簪の様子が変だった。
それに気づいたのは朝、寮の食堂で会ったときのこと。
いつも通り朝食を共に取っていたが、その時簪は一度も目を合わせてはくれなかった。それどころかバツの悪そうな顔をしたり、気まずい顔をしたりするばかり。
しまいには、朝食を食べ終えると足早に去っていく。露骨過ぎる変な様子。
何かあったのは確実だが、その何かが分からない。自分では気づかぬうちに俺は、簪に何かしてしまったんだろうかとも思ったが、心当たりがない。
昨日最後会った夕食時はまだ以前と変らず普通だった。となると、何かあったとすればその後。確か後輩の勉強を見てあげてると教えてもらった。
だとすればその時、後輩絡みのことか。後輩と喧嘩……という感じではないし、まずありえない。他となると、後輩同士の厄介ごとに巻き込まれたとか。考えたくないが、普通にありえる。
同じ代表候補生であるオルコットやデュノアを慕う後輩グループもよく誰が先輩と隣に座るかとかで揉めていたりするのをたまに見かける。まあ、本当の喧嘩ではなくてじゃれあっているようなものだが。
しかし、厄介ごとに巻き込まれたとしてもあんな表情をする必要はあるのだろうか。分からない。ますます謎が深まっていく。
「何難しい顔してんだよ。眉間にシワできてるぞ」
我に返り、適当に誤魔化す。
考えるあまり顔に出てしまったようだ。
「考え事か?」
「あっ、もしかして~さっきのかんちゃんのこと~?」
「更識さん? ああ、確かに何というか挙動不審だったよな」
一夏達も気づいていたようだ。
いや、気づいて当然か。誰から見てもあからさまだったのだから。
本音は何か知っていたりしないのだろうか。同室なのだから気づくこともあるとは思うのだが。
「ん~まあね~でも、今はそっとしといてあげて。そのうちかんちゃんから言ってくるだろうし~」
それもそうか。
簪の後輩関係。ひいては女子同士の問題に生半可な気持ちで関わっていいものではない。
そのうち、簪から話してくれることを待ちながら今はそっとしておくべきか。
流石に今日の様子が長引くようなら、俺の方から少し強めに聞いてみなければいけないが。
そうこうしていると昇降口に着き、上履きへと履き替えようとした時だった。
下駄箱の中にあるものが入っていることに気づく。
絶句した。入っていたあるものとは封筒。手紙が入っているだろうほどの厚み。下駄箱に入っている封筒。頭の悪い方程式が思い浮かんでしまった。
「おい、どうした。凄い顔して……おまっ、それってもしかしてラブレ……っ! ……ごめん、静かにするから睨むなよ」
騒ぐ一夏を睨んで黙らせる。
こんな人の多いところでそんな言葉を大声で言うな。俺を殺したいのか、こいつは。
「いや~かんちゃんといいモテますな~」
今度はニヤニヤとしてあからさまに楽しんでいる本音がすぐそばにいた。
聞き捨てならない言葉があったが、今はさっさとこれを鞄の中へしまい、さっさと教室へ向かった。
クラスメイトと挨拶を交わしながら、自分の席に荷物を置くと手紙をポケットに入れ、トイレへ一人向かう。
目的は言わずもがな。あんなもの教室で確認したら内容はどうあれ、めんどくさいことになる。一夏が着いてきそうになったが適当にあしらっておいた。
遠い道のりを経て着くと個室へと入り、中身を確認した。
思った通り手紙だった。差出人は後輩。確かこの後輩は簪を慕っている後輩の一人。何度か挨拶程度に話したことはある。一年生でトップクラスの成績で凄い簪を慕っていような。
そんな子が俺に一体何の用が……とりあえず、読んでいく。
『突然の手紙、すみません。今日の放課後、お話したいことがあります。少しでいいのでお時間を下さい』
そう綴られ、彼女は屋上を話し合いの場として指定してきた。
話とは一体何についてなんだろうか。それについてはやはりおよそ見当もつかないが、わざわざ手書きの手紙を寄越すということはよほど重大な話をするつもりということだけは見当つく。
『PS、同じ内容の手紙を簪先輩にも送っているのでどうかよろしくお願いします』
という一文が加えられているほどなのだから。
簪にもこれを送ったのか。随分と豆というか真面目な性格なんだろう。彼女は。
となるとやはり、後輩絡みのことか。大事の予感がしてきた。
俺を呼ばれても一夏じゃあるまいし、大した力にはなれない。呼ばれる意味がやはり分からないが行ってみる他ない。
正直、手紙の内容を確認するまでは突拍子のないことが書かれていると思っていたが、割かし普通の内容で安心した。
