あの事故から数日経った。
あの後しばらく待っていると、校内放送を聞いたゾンビたちは下の階へと降りていった。
どうやら、人間だった頃の記憶は消えていないようだ。
私たちは直ぐに3階へと降り、簡単なバリケードを作った。
このバリケードを少しずつ広げていけば、救助が来るまでは生活出来るだろう。
みんな、表面上は平静を保っているが心のなかでは大きな不安を抱えているだろう。
その不安を少しでも和らげるために、安全な場所の確保は必須だった。
次に問題となったのが食料関係だった。
屋上には菜園があり、生徒会室に備え付けられているコンロで調理することで初日はお腹を満たすことが出来た。
しかし、食べ続けていれば野菜は無くなってしまう。
そこで、私がゾンビ達が少ない時間帯に購買部から缶詰や保存の効く食べ物を運んできた。
幸い、購買部には大きなバッグも売っていたので、持ち運びはそこまで苦ではなかった。
何度かゾンビに見つかりかけたが、バリケードを貼っていたおかげで逃げることは容易だった。
最初は床で寝ることも覚悟していたが、何故か購買部に寝袋や簡易布団も置いてあったので、最悪の事態は防げた。
流石に若い女の子たちを床で寝かせるのは申し訳なく思っていたので、布団を確保できたのは有り難かった。
こうして、少しずつ生活の基盤を整えていった。
いつの日か救助が来ることを信じて。
そういえば、風間くんはどうなっただろうか。
一週間近く経過した今でも音沙汰が無い。
彼の無事を信じているが、心の何処かでは既に彼が果ててしまっているという最低な予想もしていた。
もしそうだったとしても、教師の私が皆に弱さを見せてはいけない。
来るかもしれないショックに備えて、心の何処かでは諦めの感情を持っていた。
「うぅっ…ぐす…」
生活が徐々に安定していっても、1つ心配なことがあった。
丈槍由紀さんのことだ。
あの日から笑顔が消え、毎日泣いて過ごしている。
何とかしてあげたいが、情けないことにこんな時どう慰めていいのか分からない。
優しい言葉で中途半端に期待を持たせても、それを裏切ってしまうかもしれない。
そんなことをしたら、彼に怒られてしまうだろう。
今も、教室の外から泣いている由紀ちゃんを見守ることしか出来ない。
なにかいい方法はないだろうか…
ここは、皆にも意見を出してもらうのが良いかもしれない。
したいことをしてもらえば、少しは心が晴れるのではないだろうか。
今の由紀ちゃんにそれを聞くのは非情だろうと思い、拠点である生徒会室に戻ることにした。
「やりたい事…ですか?」
「ええ。どんなことでも良いのだけれど…」
手始めに、生徒会室に居た悠里ちゃんに聞いてみることにした。
そうですね…と顎に手を当ててしばらく考えていたが、何かを思いついたようにこう言った。
「部活、なんてどうでしょうか」
「部活?」
悠里ちゃんは園芸部だったはずだが。
他にまだやってみたい部活があったのだろうか?
「学校で生活をする部活を作るんです。そうすれば、日常的なことも面白く感じれないですか?」
ゆきちゃんは林間学校とかイベント事が好きそうですし、と続けた。
悠里ちゃんはとても頭がいい。
最近は、どれくらいずつ食料を食べていくか、電気をどれくらい使えるかを計算して家計簿をつけてくれている。
そんな彼女だからこそ、私の言葉の意図に気付いたのだろう。
先生なのに、生徒に気を使わせちゃったなぁ…と少し胸が痛んだ。
確かに部活はいい考えかもしれない。
何か目的を持って集団で行動すれば、由紀ちゃんも少しは今の生活を楽しめるかもしれない。
むかし、移動教室のキャンプでとてもはしゃいでいたのを思い出した。
いま、胡桃ちゃんはこの場に居ないが、後で聞いてみよう。
私達の生活に、少しだけ希望が見えた気がした。
あの日から幻覚はますますひどくなっていった。
幻覚に怯え、幻聴を聞いて喚く毎日だった。
それだけでなく、倦怠感や発熱といった症状も出始めてしまった。
俺は、そのまま死ぬか、感染してゾンビになるのか…と半ば自分の生を諦めていた。
しかし、教頭は諦めなかった。
備え付けてあった薬品類から、今の俺を治すことが出来るであろう薬をずっと探してくれていたのだ。
ある日いきなり注射を打たれた時は、安楽死の道でも選ばせてくれたのかと思ってしまうほどには俺の精神は参っていた。
何度『俺がゾンビになる前に外に出してくれ』と言っても聞かずに『ちょっと待っていろ』の一点張りだった。
その結果、薬が効いて助かったのだから感謝してもしきれない。
薬のおかげで、幻覚や幻聴は収まり、ついには起こらなくなっていた。
未だに悪夢は時々見てしまうが、あれを忘れるのはしばらくは無理だろう。
こればっかりは耐えるしかない。
少し体温が低下していたが、ストレス性の低体温症か何かだろう。
こんな環境でストレスを感じるな、という方がおかしい。
よく教頭は耐えられるな…と思ったが、教頭も多少なりとも感じるものはあるようで、日に日に窶れていった。
俺もかなり体重が落ちてしまったが。
幸い、整った設備のおかげで外に出れないことを除けば不自由なく暮らすことが出来た。
身体を動かさないといざという時困るので、少しづつリハビリをしたり、筋トレをする余裕が出てきた位だ。
今なら外に出ても少しは大丈夫だろう。
そう思い、教頭に再度外出の許可を求めた。
必ず戻る、無理はしないという条件付きでだが。
しぶしぶ、と言った様子で教頭は認めてくれたので、ありがたく外へと向かった。
