怠け癖の王子はシンデレラたちに光を灯す   作:不思議ちゃん

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67話

 無事にライブも終わり、喜びを分かち合う皆の輪からこっそり外れた翠。そのまま人気のないところへバレないように移動する。

 

 そして段差に腰掛け、上半身を地面に倒す。

 熱があるのに3曲連続で踊ったからだろう。下がるどころか当然、熱は上がっているため呼吸は荒く、意識もどこかはっきりしていないようにも見えた。

 

「あー、しんどい。マジしんどい。毎度毎度こんなにしんどいとやってられんなー」

 

 そう愚痴をこぼしてから持って来ていた水の入ったペットボトルの蓋を開け、頭にかけ始める。

 

 夏とはいえ日が沈み、気温はそこそこ下がっている。それを除いても熱があるのに頭から水をかぶるなど自殺行為以外の何者でもないうえ、翠もそれを分かっているはずなのだが……空になったペットボトルの蓋を閉めて脇に置き、濡れたままその場を動こうとはしない。

 

「……しんどい。しんどい。……だけどあの頃(・・・)に比べたらただ熱があって怠いだけ。そう、それだけの事。ああ、寒い。寂しい。……いや、寂しくなんてない。風邪のせい。全然寂しくなんてない。病気の、病気のせい。俺は1人じゃない。ひとりじゃ……ない……」

 

 独り言を漏らしている翠だが、段々と情緒が不安定になっていく。

 体を横に向け、膝を抱えて丸くなる体勢になってからすぐ。すすり泣く音が聞こえてくる。

 

「嫌だ……もう、あんなのは……。誰か……寂しい……。誰か……」

 

 近くの林から木の枝が折れた音が聞こえてくる。

 ピタリと泣くのをやめた翠は涙を手で拭い、体を起こして音がした方に目を向ける。

 

「…………誰?」

 

 その声は冷たく、顔からは表情が抜け落ち。張り詰めた空気が場を支配していた。

 

 

 しばらくしても林の中にいるであろう人物は出てこないため。近づこうと翠が立ち上がったところで覗き見をしていた人物は木の陰から姿を見せる。

 

「…………楓か」

「…………はい」

 

 知らない人であるよりましか、と。

 高垣に聞こえないよう小さく呟いた翠。自身でも気づかないうちに先ほどまでの張り詰めた雰囲気は無くなり、嬉しそうな表情をしている。

 

 今まで誰にも見せたことのない、心からの喜び。そして安堵。

 短くない時間を翠と過ごしてきた高垣は当然、その差異に気づき。

 色々な思いがこみ上げてきたがそれを胸の内にとどめ。先ほどまでの姿を思い返し、翠へと近づいていく。

 

「そんで、どこから見て……んぷっ」

 

 どこから見られ、聞かれていたかを確認しようとしていた翠だが、話している途中で高垣に抱きしめられ。さえぎられてしまう。

 

「今、俺汚れてるから。まだ衣装のまんまだからダメだって」

「大丈夫ですよ、翠さん。私は誰にも話しませんから」

 

 翠の言う通り、地面に寝転がったのに加えて水を被っているのである。そのせいで余計に汚れが付着しており、ステージ衣装のまま抱き着く高垣に汚れが移ってしまう。

 そう言って高垣から離れようとする翠だが、逃がす気は無いとばかりに高垣はさらに強く抱きしめ、翠の後頭部に手を当てて自身の胸に押し付ける。

 

「翠さんのことですから、誰にも先ほどのことを話していないんですよね」

「…………」

 

 そのセリフに、翠は動きを止める。

 全部ではないにしても、見られたくないところを見られていることが半ば確定しているため。どう話を持っていくか考え始める。

 

「私や……私だけでなく、他の人もですけど。何となく。翠さんが自分のことを話したがらないことに気づいています。それなのに私たちが深く悩んでため込んでいるモノを一緒に解決してくれたりと、私も含めてみんな翠さんに頼り切っていました」

 

 翠が自身のことについて話したがらないことに皆が薄々気づいていたと聞いたところで翠は体を震わせたが、何も言うことはなく。高垣と目を合わせることなく話を聞いている。

 

「いつかは頼ってくれるだろうと、そう思って私たちは翠さんから話してくれるのを待っていました。けれど、そんな気配は微塵もなく。レッスンやライブ、近いものですとシンデレラプロジェクトに今回のライブ。……翠さんの負担は増えていくだけでした」

 

 そこで話すのを止めた高垣は優しく、翠の頭を撫で始める。

 

