蠱毒と共に歩む者   作:Klotho

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『蠱毒』

 

 

光があった。

 

 

「……」

 

ふと気が付くと、足元には一本の道があった。

 

 刹那の間か、一日か、一年か、一万年なのか。気が狂う程長く、気を遣る暇もなく歩き続けていたような気がする。自分が生きていた五百年がまるで長く、恐らくは竹林に住むあの二人が過ごしてきた時間よりも短い時間。そんな不可思議な感触のまま歩いていたら何時の間にか辿り着いてしまった。かつて背後に道の終わりを背にした時とは違う。今度は果てしなく、少なくとも今は果てしなく続く道が何処までも続いている。

 

その延長線上に、眩く光る光があった。

 

「……」

 

手を伸ばしかけ、既の所で止める。

 

――怖かった。

 

 あれだけの大見得を切ったのに、いざ直面してみるとどうしても怖かった。何となく分かる、この光に触れた私が目覚めてしまうのが怖かった。もし目覚めたとして、その時本当に違う世界になっていたらどうしようと、そんな考えが頭を過ぎるのだ。

 

私の知っている何もかもが無くなってしまっていたら?

 

姿だけでなく、その伝承や史実すらも存在しないなんてこともある。

 

それに――

 

 

少なくとも、もう彌里は生きていないだろう。

 

「……そっか」

 

ポツリと呟く。

 

誰に向けた物でもない、自分に言い聞かせるような言葉。

 

「私が行かなきゃ」

 

彼女の願いすらも叶えてあげることが出来ないのだから。

 

 誰に聞いた訳でもないが、多分彌里ならそう願うだろう。それを願い、最後には微笑みを携えて逝った筈だ。こんなどうしようもない親の為に――血の繋がりすら持たない唯の妖怪の為に、彼女はきっと最後の最後まで思いを馳せてくれていたに違いない。

 

『どうか、お幸せに』

 

 

声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

紅の館に住む吸血鬼はその翼を精一杯に広げた。

 

興奮。

 

 優雅に紅茶を嗜んでいた数秒前とは一転、背後に佇んでいた従者が困惑するのも構わず窓辺に立ち夜空を見上げる。真上には相変わらずの美しい満月。全ての魑魅魍魎に等しく妖しい力を降り注ぐ筈のそれが、今日は何故かただ一人の為に降り注いでいるようだった。傲慢な吸血鬼はそれでもその対象が自身ではない事に気が付いていた。自分ではなく、もっと別の何か。それこそ、この吸血鬼が未だ知り得ないこの幻想郷の――

 

そして彼女は垣間見る。

 

「……良いわね、悪くない。本当にこの場所は退屈しない。本当に鬱屈しないわ」

 

全てをかき混ぜて一度リセットしたような混沌。

 

 今まで明確だった運命が全て掻き消されて、代わりに眼前に用意されたのは先の見えない阿弥陀籤。一体どれ程の害悪が、本来収まるべきだった物をこうまで『変えて』しまったのだろう。一体どれ程の数の命が、たった一つの存在によって曲げられたのだろうか。

 

「これが余波だと言うのなら、その源流はどの位素敵なのかしら」

 

どう転ぶかは分からない。何が出るかも分からない。

 

運命を覗くことの出来る吸血鬼の少女は、その混沌とした未来に翼を震わせた。

 

 

「準備をしなさい咲夜。私達も一枚噛むわよ」

 

レミリア・スカーレットは、その瞳に何処までも純粋な好奇心を携えて。

 

 

 

 

死と生を繋ぐ境目で、一度死んだ筈の少女は巨大な桜を見上げていた。

 

「……」

 

かつて自身が起こした異変。

 

 幻想郷中の春を奪い、そうまでしてこの桜を咲かせようとした理由。純粋な興味だったのか、それとも唯の酔狂だったのか。自分でもよく分からない内に起こしてしまい、結局何も分からないまま解決された事件。紫に説教をされて、暫くの間藍から厳しい監視を受け、それでも未だに私は諦めていなかった。

 

この桜の封印を解けば、西行寺幽々子という存在が望んでいる記憶を取り戻せるのだから。

 

「――でも、その必要はなくなった」

 

けれど、一度死んで死に返った少女は気付いていた。

 

つい先ほど自身と同じように死にながらも戻ってきた存在がいる、と。

 

