……気づいてるかな?
まだ、PV撮るとこまでいってないんよ……コレ
「…………帰る家、間違えたかな?」
あのあと、キチンと
玄関ドアを開けてみると、廊下にダンボールが積まれており、一度外に出て名前を確認しても《九石》と名札がある。
「あ、翠さん。お帰りなさい」
「…………なるほど」
廊下からリビングへと通じるドアが開いたと思ったら、そこから佐久間が顔をのぞかせる。
ダンボールがあるワケを理解したため、靴を脱いで家へと上がる。
「……………………おい」
手洗いうがいを終えた翠がリビングへ入ると、部屋の模様が様変わりしていた。
壁紙こそピンクなどに張り替えられていないが、小物が増えた。たくさん増えた。壁しか見えなかったはずなのに、棚がほとんどを埋めている。そこにはいつ撮ったのか、翠の寝顔や珍しくレッスンをしている姿、あくびをしているところや食事中のものまで写真たてに収められて飾られている。
テーブルやソファー、イスなどはそのまま残っているが、花瓶やテーブルクロスなど、ちょっとしたところにも彩りがある。
「…………奈緒はどこいった?」
「二日酔いでダウンしてるとのことでしたので、
「…………はぁ」
ただでさえ慣れないことをして疲れているというのに、帰ってきたらこれである。頭が痛くなってきた翠はソファーへと倒れこむようにして横たわり、夢であってほしいという願いを込めて目を閉じる。
「ふふっ。毛布をかけないと風邪をひいてしまいますよ?」
半ば意識が落ちかけている翠がそれに反応することはなかったが、しばらくして何かが体を覆い、温もりを感じるのを最後に深い眠りへとついた。
「まゆは夕食の支度をしておきますね。もうしばらく、ダンボールが邪魔だと思いますけど、許してください」
母親が子どもをあやすように愛おしい目をしながら翠の頭を優しく撫で、前髪をかき分けてデコへと触れるだけのキスをする。
「…………あら?」
そこへチャイムが鳴り響く。
せっかく気持ちよさそうに寝た翠が起きたらどうしてくれようか、などと胸の内に少しばかりの殺意を抱きながらもそれを表に出すことはなく、ニコニコと笑顔を浮かべたまま玄関へと向かいドアを開ける。
「やあ」
「あら? 今西部長。どうかしたのですか?」
ドアの前に立っていたのは今西部長であった。
「ああ、少しばかり翠くんに用があったのだけど……寝ているのかな?」
「はい。たった今、寝たとこです」
「なら、まゆくんにコレを渡しておこうかな」
そう言って今西部長は小脇に抱えていた茶色い封筒を佐久間へと手渡す。
「あの、コレは?」
「翠くんが起きてから渡しておいてもらえればいいから。無理に起こさなくていいよ」
「………分かりました」
翠さんの睡眠を邪魔するわけねーだろ。みたいなことを思った佐久間だが、封筒を受け取って頷くだけにとどめる。
用はそれだけであったらしく、軽く手を上げて帰っていく。
「…………」
その背が見えなくなるまで玄関に立っていた佐久間は、ふと手に持つ茶色い封筒を思い出し、リビングへ戻るとどこから取り出したのか、カッターで綺麗に封を開けていく。
「…………うふふ」
封を開け、中に入っていたものを取り出すと写真が一枚、紙が一枚であった。
写真に写っていたのはこの間の公園での景色で、ベンチで寝ている変装中の翠とそれを描く神崎の姿である。木陰と木漏れ日もいい具合に作用して幻想的な雰囲気をだしている。写真と一緒に入っていた紙に書いてあることを簡単にまとめると、『この写真を雑誌に載せてだすから、変装変えてね』である。
しかし、佐久間にとってはそんなことどうでもよく。翠と一緒に写る神崎を穴があくほど見つめている。
「…………」
気のせいであるはずなのだが、佐久間の体から黒い気のようなものが漏れ出ているようにも見えた。それもすぐに引っ込み、写真をテーブルへと置くとソファーで眠る翠の顔をじーっと観察する。
「ああ、夕食の準備を始めないと」
時折、翠の頬をつついたりして自身の頬を緩ませていたが、外が真っ暗となっているのに気がつき、慌てて夕食を作り始める。
食材は翠が帰ってくる前に買ってあるため、冷蔵庫から取り出して調理にかかる。
☆☆☆
「翠さん、翠さん」
「…………ぅ?」
「ご飯、できましたよ」
優しく肩を揺すられ、薄く瞼を開ける翠。しかし、またすぐに寝返りを打って佐久間に背を向け、目を閉じてしまう。
「…………うふふ」
しかたないなぁ、といった感じに頬に手を当てて微笑んだあと、翠を仰向けに転がし、腰のあたりに跨って乗る。
「翠さぁん。起きないと大変なことになっちゃいますよぉ?」
自身の顔を翠へと近づけていき……そのままキスをするのではなく、頬と頬を擦り付けて耳元で囁く。しかし、翠は多少身じろぎをするだけで起きる気配はない。
「…………もぅ」
上体を起こし、ここまでやっても起きないことに頬を膨らませてふてくされる。
そしていいことを思いついたとばかりに怪しく瞳を光らせる。
かけていた毛布を上半身の部分だけめくり、翠の服へと手を伸ばす。
興奮しているからか頬を朱に染め、目は潤み、熱い吐息を漏らす口の端からはヨダレが垂れている。
