怠け癖の王子はシンデレラたちに光を灯す   作:不思議ちゃん

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13話

「気が向いたらレッスン見るとは言ったけど……蘭子、平気かね」

 

 部屋をあとにした翠は、一応レッスン室の前まで来ていた。中からはトレーナーさんの声とステップの音が聞こえてくる。

 昼食時でのことがあるため、入るべきか帰るか悩んでいた。

 翠の本心から言えば、レッスンしたい気持ちもあるが、帰ってダラダラして眠りにつきたい気持ちもある。

 結局は考えるのも面倒になり、ただ時間が過ぎていくのに身を任せているだけなのであるが。

 

「…………帰ろ。帰って寝よ」

 

 レッスンを見るのはまた今度でいいかと結論付けた翠は、踵を返して帰るべく足を踏み出そうとしたが、背後からドアの開く音が聞こえて来たために体の動きを止める。

 

「……………………」

「……………………」

 

 『つくづく面倒ごとになるな』と考えながら体ごと振り返り見ると、そこには首にかけたタオルで顔の汗をぬぐっている神崎の姿が。

 彼女も翠に気付いたようで、顔を赤くして動きを止める。

 

「あ! 翠さんだ!」

「ほんとだにゃ! またレッスン見てくれるのかにゃ?」

 

 後ろにいた赤城と前川が立ち止まる神崎を不思議そうに思いながら脇をすり抜けてレッスン室から出てくる。そして翠を見つけるやいなや駆け寄っていく。

 赤城と前川の声に反応してか、他のメンバーも出入り口のところへと集まってくる。

 

「……うん、レッスン見ようか」

 

 帰ろうと思っていた矢先にこれであったため、見事なまでに翠はやる気がなかったのだが断れる雰囲気でもなかったために、首を縦に振るしかない。みんなが嬉しそうにはしゃいだり喜んだりする中、神崎は嬉しさと恥ずかしさが入り混じった表情をしており、手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返している。

 

「それならしっかり体を休めておかないといけないにゃ!」

「翠さんの練習、大変だもんね!」

 

 その様子はみんなにバッチリ見られており、また恥ずかしさから逃げ出さないうちにレッスン室へと引っ込んでいく。まだ小学生である赤城にまで気を使われるほど、分かりやすいのだろう。

 神崎が気付いた時には自身と翠の二人しかいなかった。

 出入り口から様子をのぞき見ようと城ヶ崎、赤城、本田が顔を出していたが、他のメンバーに引くずられていく姿が翠から見える。幸いにも神崎は翠のことを見ており、背後でそのようなことがあったことに気づいていない。

 

「あ、あの……翠さん……」

「ん? どした?」

 

 一歩前に踏み出し、翠の名前を呼ぶ。

 あまり緊張しないようにと軽く返事を返すが、なかなか言葉にできないのか。口を開いたり閉じたりを繰り返している。

 翠は急かすようなことをせず、黙ったまま神崎の整理がつくまで待っている。

 

「その……しょ、食堂で……ば、バカとか言って…………ごめんなさい」

「……………………」

 

 頭を下げて謝る神崎。食堂を走り去って行った後からずっと落ち込んでおり、レッスンのときトレーナーに注意されたのも一度や二度ではない。

 返事をしない翠にビクビクしながらも、頭を下げたまま断罪の時を待つ。

 神崎は視界の端にこちらへ近づいてくる翠の足が見えたため、ギュッと目を瞑る。

 

「別に気にしとらんさ。神崎もあまり気にしないでいいよ」

 

 ポンと頭に手を乗せられたために肩を跳ねさせるが、翠の口から出てきた優しい言葉に神崎は嬉しさで込み上げてきた涙によって視界がにじむ。

 

「……ほら、泣いてないでさ。この後もレッスンあるんだから」

 

 翠は神崎を屈ませ、首にかけてあるタオルを使って涙を拭う。

 内心でまたチョロインと考えていたりするが、それをおくびにも出さず……苦笑いにとどめている。

 

「あの……翠さん」

「…………どした?」

 

