貴女の笑顔のために   作:さぶだっしゅ

5 / 25
ひなん

 

 

 

俺は朝が苦手だ。

一応起きれるには起きれるのだが、あの布団の温もりから引きずり出されるのは本当に嫌なものだ。

出来れば一日中布団の中に入ってさえいたい。

 

毎朝そんな下らない事を考えながら、忌々しい目覚まし時計を止める。

親父に無理やり早起きの習慣をつけさせられたので、大抵は目覚ましのなる前に起きてしまうのだ。

あの、徐々に大きくなっていく音は、人生で嫌いな音のベスト3に入ると自負している。

 

もしかして、朝じゃなくて目覚ましが苦手なだけなんだろうか。

 

 

さて、今日もセットした時間の5分前に目が覚めてしまった。

このまま寝ていたいが、あと少しであの不快音が鳴り響く。

 

手の届くところに置くと二度寝してしまうので、目覚ましはベッドから腕を伸ばしても届かない場所に置いてある。

誰だ、あんな遠くに置いたのは。

 

それにしても、また学校か。

正直、毎日学校に行く理由が見出だせない。

別に一日ぐらい行かなくても良い気がしてきた。

 

まぁ結局は何だかんだ言っても登校するのだが。

 

そんなどうでもいいことを考えているうちに、時計の長針がちょうど12に重なろうとしていた。

あと数秒で布団から抜け出さないといけないのか…

 

外は気持ちのいい程の快晴のようだが、俺の心は満天の曇り空だった。

 

あと3、2、1…

 

長針が僅かに揺れ、けたたましいベルの音が響き渡った。

あー、憂鬱だ…

 

それにしても、いつもより音が脳に響いてくる気がする。

そもそも、俺の目覚ましのアラームはこんなブザーみたいな音だっただろうか?

 

この音、まるで防犯ブザーみたいな…

 

「きみ…早く…」

 

何だ?

今度はおっさんの声まで聞こえてきた。

せめて女性の綺麗な声にしてくれ…

 

「早く…こちらに…」

 

つーか、誰の声だ?

親父の声にしては年食ってる感じが…

とりあえず目を開けて確認するか…

 

「おい!早く!」

 

「…はっ!?」

 

目を開けた瞬間、一気に意識が現実に引き戻された。

 

目の前には俺の部屋ではなくて、荒れ果てた学校の昇降口。

俺が座っているのはベッドではなく、血塗れの廊下。

 

そうだ、さっき俺は食われそうになってたんだっけ…

 

未だに回っていない頭で何とかこうなる前の記憶を引き出していく。

生きることを諦めて目を閉じた瞬間に、一瞬だが意識を失っていたようだ。

 

「何をしているんだ!早くこちらに来なさい!」

 

さっきからこちらに怒鳴っているのは誰なんだろうか?

声がする方へと目を向けると、防犯ブザーを握ったスーツのおっさん…

確か、教頭だったか…が血相を変えて立っていた。

 

なるほど、さっきのブザー音はあれか。

 

どうやら、俺が食われそうになったタイミングでここに来たらしい。

彼が居なかったら、俺はアイツらと一緒になって襲いかかっていたかもしれない。

 

幸い、まだ向こう側にはなっていない。

それになるつもりもない。

 

何とか椅子を支えにして、教頭の方へと歩いて行った。

 

「歩けるか?」

「すいません…身体にうまく力が…」

 

さっきまで立っているのがやっとだったのだ。

いきなり普段通りに歩けるまで回復する訳もなく、未だに俺の足取りは危ういものだった。

 

そんな俺を見かねて、教頭は肩を貸してくれた。

これなら何とか歩けそうだ。

幸い、アイツらはスピードが早いわけでもないし、この速さでも逃げきれるだろう。

振り返って確認してみたが、未だに耳を塞いでうずくまっているし、問題なさそうだ。

 

 

「何処に…逃げるんすか?」

「この先に地下施設へ降りる階段がある。そこまで行けば安全だ…」

 

なるほど、俺の目的地と同じわけだ。

これは運が良かったな…

 

 

 

教頭に肩を借りて、何とか地下への階段へと着くことが出来た。

ここは元々来る人が居ないせいか、ゾンビの姿も見られない。

どうやら安全なようだ。

 

