泊地物語   作:まるあ

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手紙

 陽炎型駆逐艦三番艦、黒潮は月に一度手紙を受け取る。それは本土からの手紙であった。姉妹や他の艦娘からの手紙ではない。『人間』からの手紙である。

 かつて彼女が出会った少年からの手紙である。彼は危うく敵に殺されかけていたところを黒潮に救われたのであった。そのような縁が彼女と少年を文通友達にした。

 彼女なりの打算もある。一般の『人間』の暮らしもおぼろげながら分かるし、こうやって外地にいるときは内地のことをしる重要な情報源にもなる。それに、黒潮はその少年のことが嫌いではなかった。

 手紙には彼の近況が書かれている。市場に出回る食べ物の種類が増えたこと、時局柄自粛していた地域のお祭りが復活したこと、西方との海上交通が完全に回復したので店に並ぶ商品が増えたこと、戦線が膠着状態にあることから現在の政権や軍に対して不満がある人たちがいること。

 先月の手紙で彼女ができたという報告があったので、試しに二人で仲良く写っている写真を送ってくれ、と頼んだら彼は律義に送ってくれたようだ。封筒の中に入っていた写真には仲良く楽しそうに笑う男女が写っていた。

「ほんま、ええ顔で笑うなぁ」

 写真を見ながら、黒潮は微笑む。少年の彼女の顔を見たかったというよりも、恋人と一緒にいる彼がどんな表情をするのかが見たかったのだ。そして、黒潮はかなり満足した。

「返事を書かなあかんなぁ」

 手紙を読むのも、返事を書くのも、黒潮にとって数少ない娯楽の一つだった。

 大体、彼女のいる泊地から内地に手紙が届くまで二週間かかる。検閲やら何やら、いろいろ面倒くさい手続きが必要なのである。一方、内地から泊地まで手紙が届くまで、同様の理由で二週間ほどかかる。

 さて何を書こうか。まずは妹が一人任地に来たことを書こう。固有名詞を省けば検閲に引っ掛かりはしないはずである。

 妹が来たこと。歓迎会で大騒ぎして楽しかったこと。相変わらず空も海も平穏なこと。些細なことが楽しいのである。

 黒潮はペンを手に取り便箋を机の上に出した。最初は何から書こうか。やはり写真の感想だろうか。

 拝啓、と丁寧な字で書きしるした。

 

 結局何を書こうかまとまりがつかず、そして楽しいことはあとに取っておこうと思ったことも相まって、黒潮は拝啓とだけ書かれた便箋を机の上において食堂まで来ていた。まだ早いが、夕食の準備に取り掛かってもいいだろうと思ったのである。