 涙を拭き終え、手を離そうとした翠だったが、神崎に両手を包み込むように握られながら目をまっすぐに向けられて面倒ごとの予感を覚え、頬を少し引きつらせている。

 

「なんでも一つ、言うことを聞いてくれる約束のことなんですけど……、その……」

「俺に出来る範囲の事なら何でもいいよ」

 

 言い淀む神崎に、翠は微笑んで後押しをする。

 

「あの、私……みんなのこと、苗字でなく名前かあだ名で呼んでもらえませんか?」

「……。……いいよ」

 

 ほんの一瞬。瞬きをする間の些細な時間だが、翠は顔をしかめる。しかし、すぐに笑顔を作って頷く。顔をしかめたところを神崎に見られたのだが、一瞬であったために気のせいかと思っていることがわかるや否や、翠は胸の内で安堵の息を漏らす。

 

「それじゃ、蘭子。休憩の時間も終わりそうだし、そろそろ行こうか」

「…………はいっ!」

 

 二人でレッスン室へと入っていくと、当然、注目を浴びた。

 だが、翠に名前を呼ばれた今の神崎は無敵状態であるらしく、自身の荷物が置いてある場所へ向かい、鼻歌を歌いながらレッスンの準備を始める。そのため、神崎から翠へと視線が移る。

 

「まあ要点だけ話すと、蘭子がメンバー全員を名前があだ名で呼ぶようにお願いした……だな。理解したか? 駄猫」

「ほんとだー! 蘭子ちゃんのこと、名前で呼んでる!」

 

 簡単に説明を終え、みんながはしゃぐ中に一人だけ、待ったをかける。

 

「にゃっ!? 待つにゃ! 駄猫ってまさかみくのことかにゃっ!?」

「ああ、駄目な猫だから」

「どこがにゃ!」

「お前、魚食えないんだろ? 重大な欠陥じゃん」

「…………うにゃ」

 

 黒い笑みを浮かべながら前川をいじって楽しむ翠に、周りのメンバーも考える。

 『もしかしたら自分も変なあだ名で呼ばれるのではないか?』と。

 

「ああ、安心しろ。たぶん他はまともなはずだ」

 

 そんな蘭子と前川を除いたCPメンバーの不安を見越した翠のセリフに驚きながらもホッとする。しかし、翠のセリフにどこか違和感を覚える人が数名。

 『たぶん他の人はまともなはず』

 ようは翠自身だとおかしくはないが、周りから。もしくは世間一般からしたら、おかしいかもしれない可能性があることを示唆している。

 

「悪いな。たっちゃんに見るよう頼まれた」

「まあ、あまり大きな声で言えないが給料に変わりはないし、別にいいんだが……」

 

 違和感を覚えた数名は、トレーナーと話をしている翠へと目を向ける。視線に気づいたからか、トレーナーとの会話を続けながらそちらへと顔を向け――――楽しげな笑顔を浮かべる。

 

『……………………』

 

 何事もなかったようにだるそうな雰囲気へと切り替える翠を、何とも言えない表情で見る。

 違和感が確信へと変わった人たちの心は一つになっていた。

 

 ――――まともな呼び方でありますように!

 

 不安な心境にさせた原因である翠は、トレーナーからここ最近のレッスン内容をまとめた紙を受け取り、目を通して確認し、これからやるレッスンの内容を考える。

 

「うし、決めた。見てく?」

「いや、あとでやった内容をまとめてもらえればいい」

「うぃ」

 

 話が終わったのか、トレーナーがレッスン室から出ていくのを見送った翠は、振り返り、ニッコリと笑顔を浮かべる。

 

「よし、お前ら。柔軟な」

 

 その笑顔を見て何をやらされるのかと身構えるが、特に意外性もなく、普通であった。まだあれから一ヶ月も経っていないが、この間と同じようにどこまで体がほぐれるのかを見るらしい。

 

「いっ! 痛いにゃ! 翠さん、みくに当たりきつくないかにゃ!?」

「あっはっは、駄猫。本物の猫はもっと体が柔らかいぞー」

「いたたたたたたっ!?」

 