「さて、シャッターを降ろさないとな…危ないから離れていなさい」

「いや、ちょっと待ってください…」

 

もしここでシャッターを完全に閉めてしまえば、ここを知って避難してきた人たちが逃げ場を失って死んでしまう可能性がある。

それに、考えたくはないが、俺か教頭のどちらが感染した時に、しまったままでは内側から逃げることは出来ない。

密室という空間は、最も安全で、最も危険な空間なのだ。

 

そのことを教頭に説明すると、納得してくたようで机ひとつ分だけシャッターを開けておくことになった。

この高さなら生きている者はスムーズに通れるだろうし、感染してしまったものは通りにくい高さだろう。

 

 

 

シャッターの奥の階段を降りると、そこは明るい空間だった。

人工的な光を見るのが懐かしく思えた。

ほんの数時間前に見ていたはずなのにな…

 

そこは、光だけでなく物資も溢れていた。

左右には多くの棚が並び、「非常食」、「薬品」などラベルが貼ってある。

棚の奥にはいくつか扉があり、冷蔵室や風呂なども備わっているようだ。

 

まるで、こうなることが分かっていたような備え方だったが、疲れきっていた俺はその違和感に気付く事ができなかった。

 

「さて、風間くん、だったかな?」

「あ、はい…」

 

なんで俺の名前を知ってたんだろう?

まさか、全校生徒の名前を覚えてるんだろうか。

そんな俺の心を読んだかのように、教頭は苦笑いしながら疑問に答えてくれた。

 

「いやぁ、よくボランティア活動に参加してくれた生徒は覚えているんだよ。他にも、丈槍さんとか内田くんとかね…」

 

なるほど、そういえば丈槍が「めぐねえが居るから行く!」とか言ってよくボランティアに行っていた気がする。

何故かそれに俺も付き合わされていた。

まぁ、ああいう活動は嫌いじゃないから問題なかったが。

 

「それよりも、疲れただろう?シャワーで身体を洗って、もう休むといい。使い方は分かるかい?」

「あ、多分見れば分かると思います…」

 

安全な場所に逃げることが出来たと思うと、一気に緊張の糸が切れてしまった。

本当ならこのまま寝てしまいたいが、アイツらの腐肉で汚れたまま寝るのは確かに嫌だ。

それに、不衛生だったから感染しました、なんて事になったら笑えないし。

 

シャワーは冷水だけという場合も覚悟したが、意外にも温水だった。

昨日も浴びたはずのシャワーは、まるで数週間ぶりに浴びるような気持ちよさだった。

 

シャワーを浴びたあとの事は正直よく覚えていない。

教頭と話したような気もするが、どんなことを話したかもあやふやだ。

 

完全に思考が停止した状態で簡易ベッドに潜り込み、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「あれ、ここは…」

 

息が苦しくなって目が覚めた。

昨日は何をしてたんだっけ?

 

いつもどおり学校に行って、授業受けて…それから…

つーか、ここどこだ?

見たところ教室みたいだけど…

 

何故か教室には誰もいない。

教室移動で俺だけ置いてかれたのか?

だとしたらすごく恥ずかしいんだが…

 

欠伸を噛み殺しながらドアを引いて外に出ると、そこには…

 

「あぁぁ…」

「う゛ぅう゛…」

 

「えっ?」

 

身体が腐った人型の何かが徘徊していた。

壁は荒れ果て、窓はすべて割られている。

そこかしこから誰かの悲鳴が聞こえてくる。

 

「あ…」

 

人型がこっちに気付いたようだ。

うめき声を上げながらこちらへと寄って来る。

直ぐに逃げ出したいのに、足が動いてくれない。

 

「く、来るな…」

 

腕と足の震えが止まらない。

後ずさりしようとしたが足が絡まって尻もちを着いてしまった。

そのまま教室の中へと逃げこむ。

 

しかし、先ほどまで綺麗だった教室は廊下と同じように一変していた。

 

一面飛び散る血に、何かの肉。

かろうじて人の形をした物体。

 

「あ…ぁ…」

 

このままだと殺される。

歯を食いしばり、なけなしの勇気をもって立ち上がる。

逃げなきゃ死ぬ。

そのシンプルな生存本能だけで身体が動いていた。

 