その漠然とした直感が、それだけで自身の欲求を満たしてしまったことを。

 

「うふふ、楽しみねぇ」

 

それはつまり、そういうことなのだろう。

 

「幽々子様!」

 

銀の髪、二振りの刀、半霊。

 

 背後から近付いてきたこの子はとてもよく似ている。仮面でもつけさせて斬りかからせてみれば、きっと面白い反応が見れるに違いない。

 

彼女の驚いた顔は、結局見ることが出来なかったから――

 

「紫が来ているんでしょう?当然、参加すると伝えて置いて頂戴」

 

西行寺幽々子は遥か昔の思い出を懐かしむように微笑んだ。

 

 

 

 

かつて妖の親と人の子が共に暮らしていた神社。

 

「いやはや、今の人里には全く驚いたよ。私を見ても全然動揺しないんだからさ」

 

「アンタの身長がもう少し高ければ違ったかもね」

 

昔を懐かしむ鬼に言葉を返したのは紅白の巫女。

 

 何の因果でこうなったのやら、まさか自分が此処に住む事になるとは思ってもみなかった。気まぐれで起こした異変の時も出来る限り此処には近付かないようにと心がけていたのに。しかもその理由が紫の差し金でも私の気まぐれでもなく、この神社を代々引き継いでいる巫女の勧誘なのだから更に笑えない。そんな少し手前の過去も振り返りつつ、昔から使っている朱塗りの杯を傾ける。この味すら、奇しくも当時飲んでいた酒と良く似ているような気がした。

 

それこそ『運命』のめぐり合わせでもなきゃ、こんな事には――

 

()()()()()()

 

「――おいおい」

 

口から漏れ出たのは驚愕と回顧の入り混じった声。

 

博麗神社に向かって、数千の極小さな妖力が近付いてくる気配。

 

「萃香?どうしたのよ?」

 

「ん……あぁ、そうか。霊夢はこの感覚が分からないのか」

 

酔っ払いの感覚なんて知らないわよ、と今代の博麗の巫女は呟く。

 

 忘れるはずもない、この奇妙で独特な彼女特有の妖力。見るからに小さく見るからに弱い、普通の人妖ならば全く脅威にもならない程度の力。

 

だからきっと、知っている者と見えている者以外は気付かない。

 

まるでありありと魅せつけているようだった。

 

「偶然か、紫か……それともなるべくしてこうなったのか」

 

演出としては紫のような意地の悪さを感じるが、しかしこのタイミングは唐突過ぎる。

 

だからこそ、きっと紫も驚いているに違いない。

 

「いいねぇ、久し振りに良い酒が飲めそうだ」

 

この場所に再び立った彼女が何を想うのか。

 

 少なくとも良い思い出や楽しい出来事だけではないだろう。身を斬られるような苦痛と、それとは別の悲しみもあるだろう。誰もが予想していて彼女自身が自覚していたとしても、それはあまりにも現実的で過酷な想像だった。これからあるだろう新しい出会い。既に終わってしまった誰かとの別れ。酔狂とはいえ私が鬼を地上に戻そうとしたように、彼女がそれを本気で起こそうとしなければ良いが――

 

大丈夫。彼女ならば、きっと。

 

「ちょっと、さっきから何呟いてるのよ」

 

「いやね、霊夢は随分ズボラな性格だと思ってさ」

 

カツンと一度、少女の拳から脳天に軽く振動を貰って。

 

伊吹萃香は心地()()感覚に身を任せた。

 

 

 

 

そこは今も昔も全く変わることのない永遠の亭。

 

 しかしそこに住む者はほんの少しだけ変わり、随分前に一人家族が離れていって、つい最近新しい家族が一人住む事になった。勿論前者の方はとても大切に思っていて、今でも戻って来て欲しいと思っている。けれど後者の方の家族であるイナバ鈴仙によってもたらされた情報によって、その家族を待つ事が出来なくなる可能性が出て来た。

 

満月の夜、月からの迎え。その真の目的は輝夜姫と八意永琳の確保。

 

「ねぇ、永琳」

 

「何でしょう」

 

呼ぶつもりで呼んだ訳ではない。ただ、ふと口をついて出てしまった名前。

 

頭では考えず、心に任せてみる。

 

「ひよりが封印されてから一千年。私にしては頑張った方だと思わない?」

 

