泊地物語   作:まるあ

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一日

 第四艦隊参謀長代理。勅任官で勲三等功二級。海軍少将。

 このような肩書きを並べられれば衆人の想像するところはいかめしい中年のおじさんであろう。海軍の軍服に身を包み、姿勢正しく煙草をふかし、机上に海図を広げ艦隊の行く末を思う、そのような姿を想像するはずだ。

 だが、実際にその肩書きを持っているのは華奢な少女の姿をしていた。

 陽炎型駆逐艦二番艦、不知火。艦娘と呼ばれる特異な存在であるところの彼女は、しかし、功卓越な武官に送られる金鵄勲章を送られ、海軍の中でも一目置かれる存在であったことは確かであった。

 もっとも、この一年半ほどは中部海域の泊地を拠点とする第四艦隊に所属しており、この艦隊が海上決戦を主任務としていないことから目立った活躍をしていないことは確かである。

「おはようございます」

 不知火は皺のない制服に身を包み、第四艦隊司令部の長官室に顔を出す。毎朝の日課として、彼女はこの部屋のあるじに挨拶することから一日を始めるのである。

「おはよ」

 第四艦隊司令長官代理。親補職で勲二等功一級。海軍中将。

 肩書きが示すところとは裏腹に、彼女もまたうら若き少女の姿をしていた。

 陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎。彼女もまた、海軍の中で名高い。

「今日の案件は何かありますか」

 長官室に備え付けられているコーヒーメーカーでコーヒーを淹れながら不知火は尋ねた。

「特にないわ。付近に敵影を覚えず、大本営、あるいは軍令部や連合艦隊も特に何も言ってこず」

「つまりいつも通りですね」

「そゆこと」

 この半年、第四艦隊に任務らしい任務が下ったことはない。最近では近海に敵影を見ることも稀である。

「それと、北方海域でまた大海戦があったそうよ。ネットニュースでやってた」

 地理的に隔絶された泊地なので、もっとも早い情報は衛星回線を利用したインターネットを介した情報であった。艦隊司令長官に対して、他の方面の詳しい作戦など知らされるはずもない。しかも、陽炎は書類上はあくまでも艦隊司令長官代理であり、長官職にはついていないのである。

「寒いくせに熱いことやってますね」

「こっちもいつも通り」

「そうですね」

 陽炎と不知火は毎朝簡単な状況確認をすると、連れだって食堂に向かう。食事をするのは、この二人以外の所属の艦娘の輪番であったはずだが、いつの間にか固定されていた。

「陽炎ちゃん、不知火ちゃん、おはようさん」

 陽炎型駆逐艦三番艦、黒潮。奏任官で勲四等功三級。海軍大佐。

「今日のご飯はなんですか」

「目玉焼きや」

 不知火の質問に、黒潮はにこにこと答える。

 お盆の上に黒潮が本日の朝食―トーストと目玉焼きとサラダ―を載せ、それを食堂の好きなところに持っていく。

 不知火は陽炎と向かい合わせの席を陣取った。

「何飲みますか?」

「んー、オレンジジュース」

 不知火はセルフサービスとなっている飲み物をとりに行った。陽炎のオレンジジュースと、自分の分のアップルジュースをコップにそそぐ。

「サンキュ」

 不知火からコップを受け取りながら陽炎は言う。

「それではいただきます」

 二人は唱和すると、いつものように朝ごはんを食べ始めた。

 

 将官に任命される艦娘は稀である。現在六名しか艦娘の将官はおらず、内、少将が五名、中将が一名である。つまり、海軍中将に任命されている陽炎が階級的には全艦娘のトップに位置しているわけであるが、もっとも艦娘どうしにおいては階級はあまり重要視されないのも事実であった。

 第四艦隊における陽炎の地位も、階級に端を発するというよりも、第四艦隊司令長官代理という役職についているというよりも、何より第四艦隊所属艦娘の全ての姉にあたることが最も寄与していると不知火は思っていた。

 第四艦隊は駆逐艦陽炎を筆頭に不知火、黒潮、雪風、野分、舞風、秋雲が所属しており、この全てが陽炎型駆逐艦であった。

 極端な話を言ってしまえば、陽炎が海軍少尉であっても現在の第四艦隊を統率し得ていたであろう。もっとも、海軍少尉相当の艦娘といえば新任の駆逐艦娘くらいなものであったが。

