先の展開ばかり妄想広がる
会議室での話が終わった後。
常務の部屋にて、今西部長はお茶を飲んで一息ついてから作業をしている美城常務へと声をかける。
「パワーオブスマイル。彼の企画を受け入れたそうじゃないか」
「よい機会だと思いましたので。彼らが失敗すればそれを理由に私の改革に反対する者たちを黙らせることができます。もちろん、成功すればそれに越したことはありません」
「改革、か。それにしてもずいぶんやり方が強引すぎやしないかい?」
「私には、私のやり方があります」
今西部長は近くに置いていた資料を手に取り、ページをめくっていく。
「確かに君と彼。──そして翠君。みんなそれぞれやり方が違っている。それに見ているもの。目指しているものも」
「…………」
一度作業の手が止まるが、美城常務は何か言葉を発することなく。再び作業へと戻っていった。
それを横目にちらりと確認するだけで、今西部長は何事もなかったかのようにお茶を一口飲み。口を開く。
「君は翠君が──九石翠が何もない、どこにでもいるような。ただただ普通の男の子だとしたら。…………そこに何かを見いだせたりするかい?」
「……どのような意図があってそのようなことを訊ねているのかは分かりませんが。その問いかけは意味がないものでしょう」
作業していた手を止め、イスの背もたれへと体を預けながら問いかけに答える。
「……というと?」
「現に彼は
「ふむ」
「そのもしもの問いかけに対して答えを述べるならば。埋もれた個性を気に掛けることもないでしょう」
それだけ述べた美城常務は背もたれから体を離し、作業へと戻っていった。
☆☆☆
「「…………あっ」」
宮本に見つかってから三日後。
誰とも会わんやろと、たかをくくっていた翠は曲がり角で前川とばったり出くわしていた。
「……それじゃ、また」
「逃がさないにゃ」
互いに動きを一瞬止め、先に動いた翠が前川の脇を通り抜けようと試みるが。
せっかく会えた機会を逃すはずもなく。前川は猫を幻視するような素早い動きで翠を捕獲する。
「は、離してくれっ。俺にはこれから大事な仕事が!」
「なんて白々しい嘘なのにゃ」
「む。どこを見てそう思うのだ」
「翠さんが仕事するときは大体奈緒さんが一緒にゃ。一人で仕事に向かうなんて誰も思わないにゃ」
それ以前に翠は嘘をつくつもりがそもそもないのか。誰が聞いても嘘だと分かるような口調であったのだが。
「……くそっ。俺はなんて愚かなんだ。駄猫如きに嘘を見抜かれるなんて!」
「まったくもって失礼だにゃ!」
先ほどよりも本心で言っているであろう台詞に前川は声を大にして突っ込むが、久しぶりのやり取りに笑みを浮かべていた。
だがその笑みもすぐに引っ込み。
これまでの様々なことを思い返し、色んな感情が混ざった表情を浮かべながら口を開くが。
「少しだけ、お話しようか」
声に出す前に先を越され、そのまま口を閉じ。こくりと、首を縦に振った。
今までの翠の傾向からお話といいつつもからかわれるか、はぐらかされるかであったが。
だからこそ余計なことは言わず、翠を捕まえている手に少しだけ力が込められる。
「場所、移そうか。どっか人がいないところあったかな……」
「それなら今日はシンデレラプロジェクトの部屋、誰もいないはずだにゃ」
「んー、ならそこでいっか」
自分で動く気配がないのを察した前川は翠を背負い、普通に向かおうとしたが。そうしたら他のアイドルに見つかると、猫耳を取られたため。翠が指示する通りに歩いて向かっていく。
「……本当に誰とも会わなかったにゃ」
呆然としている前川をよそに、背中から降りた翠は部屋を見回してからソファーへと寝転ぶ。
どんな雰囲気だろうがいつもと変わらない翠を見て苦笑いを浮かべながら、前川も向かいのソファーへと腰掛ける。
「なんだかここは落ち着くなぁ……眠くなってきた」
「そ、それは困るにゃ!」
「冗談だよ。半分くらい」
反応が面白い前川にクスクスと笑みをこぼし。取ったまま返していない猫耳を自分の頭へとつけ、それを少し弄っていたが。
「──自分はこれからどうしていきたい?」
唐突に質問を投げつける。
何かしらの話があると思っていた前川は構えなく問いかけられたことに思考が止まるが、それも一瞬だけであり。
「みくは……今の状況をどうにかしたい。ユニット組んで、お仕事して、ライブして。さあこれからだって時に解体って言われても納得できない」
言いたいことは他にも沢山あるだろうが、言葉にして出てきたのはそれだけであった。
前川の頭の中ではいろんなものが渦巻いており、それが表情にも出ていた。
だからこそ、先ほどのセリフに全部が込められてると言ってもいい。
「────ぇ」
だが、とても悲しそうな表情をしている翠を見て、目を見開く。
「……どうかした?」
「い、いや、なんでもないにゃ……」
不思議そうな表情で首をかしげる翠に声をかけられ、なんでもないと首を横に振るが。
