………暇だ
めぐねえに丈槍を任せて、その二人を眺めたり外に立ち昇る煙を観察していたが、それも飽きた。
…そうだ、日記の続きを読めば良いのか。
しかし、見つかればどう考えてもめぐねえが怒る。
なので、窓側に身体を向けて、体の影で隠しながら日記の続きを読むことにした。
@月Q日
妻の容体が回復した。どうやら薬が効いたようだ。
まだ開発されたばかりの薬だったので少々不安だったが、無事成功だったようだ。
しかし油断は出来ない。今後も要観察
@月W日
ようやく明のいる生活に慣れた。
子供というのはここまで大変なものだったのだな…
まだオムツを変えるのは良いが、夜泣きがたまらない。
よく妻は耐えれるものだ。
@月R日
今日は妻と買い物に行った。
明はとても良い子で、外で泣き喚いたりしないから助かる。
今回は明の服を買った。
赤ん坊の服は縫い目が外に行くよう工夫されているのか…
@月Y日
妻がまた体調を崩した。
どうやら風邪のようだ。
普段の無理が祟ったのだろうか。
@月O日
妻の体調が元に戻った。
風邪が治ったようだ。
妻はあまり薬を使いたがらないので風邪薬は飲まなかった。
それでは治るものも治らない…
この後はしばらく日常的なことが続いた。
読んでいて思わず笑みが溢れてしまうような、そんな日記だった。
俺は母親の事を殆ど思い出せないが、日記を見る限りとても優しい女性だったようだ。
それを知れただけでも読んで良かったな。
パラパラとページをめくっていっても書いてあるのは家庭の、それも幸せな事ばかり。
しかし、あるページからそれは急変した。
P月D日
私の部下があのウイルスのサンプルを外に持ちだしたらしい。
なんと愚かなことをしたのか。
過去にあれほど大きな事件があったというのにそれを学習しないのか。
今回は未然に防げたから良いが、もし漏れ出ていたと思うとゾッとする。
あれはαと特異的に結合する、本当に特殊なウイルスだ。
片方だけならまだ対処可能だが両方同時に漏れ出れば、それは35年前の事件の再来となる。
巡ヶ丘市の病院からの資料によると、α型の感染者は約100名。
もしかしたらその100名は…
P月G日
最悪の事態が発生した。
ついにあのウイルスが完全に発現してしまった。
今回はまだ感染者が1人だったから何とか捕獲出来たが、これが広がっていたらどうするつもりだったのか。
確かに、Ω系列のウイルスを乗り越えた患者の血清は、ありとあらゆる病原菌に有効だということが分かっている。
しかし、それを他人の命を弄ぶような真似で得ることなど私は望んでいない。
今からでも、あのウイルスをすべて消すことができれば…
読んでいくうちに腕や身体が振るえていくのが分かる。
体中が熱いのに、何故か芯だけは異常に冷たい。
そんな感覚だった。
なんだよ、これ…
α型?Ω系列?35年前?
いったいなんのことなんだよ…!
感染したらどうなるんだよ…!
まさか俺の母さんは…!?
「…まくん」
親父の研究は確かにウイルス系ではあった。
でも、普通の病気とかだって言ってたのに…!
「ざまくん…!」
親父…アンタ今まで何を…!
「風間くん!」
「なんだよ!」
「…っ」
しまった。思わずカッとなって怒鳴り返してしまった。
今の俺は落ち着くなんて無理だ。
でも、冷静になれ…じゃないと分かるものもわからない…
「すいません、取り乱しました。んで、なんすか?」
「…風間くん、ここから今すぐ逃げるわよ」
「え?」
逃げる?何から?
「めぐねえ…」
「大丈夫よ、由紀ちゃん…私がいるから…」
ちょっと待て、話しについていけないぞ。
逃げるって何から…
「風間くん!屋上に逃げるわ!」
「え!?ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺は状況も分からないまま、教室から飛び出した。
そして全てを理解した。
割れた窓、
荒れ果てた壁、
血のの飛び散る廊下、
その廊下の先に見えるのは、人であったであろうナニカ。
制服を着ているのと、かろうじて人型を保っているから分かる。
これは、人間だ。
いや、人間だったものだ…
「なんだよ、これ…」
「私にもわからない…でも、ここにいれば私達もこうなるわ。ひとまず、ここを離れましょう」
「あ、ああ」
何も答えられなかった。
全く頭がまわらない。
なんで
どうしてこんなことに
廊下を走ると、ナニカが数体固まって屈んでいる。
そこからはくぐもった悲鳴ともがく手足。
しかし、その声も動きも段々と小さくなっていき…
残ったのは腐ったような肉片だった。
まさか…人を食ってるってのか…?
とんだ…B級ホラーもいいとこだ
呆然としていると、食われていた人間が立ち上がり始めた。
これが復活とかだったらどんなに良かったことか。
そんな都合の良いことが起きることもなく、食われていた人間は向こう側へと仲間入りを果たしてしまっていた。
「めぐねえ…これ、現実?」
「残念だけどね…」
「そうか…」
笑うことすら出来なかった。
その後もめぐねえのナビゲートで何とか屋上へと向かう階段付近まで到達することが出来た。
最初は現実を受け入れることが出来なかったが、ここに来るまでに散々現状を叩き付けられた。
納得はできないが理解はできている、と言った状態だ。
ナニカ…もう面倒だからゾンビと呼ぼう。
ゾンビたちは予想通り人間が変化したものだったようで、生徒が多い場所、例えばまだHRを行っていたであろう教室にはわんさか居た。
しかし、逆に言えば、元々人が少ない場所にはゾンビがほとんど居ないのだ。
だから、一部の人しか立ち入らない屋上へと向かうというめぐねえの判断は正しかったのかも知れない。
現に、屋上へと続く階段には、まだゾンビがほとんど居ない。
しかし、何時ヤツらが来るか分からない。
今のうちに登ってしまうのが上策だろう。
でも、何が起こるか分からない…
常に警戒はしておかないと…
っ…!
「めぐねえ!どけ!」
「え…?っ!」
何かが動く音がしたと思ったら、防火扉の影にまだ一人居たらしい。
腕を振り下ろす前にめぐねえと丈槍を突き飛ばして避けさせることが出来た。
俺の腕もゾンビの二の腕付近に伸ばしたせいか、鈍い痛みはあるものの傷とかは負っていないようだ。
こういうのは傷つけられたらアウトな可能性が高いからな…
しかし、めぐねえと丈槍を階段側に押しやれたのは大きいが、俺と階段の間にはゾンビが割り込んでしまった。
「ちょっと通りますよー」みたいに通してくれる雰囲気でもないし、階段には行けないか。
しかも、今の音を聞きつけたのか廊下側から何人か迫ってきてやがる。
こうなれば…
「風間くん!」
「あーくん!はやく!」
「めぐねえ!丈槍!俺は別ルートで屋上に行く!先に行っとけ!」
「でも!それじゃあ風間くんが!」
「めぐねえも丈槍も俺の体育の成績知ってんだろ!なんとかなる!屋上に誰かいたらよろしくな!」
これ以上ここで喋ってる時間はない。
もたもたしてると俺だけじゃなくて、あの二人も危ないからな。
それに、行くアテが無い訳じゃない。
到着できるかどうか怪しいが。
「あ゛あ゛ぁ」
「チッ…」
ゾンビたちが腕を振り下ろして向こう側へウェルカムしている。
でも、こんなとこでくたばる訳にはいかないんだ。
まだ、親父に聞きたこともあるしな。
未だに何か言っている2人を無視して、いま来た廊下を走りだした。