 血は水より濃いという。実際に血がつながっている、というのと艦娘たちの姉妹関係というのは違うのだが、彼女たちはあるいは人間の兄弟姉妹よりも強固な信頼関係を築いていた。

「陽炎、そう言えば、舞風の着任祝いはどうしましょうか」

 本来艦隊司令部にはいくつもの仕事が山積しているはずなのだが、第四艦隊にはほとんど仕事がない。前線部隊の仕事は戦争である。だが、作戦命令もなければ敵襲もなく、艦隊の規模も小さいからその統制の問題も皆無である。

 自然と、本来の仕事とは異なったことに労力を割くようになる。

「どうするって言っても、どうするの?」

「この前本土から酒が送られてきたはずです。あれを振る舞いましょう」

「まぁそれでいいわね」

「あと雪風に釣りをさせましょう」

「あの子が釣りすると鯛だの鮪だのなんで釣れるのか分からないものを釣ってくるしね」

「さすが幸運の駆逐艦です。自然の摂理を捻じ曲げてきます」

 不知火はスマホを取り出して、雪風に魚を釣ってくるようにメールを打った。

「あ、そう言えば秋雲が舞風にあげるための絵を描いてるって言ってたわ。それもその時に渡してもらいましょう」

「秋雲も舞風のことかなり好きですよね」

「秋雲は舞風のことを妹扱いするし舞風は秋雲に姉として認めてもらおうとしてるし、見ててほほえましいわ」

 秋雲は事あるごとに舞風のことを舞ちゃんと呼んで、主導権を握ろうとするし、舞風はもっとストレートにお姉ちゃんと呼んで、と事あるごとに言うものである。

「そう言えば、調理はどうしようか」

「黒潮にやってもらいましょう。必要であれば不知火が手伝います」

「そうね」

「野分には今日中できるだけ舞風の注意を逸らしておいてもらいましょう。できればサプライズパーティーにしたいです」

 陽炎の補佐という立場を不知火は徹底していた。それは艦隊運営の時もそうであるし、あるいは、実戦の時も、プライベートでもそうであった。彼女は誇り高い陽炎型の二番艦であった。

「いいわね。黒潮を呼んでちょうだい。早速話し合いましょ」

「分かりました」

 

 突然湧きおこった舞風の着任祝いであるが、もともと娯楽の少ない泊地であったこともあり、異議を唱える者もおらず、むしろどことなく楽しそうである。特に、雪風は舞風が着任した昨日には結局釣りをさせてくれなかったこともあいまって、張り切っている様子である。

「大漁をお約束します!」

 不知火に送られてきたメールの返信はそう結ばれていた。

「突然やなぁ…」

 唯一少し心配そうな顔をしているのは黒潮だった。料理を任された彼女が最も責任が重い。万が一雪風が何も釣れなかった時の料理も考えなければならないのだ。

「ダメ?」

 陽炎が少し首をかしげて尋ねる。

「いや、多分だいじょぶや。けど、ここでぱーって使ったら明日以降の材料に響くで?」

「んじゃ、本土に連絡しておくわ」

「…あまり次官どのに頼るのも良くないで?」

「なーに言ってるのよ。老人は若い子に頼られたがってるの」

「…駆逐艦陽炎、進水日1938年9月27日」

 不知火がぼそっとつぶやいたのを陽炎は聞き逃さなかった。

「なぁに、私がおばあちゃんとか言いたいわけ?」

「いえ、めっそうもない。ただ、不知火は事実を確認しただけです」

 不知火は澄ました顔で答える。

 陽炎は舌打ちをしたが、彼女が本気で怒っていないことを不知火は知っている。

「まぁいいわ。とにかく、本土にはこちらから連絡するから材料については今あるものを最大限利用して構わないわ」

 黒潮はやれやれ、と首を横に振る。

「無駄遣いがばれたら怒られるで?」

「無駄遣いじゃないわ。本土だったら別に料亭の一つでも使うところをこんな無人島じゃそんなこともできないからこんなことをしなきゃならないわけじゃない。本土で食糧が不足しているというのであれば考えるけど、とっくに食糧の配給制度は解除されてる中でそれは考えづらいわ」

「まぁせやな」

 戦争開始直後は敵の奇襲であったこともあり、連敗を重ね、国防圏の大幅な縮小を余儀なくされたものであるが、『大海嘯』を防いで以後、反撃に転ずることに成功し、現在膠着状態にある。とはいえ、当初の危機を脱した後、経済が回復していったのは事実である。