 しかしいざ柔軟を始めると、この間のように翠は前川の背中に手を置き体重をかけていく。その顔をものすごくいい笑顔を浮かべており、周りで柔軟をしているメンバーはそれを見て頬を引きつらせている。赤城と城ケ崎はそれを見て楽しそうだと考えているが。

 

「当たりがきついんじゃないんだよ……リアクションがいいから、つい」

「つい、でやらないでほしいにゃ!」

「おー、やっぱり体がまだ作られていないからか、みりあと莉嘉はだいぶ体がほぐれてるな」

「無視しないでほしいにゃ!」

 

 前川から離れ、すでにほとんど床へと体をつけている二人のもとへと向かう。当然、背後から聞こえてきた前川の叫びはスルーで。

 

「えへへ! ちゃんと毎日やったんだー!」

「莉嘉もお姉ちゃんと一緒にやったよ!」

「そかそか、偉いなー」

 

 そのままの体勢で褒められて喜びながら話す二人の頭を撫でて、次は誰かなーと周りを見回す。

 

「んー、かな子……いや、ポッチャリさん?」

「か、……かな子で大丈夫です!」

「君は……クローバーさんがいいかな?」

「あ、あの……できれば普通に名前がいいです」

 

 面白いものを見つけたとばかりに、三村と緒方のもとへと移動する。

 つけられたあだ名に失礼のないよう気を使いながら、名前で呼んでもらえるように頼む二人。その様子さえも楽しんで見ている翠を、違和感に気付いていた人たちは冷や汗を浮かべる。

 

「そかそか。なら名前で呼んでやらんこともない。気が向いたらってことで」

 

 ニコニコと笑顔のまま二人のもとを離れ、次は誰にするか周りを見回す。

 そこで、頑なに目を合わせまいといった雰囲気をガンガンに出している者が数名。幸いなことに固まって柔軟を行っていたため、 そこへと足を向ける。

 

「やあ、みなさん」

『……………………』

 

 翠が声をかけるが、誰も反応しない。

 違和感に気付いていた人たち――双葉、諸星、新田、アナスタシア、渋谷の五人は顔こそ向けるものの、口を開こうとはしない。

 

「そんな不安そうにしないでよ……なんだかあだ名を考えたくなっちゃうよ?」

 

 それを聞くとすぐさま笑顔を作る。だが、当然のように無理に作ったために笑顔……ではあるのだが、頬は引きつっている。翠は堪えきれないといった感じでプッと吹き出し、体を丸め、肩を震わせるようにして笑っている。

 ひとしきり笑って満足したのか、目の端に浮かんだ涙を指で拭いながら五人へと目を向け、口を開く。

 

「安心しなって。みんな普通に名前で呼ぶから。アナスタシアはアーニャね」

 

 最後に『面白い反応だったよ』と言い残してその場を離れ、島村と神崎のもとへと向かう。

 

「島村はうーちゃんでいいかな?」

「は、はい!」

「養成所の時みたいにすーちゃん、って呼んでいいんよ?」

「えっと……それは、その……」

「まあ、好きに呼んで。んで、蘭子はこのまま蘭子でいいのかな?」

 

 床へと体をぺたりとつけたまま、顔だけを向ける島村のことを少しだけ困らせて反応を楽しんだ翠は、神崎へと目を向ける。

 神崎はよく分かっていないのか、首をかしげる。

 

「んと、そうだなぁ……漆黒の――」

「ら、蘭子で大丈夫です!」

「了解了解」

 

 何を言いたいのか理解した神崎は、顔を真っ赤にさせながらすさまじい反応で名前で呼ぶように頼む。その反応に満足いったのか、頷きながらその場を離れ、本田、前川、多田の三人がいる場所へと向かう。

 

「まあ普通に未央、駄猫、だりぃな」

「ちょっ!」

「待つにゃあ!」

 

 それだけ告げてさっさと離れようとする翠を二人が止める。

 