「前に一度だけ見たことがあります。こうやって、幸子ちゃんに甘えている翠さんの姿を。幸子ちゃんから翠さんの顔は見えてないと思いますけど、同じように見たことのない表情でした。……本当に、心から望んでいる。そんな表情です」

「…………」

「きっと今を逃したら次がないと思うので、ずるい言い方をしますね。翠さん1人で抱え込まないでください。解決できると断言はできませんが、誰かに話すだけでも変わると思います。踏み出す一歩は怖いかもしれませんけど、翠さんの力に、支えになりたいんです」

「…………」

 

 翠の返事は言葉でなく態度で返ってきた。

 押された高垣は一歩後ろに下がり。力の緩んだすきに翠は手を伸ばしてもギリギリ届かない位置まで離れてしまう。

 

「翠さん……」

 

 俯き、前髪によって翠の表情は見えず。

 高垣が手を伸ばして一歩足を踏み出そうとしたとき。俯いていた翠が顔をあげ、それを見て動きを止めてしまう。

 

「無理、なんだよ……」

 

 小さな声であったが、周りは静まり返っていたため。高垣の耳にまで届く。

 

「さっきのも見られちゃったし、話してあげるよ。望み通り」

 

 同じ笑顔を浮かべているはずなのに、今まで高垣が見てきた明るく、楽しげなそれとはまったく違い。

 いま浮かべている笑顔は。

 

 

 

 ――悲しげで。

 

 

 

 ――哀しげで。

 

 

 

 全てを否定し、拒絶するような雰囲気を纏っていた。

 

「……俺は、いままで誰一人として。心から信頼、信用なんてしたことはない。だから誰にも話してこなかった。誰にも気を許せないから」

「……それじゃあ、今まで同じ時間を過ごして楽しかったと言っていたのも嘘なんですか?」

「嘘じゃないが、本当でもない。確かに、楽しいとは思っている。けど、心のどこかではそう思っていない自分もいる」

「楽しいと、思っていてくれたのならそれで十分です。翠さんとの今までが否定されなかったのですから」

 

 嬉しそうに微笑んだ高垣は止めていた足を動かし。翠に近づいて再び抱きしめようと手を伸ばす。

 

「俺はさ」

 

 しかし、その手は翠に払われてまた距離を置かれる。

 

「親に裏切られたんだよ。本来なら心を許せるはずの親に」

「…………っ」

 

 そう言いながらおもむろに翠はシャツの前をめくり。誰にも見せようとしてこなかったものを初めて自分から晒す。

 これまでも、そしてこれからもそこに刻まれているであろうモノを見て。高垣は息をのむ。

 

「背が低いのも前は遺伝子だなんて説明したけど、今なら想像つくよね? 満足に食べさせてもらえず、成長するだけの栄養がなかったからだよ」

 

 翠もずっと見せていたいものではないため、シャツを元に戻し。高垣に目を向ける。

 

「血のつながりが一切ない他人をどうして心から気を許すことができると? 理解できたのならこれ以上深くは――」

「馬鹿にしないでください」

「…………?」

 

 もう、元の関係には戻れないだろうが、また深くかかわってこないだろうと考えていた翠だが、珍しく……いや、翠も初めて見るであろう。高垣が怒っている。

 眉を吊り上げ、力強く翠を睨みつけ。何かをこらえるように下唇を強く噛んでいた。

 

「私をっ……! そんな人と一緒にしないでくださいっ!」

 

 半ば叫ぶように、声を大にしてそう口にする。

 ストッパーが外れたのか、高垣の目からポロポロと涙がこぼれ落ちていく。

 

「世の中全員が翠さんの敵じゃないです! 今の話を聞いて態度を変える人だっているでしょうけど! 私はっ! 翠さんと一緒に笑いたいんです! 泣きたいんです! 一人じゃなくて一緒じゃなきゃ意味がないんですっ!」

 

 そして再度、翠に近づいて抱き着く。

 反射なのか、払おうとしていた翠だが、高垣の心からの声を感じて迷いが出たのかその動きは遅く。高垣に抱きしめられる。

 その力はさっきまでのよりも強く。絶対に離さないという意志を感じるほどに。

 

「寂しいこと、言わないでください。私たちはみんな、翠さんのことが好きなんです。とても大切なんです。1人で悩んで抱え込まないでください。翠さんがそう教えてくれたんですよ?」

「そりゃそうだけどさ、やっぱり信じられない」

 

 離れようとする翠だが、そうはさせないと高垣も抱きしめた手を離さない。

 

