「むむむ……奈緒たちが帰ってくるのは明日か、明後日か……」
カフェまで運んでもらった翠は、甘ったるいコーヒーを飲みながら眉をしかめ、これからどうするかなぁ……と悩ましげな声を上げる。
「……………………」
そのまま特にいい案が思いつくわけでもなくダラダラと時間を潰し、二杯目も飲み終えておかわりの三杯目が届いた時。
「…………サイフ、ねぇじゃん」
ふと思い出したことにため息をつく。
ポケットから出てくるものは変わらず、『時空が歪んで翠のサイフが現れた!』……なんてこともあるわけなく。
「どうすっかなぁ……」
先ほどとは違う意味を込めて呟き、三杯目のコーヒーへと手を伸ばす。
「…………何してるんですか?」
「お? ありすじゃん。そっちこそ何してるん?」
カップをソーサーへと戻した時、声をかけられたために翠がそちらへと顔を向けると、本を大事そうに抱えて持っている橘が立っていた。
とりあえずはと事情を説明する前に対面へと座らせる。
「それで何をしていたんですか? 奈緒さんが近くにいないみたいですけど」
「いやさ、俺、京都に行ってたじゃん?」
「じゃん? と聞かれましても……初めて聞きましたよ」
「そりゃあ 伝えてないし、知らなくて当たり前だろ」
「…………」
ニヤニヤと笑いながらからかってくる翠に、橘は内心でイラつきながらも表には出さないよう落ち着くために深呼吸をする。
「……空気を吸っても無い胸は膨らまんよ?」
「これから成長期です!」
「…………ぶふっ」
しかし、ボソッと呟かれたことへ食いかかるように反応してしまったため、結局は翠のペースとなっていた。
笑われてからそのことに気づき、『コホン』と咳払いをひとつしてイスに座りなおす。
「それで、翠さんは何をしていたんですか?」
「んーっと、そうだな……ありすと初めて会った時のことを思い返していたかな」
「あ、あのことは忘れてください!」
そうだなと言っている時点でいま考えたことは丸わかりであるはずなのだが、それでも無視できないほどのことなのだろうか。顔を真っ赤にさせて声を大にする。
「いやいやいや、忘れるなんて無理だから。またあの時みたいな態度で接してくれていいんよ? むしろ、そう接して欲しいという願望がある」
「む、無理ですよ……」
「なら、誰にもバレない様に変装してくるかな」
「やめて下さい」
マジなトーンになってしまったので、翠は残念そうにしながらも大人しく引き下がるーー
「面白そうだし、来週あたりにでもやってみよっかな」
「…………」
なんてことはなく。面白い遊びを見つけたとばかりにニコニコと笑みを浮かべ、その様子を見た橘は翠がそのような遊びを考え出すキッカケを作ってしまったと項垂れている。
「あ、たっちゃん」
また、橘をからかうために口を開いた翠だったが、視線の先に武内Pを見つけたために意識がそちらへと向かい、口から出た言葉も呼びかけるものであった。
「翠さん。それに橘さんも。どうかされましたか?」
珍しい組み合わせであろうか。二人でいるところを見て少し驚いた表情をしたが、すぐに気を取り直して何の用かと尋ねる。
「サイフ、奈緒が持ったまんまで京都から戻って来ちゃったんだよね。お金、立て替えといてくれない?」
「……はあ。構いませんが……」
「…………」
首へ手を当て、困ったような声を出しながら伝票を受け取る武内P。千川とのやりとりがあった時、翠が予想していた通りの流れであった。
……側では橘が呆れた目を翠へと向けていたりするが。
「ありがと、たっちゃん」
「いえ、翠さんにはたくさん助けられていただいてますので」
「……その分、迷惑もたくさんかけてますけどね」
「ありす、結構強い毒吐くね……」
言葉を交わしながら翠が武内Pへと伝票を手渡すのを見て、さらに冷たくなった視線と毒が加えられた。
『出会った時はこうじゃなかったのになぁ……いつからこうなったかなぁ……』とボヤきながらもカップに残っていたコーヒーを飲み干し、真面目な表情を作って立ち上がる。
「さて、俺は奈緒が帰ってくるまでどこで寝泊りをすればいいかの意見を聞こう」
「346でいいんじゃないですか?」
思っていた以上にどうでもいいことであったのか、橘はおざなりに答えてどうでも良さげな雰囲気を出し始める。
「くっ……可愛くない奴め。またお目々キラキラさせてやろか」
「そ、そのことはいま関係ないじゃないですか!?」
この場に用はないと席を立とうとした橘だが、再び聞き捨てならないことを言われたために顔を真っ赤にさせて翠へと向く。
当然、視線の先には顔全体をニヤニヤとさせた翠の姿があり、橘は悔しげな表情をする。
「……あの、翠さん。少し酔っていますか?」
「んー……否定できんな。昨日の記憶もおぼろげで何かとんでもないこと言った気がするんだけど、覚えてないし…………やらかしてないといいけど」
ふと、違和感のようなものを感じた武内Pが尋ねると、翠は首を『こてん』と可愛らしく倒した後に首を横に振り、最後に二人には聞こえないよう小さい声で何かを呟く。
その様子から武内Pはいまの翠の状態を、少し酔いがあるけど意識はハッキリしてるが思考が緩んでいるとあたりをつける。
「奈緒さんが戻られるまで私の家に泊まりますか?」