「どしたの?」

「結局みくは駄猫なのかにゃ!?」

「だりぃなって何!?」

「駄猫は……説明したし、だりぃなはアレだよ。名前をもじった。ただりいな、だりいな、だりぃな」

『え、ええー……』

「まあここまでの流れ、全部冗談よ? みな普通に名前で呼ぶって。ただ、みんなの反応が面白いからつい」

 

 衝撃の告白に、周りで話を聞いていたメンバーも呆然とする。

 そこで翠はパンパンと手を叩いてみなの意識を戻し、注目を集める。

 みなの視線が集まったところで一言。

 

「……いつまでそのままでいるん?」

 

 

 

 ちょっとした悶着があったりなかったりしたが、その後も背中を伸ばしたりと色々な柔軟を終え、いまは手を広げてもぶつからないように広がっていた。

 

「そんじゃ、今から片足立ちしてもらうから。どっちの足でやるかだけ決めておいて」

 

 特に説明もなく始めるのは理解していたからか、みな何も言わずに各々自身の足を見て、どちらの足にするかを決めていく。

 

「そんで目、閉じて五分……は長いか。とりあえず一分……いや、最初だし三十秒でやってこ。誰か失敗したらまた初めっからね。手を広げてバランス取ったりしてもいいから」

 

 どこから取り出したのか、右手にストップウォッチを構える。

 

「んじゃ、三、二、一ってカウントしていくから、みんなはゼロのタイミングで目を閉じて片足あげてな。…………三、二、一、ゼロ」

 

 翠の合図に、みなは目を閉じて片足をあげる。

 

「話を聞く余裕がある人だけでいいからそのまま聞いててな」

 

 ほとんどの人がバランスを保つのに精一杯の中、翠の声が響く。

 

「これ、そのまんまだけど閉眼片足立ちって言って、バランス感覚をつかむ練習なんだよね」

 

 何人かバランスを崩しかけるが、なんとか持ちこたえる。

 

「さっきまでやっていた柔軟は演技の幅を広げるために、これからも無理しない程度にやっておいたほうがいいよ。ダンスの時、動きのキレも変わってくるから。……ん、三十秒経ったよ」

 

 終了の合図とともに、限界だったのかバランスを崩して尻餅をつく音がいくつか響く。

 

「いたいにゃ……」

「うぅっ、お尻痛いです……」

「みくちゃん、ちえりちゃん、大丈夫?」

「ありがとう、みりあちゃん。大丈夫だよ」

「ありがとにゃ」

 

 尻餅をついて倒れた前川と緒方のもとへとへ、ケロリときた様子で赤城が心配そうに尋ねる。他にも平気そうにしているのは島村と城ヶ崎、神崎の三人で、他のメンバーは座り込んでいたりといっぱいいっぱいであった。

 

「うーちゃんは柔軟同様、鍛えたからいいとして、みりあと莉嘉はまだ若いからかな?でも、蘭子はなぜに……って思ったけど、なんとなく分かったわ」

「あの、生まれつきできるだけです……」

「え? いつもポーズとってるとかじゃなくて?」

「ち、違います!」

 

 冗談冗談。と言って、翠は手を叩いて注目を集める。

 

「初めに言っとくべきだったんだけど、倒れそうになったら目を開けて足ついてね。転んで骨折ったとか、シャレになんないし。これもちょっとした時とかにやってくれると嬉しいけど、初めは目を開けたまま片足立ちか、両足をつけたまま目を閉じるだけでも十分だから」

 

 そして移動し、曲の準備を始める。

 

「そんじゃ、この間と同じように半々に分かれようか」

 

 その言葉に全員の動きが止まる。前回のアレでも、翠は満足そうにしていなかったために、今回はどれほどやられるのかとみな不安そうな表情をする。

 

「ああ、安心しなよ。あまり無理しても体壊すだけだし、みんなの様子を見ながらだから今回は五回ぐらいかな?」

 

 そのセリフを聞いてみなはホッとしながら前回と同じ立ち位置へと移動する。

 

「ほんじゃ、いってみよ」


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