 あの日から大体その位の経過。月に居た頃には然程長くも感じなかった年月は、驚くほど冗長で単調で退屈に感じられた。それは月に居た頃の退屈とは比べ物にならないほど耐え難く、しかもその解決方法は彼女自身によって止められてしまっているのだから。私が今こうして此処に立ち、ただ彼女の帰りを待ち続けている理由なんて最早それしかないと言ってもいい程に。だから待った。一千年も待った。自分でも驚くくらい我慢した。

 

「えぇ、そうですね」

 

「そしてその苦労は報われた。分かるのよ永琳、私には。きっと貴女には理解出来ないでしょうけど、私には分かる。この年、この月、来週の満月を以ってして、私の退屈は終わりを迎えるの」

 

永琳の目がなければ、自身の身を抱きしめて叫びたい気分だ。

 

 誰かの口から聞いた言葉ではなく、ただ己の直感による確信。頭で考えるのではなく、心で感じたまま口に出した結果。――何処にも根拠はないが、きっと本当になる。私が蓬莱山輝夜で、彼女がひよりである限り。

 

私達は一度も嘘を吐いたことがないのだから。

 

「……成る程、言霊の力ですか。嘘を吐かないという思い込みにも近い力を利用して、ひよりさんが復活するという事象を本当の事にするつもりなのですね」

 

優秀な従者であり師でもある彼女は冷静に私の意図を見抜いた。

 

しかしそれでも変わらない。確信が核心である限り、私の発言もまた発現される。

 

そう信じているのだ。

 

「だから帰る訳にはいかない。私も永琳も鈴仙も此処から離れることはないわ。てゐと別れることもないし、ひよりと再会出来なくはならない」

 

「その発言は――」

 

「永琳が実現してくれるんでしょう?」

 

背後から溜息。私は口角を吊り上げた。

 

私はまた永琳も信頼している。彼女ならばきっとそれを可能にしてみせるだろう。

 

――そう、頃合なのだ。

 

「永琳、貴女の言う言霊なんだけどね」

 

「……」

 

「多分、言っても言わなくても同じことよ」

 

同じ。ひよりは復活するし、月からの使者は来ないという事。

 

 てゐから聞いた外の情報……紅い霧が幻想郷中を覆う異変や、春を奪い冬だけにして見せた異変、多くの人妖を一箇所に集めて宴を開かせていた妖怪の話を聞いて確信した。外で動いている――恐らくは八雲紫とその仲間達はもう既に動き出している。変化の概念を――『異なった変化』の概念を『異変』として、そもそも変化という事象自体を刷り変えるという大胆な作戦。故にこれだけ時間がかかり、だから実現出来るのだ。

 

だったら、もういい頃だろう。

 

「このタイミングを逃して寝てる程ひよりは鈍くないわ」

 

蓬莱山輝夜は知りもしない真実を瞳に映しながら。

 

 

 

 

バキン

 

壊れる音を聞いた。

 

 

「……」

 

鎖の壊れる音だった。

 

 今まで自身を縛っていた鎖が――右腕が、左腕に、右足の、左足まで、自分の到る所に繋がれていた、自分が至らなかった部分を明示し続けていた鎖がバラバラに砕け散るのを理解した。

 

後悔が

 

懺悔が

 

自責が

 

罪悪感が

 

それら全てがなくなって

 

ギィィと、古い扉の開く音。

 

 

それが間違いのない事実だと気付いたのは、息巻いた藍が部屋に入ってくる音。

 

 彼女の話では、曰く何の予兆も変化もなく扉が開いたらしい。誰に触られる訳でもなく、蠱毒に開かれる訳でもなく独りでにゆっくりと。そしてその中から出て来た彼女の姿を確認した所で、藍は慌てて私の元へ来た、ということだ。

 

スキマは開かない。私だけが彼女の姿を見るような狡い真似はしない。

 

「あの子は今どうしているのかしら?」

 

「今の所は集合を呼びかけているだけです。恐らくは情報を集めているものかと」

 

私の問いかけに答えたのはかれこれ一千年程の付き合いになる従者、藍。

 

