「あ、杏ちゃんにきらりちゃん! 翠さんも!」
「どうしたの? 杏ちゃんならそのまま帰るって思ってたけど」
「杏としたことが、荷物を置きっぱなしにして行っちゃたからさー」
そう言って双葉は手に持っていたもの――うさぎのぬいぐるみ。名前を『うさぎ』というが、それを掲げてみせる。
「きらりは杏の付き添い?」
「にゃっふっ! きらりはみんなとお話がしたくて戻ってきたんだにぃ!」
「お話ですか! でも、他のみんなは違う部屋でレッスンしていてバラバラです……」
「なら、みんな集めれば? 一応、全員入るし半々に分けてお互いに見せ合いすれば……って、三人は違うのか。でも、他の人のを見るのもいい練習になるし、やって損はないと思うけど」
『……………………』
「……なに?」
急にみんなが黙り、見つめてきたために翠は一歩、身を引く。
「い、いえ。翠さんがレッスンを見てくれるって……」
「嫌なら別にいいけど」
「嫌じゃないです! お願いします!」
翠が面倒くさそうな雰囲気を出したからだろうか、全員が首を横に振り、否定をしてから頭を下げ、お願いする。
トレーナーからも了承を得たため、数分後にはCPメンバー全員が集まっていた。
「よ、たっちゃん」
「翠さん。あの、これはどういった……」
何が起こっているのかよく分からないといった様子で、首に手を当てながら翠に尋ねる。
「んーっと、簡単に言えばCP全員のスペックを上げるため?」
「はぁ……」
「俺がアドバイスしてあげるからさ、悪いようにはしないって」
「いえ、翠さんを信用していないわけではないのですが……なんだかずるいような気がして」
武内Pからでた言葉に翠は何を言っているのか分からず、ポカンとして一拍の間が空いたあと、クスクスと笑みをこぼす。
「たっちゃん、全然ずるくないよ。だって、346に所属している先輩の俺が、後輩のアイドルであるシンデレラプロジェクトのメンバーに指導するのは不思議なことじゃないでしょ?」
背の関係上、翠は武内の腰をポンポンと叩きながら『それに……』と続ける。
「あまり大きな声で言えないけど、他所属のアイドル指導、何回かしてたりするんだよね」
「翠さんのことですから、なんとなくそんな気はしていました」
「あれれ? 俺の行動筒抜けパターン?」
まいったなぁ……、と頭をかきながら困ったような表情をしているが、すぐにまぁ、いっか。と何でもなかったことにしている。
「とりあえず、自分で言うのもなんだけど俺がトップアイドルだってこと忘れたら? ただアイドルの先輩として、後輩ちゃんたちに指導しているだけ。そう、それだけだよ」
「……はい。では、よろしくお願いします」
「おう。…………本当は後で個人個人にやるより今、まとめてやったほうが楽じゃね? と思っただけなんだけど」
「何かおっしゃいましたか?」
「いんや、何でもないさ。面倒だけど、頑張らない程度に頑張るよ」
「はぁ……。それならばよろしくお願いします」
話がまとまり、翠は武内Pから離れて半々に分かれて向かい合いながらストレッチをしているCPメンバーのもとへと近寄っていく。
「実はさ、準備運動って捻挫とかに対してあまり意味、ないらしいよね」
開口一番、いきなりワケのわからないことを言い出す翠にみんなは困惑するしかない。
「まあ、体をほぐすのは意味があるから、続けて。…………ほらほら、もっと体を前に倒さなきゃ」
「いたたたたっ! 痛い! 痛いにゃ!」
床に座り、脚を開いて上体を前に倒す柔軟を行っていたメンバーの一人、前川に近寄り、おもむろにその背中へと手を置き、体重をかけていく。
「理想としては脚を完全に開いて腹を床につけることかな。……ほら、島村みたいに。お? 双葉もできてるな」
「ふぇっ? わ、私が見本ですか?」
「力を抜くだけなら誰にも負けないよ」
養成所で翠と出会ってから教えられ、やってきたことであるため、島村にとっては
「とりあえず、今日の夜から風呂上がりは柔軟な。全員、最低限はこれができるようになってほしい」
「そ、そういう翠さんはどうなのかにゃあ!」
ずっと体重を乗せられていた前川が、翠がふと気の緩んだ隙を見て体をがばっと起こし、指を突きつける。
「俺? やる意味ある?」
「やっぱり、見本を見せてもらわないとってみくは思うにゃ」
「…………ほう」
それだけではないことが丸わかりの雰囲気を漂わせているが、その様子に翠はどこかカチンときたようだ。端的に言ってしまえば、小学校低学年同士のくだらない言い争いと似ている。挑発にもなっていない挑発を前川が仕掛け、それに翠が乗ったのだ。
「なら、これはみんなの意思として受け取ろうか」
『…………えっ!?』
思わぬ翠の言葉に、周りで事の成り行きを見守っていたCPメンバーが驚きの声を上げる。
「連帯責任で……そうだな。何か罰ゲームでも考えておくか」
そう言って簡単に開脚し、床に体をペタリとやってのける翠。その顔はまるで当たり前のことをしているといった感じに涼しげで、どのような罰ゲームをするか考えているのか、楽しそうに笑っていた。
「みくちゃん……」
「翠さんに喧嘩を売るなんて……」
「……私たち、巻き込まれたよね」
「………駄猫が」
「にゃっ! みんなっ!? それに蘭子ちゃんはみくに当たりキツくないかにゃ!?」
微妙に距離を取られ、ショックを受ける前川。とくに神崎からの言葉が一番効いたらしく、両手両膝をついて項垂れている。
「よし」
『…………っ!』
「……な、何?」
ただ声を出して仰向けに寝転がっただけだというのに、自身に視線が集まったことにより翠は珍しく動揺をあらわにする。
「ああ、罰ゲームのこと? とりあえず今日は止めておくよ。なんか面白いことも閃かないし」
ホッとため息をつき、そのまま罰ゲームのことを忘れるように願うCPメンバー。中には単純なのか、翠のことを崇拝しているのか。キラキラと目を輝かせて見ているものもいるが。
「取り敢えずさっきと同じように半々で分かれて踊ってもらおうか。アドバイスはダンスが終わるごとに言うから」
『はい!』
元気に返事を返し、荷物などをまとめて隅に置くなど準備を進める。
はじめは全員、翠の前で踊り、アドバイスをもらえると喜び、張り切って踊っていた。しかし、それは時が進むにつれて険しくなっていった。
半分に分かれ、片方が踊っている間、もう片方もただ休んでいるのではなく、何か自身に必要なものはないか、取り入れられるものはないかを見るようにと翠に言われていたため、真剣な表情で見ていた。そして曲が終わり、野球の攻守交代のように踊っていたものたちは少し体を落ち着かせている間に翠から一人一人アドバイスをもらってから座り、見ていたものたちは立ち上がる。
再び曲が終わり、先ほどと同じ流れで交代となる。
そこでCPメンバー全員が思った。
――これ、いつ終わるの?