「黒潮」

「なんや、不知火ちゃん」

「どうせ怒られるにしても陽炎だけですし、料理が大変ということであれば不知火も手伝いますから」

「…せやな」

 黒潮は頷くと、ぽんと不知火の肩をたたいた。

「お前さんも大変やな」

「慣れてますから」

 ふっと不知火は笑った。

「ま、うちに何かデメリットがあるわけでもあらへんし、別にええで。料理も一人でできる。不知火ちゃんの顔を立ててお小言はここまでにしておく」

「姉に対してずいぶんな言い草ね」

「いや、うちらにどれくらい物資が残っているかきちんと把握してくれてるならうちも何も言わんって」

「…足りないの?」

「いや?足りなかったら不知火ちゃんが何か言うんとちゃうん?」

 黒潮に視線を向けられた不知火は頷いた。

「もちろん、歓迎会なんて開いている場合じゃなかったら私が阻止します」

「じゃあ別にいいじゃない!」

 陽炎は勢いよく机をたたいた。

「まぁ別にいいんですけどね。黒潮もそこらへんで勘弁してあげてください。いくら面倒くさがって下着の洗濯まで参謀長に任せるふがいない長官だからって触れられたくないところがあるでしょう」

「あんたに今まさにいちばん触れられたくないところを触れられたわよ!」

 今にもかみつかんばかりの剣幕の陽炎に、黒潮はくつくつと笑った。

「せやな。ここにこれ以上いたら陽炎ちゃんに噛まれんとも限らんし、うちはそろそろ退散させてもらうとするわ。ほな、またな」

 黒潮は軽く手を上げると、部屋を出ていった。

 陽炎は叫んだせいか、軽く方を上下させて不知火を睨んだ。

「あんたねぇ…」

「不知火は嘘は言っていません」

「そうだけどね…」

「最近アダルティなやつにかわってきたことを暴露しなかったことをむしろ感謝してほしいです」

「私のもあんたのも官給品よ!」

「不知火になにか落ち度でも?」

 不知火は本気で陽炎のものぐさを責めるつもりはない。別に陽炎は洗濯ができないわけではないし、陽炎には陽炎のできないことがある。そしてそれは下着の洗濯ではない。

「ところで、陽炎」

 不知火は改まって陽炎に話しかける。

「何よ」

「重要なことを決めましょう」

 不知火の表情に、陽炎は何かを感じたらしい。居住まいをただし、不知火に向き直る。

「何かしら」

「今日開ける酒の銘柄です。三つほどありますが、どれを開けますか?」

 

「ようこそ舞風!」

 野分に連れられて、夕食のために食堂に来た舞風に、陽炎は声をかける。

 机の上には普段ではお目にかかれないようなごちそうの数々が盛りつけられ、極め付きは鯛まるまる一匹分の刺身であった。どうやって釣ったのかはしらないが、雪風の釣果である。

 舞風はきょとんとしたが、事態を飲みこむと見る見るうちに笑顔になった。

「わぁ、ありがとう!」

「さ、こちらに来てください」

 不知火は上座にあたる席の背もたれをたたきつつ手招きする。

 てくてくと舞風が歩いてくると、不知火は椅子を引いた。舞風はちょこんと座ると、机の上を眺めて陶然としている様子である。

 第四艦隊の全員が席に座り、各々の杯に酒が注がれると、視線が陽炎に集中する。

「陽炎、乾杯の音頭を」

 不知火が耳打ちすると、陽炎ははっとしたようだった。

 まさか本当に何で自身に視線が集中しているのか分からなかったのか、と不知火はやや呆れつつ、だが陽炎らしいなと思いなおした。

「えーっと、我が第四艦隊に新たに可愛い舞風が着任したことを祝って、乾杯!」

「かんぱーい!」

 思い思いに盃を乾かすと、目の前にならぶごちそうにそれぞれ箸を向ける。

「やっぱりいつも短いですよね、陽炎のスピーチ」

 サラダを皿に取りながら不知火は言う。

「ごちそうを目の前に長々と人の話聞きたくないでしょ」

「それはそうです。ですが第四艦隊司令長官代理式辞とかでも短いですよね」

「長いスピーチは面倒だし、大体この子たち聞かないでしょ」

「…それもそうですね」

 不知火はサラダを取り終ると、とっくりを手にとって陽炎の杯に注ぐ。

「あら、ありがとう」

「いえ」

 その後は無礼講であった。アルコールが回ってくると、最初に行儀よく席に座ったことを忘れたかのように騒ぎはしゃぎ楽しみ合う。艦隊の戦友であるし姉妹でもあるし気の置けない仲間であった。宴会ともなれば行儀がよいのは最初だけで、アルコールと雰囲気に酔うと、飲めや歌えやの大騒ぎとなる。