先ほどの表情が見間違いでないと断言できるほど、脳裏に焼き付いていた。
「ねえ、
「んにゃっ!?」
意識が別のところへ向いていたところ、おそらく初めてまともに名前を呼ばれ。変な声を上げながらソファーから立ち上がる。
「みくの猫キャラ、ずっと貫いているけど……」
そんな前川の様子に反応しないまま話を進める翠は体を起こし、頭につけた猫耳を手に取る。
少しの間手に持つ猫耳を見ていたが、顔を上げ。そこでようやく立ち上がっている前川の目を真っ直ぐに見据える。
「もし、上からやめろと言われたら──どうする?」
「やめないにゃ」
少しも迷うそぶりなく、即答であった。
そして翠の手から猫耳を取り、自身の頭へとつける。
「猫キャラはみくが一番みくらしくいられる大切なものにゃ。これだけは誰にも譲れないし、何を言われてもみんなに認めさせるんだから!」
「んふふふ、そっか」
真剣に話したというのに、とても嬉しそうに笑う翠に肩の力が抜けた前川はソファーへと腰を下ろす。
「ねえ、
「呼び方戻っちゃうのね……」
「カレーライスってさ、カレーでもライスでも食べられるよね?」
「いきなりなんの話にゃ……」
「ご飯は焼肉とか一緒に食べても美味しいし、組み合わせを変えるだけで無限の広がりがあると思わない?」
「……まあ、確かに」
「つまりはそういうことなんだよ!」
「どういうことにゃ……」
「そういうことなんだよ!」
「…………」
唐突な話題の転換についていけない前川は翠の言うことに頷く機械となった。
「可能性は視野を広げたら広げるだけ大きくなるんだよ。現実に当てはまるかは分からないけど、よく言うじゃん。ピンチはチャンスだって。大事なのは発想の転換さ」
「さて、カフェにでも行ってウサミンからかうかな」
「あっ、翠さん!」
「んぉ?」
あれ以降の質問には真面目に答えることをしなかった翠はあの場を後にし、暇だからといつものようにアイドルをからかおうと思っていたところだったが。
呼ばれたので振り返り見れば、緑の悪魔でお馴染みの千川が資料を手に立っていた。
「およ、ちーちゃん。どしたの?」
「ちょうど良かったです。先ほど、常務から部屋に来るよう頼まれたので」
「んー、何の用だろ。……うん、取り敢えず行ってみるか。伝言ありがとね」
「いえ」
「あ、ちーちゃんちょっと待って」
バックレはやめて下さいね、と言いながら仕事に戻る千川を翠は呼び止める。
「はい? どうかしましたか?」
「あ、うん。いや……んー、あー……ごめん、やっぱり何でもないや。呼び止めてごめん」
「いえ。何かあったら言って下さいね? 出来れば何かをやらかす前にがいいですけど」
「それは善処する」
今度こそ仕事へ戻っていった千川の背中が見えなくなってから。
翠も用があると言う常務の元へと向かっていった。
「や、常務。きたよ」
「ああ、君か。呼んでおいてなんだが少しだけ待ってくれないか」
「うぃ」
前と同じようにソファーへと寝転んだ翠は棒付き飴を取り出して口に咥え、区切りのいいとこまで仕事の手を進める常務を見ていた。
パソコンに何かを打ち込む音が数分ほど響いていたがそれも止み。
「それで、わざわざ呼び出しだなんて……はっ! まさかようやく俺は引退できるのか!」
「そんな訳がないだろう。今日呼び出したのは新しく私が発足するユニットについてだ」
「なーんだ。ダラダラ印税生活ができると思っていたのに」
対面に常務が腰かけたというのに姿勢を正さない翠だが、それに対して何かを言うこともなく。手元に用意していた紙を翠の方へと寄せる。
「これは?」
「プロジェクトクローネ。ユニットの名前だ」
「……ここに俺の名前があるような気がするんですがそれは」
「気のせいではない。当然、君にも参加してもらう」
「…………メンバーはこれで全員?」
「まだ、見て回れていないアイドルがいる。少なくとも今そこに名前のあるアイドルは決定だと思ってくれ」
「俺の名前、消しちゃダメ?」
「ダメに決まっているだろう」
「デスヨネー」
紙を手に取り、上から下まで読んだ翠は一つため息をつく。
「クローネ、王冠ねぇ……。まあ、ユニットの名前にコンセプトから常務のやりたいことは何となくわかるよ」
「本当に君は優秀なのだな」
「んー……まあ、大丈夫か」
「何か不安なことでも?」
「いんや、こっちの話さ。……うん、別にこの件を断る理由は面倒以外にないし、受けてもいいよ。奈緒に話通しておいて」
「引っかかる言い方だが……まあ、受けてくれるのならこちらも文句はない。よろしく頼むよ」
話は終わったと、部屋から出て行こうとドアノブに手をかけた翠の背に声がかけられる。
「そう言えば、前に話していたことだが」
振り返った翠は意味ありげに区切られた続きを目で促す。
その目を見た常務は少しだけ表情を緩め。
「私は君に無限の可能性があるよう感じるのだが、君自身はどう思う?」
「きっと、気のせいだよ」