昼飯の時に簪と会えるし、その後にでも少しばかり詳しいことを聞いてみよう。
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休み時間になると開放感からか教室は騒がしくなる。
二年目ともなれば流石に慣れはしたものの、授業内容は相変わらず難しい。
だが後一限乗りきれば昼休み。もう一頑張りだ。
そんなことを思っていると、簪からメッセージが来た。
珍しい。昼休みや放課後でないのに簪の方から送ってくるなんて。内容を確認してみる。
『話したいことあるからお昼二人で食べたい』
話ってのはあの手紙のことについてなんだろうなとすぐに思いあたった。
あれには簪にも送っていると書かれてあったわけだし。
なら丁度よかった。俺もあの手紙について話したいことがあった。
分かったと返事を返すと簪から返事が来た。
『場所はいつもの整備室で』
この話は聞かれていいものではない。周りに人がいては話したくても話せない。
しかし、そこなら落ち着いて話ができる。
再び分かったと返しチャイムが鳴り、始まる授業に集中した。
そして、つつがなく授業は進み終わる。
チャイムが鳴り、先生が出て行くのを見届けるや否や一夏がいつもの様に誘ってくれた。
「飯行こうぜ」
誘ってくれて早々に悪いが断らせてもらった。
「かんちゃんと~?」
本音は察しがいい。
やはり、本音は大体のことを知っているみたいだ。簪と二人で何をするのかも気づかれているかもしれない。
一夏は残念がっていたが、訳を説明すると納得してくれた。
「そっか。それなら仕方ないな」
「じゃあ~かんちゃんによろしくね~」
一夏達に別れを告げ、簪に今から行くことをメッセージで伝えると整備室へと向かった。
勿論、途中に昼ご飯を購買で買って。
整備室の前まで来ると自動ドアが開いた。中に入ると簪がすでにいた。少し待たせたか。
「ううん。大丈夫……お昼ご飯先に買ってただけだから」
そういうことならよかった。
簪の隣に腰を降ろすと、持ってきたあの手紙を見せながら、これについての話かと早速聞いた。
すると頷き、簪も手紙を見せてくれた。
「うん。……やっぱり、あなたにもこれ来てたんだね。中身読んでもいい……?」
見られてはいけない内容や恥ずかしい内容ではないので、素直に渡して見せる。
静かに手紙を読む簪。
普段通り、無表情だが安心しているのが分かった。
今度は俺も簪が後輩から貰ったという手紙を読みたくなった。
俺のには呼び出しの内容しか書かれてなかったが、簪宛ならことの詳細が書かれているかもしれない。
そう思い読んでいいか聞いてみたが、簪は慌てた様子だった。
「ま、待って……その前に、話さないといけないことが……ある、の」
簪は口ごもりながら言った。
間違いなくこの件についてのことだろう。
手紙で確認するよりも直接簪から聞いたほうがいい。
俺は簪が話し始めるのを待った。
「……」
だがしかし、いくら待っても簪は黙ったままで中々話し出さない。
気の重たそうな表情をしたり、何やら考え事をしているのか悩む顔をして、言いにくそうにするばかり。それだけ難しい問題を簪は後輩絡みで抱えているということなんだろう。
大した力にはなれないのは無論充分承知しているが、それでも簪を助けてあげたい。
いまだ話し出さず、苦しそうにする簪。
買ってきた昼飯を食べながら待っているが、数分そうしているものだから流石に大丈夫かと心配になってきた。
「だ、大丈夫……心配かけてごめんなさい……そろそろ言えそうだから」
いろいろなものを流し込むかのように簪は一口飲み物を飲むと、ゆっくり言い始めた。
「その……私、この後輩に告白されたんだ」
告白か……一体、どんな告白をされたのやら。
「分からないの……? 告白だよ、告白」
俺の反応がお気に召さないのか、簪は不服そうな顔で頭を抱えていた。
ああ、そういうことか。すぐさま簪が何を指して言ったのか分かった。告白ってそういう意味の告白だったのか。
「うん。昨日の夜、勉強見てあげてた時にね……告白された。先輩としてじゃなく、一人の女性として好きだって……」
言っていることは分かるし、理解はしている。しかし、話に頭がついていかない。
簪は女子で後輩も女子。同性同士。おかしい気が……いや、待て今時そういう恋愛はおかしくもなければ、珍しくもなんともない。