さっき出ようとしたドアとは別のドアまで駆け寄り、引き戸に手をかける。

しかし、ドアはビクともしなかった。

 

「おい!何でだよ!開けよ!」

 

いくら力を込めても、いくら強く叩いても、こちらを嘲笑うかのようにドアは動かない。

恐る恐る後ろを振り返ると、奴らはほんの数メートル先まで近づいてきていた。

ここまで濃密な死の匂いを感じるのは初めてだった。

 

「く、来るなよ!」

 

思わず足元に転がっていた椅子で奴らの頭部を殴る。

奴らはうめき声を上げてよろめいた。

 

「ああああああああ!!」

 

その後は無我夢中に殴り続けた。

傷つけられようが関係ない。

腕を噛まれようが関係ない。

ただひたすら、奴らを殴り続けた。

 

気がつけば身体も、視界も真っ赤に染まっていた…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッー!」

 

…夢?

本当に夢か?

 

身体が振るえて仕方がない。

歯がぶつかり合ってカチカチと音を立てる。

 

恐る恐る周囲を見回す。

奴らは居ないか?そこに隠れてるんじゃないか?

いつもなら気にならないような物陰が怖い。

何時襲われるか分からない、というのは原始的な恐怖を喚起する。

本能からくる恐怖というものは、簡単に克服することが出来ないものの1つだ。

 

自分の身体を抱きしめて耐えていると、何とか余裕が出てきたような気がする。

一度深く呼吸し、改めて周囲を観察する。

 

物音、なし。自分以外の呼吸音、なし。何かが動く音、なし。

 

一つ一つ念入りに確認して、ようやく安全を確信する。

ホッと息をつくことが出来たが、その息はすぐに飲み込まれる事となった。

 

俺の両腕は、血の色に染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洗わないと、早く手を…

洗わなきゃ洗わなきゃ洗わなきゃ洗わなきゃ洗わなきゃ

 

洗面台に向けて脇目も振らずに走りだす。

触れたドアに血がつくかもしれないが無視だ。

 

途中、誰かに声をかけられた気がしたが反応している余裕が無かった。

今は直ぐにこの手を洗いたかった。

 

 

洗面台に着くなり、水を流して手をこする。

何故か腕の赤い汚れはこすってもこすっても落ちない。

なんで?

 

息が荒くなるのも構わずにひたすら腕をこすり続けた。

それでも汚れは落ちない

なんでなんでなんでなんでなんでなんで…

 

「風間くん!やめなさい!」

「離せよ!汚れが落ちないんだよ!」

「汚れなんて付いていない!むしろ傷つけているじゃないか!」

 

後ろから誰かに羽交い締めにされて止められる。

何で邪魔するんだ!

それに、俺の腕なんか触ったら汚れが…

 

「っ!いい加減にしなさい!」

 

拘束が解けたと思ったら、今度は頬に強い衝撃を感じた。

不意の一撃に思わずその場に倒れこんでしまう。

 

「自分の手をよく見てみろ!傷だらけじゃないか!」

 

そう、血まみれに…

 

え?傷?

 

そんなものは付いて無いはず…

 

自分の腕をもう一度見てみる。

その腕には先程までは無かった大量の引っ掻いたような傷が残っていた。

 

「え…何で…」

「君が自分でつけたんだろう?一体、どうしたんだ」

「俺は…汚れを落とそうと…」

「汚れ?さっき洗面所に走っていく君を見たが、汚れなんて無かったぞ」

 

汚れが無かった?でも、確かにさっきまで腕に…

目を閉じてもう一度自分の腕を見下ろす。

傷は付いていたが、肌色の部分も見える。

先ほどのように、一面真っ赤というわけでは無かった。

 

「どうやら幻覚を見ていたようだね。まぁこんな状況だからな…」

 

幻覚…?あれは本当に幻覚だったんだろうか。

それほどまでに、俺の心は…

 

「さぁ、こっちに来なさい。その傷の手当をしよう。食事は出来そうかい?」

 

無言で首を振る。

あんな物を見たあとに何かを食べようなんて気分にはならなかった。

 

「そうか…まぁ、食べたい時に食べればいいさ」

 

そう言って、教頭は救急箱を取りに行った。

今は一人になりたくない。

一人になったら何をしでかすか分からなかった。

 

 

俺は慌てて教頭の後を追った。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。