 食堂では陽炎と雪風が何やら話していた。たわいもない話らしいのは彼女たちの表情から分かった。

「何話しとるん?」

 黒潮は陽炎の隣に座りながら尋ねる。

「あのですね、黒潮さん、さっき航行してたらサメを見たんです!こーんなおっきなサメでしたっ!」

 雪風は両腕を横に伸ばしてであったらしいサメの大きさを表現しようとしていた。

「怖いねーって話をしてたわけよ」

 陽炎は捕捉をする。確かに、サメと闘って負ける気はしないがあまり会いたくない相手であることも確かである。

「サメかー。血を流してる時にサメに会ったら怖いなぁ」

 黒潮も頷く。サメは視力が弱い代わりに嗅覚が優れているから血のにおいを敏感に嗅ぎつけると何かで読んだことがあったのである。

「あ、そうだ、雪風はこれから約束してたんでした!」

「約束?」

 陽炎が怪訝そうに尋ねる。

「そうです。舞風さんに鯛の釣り方を教えるんです!」

「そ、そう…」

 雪風は持ち前の幸運を生かして、それこそ海域など無視して鯛だの鮪だの様々な魚を釣ってくるが、舞風にはそれだけの幸運が備わっているとは思えない。

「それではっ!」

 ぴしっと敬礼をすると雪風は駆けて出ていく。

「そういや不知火ちゃんは一緒やないんか」

「あの子は筋トレしてるわ」

 艦娘たるもの、軍人たるもの、鍛錬はかかせません。不知火はよくそんなことを言っていたかもしれない、と黒潮は思った。

「別に筋トレなんてしても関係ないのになー」

「多分精神面の問題だと思うわよ」

「せやか」

 黒潮は筋トレなどしたことがなかった。艦娘と人間では体のつくりが異なるのである。

「そういえば、今朝妙にうきうきしてたけど何かあったの?」

「ああ、手紙が届いたんや」

「毎月の恒例行事ね」

 毎月黒潮に手紙が来ることを、着任したばかりの舞風は知らないかもしれないが、この泊地にいる艦娘は皆知っていた。

「せや。いろいろおもしろいことが書かれておったで」

「ふぅん」

「写真もつけてくれたんや」

「へー、良かったじゃない」

 陽炎は穏やかに笑う。

 写真を添えられて良かったのか、良かったのだろう。黒潮から頼んだことだったのだ。

 ふと、文通していることが最初に陽炎にばれたときのことを思い出した。あの時は不知火と一緒に小一時間問い詰められたものである。

 曰く、人と艦娘は結ばれえないこと。

 そのようなことは黒潮にも分かっている話であったが、姉二人は心配だったのだろう。

 もっとも、人と結ばれえないからといって姉妹でできてる二人に言われたくないと思ったのも確かである。

 食堂のドアが開けられた。

「陽炎、黒潮もいましたか」

「あら、不知火、筋トレは終わったの?」

「今日はおしまいです」

 不知火は陽炎と黒潮の前の席に座る。

「しかし、珍しいですね、この組み合わせ」

「そうかしら?」

「そうです」

「そら自分らがいつも一緒におるからやろ」

「そうですか?」

 取りとめもなく話が続いていく。

 実戦に投入されている陽炎型駆逐艦の中で、この三人が姉の役割を負っていた。そのため、話しやすいことは間違いない。ましてや、長い間、『大海嘯』の前から行動を共にしているのである。

 本来、駆逐艦娘は基本的に大尉待遇である。ネームシップだけは特権を許され少佐として遇されていた。しかし、彼女たち三人はそれぞれ、上から順に、中将、少将、大佐である。黒潮は、自分の大佐任官を、陽炎と不知火のおこぼれだと認識していた。

「そういえば、黒潮にまた恋文がきたらしいわよ」

「おめでとうございます」

「いや、彼恋人いるで?」

「ご愁傷様です」

「うち別に狙ってへんからな?」

 いちばん最初、連絡先を交換した時の初々しい気持ちは忘れてしまったが、少なくとも今では彼に恋心を抱いていないことは断言できる。

 艦娘と人間は違うのである。古来より異種婚姻譚の結末は悲劇である。

「そういえば、黒潮、あんた何で食堂に来たの?」

「なんでっていつも食事作っとるやろ」

「もうそんな時間?」

「いや、ちゃうけど」

 どうしても、黒潮には食堂は自分の縄張りという意識がある。そのため、つい用事もないのに食堂にきてしまうことがあるのであった。

「ご飯はこれから作るの?」

「せやで」

 陽炎の問いに黒潮はうなずく。料理には慣れたためか、大体の所要時間のめどはつくのである。だから、逆算していつ頃作り始めればいいのかもわかる。そして、まだその時間ではない。

「じゃあたまには私も手伝うわ」

 何の気なしもなしに陽炎は言う。

「…陽炎ちゃん、自分の立場、わかっとるん?艦隊司令長官代理様やで?」

「別に長官代理が料理しちゃいけないなんてないでしょ?」

「せやけど…」

「いいじゃないですか、黒潮、面白そうなので今日は私もやります」

「そうよ、姉妹三人仲良くしましょ」

「…しょうがないなぁ」

 口ではしぶしぶといった体を装っているが、内心うきうきしていた。どうしても、長姉と次姉で仲の良い陽炎型において、三女の黒潮は少しさみしい思いをすることもあるのであった。

 三人ならんで台所に立つなど久しぶりのことである。取りとめもない話に花を咲かせつつ作るのはきっと楽しかろう。

 手紙に書きたいことがまた一つ増えたな、と黒潮は思った。


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