「おう、行く」
武内Pの提案を、半ばセリフに被るほど食い気味に即答する翠。
「わ、分かりました。私はまだ仕事があるので、それまでどこかで時間をつぶしていてください」
少し面食らいつつも、武内Pは終わったら連絡すると告げて仕事へと戻っていった。
「ありすはもう、仕事終わりか?」
「はい。帰ろうとした時に翠さんを見かけたので」
「なるほどね〜。これ以上は外も暗くなるし、お疲れ」
「お疲れ様です」
頭を下げて帰っていく橘を見送った翠は一呼吸置き、『よっこらせ』と立ち上がる。
だが、特に行き先を決めてなかった翠はそこで動きを止め、どうするかし考える。
「…………まだ、いるかな?」
そう呟いて翠が足を向けたのは食堂であった。
☆☆☆
「いたいた」
「あ! 翠さん!」
食堂にはCPのメンバー全員が揃っており、前に話していた反省会のようなものを行っていた。
ただ、何か違和感を覚えた翠は首を傾げ、一通り眺めてから納得したように頷く。
「なるほどね。なら、俺はこっち側かな」
翠が近づいて行くとわざわざ一つずれて席を空けてくれたためにそこへと座り、会話へと加わる。
そこでダンスや歌に関してのアドバイスをしたり、雑談を交わす。
翠とは遠い位置にいる面子……渋谷、新田、アナスタシア、双葉、諸星、前川、神崎の七人は楽しそうにしている彼を見ては胸の内にもどかしさを抱く。
前川と神崎の二人は服の下を見たため。他の五人は、メンバーでも特に人を見る目に長けているからこそ翠の言動に感じた微かな差異。
それぞれ翠が闇を抱えていると分かっているが、踏み込もうとしても躱されるためにどれほどのものかまで判断できずにいた。
残りのメンバーも翠には何かあると感じているものの、そこまでであった。
今日あったことを含めて情報を共有しようとしたためにこのような座席配置になり、結果として翠にすぐバレてしまった。
「明日もみんなのレッスンしたいとか思ってたけど、他に用事あるから残念だね」
「最近、翠さんの練習メニューにも慣れてきたからすごく楽しい!」
「なら、今度やるときは疲労困憊になるまでにしよっか」
「えええぇ! それは勘弁!」
そこで翠の携帯に着信が入る。携帯の画面には『たっちゃん』と表示されており、翠は移動することなくその場で電話に出る。
仕事が終わったとの連絡であり、食堂にいることを伝え、翠がメンバーへと顔を向けると皆の視線を集めていることに気づき、首を傾げる。
「どうした?」
「いえ……いつも一緒にいた女性の方は……」
「ああ、奈緒のこと? いまは京都にいると思うよ。本来なら俺も京都でブラブラしてる予定だったんだけど、無視できない私用ができたから俺だけ急いで帰ってきたんだよね」
そのセリフを聞いて肩をピクリと反応させる子が二人いたが、翠はちらりと目を向けただけであった。
「翠さん、京都に行ってたの?」
「おう、そんな気分だったから。時間が合えばそのうち皆もどっか連れてくよ」
どこか連れて行くと言われて全員が顔を綻ばせ、どこへ行きたいかあれこれと話し合っている。
「鹿児島もなかなかに落ち着くし、北海道や沖縄もよかったな」
ニュージェネの三人は前に城ヶ崎姉を含めて色々と話たが、行ける選択肢が少ないと考えていた。しかし、翠からの提案であるうえに様子を見るとある程度の無理はなんとかなるような気がしたために深く考えず、どこへ行きたいかの話し合いに参加する。
「お待たせしました。……みなさんもお揃いで」
「ん、大丈夫。後輩たち、多分行くのは夏頃になると思うからそこも含めて考えておいて。決まったら直接でも、言伝でもいいから」
『お疲れ様でした!』
「またね」
「お疲れ様です」
武内Pに背負われた翠は最後にそう言い残し、手を振って去っていく。
「たっちゃんの家に行くのは久しぶりだね」
「一ヶ月ぶりですね」
「CP始まる辺りからだな」
「はい。ほぼ毎週来ていたころが少し懐かしいです」
遊びに行くのであればそれなりの回数、間隔であるが、二人が話しているのは泊まりである。
翠は自分の家で寝ることはあまりなく、CPが始まる前までは武内Pや奈緒、他のアイドルの家へと泊まりに行っていた。
「…………ん? 明日ってニュージェネとラブライカの初ライブだっけ?」
「はい」
唐突の質問にもかかわらず武内Pは手帳を開いてスケジュールを確認し、頷く。
しかし、翠は自分の間違いであって欲しかったらしく、げんなりしている。
「どうかされましたか?」
「いやさ、見に行きたかったんだけど明日は病院だからさ……。撮ったやつ、後で見せてな」
「……はい」
「そんなしみったれた雰囲気出すなって。死ぬなんてことはないし、ただの定期検診だから」
少しは軽くなったものの、それでもまだ暗い雰囲気でいる武内P。
翠はどうしたものかとしばし考え、携帯を取り出して何処かへと電話をかける。
「たっちゃん、これから飲み行こっか」
「ですが、翠さんは明日病院に……」
「俺はジュースにとどめるよ。飲むのはたっちゃんと他の連れ数人な」
「…………はぁ」
何を言っても聞かないとわかると、武内Pは首に手を当てながら困ったような声を漏らし、だけどどこか嬉しそうな雰囲気を出しながら翠に手を引かれて歩いて行く。