 どんな時でも無愛想な従者を演じている彼女ですら、今日だけは口元に笑みを浮かべていた。恐らくは懐かしみ、懐かしむ心を喜び、そしてこれからの再会に心を躍らせているのだろう。無理もない。私もこんな立場でなければ――ひよりを封印する手筈を整え、そこから生み出した利で幻想郷を管理している妖怪なんて肩書きが無ければ、多分同じ顔をしていた筈だ。

 

だから私は笑わない。ひよりと話すまでは、笑えない。

 

「さて、ひよりが出て来た事で何か動き出した所はあるかしら……」

 

「いえ、私の見た限りでは特に何も。ただ、気付いた気付かないで言うのならば彼女と縁のある妖怪は殆ど気付いていると思いますよ。それと理由は分かりませんが、風見幽香も気付いているようです」

 

「えっ」

 

思わず振り返る。肩を竦めて困ったという表情を浮かべる藍。

 

「お忘れですか?紫様は一度、ひよりに風見幽香の説得を依頼したじゃないですか」

 

「も、勿論覚えてるけどっ!あれは冗談で……」

 

「ご自身の口で説明なさって下さい」

 

自業自得だと、そう言いたいらしい。

 

想像。たった一度の攻防とはいえ敗れた相手の復活を確信した時の風見幽香。

 

……。

 

「ねぇ、藍」

 

「知りませんよ。この事で直接神社に来られる方が厄介だと思いますけど」

 

それもその通りなのだが。いや、しかし――

 

しかし……

 

「……まぁ、これくらいで済むなら安い方かしらね」

 

結局は諦める。ひよりがいきなり現れたリスクとしては、それでもマシな方だ。

 

 一番恐れていたレミリアスカーレットとの敵対や、ひよりと縁のある妖怪の山が混乱している様子も今の所はない。彼女の帰りを待つ者が居る地底には萃香が知らせに行っている頃だろうし、するとやはり私のすべき事はそれしか残っていなかった。

 

改めて、私は今まで支えてくれた従者を見る。

 

「ねぇ、藍」

 

「何でしょうか」

 

「今までありがとう」

 

浮かべていた笑みがフッと消えて、何時もの無表情――ではなく驚愕に。

 

私はそんな藍を見て苦笑し、再び背を向けてスキマ越しに幻想郷を眺め始める。

 

彼女が口を開いたのはその直後だった。

 

「……私だって当事者の一人です。背負うべき業は、本来なら紫様と同じかそれ以上でなくてはなりません。――幽々子も、萃香も、そして彌里も。皆それぞれ別々の言葉で同じようにそう言っていた」

 

「――」

 

「だからその言葉にはまだ答えんぞ。お前が幽々子や萃香に感謝し、彌里に謝り、そしてひよりと抱き合ったその後になら聞いてやる。それまでは、私も無理に笑えとは言わないさ」

 

「……抱き合わなきゃ駄目かしら?」

 

「まぁ、そこは()()に任せるよ。どうしてくれても構わない」

 

口ではそんな事を言いつつ、けれど否定は出来ない。

 

今度は藍がそんな私を見て苦笑し、そして立ち上がるのを感じた。

 

「まぁ、何はともあれこれで清算も殆ど終わりだ。そうしたらお前主催で宴会でも開けば良いんじゃないか。紹介してやりたい奴も何人か居るんだろう?」

 

私は少しひよりの観察してくる、と藍は部屋を出て行く。

 

「勿論、貴女も来てくれるのよね?」

 

「誘うのは勝手だが、従者面を期待するなよ」

 

「えぇ、楽しみにしてるわ」

 

スルリと障子が閉じられ、部屋に居るのは私一人になった。

 

「……」

 

かつて藤原妹紅に指摘された通り、私は何処か人と線を引いている節があった。

 

 そしてそれは稗田阿求に指摘された今でも変わっていない。多分、ひよりがそうだったような人と妖故の別れを恐れていたのかもしれない。自分よりも先に死んでしまう事が分かっている者と付き合い、笑い、泣くというのは、想像以上に難しいのだ。――けれど、それは逆の立場に立つ人間にも言えることなのだと私は気付いた。ひよりだけでなく、彌里も同じように想っていたことに気付かされた。

 

だからもし、彼女が今も笑っていられるのなら。

 

「私はもう逃げない」

 

スキマは直接彼女の目の前へと繋がっている。

 

 

匂いが酷い。

 

