「んむんむ、二人のデビューも上手くいってよかったね」
「そうだけどー、こんなノンビリしてていいの?」
「お、働くのが嫌だと言っていた杏がそんな事を言うなんて」
翠はいま、カフェで双葉と一緒にダラダラとしている。
ウサミンはこの間いじられなかったことから強気に出ていたが、あの時だけであったことを身を以て理解し、奥へと引っ込んでいった。
話題はデビューしたアスタリスクの二人、前川と多田についてである。
「なんか、最近はジッとしてると違和感を覚える気がするんだけど……レッスンレッスンだったからだよね」
「はてさて、なんのことやら」
にしし、と笑いながら答える翠は隠す気がないようで。
双葉はジト目を向けながらクッキーを口へと放る。
「今日は仕事、ないん?」
「休みだったんだけど、なんでかここに来ちゃったんだよねー」
「なら、レッスンしてく?」
「…………い、いや、いいよ」
間があることに気づかないわけがなく。
ニヤニヤした表情をした翠が双葉を見ていると、恥ずかしいのか顔をそらしてクッキーを次々と口に入れていく。
「な、なにさ……」
「いんやー。べっつにー」
「…………そ、そういや他のみんなは?」
「さあ?」
「さあ、って……」
「俺だっていつもみんなの行動を把握しているわけじゃないさ。そんなんだったらストーカーやん? 現に、杏がここに来るなんて知らなかったし」
クッキーを齧りながら、翠は目を細めてそう呟く。
「まあ、仕事とか用事とかでしょ。最近はみんな、風邪とかひかないでしょ?」
「まあ……。あ、あと疲れはするんだけど疲労は残らないのって翠さんのレッスンが関係したりする?」
「まさか、そんなわけ。俺は何者さ」
なにやらツボに入ったらしく、腹を抱えて笑い始める翠。
その様子から翠は知らないことが分かったが、双葉やそのほか翠のレッスンを受ける人たちはこのレッスンによって身体が改造されていると考えている。
「あれ、翠さんじゃないですか」
「おお、幸子。暇なら一緒に菓子食べる?」
「可愛い僕を見ながら食べるお菓子はまた一段と美味ですからね! そのことを理解している翠さんはさすがです!」
通りがかった輿水が翠に気づき、声に反応した翠は輿水に座るよう勧める。
「あ、杏ちゃんも一緒だったんですね」
「ずっとお菓子つまみながら駄弁ってた」
「それはそれは楽しそうですね。可愛い僕が来ましたからもっと楽しくなりますよ!」
ふふんとドヤ顔をする輿水を二人はどこか冷めた様子で見ながらクッキーを齧る。
「あ、幸子ちゃんに聞きたいんだけどさ」
「はいはい、僕に答えられることならなんでもいいですよ」
「最近、翠さんのレッスンを受けないと変な感じがするんだけど、幸子ちゃんや他の人たちもそうだったりするの?」
「ふむふむ……それは他の皆さんも?」
「たぶん、そうだと思う。そんな感じのこと言ってたから」
「なるほどなるほど。皆さんもついにここまで来ましたか」
「なあ、なんでさっきから二回繰り返すん? それと俺のレッスンってそんなにおかしいのか……?」
堪えきれずに翠が疑問をぶつけるが、輿水はそれを無視し、双葉の疑問に答える。
「この346に所属するアイドルたちは皆、翠さんのレッスンを受けて来ました。そしてそれに段階をつけたのです」
「なあ、なんでそんな偉そうに話すん? ん?」
再び翠が口を挟むも、輿水は無視して話を続ける。
「最初は翠さんのレッスンに慣れるほどの体力がつく、レッスンをしないと違和感を感じることです」
「今の杏たちだね」
「続いて第二段階ですが、アイドル全員で歌う全体曲があるのですが、その歌詞と振り付けを完璧に覚えることです」
「え、そうなん……?」
驚きの声を翠が漏らすが、二人は反応せず。輿水は続きを話すため、口を開く。
「第三段階になりますが、他のアイドルのソロ曲やユニット曲の歌詞と振り付けを完璧に覚えることです」
「…………ぇ?」
「ちなみにですが、この第三段階ができているのはまゆちゃん、志希ちゃん、フレちゃん、楓さん、文香さん、奏さん、周子ちゃん、美嘉ちゃん、愛梨ちゃん、早苗さん、夏樹さんの十一人ですかね。……たぶん、忘れてる人はいないはずです」
「幸子ちゃんも……?」
「ぽ、僕はまだいくつか覚えきれてないですが! 近いうちに覚えきってみせますよ!」
「…………」
胸を張りながら元気よくそう宣言する。
話を聞いてくれないことに少し不機嫌になった翠は口を開くことなくクッキーを齧るながら耳を傾けていた。
「コホン。それで最後の段階ですが、ここでようやく! 翠さんの曲の歌詞と振り付けを覚えることができるのです!」
「ほぉ〜……」
思わずと言った形で双葉が拍手をする。
「……なんでそんな段階があるん?」
「やっぱり、翠さんの歌はそれ程までに高いものであるからですよ!」
ようやく翠の疑問に答えてくれる輿水であったが、翠の反応は微妙であった。