そもそもここは女子校。よくあることだと聞かされていたし、実際に女子同士でも恋愛交際している人達はいる。現三年生のとある先輩達がそうだ。
事実そうだとしても、やはり驚かないわけではない。混乱する。
前々からまさかとは思っていたが親しい人が、しかも自分の彼女が同性に告白されるだなんて思ってもいなかった。
そう言えばこの間、楯無さんが変なこと言ってたな。本当にあの人が言う通りになってしまった。更識さんの末恐ろしさを今改めて感じる。
忠告してもらっていたから気構えこそはしていたが、現実問題として俺は、どうすればいいのだろう。簪に俺は、どうしてあげられるだろう。
異性恋愛以上にデリケートな問題だ。かなり難しい。変に拗れたりして大事になるなんてことはよくないしな……と、ついあれこれ考えてしまう。
「大丈夫……? ごめんなさい。こんな話聞かされても困るよね……」
心配そうな顔して簪がこちらの様子を伺ってくる。
馬鹿か俺は。いくらなんでも驚きすぎだ。ましてや簪に心配かけるなんてもっての他。
一番困っているのは簪の方なのに俺の方が動揺してどうする。もっと、しっかりしなければ。
呼び出して話したいこととは、このことで間違いない。
何を話されるのかは今一つ分からないが、これもまた気構えだけでもしておくべきだろう。
で次に、これからどうするのかを決めていかなければならない。
簪としてはこの後輩のことをどうしたいんだろうか。
「勿論諦めてほしい。気持ちは嬉しいけど、応えることはできないから……」
当然と言えば当然か。それを聞いて何だか安心してしまった。
そういうことなら、簪からもう一度断りを入れればいい。簪で足りないのなら俺からも断りを入れてみるが。
しかし、簪の表情は浮かない。
「それができたらいいんだけど……でも、私には情けないけど無理。二回……断ったけど、それでも昨日『頑張って私に振り向かせて見ますから、覚悟しといてくださいね、先輩』って……」
凄いこと言うな、あの子。
二度も断られてもこれとは……ある意味、筋金入りだ。
だからこそ、後輩がどれだけ本気なのかがよく分かる。
普通告白をするというのは勇気がいる。しかも同性にというのは思っている以上に勇気があってのもの。二回断られてもめげず頑張ろうとする。それは凄いことだ。それだけ簪は後輩に想われている証拠なのだから。
確かにこれは一筋縄ではいきそうにないな。俺が何か言ったところで彼女の気持ちは変らないだろう。むしろ、想いは強くなるかもしれない。
だが、こちらとて引き下がるわけにはいかない。
後々いろいろありそうなのは覚悟の上。俺の方からも後輩が簪への想いに一区切りつけられるように説得というほど偉そうなものではないが、話してみようと思う。それが俺のやるべきことだ。
だから、簪は安心してほしい。
「ありがとう。嬉しい……心強いよ。……本当、ごめんなさい。こんなことにあなたを巻き込んでしまって……」
謝る必要も気にする必要ない。
俺としては今回のことがある程度丸く収まり、簪が再び平穏に過せるようになるのならいい。
それに今回のことに形がつけば、また先輩後輩の付き合いは続けていくことは出来るだろう。
後輩はどうか確認しようがないが、簪にはその気があるはずだ。
「うん、出来れば、ね……最初はもうこれっきりの付き合いにしようって思ったけど……それじゃあいくらなんでも寂しいから。勿論、私が断っといてそれは虫がよすぎる。私のエゴだったことは分かってるけど……」
それは仕方ない。
そのことが簪はちゃんと分かっていて頭にあるのなら、充分なはずだ。
あれこれ考えていたって、結局なるようにしかならない。
ただ、少しでもいい結末。簪が望むその結果を得られるように、俺は力の限り事に当たろう。
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ついに放課後を迎えた。
あの手紙の果たす為、簪と俺は屋上にやってきていた。
人気のない静かの屋上。そこに彼女はいた。
「よかった。来てくれたんですね。安心しました。ありがとうございます」
一礼して嬉しそうに彼女は微笑んだ。
久しぶりに見るけど、この子が簪に告白を……。
告白をして断られた後だというのに凄い余裕を彼女から感じる。
何というか楯無さんに似てた雰囲気を感じるのは気のせいであってほしい。
「それで……話って何……彼まで呼び出して」
どことなく緊張した強張った表情を浮かべながら簪は問いかけた。
「そうですね……先輩」
