午前授業が全て終わった土曜日の昼下がり。
コンコンコンッ、と自室のドアがノックされる音が聞こえる。ドアに向かって返事をしながら開けに向かう。ドアの向こうに誰が待っているのかは分かっている。俺はゆっくりとドアを開けた。
「ごめんなさい。遅くなちゃった」
向こう側にいたのは恋人の簪。
この時間に行くと前もって知らされていた。時間を少し過ぎてはいるがそれはいい。
今日は特に具体的に何かするってのを決めているわけでもない。二人一緒にだらだら過ごそうと暗黙のうちに決まっている程度。
ここで問題視をあえてするのなら簪の姿だ。別に問題ってほどのことじゃないし、ましてや変な格好をしている訳でもない。ただいつもとは決定的に違うところが一つだけあった。
ほんの少し戸惑いながらも俺は簪を部屋の中に入れた。部屋の中へ案内しながら、気になっていることを聞いてみた。いつも簪は眼鏡をかけているのに、今の簪は眼鏡かけてない。何かあったんだろうか。
「眼鏡……? ああ……それで」
俺がほんの少し戸惑っていたことに気づいていたようで、いつもの様に俺の膝の上に座った簪は納得した様子だった。
今、簪は眼鏡をかけてない。だけど、今朝の朝食の時や、つい先ほどまで一緒にやっていた自主訓練の時はまだ簪は眼鏡をかけていた。訓練中に壊れたということもなかったはずだ。ここまで気にするほどのことじゃないが、普段簪はずっと眼鏡をかけていて、その姿が印象強いせいか、つい気になってしまう。
「ここに来る前にね……いつも使っているの定期メンテに出してきたの。サブもちょっと……調子悪いみたいだから一緒に」
定期メンテ。ああ、そういえば、簪の眼鏡は視力矯正用のものではなく、眼鏡型のIS用簡易ディスプレイだったけか。簪は視力が悪いということはなく、むしろ視力はいいほうだと以前聞いた覚えがある。つまり、普段の眼鏡は一種の伊達眼鏡みたいなもの。
簪が今眼鏡をかけない理由は分かったが、ほとんどずっとかけていたものを外したりして、違和感みたいなものはあったりしないんだろうか。
「もちろん……あるよ。見えにくいとかはないんだけど、弐式を任されてからずっとかけているからね。かけてないと……変な感じする」
そう膝の上に座っている簪は小さく笑いながら言った。
眼鏡型のディスプレイとは言え、眼鏡。眼鏡は体の一つというのはよく聞くし、やっぱり、そうものなんだろう。
にしても。
「ひゃっ……! どうか、したの……?」
膝の上に座っている簪と向かい合い転んだりしないように片手を腰に回し支えるように抱く。残るもう片方の手で簪の頬に軽く触れる。そして、簪の姿を見る。
こうして眼鏡をかけてない簪の素顔を見るのは初めてな気がする。気がするだけで、営みの時、簪は眼鏡を外していることが多いし、一緒にお風呂に入った時なんかも当たり前だが外している。だから、実際に眼鏡を外している姿を何度も見ていることはちゃんと憶えている。
しかし、今みたいな何もない、何もしていない時にこうして眼鏡をかけてない簪の素顔を見るのはやっぱり初めてな気がした。
すべすべとしてながらも、もっちりとした柔らかい頬。綺麗で整った可愛らしい小さな顔立ち。眼鏡をかけているいつもの簪は、知的で凜とした感じだが、今眼鏡をかけてない簪はゆったりとした柔らかい感じがして、いつもとは印象が正反対。
それに簪の目、瞳はとても綺麗だ。眼鏡のない簪の素顔、眼鏡によって遮られてない瞳をこうして見ていられるのも、何だか始めてな気がする。この瞳がいつも自分のことを見て、愛してくれ、沢山の感情を語ってくれる。哀しんだ時瞳は暗く濁ってしまうのに、喜びや愛しさに潤む瞳はどんな宝石よりも綺麗にキラキラと輝く。俺の大好きな瞳だ。
「そ、そんなに見つめられたら……は、恥ずかしいよ……っ。というか、近いっ」
恥ずかしがっている簪の声が耳に届き、我に返る。
簪の素顔、瞳に魅入られてしまっていたのようで気づけば、額と額を引っ付け間近で瞳を見つめていた。