 兎に角酷い。臭いという訳ではなく、久し振りの使役に情報が入り過ぎている感覚。草の匂い、土の匂い、風が運んでくる遠くの匂い、虫の、小動物の、傍に生えている茸の――もう何が何だか分からない。けれど視覚だけはハッキリしているので、私は周囲を見回して様々な物を確認していく。生えているのは植物、地面にあるのは地面、風は自然現象、昆虫、哺乳類、菌類……どうやら頭の方は正常のようだ。

 

私は鼻を軽く押さえて空を見上げる。

 

「……変わらない、か」

 

どの位の年月が経ったのか、それは分からない。

 

けれど何時だって月だけはいつもこうして空に浮かんでいた。

 

顔を下に戻す。

 

「ん」

 

自分の出て来た社の階段に小さな紫の花と朱塗りの杯が置いてある。

 

 少し迷った挙句、私はそれらを回収して帯の背中へと差し込んだ。差出人が分かっている以上、これらは直接私が返してあげるのが道理という物だろう。そう結論を出した所で、私は自身の居る場所に向かって近付いてくる懐かしい『それ』を感じ取った。

 

ザワリと一度、風が誰も居ない周囲を吹きぬける。

 

「おいで」

 

その言葉を皮切りにウオンという唸りにも近い音を立てて勢いよく私の中へと戻っていく私達。

 

最後にこうして皆を集めたのは何時だったか――凡そ九百五十年前。

 

そういえば、此処は――博麗神社の片隅、森の中。

 

あの日から、皆は……浮かばないという事は、自身で確認しろという事か。

 

まぁ、とりあえず。

 

 

「一人確認」

 

開いたスキマ、出て来た彼女もまた変わる事なく。

 

 

 

 

変わっていない。

 

 まるで変わっていない。黒い髪、黒い瞳、黒い衣――頭についていた髪飾りがないのは自身の娘にそれを託した証。私の視線に気付いたらしい彼女は、自身の側頭部に軽く手を当てて確認。

 

ほんの少しだけ困ったように笑った。

 

笑った。

 

「やっぱ、ないと寂しいね」

 

「……今でも充分可愛いと思うけど、まぁ、そうねぇ」

 

()()に気付いていない訳ではないだろう。

 

蠱毒達を回収し終えた今だというのならば、尚更。

 

「それで、身体に異常はないのかしら?」

 

「ん、特には。出た瞬間は匂いと光でビックリしたけど」

 

 両手を動かし、数歩歩き、ひよりは全身を確認しながらそう呟く。その様子を黙って眺めていると、彼女はその手の内片方を背中に伸ばしたままの姿勢で停止した。

 

彼女はそれを私の前に差し出す。

 

紫の花。

 

「ありがと」

 

「……」

 

「偶々置いといてくれた……って訳じゃないんでしょ。何となくだけど、紫なら」

 

だからこれが私からの感謝の印、と彼女は私の前に掲げる。

 

感謝される筋合いなど、何も――

 

「本当に?」

 

「……」

 

「ありがとう、彌里の面倒を見てくれて。ありがとう、ぬえ達の事を気にかけてくれて。ありがとう、幻想郷を実現させてくれて。ありがとう、紫が紫のままで居てくれて。――本当は、少しだけ不安だった。彌里の事も、ぬえ達の事も、幻想郷の事も、紫の事も、ね……。無くなるべき物があったらどうしよう、有って欲しかった物がなかったらどうしようって、そんな風に考えて」

 

「ほんの少しだけ、戻ってくるのが怖かった。だから――」

 

 

ありがとう、私のことを待っていてくれて

 

 

「――っ!」

 

「……苦しいよ」

 

溢れ出た涙が彼女に見えないように。そうして頭上から聞こえて来たのは苦笑交じりの声。

 

 怒っていると思っていた。長い年月の末、ひよりと彌里の繋がりを引き裂いた私を恨んでいると思った。自分が間違った判断を下したとは思っていない――けれど、正しい選択をしたとは言い切れない。本当ならもっと別のやり方もあったのではないかと、そう考えて過ごしてきた。

 

それらの全てを掻き消すように、ひよりは黙って私の頭を抱く。

 

「『誰かの犠牲の上に立つのなら、それは私の求めている理想ではない』」

 

「……、うんっ」

 

それは彼女と手を取り合った妖怪の山で聞いた言葉。

 