ほんの少しだけ、既に救助が始まっているのではなんて淡い幻想を抱いていたが、そんな事はなかった。
最初からほとんど諦めていたので、別にショックでは無かったが。
廊下には何人かのゾンビが居たが、地下に潜った日ほどではなかった。
どうやら外に出ているらしい。
この程度なら対処出来るだろう。
地下の倉庫を漁っている時に見つけた刺股を構え、ゆっくりと歩き出す。
別にいますぐアイツらを殺す必要はないので、あくまで護身用として刺股を選んだ。
アイツらを殲滅する必要があれば、シャベルやバールといった殺傷力を持った物を使うつもりだ。
さて、今回俺が外に出たのは、ゾンビの観察をしたかったからだ。
少しで習性が分かれば、ここからの脱出はとても容易になる。
まずは行動の習性を見るために、柱に隠れながら息を潜めて観察を始めた。
数十分眺めていて分かったが、彼らには全く知能が残っていないというわけでは無いらしい。
授業の時間に合わせて、教室移動のつもりか、階段を登ろうとするゾンビたちが何人か見られた。
もっとも、階段を登ったり降りたりするのはあまり得意ではないようだが。
そういえば、途中こちらに一人向かってきたが、瓦礫の影に隠れて息を潜めていたらどこかへ行ってしまったので、察知能力はそこまで高くないのかも知れない。
とにかく、生前の習性が残っているというのはありがたい。
恐らく、校内放送である程度行動を誘導できるだろう。
次に、どの程度で行動不能になるのかを調べた。
奴らは音と視覚でこちらを判別しているようで、光る者や音のなるものに寄っていく習性があるようだ。
俺を助けた時に教頭がやっていたように、防犯ブザーを鳴らして見たが、どうやら強い音を聞くとパニックになるらしい。
いざという時の為に護身用のブザーを持つと良いかもしれない。
前から気になっていた心臓についてだが、思いっきり心臓を付いたがしばらく倒れるだけだった。
やはり頭を潰すのが一番のようだ。
それが出来なくても、強い力で身体を殴ればしばらく動けないようだが。
最初刺股で首を抑えた時には力加減を誤って、首をそのままへし折ってしまったのには驚いた。
意外と脆いのかもしれない。
分かったのはこの程度だろうか。
雨でも降ってくれれば、水が有効かどうかが分かるのだが、あいにくと今日は快晴だ。
しばらく雨は期待できないだろう。
とまぁ、分かったのはこのくらいだろうか。
初回にしてはなかなかの収穫だろう。
時間ならいくらでもある。
なら、慌てずに行くのが一番だろう。
その日の成果をメモした紙を手に、地下へと戻った。
俺が地上に出るようになってから、教頭の様子がおかしい。
情緒不安定と言うか、落ち着きが無くなったかと思えば、しばらく呆けていたりする。
少し前の俺もこんな感じだったのだろうか。
違うのは熱が出ていないところくらいか。
もし、俺と同じ症状ならあの薬が有効だろう。
その旨を教頭に伝え、注射を打ってもらったが症状は改善しなかった。
本人に聞いてみても「大丈夫…大丈夫…」としか答えないし。
どう見ても大丈夫じゃないから聞いているんだけどな…
もしかして自分が重荷になっているせいで気を病んでしまったのだろうかと思い、謝ってもみたがそれが原因では無いらしい。
むしろ『少し一人にしてくれ』とまで言われてしまった。
ここは言葉に従って一人にするのが良いだろう。
静かに考える時間も必要だろうし。
その日の調査は少し長めにする、と伝えて、地上へと繰り出していった。
とりあえずゾンビについては粗方調べ終わっていたので、学校の設備を調べて回ることにした。
電算室でネットに繋げるパソコンが1つくらいないかと思ってすべての電源をつけて回ったが全くの無意味だった。
生徒用玄関のバリケードがかなり弱くなっている箇所を見つけたので、直ぐ側の技術室から材料を持ってきて申し訳程度の補強をした。
保健室にも何か特別な薬が無いかと探したが、むしろ地下のほうが薬のバリエーションがあった。
1日を無駄にした気分だな…
まぁ今日の所は教頭を一人にするのが目的だったし、これもいいか、と自分を納得させて帰路につく。
帰り際に階段の方から数体のゾンビが降りてきたが、対処にも慣れたもので、一応人間かどうかを確認してから首を突いて黙らせた。
この確認作業がいつの日か役に立つことを願っている。
望みは薄そうだが。
地下へと続く階段を下りながら今日の夕飯のことを考える。
やることが無さ過ぎて、料理が半ば趣味となってしまっている。
地下倉庫には料理本も置いてあったので、殆ど知識が無かった俺でも一般的な料理は作れるぐらいには成長した。
せっかく冷蔵室があるのだから、ちゃんとした料理が食べたいと思ってしまう程度には心に余裕を持つことが出来た。
これもすべて教頭のお陰だ。
うん、思い立った日が吉日というし、今日は感謝の意見も込めて豪勢に肉を焼こう。
久しぶりの肉の事を懸想しながら地下室のドアを空ける。
「ただいま戻りましたー。今日の夕食は…」
肉ですよー、と続けようとした口は開いたままになった。
手に持っていた刺股が音を立てて転がっていく。
自分でも目が見開いていき、身体が震え出すのが分かる。
それほど目の前の光景は衝撃的だった。
俺の視線は地面から離れた教頭の足から、段々と上へ向かう。
力なく垂れた腕、青白くなった肌、そして、生気の無くなった顔。
そして、天井から吊るされた1本のロープ。
その日から、俺は独りになった。
さよなら教頭先生