服をめくることはせずに手をその中へと入れていく。
「……………………」
先ほどまで翠の貞操が危機を迎えるような表情をしていたというのに、今では何の感情もない人形のような表情へと変わっていた。
そのまま何もすることなく服から手を抜き、毛布をかけ直して上から降りる。
「もう、翠さん。せっかく作ったご飯が冷めてしまいますよぉ」
何事もなかったかのように微笑み、先ほどよりも強く、それでいて優しく翠のことを起こす。
「…………眠い」
なんとか上体を起こすところまでいったが、それでも半分は目を閉じており、しばらく放っておいたらまた眠ってしまいそうであった。
「翠さん、少し失礼しますね」
どこから取り出したのか、いつのまにか目薬を手に持っている佐久間。翠の顔を上に向かせ、両目に目薬をさしていく。
「うぉぉぉ…………」
あまり強くないはずだが、寝起きにはキタらしく。両目を抑えてソファーへと倒れ、器用にゴロゴロと転がる。
「目、覚めました?」
「そりゃ、寝起きに目薬が一番効果あるって教えたの俺だけどさ……」
落ち着いたのか、自分でのそりと体を起こしてソファーに立った翠は、ペチンと佐久間の頭を軽く叩く。
「これからは、俺にやらんでよろし」
「でも、せっかくのご飯が冷めてしまいますよ?」
「よし、食べるか。先に手、洗ってくる」
ソファーから降りた翠はリビングを出て洗面所へと向かった。その背がドアによって遮られ、見えなくなると同時に佐久間はため息をこぼす。そして自身の手を見つめ、握ったり開いたりををして先ほどの感触を思い出す。
「…………」
いつまでもそのままでいると手を洗い終えた翠が戻ってきて突っ込まれるために、頭を振って切り替え、皿に料理をよそってテーブルへと並べていく。
「お、いい匂い。シチューだね」
「はい、翠さんへと愛情がたくさん詰まってますから。奈緒さんにはおかゆを作って渡してあります」
「そかそか」
翠の真向かいに佐久間が座り、いただきますをして食べ始める。
今夜のメニューは白米、シチュー、サラダである。二人とも人並みかそれ以下しか食べない上、種類もそんな必要ないと考えているため、品数も自然と少なくなる。
「そういやさ、まゆ」
「はい? どうかしましたか?」
食べ始めてから数分経った頃、ふと思い出したように口の中の食べ物を飲み込んだ翠は、料理に目を向けたまま佐久間の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた佐久間は手を止め、翠へと目を向ける。
それに合わせて翠もシチューを食べていた手を止め、佐久間へと目を向ける。
「…………っ」
何の感情も映さない、まるで何もかもお見通しのような赤い瞳と目が合った瞬間、佐久間は心臓が凍りついたような錯覚に陥った。
目をそらすことさえ許されず、気を抜けば気絶をするのでは? と思えるほどのプレッシャー。
普段の様子と見た目からは想像もできないほどの重圧に、何か言おうと口を開くも、言葉が出てこない。
「俺の体、見た?」
翠の質問に、かろうじて首をゆっくりと横に振る。
「なら、さっきから俺の体に目を向けるのは?」
「…………翠、さんの服の中に手を入れて」
「…………なるほどね」
ふぅ、とため息をつく翠に反応して、佐久間はビクッと肩を震わせる。
スプーンでシチューを意味もなくかき混ぜながら何か考え事をしている翠のことを、佐久間は両手を膝に置き、黙ってその時を待つ。
「別にいいよ」
「…………」
「やったこと自体はあまりよろしくないけど、後戻りできないし……まゆは誰にも言わないって信じてるから」
柔らかく微笑んだ後、気にしてないことを伝えるためか夕食を食べ始める。
「…………まゆ、出て行きます」
「ん?」
いきなりのことで、スプーンをくわえた状態で聞き返す。
「まゆは……自分を許せません」
悲痛な面持ちでそう告げる佐久間を、翠はシチューを食べるのをやめないまま聞いている。
「裸を見られたくないのは知っていました。なら、見なければいいという考えなしの行動でこうなってしまいましたから」
『本当にごめんなさい』と頭をさげる佐久間。
それを見てようやく、翠がスプーンを置く。…………シチューを食べ終えたからってのもあるが。
「なら、ここに残れ」
「…………でもっ!」
「逃げんなよ」
「…………っ!」
翠は真っ直ぐに佐久間の目を見つめ、ハッキリと口にする。
「本当に申し訳ないと思っているなら、ここにいろ。まゆのそれはただの逃げだ。…………それに、俺はもう気にしてないって言ったろ? なら、終わりだよ。それ以上もそれ以下もないの」
いつの間にか皿の中は空っぽになっており、翠は背もたれへと体を預ける。
「ゴチャゴチャ考えすぎ。誰にも話さなければそれでいーの。それでも不満があるなら、ここに残って俺に尽くせ」
皿を手に持ち、流しへと出した翠は最後に佐久間の頭にポンと手を置いて一言残したあと、リビングから出て行った。
「…………ありがとう、ございます」
先ほどまでの悲痛な面持ちはすでになく、佐久間の頬には嬉し涙が伝っていた。