「別にそこまでせんでも……頼まれたらいくらでも教えるのに」
「それだとダメなんですよ! 翠さんはもっと自分の価値を理解してください!」
「んなこと言われても……」
詰め寄られながらそう言われるが、翠としては何故そんなことになってるのか疑問でしかなかった。
「闇に飲まれよ! ……あ、翠さん。お疲れ様です」
「にょっわー! お疲れ様だにぃ!」
「お疲れさまです、みなさん」
「お疲れ様です」
そこへ神崎、諸星、アナスタシア、新田の四人がやってくる。
それぞれが元気よく挨拶をして近くの席へと座り、それぞれ飲み物などを頼んでいく。
「みんなお疲れ様。仕事とか?」
「そうだにぃ!」
「ふーん……あ、聞きたいことがあるんだけどさ」
翠は先ほど聞いた話を四人にも聞かせる。
「ってことなんだけどさ、大袈裟すぎない?」
「何言ってるんですか! それぐらいするべきです!」
「お、おう……」
神崎が勢いよく立ち上がり、標準語でまくしたてたために翠も気迫に押され、思わず首を縦に降る。
「そうだにぃ。翠さんはとぉーっても凄いんだから、これぐらいじゃないといけないにぃ」
「そう、ですね。翠さんはもう少し自分のことを考えた方がいいと思います」
諸星とアナスタシアにもそう言われ、翠は最後に残る新田は常識人だと願いを込めた目を向ける。
「翠さん」
「あい」
「自身のすごさを自覚してほしいです」
「…………あい」
最後の希望さえも砕かれた翠はヤケクソとばかりにクッキーを頬張る。
その姿は年相応に見えるが、ライブではまるで同一人物であるのかと疑うぐらいに様子や雰囲気は変わり、人を惹きつけることを皆は知っているため。
六人は翠を微笑ましげに見る。
「…………なにさ」
それに気づいた翠は少し眉を寄せるが、六人の微笑みが変わることはなかった。
「あら、なんの話をしているのかしら?」
「話に夢中で…………話に夢中で…………」
「楓、でないなら無理せんでもええのに」
仕事終わりか、高垣と川島がやってくる。
「ああ、お前さんらなら分かるか」
イスを持ってきて翠の近くに座った二人はクッキーを勝手につまみながら、翠の話に耳を傾ける。
「ああ、そのことですか」
「私もあと少しで全部覚えられるのよね」
「……当たり前のことですか」
そうだと肯定の言葉が返ってくるのは予想していたのか、先ほどよりも少ないダメージで済んだ翠。
しかし、続けられたセリフに耳を疑う。
「でも、これはあくまで表向きなのよね」
「裏の段階もあって、その第一段階が翠さんの一人練習を覗き見ることよ」
「…………ん?」
「か、楓さん! 瑞樹さん! 裏の話は翠さんがいるとこではマズイですって! それにそもそも裏の話はしたら裏の意味がないですよ!」
「あ、あら……」
「やらかしちゃったわね……」
やらかしたことを理解した三人は翠に目を向けないようにしつつ、ゆっくりと席を離れようとする。
「ちょっと、落ち着いて話をしようか」
しかし、翠にそう言われたら逆らえるはずもなく。
またゆっくりと席に着き、気を紛らわせるためにクッキーを食べる。
「んで、何を覗き見るって?」
「いや、そのぉ……」
「あ、あはは……」
「ふ、ふふふ……」
テーブルを指でコン、コン、と。一定のリズムで叩きながら質問をする翠から視線を逸らしながら。三人は誤魔化すように笑みを浮かべる。
「奈緒もこのこと知ってるのかな?」
「そ、そんなことは」
「知ってるのか」
「…………」
翠の前で嘘がバレないはずもなく、輿水は両手で口を抑えるようにしてもう答えないと体で表現する。
「瑞樹ちゃんも覗いてたのかなぁ?」
「翠さんの一人レッスンなんて知らないわよ」
「俺が一人レッスンをやってるって、よく知ってるね?」
「…………」
誘導に引っかかったと理解した川島は、先ほどの輿水と同じように両手で口を抑え、これ以上ボロは出さないと意思表示をする。
「楓」
「はい」
「今度、美味い酒を」
「私は翠さんの一人レッスンを覗きました! 瑞樹ちゃんと幸子ちゃんの他にも何人か見てます!」
「「楓(さん)の裏切り者っ!?」」
エサにつられた高垣が普通に全てを話したため、思わず輿水と川島はツッコミを入れる。
「はぁ……もう見られたもんは仕方ないかぁ……。シンデレラプロジェクトの子たちも見たいなら俺にバレないように見な。覗き見の仕方は先輩アイドルの方々が教えてくれるだろうから」
ジト目を向けられ、三人はサッと目を逸らす。
「もう、諦めたさ。杏たち数人にも色々とバレたしな」
『…………うっ』
心当たりがある面々は翠から目を逸らす。
すると翠と目を合わせていられるものが誰一人としていなくなっていた。
「お前ら、俺に後ろめたいことやりすぎやろ……。誰一人として俺と目を合わせられないってどゆことよ」
誰も翠と目を合わせず、口も開こうとしないため静かとなった中。
翠がクッキーを食べる音だけが虚しく響いていた。