彼女は俺の方を向き佇まいを正す。
真剣な様子が伝わってきて、俺もまた佇まいを正した。
「話ってのはですね……簪先輩から聞かされて知っているかもしれませんが、昨晩私は簪先輩に告白させていただきました。私は簪先輩が好きです。それは恋愛感情として。そのことを先輩にも知っておいてもらおうと思い簪先輩と一緒にこうして呼びさせてもらいました。言う必要は当然、言われたところで先輩が困るだけだということは分かっています。ですが、彼氏である先輩にも直接一言どうしても言っておきたかったので」
真面目。いや、この子は根が物凄く正直なんだろう。いろいろと様々な意味で。
実際言われたところでどういう反応が一番正しいのかよく分からず、困る気持ちはあるが、変に周りからあれこれ言われるよりも彼女から今の様に直接聞けてよかった。
「簪先輩には悪いことをしてしまったと反省しています。正直もう告白するつもりはありませんでした。ただ、その……気持ちを我慢できなくなってしまったといいますか。すみません」
「謝る必要はない……やっぱり、応えることは出来ないけど……その、気持ちは嬉しいから」
「そう言ってもらえる嬉しいです。ちゃんとした私の想いを簪先輩にしっかり分かっていただけただけで充分です。頑張って振り向かせてみせるなんていいましたけど、何も今すぐに付き合いたいとかそういうわけじゃないですし……だから、簪先輩との本気で仲を邪魔したりや寝取ったりはしないので安心してください、先輩」
「寝取……? 何……えっ……?」
彼女の言葉が今一つ分からないのか、簪は不思議そうな表情を浮かべた。
簪はそのままでいてくれ。というか、凄いこと言うなこの子。
まあ、軽口叩けるぐらいなら心配する必要はないか。一まず彼女の言葉を信じよう。
「気持ちはやっぱりそう簡単には冷めそうにはないですが私はこれで充分です。ちゃんと区切りはつけられそうです」
彼女の顔にはどこか少しだけ辛そうな表情が見えた気がした。
「……ねぇ……」
「何です?」
「貴女はまだ辛いかもしれないけど……よかったらこれからもまた前みたいに……親しくさせてもらってもいい?」
「えっ? いいんですか? こんなことの後だからてっきり私」
彼女言うことも驚きも当然ものであった。
普通以上にデリケートなことであるから、そういう選択肢あったにはあった。
だがしかし。
「別にいい。あれはあれ、これはこれ。お互い頭と気持ち冷やして区切りはつけないといけないけど、それだけで縁を切るなんてことはしたくない。これからも私は貴女と親しくしたい」
簪の言うことはよく分かる。
告白の後、気持ちが通じ合わなかったとしても、以前の関係。友達なりでいようというのはよくあることだ。二人の場合でも例外ではないだろう。
これが簪の望みであるから、俺としても異論はない。昼間の時と変らず賛成だ。簪に親しい人が変らずいるということは素敵なことであるし、見守るだけ。
すると、後輩は飽きれた様な笑みを浮かべていた。
それは決して何かをあざ笑ったり、馬鹿にしたりするものではないということは分かった。
「甘っちょろいですね、簪先輩は。まあ、そういう優しいところが好きなんですけど」
「自覚はある。でも、私はどんなこと言われたってどんなことされたって靡かない。貴女は私にとって大切な後輩であることは変らないから」
「はっきり言いますね。先輩はいいんですか?」
彼女は今度、俺にも聞いてきた。
いいも何も二人が納得するのならそれでいい。彼氏だろうが何だろうが俺の意見は関係ない。
俺は後輩の言葉を一まずとは言え信じている。
何より、俺は簪を信じている。こんなことで俺達の仲は今更そう簡単に揺らぐものではない。
「うわぁ~ビシッと言ってきますね。でも、何だか安心しました。では、お言葉に甘えてこれも後輩として親しくさせてもらいますね」
「うん……あ、でも抱きついたりするのは……ちょっと、控えて」
「あーそれは善処します」
「もう……」
調子のいい彼女の返事に簪は仕方ないなといった感じの笑みをこぼす。
話は上手くまとまったようだ。俺が出しゃばるまでもなく、こうしてとりあえず丸く収まってよかった。
…
『簪とのありふれた日常とその周辺』は後数話、2・3話ほどで一まず終わらせる予定です。
だらだらやってますが、今後ともお付き合いよろしくします。
今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません
それでは~