「いきなり、はい分かりましたと信じてくれると私も思っていません。少しずつ、少しずつでいいんです。人それぞれに合ったペースがあるって、これも翠さんが言ったんですから。焦らずにいきましょう? 私を、みんなを受け入れてくれた時。また違った景色が見えると思いますよ」

「ううぅ……」

 

 翠の中で迷いは大きくなっていく。

 本当に信じていいのか。裏切られることはないか。

 

「私は絶対に翠さんを裏切りません。絶対に、です」

「…………」

 

 普段の翠であればもっと深く悩んでいたであろうが、今は熱があるのである。加えて先ほど水を浴びたこともあり、いつもの半分も頭が働いていないであろう。

 だからこそ、今の会話は偽ったものでなく、紛れも無い翠の本心であったと言える。

 

 最後の押しが効いたのか、翠の手が徐々に高垣の腰へと伸び。ギュッと、抱きしめる。

 

「…………なあ、楓」

「はい、なんですか?」

「本当に、信じていいんだな?」

「はい」

「もう1つ……」

「どうしました?」

 

 翠から抱きしめられ、嬉しくなった高垣のテンションは高くなっている。

 今ならどんな願いだろうと聞く心持ちである。

 

「……熱下がったら、覚悟しておけよ」

「……へっ?」

「…………スー、スー」

 

 上に顔を向けた翠の顔は赤く、とても恥ずかしそうな表情をしていた。

 それを隠すように精一杯強がってキッと睨みつけていたが、子どもが背伸びして大人ぶっているように見え。ただ可愛いだけのものであったが。

 翠の口から出たセリフに、高垣はいきなりの事でドキッとするが、その直後に翠が寝てしまったため慌てて体を支え。服をキュッと握りながらスヤスヤと眠る翠を見て微笑む。

 

 すでに先ほど言われたことをサッパリと忘れた高垣は翠を起こさないように気を使いながらお姫様抱っこをして皆のところへと戻っていく。

 

「楓。翠さんの調子はどう?」

「頭から水かぶったり地面に寝転がったりとしてたので、一度起きてもらってシャワー浴びて貰わないと」

 

 着替えてはいるが誰1人として帰っている人はおらず。集まって話をしていたが、高垣に気がついて声をかけようとするが、抱えられて眠る翠を見て声を抑える。

 CPのメンバーはステージのへりに座って今回のライブについて皆で話しているため、ここにはいない。

 

 

 

 誰にもバレていないだろうと思っていた翠の行動は皆気づいており、代表みたいな感じで高垣が後ろをついていったのである。

 本来なら1人ついていっただけでもバレているが、熱によってあたりをキョロキョロと見回しているがそれだけであり、高垣が気づかれることはなかった。

 

「それにしても可愛らしく寝てるわね。握って離さないじゃない」

「いつも事務所で寝ている翠さんと、何か違いませんか?」

「そうですね。なんだかいつもより表情が柔らかい気がします」

 

 ライブに参加したアイドル全員(CPは除く)が交代しながら翠の寝顔を見て出た素直な感想である。

 それだけ彼女たちにとって翠の存在がどれだけなのか、分かるだろう。

 

「……みんなは翠さんを裏切ったり、しないわよね?」

 

 唐突な質問に皆はどうしたのかと高垣を見るが、真面目な雰囲気に内心驚きつつも心から思ってることを伝える。

 

「何いってるのよ。そんなの当たり前じゃない」

「そうですそうです。そんなことありえません」

「ふふっ。ごめんなさい。なんだか不安になっちゃって」

「翠さんと何か話したのね?」

「ええ……翠さんが今まで話そうとしてこなかったもの、聞かせてもらったわ」

 

 それを聞いて皆は口を閉じ、高垣に目を向ける。

 

「私からは何も話せないけれど…………私たちが裏切らない限り、きっと翠さんから話してくれる時がくるわ」

 

 皆の目を見返しながら話した高垣が翠に視線を移すのに合わせて皆も翠へと目を向ける。

 

「あのぅ……」

「まゆちゃん、どうかした?」

「翠さん、なんだが震えてませんか?」

『……………………』

 

 先ほどまでは落ち着いて寝ていた翠だったが、いまは寒そうに体を震わせ、辛そうな表情になっている。

 

「翠さん! お、起きてください!」

「すみません! 誰か綺麗なタオルをたくさん持ってきてください!」

「飲み物とってきます!」

「シャワーの確認を!」

「翠さんの着替え!」

 

 一瞬の静けさの後、皆の理解が追いついて途端に慌ただしくなる。

 

 ステージの方にいたCPの面々と武内Pにまで騒がしいのは聞こえていたが、何が起こっているのか分からないので皆で顔を見合わせて首を傾げていた。


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