我ながらかなり近い凄いことをやっているなと思うが、これもまた眼鏡がある普段ならそう簡単には出来ないこと。恥ずかしいのは俺とて同じで、簪はただ恥ずかしがっているだけで嫌がっている様子はない。その証拠に、恥ずかしいと言いながらも、目をそらそうと思えば簡単に出来るはずなのに簪から先に目をそらすことはない。それどころか負けじと、じっと見つめ返してくれる。
今は恥ずかしさで彩られているが、いつもこんな風に簪の瞳はいろとりどり沢山感情の色を映し見せてくれる。
本当に綺麗な瞳だ。
「綺麗って、もう……っ!」
思わず零した言葉で、また新たに簪の瞳は潤み輝く。
簪の瞳は嬉しさでいろどられ、キラキラと輝きが増していくのが楽しくて、普段以上に口が滑らかになる。もっと簪の声が声が聞きたい、もっと簪の瞳が輝くのを見たくて、可愛い、綺麗だ、好きだ、愛してる、と言葉を囁く。
「……~ッ!」
言葉にならない恥らう声をあげる簪。
おもしろい。それに言葉を囁けば囁くほど、簪の瞳はキラキラと嬉しそうに輝き、それに自分が映って、こっちまで嬉しくなる。
簪の瞳はただ綺麗なだけではなく、瞳の奥に確かな意志の強さを感じさせられる。簪には、強烈な意志の強さがある。根っこ部分では絶対に曲がることのない強さ。そんな簪の強さに俺自身、憧れているし、尊敬もしている。
だからなのか、そんな気持ちと愛おしさで胸が一杯になり、簪への情景と愛情を込めるかのように柔らかな瞼にそっとキスをした。すると、簪はくすぐったそうに微笑む。
「んっ……もしかして、眼鏡かけてないほうが……好き?」
別にかけてないほうが好きってわけじゃない。眼鏡かけているのも好きだ。
単純な話、眼鏡をかけてない簪を見れるのは稀なことで、稀だからこそ特別なものを見ている気がしている。
眼鏡をかけてない簪の素顔を自分だけが知っている気がして、そんな素顔を間近で見れるのは自分だけだと思ったら、何だかとてもむず痒くて、とても嬉しい。
こういうのを征服欲とでも言うんだろう。出来れば、自分だけに見せて欲しいと思う。
「ふふっ、分かった。眼鏡外すの恥ずかしいけど、あなたがそう言うのならそうする。あなたになら私の全部見てほしいから」
なんてことを簪は、恥ずかしがる様子は一切なく嬉しそうな笑みを浮かべて、堂々とした様子でさらっと言った。
「あ、照れた。可愛い」
男に向かって可愛いってなぁ。
第一、ついそっぽを向いてしまうような聞いているこっちの方が何だか恥ずかしくなるようなことをよく言えるものだ。
まあ、恥ずかしいだけで悪い気はしない。むしろ、嬉しいほどだけど。
「本当……今日のあなたは、可愛い。ねぇ……」
甘い声で名前を呼ばれ、キラキラと輝く瞳でじっと見つめてくる。
熱の篭った熱い眼差し。何を訴えているのか、俺にはよく分かる。
確か、『目は口ほどに物を言う』ということわざがあったような。簪を見てると、正しくピッタリだ。
俺は簪の眼差しが求めるものをこたえた。
さあ、今度はどんな感情の色で瞳をいろどり、どんな風に瞳をキラキラと輝かせてくれるのだろうか。楽しみで仕方ない。
…
簪の素顔、瞳を愛で、簪を愛でるだけのお話。
簪=眼鏡キャラで、眼鏡姿の簪も語るまでもなくもちろん可愛いのですが、眼鏡のない簪もまた可愛いと思います。
というか、簪のワインレッド?の瞳凄く綺麗。ずっと愛でていたい。ああ、簪可愛い。
引き続き活動報告の「リクエストについて」 https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=106250&uid=89 にてリクエスト受け付けています。よろしくおねがいします。
今回も簪の彼氏君は例の如く、オリ主――「あなた」です。
決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。
それでは