連続で踊り続けているわけではなく、交代で踊っているために僅かな時間だが体を休めることができる。だが、疲労が完全に無くなるわけではなく、蓄積されていく。
「そんじゃ、ここまでにしておこうか」
『…………!』
全員が十回踊り終えたとき、翠の声がレッスン室に響く。
その声はまるで神のお告げのようだったと、後にCPメンバーは語る。
「つ、疲れたにゃ」
「……杏、今日はレッスンしないんじゃ…………」
「すっごいしんどい!」
「これはしばらく、立てないかな?」
「ダー。はい。足がプルプルしています」
「わ、我に魂の安らぎを……」
周りの目など気にせずに全員、大の字になって床に寝転がる。体力のない何人かはウトウトとしており、しばらくすれば寝てしまいそうであった。
「こんなとこで寝るなよー。風邪ひくぞー。起きてる奴らも寝てる奴ら起こして着替えてこい。汗かいてんだからそのままだと風邪ひくぞ」
それでもなかなか動こうとしないみんなに、翠はニッコリと笑顔を浮かべる。
「風邪でも引いてみろー。……マンツーマンでレッスンしてやるよ」
『……今すぐに着替えてきます!』
眠そうにしていたのも目をぱっちりと開きいてほぼ全員が体を起こし、何故か翠に敬礼をしてからレッスン室をあとにする。
「……ん? 神崎は行かないん?」
ただ一人、上体を起こしてポーッと翠のことを見つめる神崎に翠は近寄って行き、声をかける。
「わ、我は神の試練を所望する!」
すると、神崎はいきなり立ち上がり、翠の目をまっすぐに見ながら胸に右手を当て、そう宣言する。
しかし、先ほどの疲労からであろう。凛としているのは上半身だけであり、足はプルプルと生まれたての子鹿のようであった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ふぇっ?」
翠はしばらく神崎の目を見つめた後、前触れなく左手を軽く引っ張る。それだけで踏ん張ることもできずにペタンと床に尻をつける神崎。翠はそんな彼女に優しい笑みを浮かべながら頭を撫でる。
「今日はもう限界だろ? その時が来たらちゃんと声をかけさせてもらうさ。ゆっくり休んで疲れを明日に引きづらないようにしとけよ」
「…………は、はいっ!」
パァァッ! という表現が合いそうなほど、目を輝かせて頷いた神崎は立ち上がり、翠に一度頭を下げてからしっかりとした足取りでレッスン室から出て行った。
「翠さん。本日はありがとうございます」
「いんや、ただの気まぐれだよ」
「本当にそうか?」
「…………ん?」
「私には何か目的があってやっているようにしか思えん」
神崎がレッスン室から出て行った後、床に寝転がる翠に首に手を当てながら武内Pが近づいて声をかける。気まぐれとあっけからんに答える翠に、奈緒が壁に背を預けながら尋ねる。
武内Pもどこか思うところがあったのか、翠をじっと見つめる。
「
「…………あー」
上体を起こし、どうしたもんかなと頭をかきながら言葉を探しているのか目を右に向け、左に向け。そして閉じ、唸るようなことをすること数分。バツが悪そうに頬をかきながら口を開く。
「いや、奈緒が珍しく名前で呼んだことからシリアスぶって真面目に聞き出したいのは分かるんだけど……いや、本当に気が向いたからなんだよね」
「翠。嘘をつくときに左手を握るクセがあるぞ」
「うん、全くのウソだよね」
「…………ッチ」
「いや、マンガやラノベだとよくある手だけども、失敗したからって舌打ちやめてよ。俺、傷ついて明日は寝込んじゃうかもよ?」
よいしょ、と年寄りくさい声を出しながら立ち上がる翠はあくびを漏らす。
「眠い。もう、帰っていい?」
「…………ああ」
「じゃね」
「はい。お疲れ様でした」
レッスン室を出た翠はすぐには移動せず、扉に背を預ける。
「奈緒には困ったもんだな。たっちゃんまで何かあるって思ってるようだし」
胸に手を触れさせ、服ごと強く握りしめる。
「……………………」
しばらくしてから手を離し、ゆったりとした足取りで扉から離れる。