ひよりが数ヶ月の間過ごした命蓮寺という寺の、人妖に平等を求める僧侶が残した言葉。

 

「でも、そんな風に都合の良い事ばかりじゃない。人も妖怪も、生物は生きているだけで他の何かを奪い続ける。聖ですらも、ね。――だから、それを背負った上で共に生きていけるのなら、それは『共存』なんだと思う」

 

私の頭に回されていた手が不意に私の顔を持ち上げる。

 

深い闇を刻み込んだ彼女の瞳は、それでも綺麗な光を燈して――

 

「此処は素敵な場所だね」

 

「……えぇ、そうでしょう?……苦労したのよ、色々と」

 

「お疲れ様」

 

手。

 

差し伸べられた小さな手を掴み、私は立ち上がった。

 

 何時の間にか涙は止まり、代わりに先ほどまで彼女に泣きついていた時の不恰好な姿が頭を過ぎる。何もかもが恐らくはあの従者、八雲藍の企て通りなのだろう。今もし彼女がスキマでこの光景を覗いていたのならば、私もこうはならなかっただろうから。

 

自らの従者ながら、自らの友人ながら末恐ろしいというか。

 

……信頼出来る、とも。

 

「これから私はどうすれば良い?」

 

「そうねぇ、予定では博麗神社に住んでもらうつもりだったのだけれども……」

 

夜空を見上げる。月がそろそろ沈もうかという時間。

 

 この時間に神社へ押しかけてひよりの寝る場所を確保するのも大変だろう。あの巫女が起き出して攻撃してくるとも限らない。だからとりあえず今日は私の家に泊めて、それから神社へ行って霊夢に説明するのが妥当か。――決して泊まって欲しいと思っている訳ではない。確かに、彼女とは久し振りに話をしたいこともあるのだけれども。

 

それに、この機会にしたい事も一つある。

 

「時間も遅いし私の家に来て頂戴。私もそうだけど藍も話をしたいと思うし、それに――」

 

「『折角だから少し面白い事もしちゃいましょう』」

 

顔に出てるよと、そう言って少女は呆れたように肩を竦める。

 

そう言われて慌てて顔に手を当てる……何時の間にか、意地の悪い笑みを浮かべていたようだ。

 

久し振りに、笑みを。

 

「ねぇ、ひより」

 

「なに?」

 

スキマを開く。行き先は懐かしき我が家。

 

ひよりは暫く私の方を見つめていたが、私が何も言わないのを確認してスキマへと歩き始める。

 

その背中が、昔から変わっていないその背中がスキマへと消えていく直前に――

 

「ありがとう。そしてようこそ、幻想郷へ」

 

「どういたしまして。それと、これからもよろしく」

 

スキマの中へと消えていった彼女。

 

 

そのスキマの手前で立っていた鼠が意地悪い笑みを浮かべてそう答えた。

 

 

幻想郷と現世を隔てる大結界の管理人、博麗の巫女。

 

肩書きだけ聞けば随分と堅苦しく大変そうな役割だと、そう思う者も居るかもしれない。

 

 

 

 

「……暇ね」

 

「あぁ、暇だぜ」

 

しかし実際はそこまで大変な事は何もない。

 

 朝起きて、軽く身体を拭いて晒を巻き、数少ない食料から一日の献立を考えて朝食を作る。食べて、食後のお茶を沸かして、そうしている内にやってくる白黒の魔法使いと一緒に縁側に座り、こうしてただ駄弁っているだけ。これはこれで大変だと言う人も居るだろうが、しかし私はそこまで嫌いではない。こうして意味もなく時間を潰してダラダラすることこそが、私の趣味であり私の好きな事だからだ。

 

「レミリアの起こした異変からもう一年とちょい、あの亡霊が起こした異変から五ヶ月、お前ん所の居候が起こした異変から早二ヶ月……段々頻度が上がって来てるし、そろそろ何か大きな事が起きてもいい頃だと思うんだ私は」

 

「あの馬鹿が起こした異変からまだ一年、その馬鹿が起こした異変から未だ五ヶ月、うちの馬鹿が起こした異変からは二ヶ月しか経っていないんだからもっと平穏でも構わないくらいよ」

 

「具体的にはどれ位だ?」

 

「そうね、五十年くらい安泰なら良いかしら」

 