 舞風が立ちあがって踊り始めたかと思えば野分が軍歌を歌い出す。すると、雪風がおそらく中国語の歌を歌い始め、黒潮は無理やり秋雲を相方に漫才のまねごとをし始める。

「陽炎姉さんと不知火姉さんは何かやんないのー?」

 酒臭い吐息をぷんぷんさせながら秋雲は不知火に腕をからませる。

「それでは不肖不知火、三番煎じですが歌います。それでは行きましょう、不知火恋歌」

「演歌かーいっ!」

 げらげら笑いながら黒潮が不知火の頭を叩く。本人はツッコミのつもりなのだろうが、不知火にはかなり痛く感じられた。

「…良いでしょう、黒潮、不知火への宣戦布告、受けて立ちます」

 ゆらりと立ちあがった不知火に、何がおかしいのか黒潮は笑いっぱなしで、不知火も痛みなど忘れて笑いはじめる。そのうち二人で肩組んで同期の桜を歌い始める始末だった。

「…もしかして、理性を保っているのは私だけかしら」

 陽炎の独り言を聞いている人は誰もいなかった。

 

 宴会が四時間ほど続いた後、陽炎は酒瓶を隠して代わりに一升瓶に水を詰めたものを持ってきた。案の定、彼女以外の酔っ払いたちはそのことに気づかずに水を飲み続ける。

 そのうちにそれなりに酔いも醒めてきたのか、段々と狂乱具合は収まり、気がつけばたくさんあったはずのごちそうもなくなっていたのでお開きの流れとなった。

 普段厨房を管理している黒潮を中心に片づけが始まる。あらかた片付け終わったところで陽炎は手を叩いた。

「お疲れ様。今日はこれでお開きね。また明日からもよろしくね」

 うーい、と力ない声が湧きあがる。皆疲れ切った顔をしていた。

「頭ががんがんします」

 不知火は頭を押さえながら言う。見るからにつらそうであった。

「部屋まで送っていこうか?」

「おぶってください」

「あんたねぇ…」

 さすがにおぶりはしなかったが、廊下の途中で寝られても困るという名分のもと、陽炎は不知火を送っていくことにした。

 不知火はふらふらとしているようだが、しかし自分の足で歩けるようだった。

「あんた飲み過ぎよ」

「すみません」

「あら、不知火になにか落ち度でも?って言わないんだ」

「さすがに不知火の落ち度です、これは」

「本土にいるときはこんなに飲むことなかったわね」

「むしろ二人で飲む時も潰す側でした」

「そうね。弱くなったの?」

「いえ…多分他に娯楽がないからです」

「なるほど」

 他に娯楽がないから、酒が目の前にあるとついたくさん飲んでしまうのだろう。陽炎にもその気持ちはよくわかった。

「あれ、じゃあなんで私はあんまり酔わなくなったのかしら」

「無意識のうちにセーブしてるんですよ。不知火を含め他の子はほっておけば前後不覚になるまで飲みますし、介抱してくれる人もいない。何より長姉です。責任が重いんですよ」

「あんたも責任を感じなさいよ、次姉でしょ」

「いえ、妹ですよ」

 不知火は小さく笑う。

「私はあなたの妹です。ずっとずぅっと」

「知ってる」

「それが誇りです」

「そっか」

 話している間に不知火の部屋の前についた。

「それじゃ」

「ベッドまで連れてってくれないんですか」

 非難がましい、それで子犬が甘えるような視線を向けられた陽炎は断り切れなかった。

「はいはい、お姫様」

 陽炎はドアを開き、不知火の手を引っ張ってベッドの前にまで連れて行く。

「制服は着替えちゃいなさいよ、それじゃおやすみ」

 そう言って部屋から出ようとする陽炎の袖を、引っ張った。

「行かないでください」

「…いつになく積極的じゃない」

「ダメですか…かげ」

 不知火はおびえた子猫のような視線を陽炎に向ける。

 陽炎はそれには答えなかったが、やさしい手つきで不知火を抱き寄せた。


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