346の玄関ホールでは今西部長をはじめ、他にも職員が集まっており。誰かの到着を待っているようであった。
「お出ましだね」
そう呟いた今西部長の視線の先には、自動ドアをくぐって入ってきた一人の女性が。
玄関ホールを見回す彼女の元に職員が近寄って行く。
「お疲れ様です。荷物を」
「ああ、ありがとう。……頼んでおいた資料は?」
「はい。ここに」
女性はキャリーケースを職員の一人に預け。また別の人から紙の束を受け取り、それを見ながら歩き始める。
「やあ、見違えたよ」
「ご無沙汰しています」
そのあとを今西部長は追いかけて歩きながら声をかけるが、女性はそちらに顔を向けないまま話していく。
「驚いたよ。帰国したその足で出社とは」
「時間を無駄にしたくはないので」
「会長に帰国の報告はいいのかい?」
「父にはメールでしてあります」
「翠くんには会ったかい?」
「彼とは一通り見て回った後に会う約束をしています」
それまでは素っ気ない返しであったが。
翠のことがちらりと話に出ただけで女性は足を止め、今西部長へと顔を向ける。
☆☆☆
「うわぁ! きたきた! ニューアルバムのサンプル!」
「魂の共鳴を封じ込めし匣か!」
「お姉ちゃんと一緒にき〜こおっと!」
シンデレラプロジェクトのメンバー全員が集まり。ダンボールの中からアルバムのサンプルを取り出し、思い思い話に花を咲かせていた。
「私、またたくさん買っちゃいます」
「へえ。どのくらい?」
「えっとですね……お父さんにお母さん、お婆ちゃんに自分の分。親戚や友達の分。えへへ。お母さんもたくさん買ってきちゃうんです。あと、お店に置いてあるのを見かけちゃうと気になって、ついつい買っちゃってまた増えちゃうんです」
「あ、それ私もやっちゃうな」
島村は渋谷の問いに笑みを浮かべながら楽しそうに指折り数えていく。
「嬉しいなぁ。私、みんなのソロ曲、早く聞いてみたい」
「上手く歌えてるか不安ですけど……」
「私たちのソロ曲もずっと前から翠さんが作ってたんだよねー」
「翠さんが遊びに連れて行ってくれたところ、とっても楽しかったよねー」
赤城と城ヶ崎妹がふと口にしたことに何人かピクリと肩を震わせて反応する。
だがそれに反応するものは誰もおらず、二人はそのまま楽しかったことを話していく。
「……アイドルフェスから、もう一ヶ月経つんだね」
「時が経つの、とっても早いです」
「仕事、少しずつ増えてきたよね」
「うん。凄いことです。本当に」
ホワイトボードに貼られた紙にはそれぞれのユニット、個人の仕事の予定が書き込まれている。
春に動きはじめたばかりの頃は空欄ばかりの紙に皆は焦ったりしていたが、ここまで来れたことに対し、今もパソコンで作業をしているプロデューサーに少なくない信頼があった。
それと同時にここまで成長する手助けをしてきてくれた翠についての悩みが少女たちの頭に引っかかっていた。
346に所属するアイドルたちでも一部の人だけが知る翠の抱える
ここ暫く会って話をしていないため、余計に。
「こちらです」
『おはようございます……』
「おはよう」
そんなことはおくびにも出すようなことはなく、話が続いていく中。
人が入ってきたため、少女たちは立ち上がって挨拶をするが、大きかった声は見知らぬ女性を見つけたあたりから小さくなっていった。
女性はそのようなこと気にせずに挨拶を返し、部屋を見回していく。
「…………誰?」
「…………さあ?」
『うぇ……』
部屋を見回していた女性がニュージェネの三人に向き直ったため、ヒソヒソと話をしていた島村と本田の口から変な声が漏れる。
「ニュージェネレーションズ。島村卯月さん、本田未央さん、渋谷凛さん……だったわね」
『は、はい!』
「仕事、頑張りなさい」
『はい!』
突如、女性に名前を呼ばれた三人は少しどもりながらも返事をする。
その後に続けられたなんとも言えない激励に微妙な雰囲気になったところでタイミングが良いのか悪いのか、ひと段落ついた武内Pが部屋から出てくる。
「それじゃあ、改めて紹介しよう。こちら、美城常務。ニューヨークの関連会社から本日帰国された。来週からわが社のアイドル事業部の統括重役として赴任される」
『よろしくお願いします!』
全員が揃ったのを確認し、今西部長が少女たちの気になっていた女性についての紹介がされる。
「常務。彼がこのプロダクションを担当している」
「君の資料は読ませてもらった。それと翠からも話は聞いている。優秀な人材は大歓迎だ。期待している」
「よろしくお願いします」
挨拶を終えた武内Pに美城常務は近づいていくと手を胸元に伸ばし、緩んだネクタイをキチッと締め直す。
「クライアントが最初に会うのはアイドルではなく君だ。身だしなみには細心の注意を払うように」
「はい」
「レッスン室と衣装室も見ておきたいんだが」
「はい。ご案内します」
この部屋でやる事を終えた美城常務はさっさと次の場所へと行ってしまった。
「かっこいい方ですね」
「出来る女って感じだね」
「少し怖かったです……」
少女たちは美城常務が出て行ったドアから視線を外し、どのように感じたか口にしていた。
武内Pはまだ仕事が残っているため、一緒に部屋を出て行ってこの場にはいない。
「……なんだか嫌な予感がする」
「嫌な予感って?」
「ごめんなさい。具体的には分からないの。ただ、なんとなくそう思っただけで……」