そん時は私等の子供が解決するのかー?と、霧雨魔理沙は尚もやる気なくそう呟く。

 

 今の遣り取りでも分かるように、私こと博麗霊夢と霧雨魔理沙は一枚岩という訳ではない。不本意ながら幾つもの異変を二人で解決してきたが、その動機は互いに異なり行動すら異なっている。逆に言えばそれ故に噛みあっているという事か。

 

隣に寝転ぶ魔理沙の横顔を眺め、次第に空へ視線を映す。

 

「でも、厄介事は決まって向こうからやってくる物だぜ」

 

再び隣を見る。彼女は私ではなく縁側の向こう……中庭に視線を向けていた。

 

私も同じように視線を追う。

 

「……げ」

 

「あら、随分な反応ね霊夢。それと魔理沙、お早う」

 

「お早うだけどな、紫が来なかったら私達はこのまま寝て次の挨拶はこんばんはだったぜ」

 

全くしょうがない子達ね、そう言って肩を竦める紫妖怪。

 

 名前は八雲紫。肩書きは妖怪の賢者、幻想郷の管理人。一般には博麗の巫女と()()幻想郷と現世を隔てる博麗大結界を管理している妖怪という事で知れ渡っている。一部の者には、胡散臭い態度とよく分からない言動で計画を邪魔してくる厄介者という真実が伝えられているのだ。実際私や魔理沙も含めて、何人かがこの妖怪に面倒ごとを押し付けられている。

 

そして名目上は私の保護者と本人は語っていた。

 

彼女の視線が私を捉える。

 

「……」

 

「霊夢、寝たふりをしていないでよく聞いて頂戴。今日は別に修行をしろだの何だのと言いに来た訳じゃないのよ」

 

「なんだ、そうだったの」

 

「……お前何時か紫に騙される日が来るぜ」

 

冷ややかな視線を送ってくる魔法使いを無視して紫と向き合う。

 

 彼女が持ってくるのは食料か面倒事。その両手に何もないという事は、やはり後者という事か。そしてその用件というのはどうやら深刻な問題らしい。……流石にこの姿勢で聞くわけにもいかないので仕方なく身体を起こした。

 

隣の魔理沙も慌てて体を起こす。

 

紫はそんな私達を一瞥してから口を開いた。

 

 

「……ある妖怪を退治して欲しいのよ」

 

その瞳は、真剣味と深刻さを携えて。

 

 

「ひよりって奴、知ってるかしら」

 

「――」

 

バサリと彼女の持っていた本が地面へと落ちる。

 

 あらゆる書物を自身の命と同じくらい大切に考えている彼女からはとても考えられない反応だった。――私は慌てて落下途中の本を掴み、そして驚愕に目を見開いている彼女の手に無理矢理乗せる。この反応からして知っている事に間違いはないが、やはり唯者ではないらしい。私は本を手に乗せただけ彼女の両手を軽く握り、そうして視線を交錯させた。

 

何処か遠くへと行っていた視線は、それだけで此方側に戻ってくる。

 

「……知っているのね、阿求?」

 

「え、えぇ、まぁ……はい、一応」

 

「教えて頂戴」

 

今度こそ阿求は困り果てた様子だった。

 

誰かに口止めされているのか、それとも言えない理由があるのか。

 

けれど此方も退く訳にはいかない。

 

「そいつの情報が欲しいのよ。どんな些細なことでも良いし、話せる範囲で良いわ」

 

「……口止めされている訳ではありません。ただ、事情によっては話して良い事と話せない事があるんです。その、幻想郷縁起にもまだ書いていない事なので――」

 

その言葉を上書きするように言葉を重ねる。

 

「紫からの依頼でそいつを退治するのよ」

 

バサリと

 

今度こそ本は地面へと落ちた。私はそれを拾う暇さえ無かった。

 

阿求の両手は、私の肩をしっかりと掴んでいて。

 

「れ、霊夢さん、よく聞いて下さい」

 

「な、何よ」

 

普段からは想像出来ない程怯えた声。緊張と、困惑の混じった表情。

 

阿求は私の質問に答えた。

 

 

「初代博麗の巫女の母親にして、博麗神社の創設者――それが、ひよりさんです」

 

 

 

 

 

 

 

 




活動報告にて三行で前作を説明した投稿があります。宜しければご参照下さい。

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