「――っ」
これには流石の彼女も苦々しい表情を浮かべた。……はたき落とした此方の両腕も流石に無事ではないので、今のは五分五分といった所だが。
しかしこれで彼女の眼前へと到達した。
『ガァッ!』
「はぁっ――きゃあ!」
今度は貫手。
先の玉を弾いた時の怪我を再生させたばかりの腕を霊夢に向ける。
彼女はそれを先と同じように大幣に霊力を込めて受け止めようとして、再び吹き飛ばされた。
――風切り音。
「っ、あぶな」
まるで最初から狙っていたかのように数瞬まで居た場所を通り過ぎる球体。
咄嗟に吹き飛ばされた霊夢の方を見るもその姿は視認出来る場所にはない。つまり吹き飛ばされたことを理解した瞬間にはもうあの球を動かしていたのだろう、末恐ろしい少女だ。
遠くで紅白が立ち上がるのを捉える。
「……うん、それで良い」
ガラリと纏う空気の変わった少女を見て私は小さく呟いた。
◇
「それでどうなったんですか?」
「どうもこうもないわよ。結局私が負けそうになった所で紫が来て、それでお終い」
「じゃあ縁起には『手も足も出ずコテンパンにされた』って書いて置きますね」
そういうと彼女は悔しそうに押し黙った。
話して恥をかくか、話さずして大雑把に書かれるか――どちらも気分の良い物ではない。
縁起には真実しか書かない決まりがある事は黙っておく。
「……はぁ、分かったわ。話せば良いんでしょ、話せば」
霊夢は疲れたように肩を竦めて、そうして渋々口を開いた。
「夢想天生を使ったのよ」
前作紹介
『彌里(みさと)』
ひよりの娘。
『稗田阿未(ひえだ あみ)』
三代目稗田。
『里長(さとおさ)』
名前のない人の中で一番出て来た人。