ふと、誰にも聞こえないように呟いた新田だったが、双葉にだけは聞こえていたようで。
だが、彼女自身も何故そう感じたのか分からないのは本当であるため、掘り下げられても首を横に振るしかなかった。
「……今の女の人のこと? それとも翠さん?」
「……たぶん、どっちも」
「……杏も同じこと思ってた。上手く言えないけど、翠さんとあの人で何かありそうな気がするんだよね」
このまま考えていても答えが出るわけないと分かっているため、二人は突っ込まれる前に話を周りに合わせていく。
それでも鋭い子は気付いているが、なんとなく話している内容を察し、この場で引っ掻き回すようなことは抑えていた。
当然、後で他に人がいない時を狙って聞くことは忘れないが。
☆☆☆
「久しぶり。帰国してすぐに仕事って疲れない?」
「そのようなこと、改めて聞かなくても君のことだから分かっているのだろう?」
「まあ、現にこうしているわけだし」
一通り見て回り、美城常務が自身に割り当てられた作業部屋へ入ると、そこにはソファーに寝転んで棒付き飴を舐めている翠の姿があった。
今更そのようなことに驚くことはなく、その時間さえも惜しいとばかりに話を進めていく。
「やはり君の口から直接聞きたい。どう思う?」
「別にどうとでも。やり方なんて人の数だけ存在するものだし。あれこれ口出すほどでもないかな、と」
「なら、このまま進めてしまっても?」
「良いんじゃない? ってか、お前さんの方が俺より上なんだから。決定権は俺にないよ?」
「……君にはすでにどうなるのか見えているのだな」
「まあ、それなりに彼女たちと接してきたわけだし。……困ったら相談くらいはのるさ。キチンとした返事は期待しない方がいいと思うけど」
用は済んだと、翠は怠そうに立ち上がって部屋から出て行こうとするが、ドアに手をかけたところで美城常務はその背に声をかける。
「」
「」
美城常務はしばらくの間、翠が出て行った扉を見続けていた。
☆☆☆
仕事を終えた輿水が346へ戻ってきた時、久しく顔を合わせていなかった翠の後ろ姿を見つけた。
からかってくるのは分かっているため、見つかる前に少しでもこれまでの仕返しができたらとバレないように後ろから近寄っていく。
「す…………」
いざ驚かそうとした輿水だが、タイミング悪く曲がり角で翠は曲がってしまった。
その際。後ろからでは見えなかった翠の顔が揺れる横髪の向こうに見え。
「うぉっ!? …………幸子。ビビったし痛かったんだが……」
--気が付けば輿水は翠の手を掴んでいた。
いきなり手を引っ張られて痛めた部分をさする翠だが、その手は未だ掴まれたままで。
「どしたん?」
「翠さんは!」
俯いたまま顔が見えない姿に何かを察して声をかけるが、輿水は聞こえてないとばかりに大きな声で翠の名前を呼ぶ。
「いつもからかってきますし、何考えてるか分からない時もあります! 僕を含めてみんなが困るようなことだってやります! それでも! みんな翠さんが大好きで! 尊敬も感謝もしてるんです! 信じてますから大丈夫です! 大丈夫なんです!」
恐らくは本人も何を言っているのか分かっていないだろう。
ただただ、先ほど見た翠の横顔から何かを言わなければという気持ちだけが先走っていた。
「だから、いなくなったりしないで下さい……」
「いや……いなくなるってどゆこと?」
「……なんとなく、そんな気がして」
「何を言ってんのかよく分からんが……俺はただ、そろそろ始まってしまうであろう仕事が嫌で嫌で、どうサボろうか考えてただけなんだが……」
「……………………へっ?」
そこでようやく顔を上げた輿水の目には涙があるのだが、そんな事よりも先ほど翠が言ったことが気になっていた。
「仕事……?」
「うむ。そろそろ約束の期限が切れるから、せっかくの長期休暇もあと少しで終わりなことに対してしんみりと……」
「え……じゃあ、完全に僕の勘違い……?」
「何かよく分からないけど、たぶんそう」
「あぅあぅ……」
恥ずかしさからか、輿水は目をぐるぐるとさせながら変な声を口から漏らしていた。
それを見かねてかゴソゴソと翠はどこからか棒付き飴を取り出し、輿水へと差し出す。
「飴ちゃん食べて落ち着き」
「ぅぅぅ……」
少しは落ち着いたようであるが、まだ顔は赤く。元の原因は翠だとばかりに睨みつけるが、怖さなど全くと言っていいほどなかった。
飴を受け取るために手を伸ばした輿水だが、いい仕返しを思いついたとばかりにその手は差し出された物を通り過ぎ、翠が咥えている飴の棒を掴む。
既にそれは半分ほどの大きさになっていたが、輿水は躊躇いなくそれを口に含み、翠から離れていく。
「翠さんのばーか!」
最後に一言残し、去っていく輿水を見て。
--翠は全力で走り、その後を追いかけた。
「うぎゃぁぁぁ!? なんで追いかけてくるんですか!?」
「そんなもの分かってるだろうがっ!」
二人の追いかけっこはいつも通り、千川が笑みを浮かべながら説教するまで続いた。
騒いだ声は346に響き渡り。美城常務、翠について悩んでいた少女たちはなんとも言えない表情をしていたという。
幸子は結構いいポジションにいます
翠さんのことに気づいていながらも知らないわけですから、知ってる子より踏み込めるんですよね。本人は無自覚らしいですけど
「」の中身は既に考えてます