簪とのありふれた日常とその周辺   作:シート

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簪と過ごした冬休み―二

 目的地の駅に着いた。

 時刻は朝の八時過ぎ。年末でも朝が早いせいか、周りの客はそこまで多くはない。

 

「後……ちょっとで迎えが来るって」

 

 駅から簪の実家まではかなりの距離があるらしく、迎えをよこしてくれるとのこと。

 いよいよだ。

 俺達は駅の一般車が入れるロータリーで迎えを待つ。

 

「寒い」

 

 言いながら簪は寒そうに手をこすり合わせる。

 

 そういえば、今日の実家の集まりには一族関係者が集まると聞いた。

 ということは楯無会長はもちろん、本音や虚先輩も来ているんだろう。彼女達は更識に仕える家の人間らしいから。

 もしかすると本音と付き合っている一夏も俺と同じ様に呼び出されているのかもしれない。俺達が学園を後にした時はもう本音も一夏も帰省していて、今どうしているか詳しくは知らないけど。

 

「織斑? さあ……そんな話は聞いてない。でも……本音と付き合っていることは布仏家はもちろん、更識家にも確実に伝わってるだろうから……もしかしているかもしれないね」

 

 ありえなくはないか。

 学園では有名人だけど、世界的に見ても有名人だからな一夏は。男でISを使えて、しかもあの織斑千冬の弟だ。世界裏事情に精通している家なら二人が付き合ってることも知らないわけはない。

 第一、一夏は隠すどころか大っぴらにしてるからな。俺達は聞かれない限り言わないだけだけど。

 そうこうしていると俺達の目の前に黒い高級車が一台止まり、中からスーツを着た男性が現れた。感じた雰囲気的この人は更識家の使用人のようだ。

 

「簪お嬢様、お帰りなさいませ。遠路はるばるご足労お疲れ様です。ささ、お荷物をどうぞ」

 

「……ありがとう」

 

 簪は使用人に荷物を渡す。

 

「お連れの方もどうぞ」

 

 声をかけられ、俺も使用人に荷物を渡す。

 そして俺と簪が車の後部座席に乗ると、車はゆっくり走りだした。

 着いたばかりの駅から簪の実家への道と外の景色。特に変わったものはない。

 そして車に乗ること三十分ぐらい経っただろうか。目の前には大きな門。その門の前で一旦止まると、閉まっていたゆっくりと門は開き中へと進む。

 通り抜ける時チラッと見たが、門の近くに人影はなかった。自動式だ。そういうちょっとしたことがこれからのことを意識させてくる。

 

「到着しました」

 

 門から長い道のりを走らせた車のドアを使用人に開けてもらい外へとおりる。

 すると、目の前には大きな洋館が建っていた。映画や漫画に出てきそうな佇まい。一目で豪邸だと認識させられる。あまりの大きさと豪華な外観に圧倒されて言葉を失っていると、そんな俺の様子を見て簪は小さく笑っていた。

 

「もう……何ぼーっとしてるの。早く入ろう」

 

 言われて俺は簪の後に続いて洋館の中へと入る。

 すると、そこもまた世界の違いというものを見せられた。

 

「お帰りなさいませ、簪お嬢様」

 

 入った矢先、左右一列綺麗に並んだ控える沢山の使用人が頭を上げながら出迎えてくれる。

 こんな光景、現実で、しかも今の日本で見れるものなんだ。ついついそんな感心をしてしまう。

 何だかこんな光景を見ていると、簪と住んでいる世界の違いというものを否応なく感じさせられてしまう。

 それにふと使用人の人達に目をやれば、男性の中に女性もいる。むしろ、女性の人のほうが多い。女尊男卑の世の中といわれている現代。まだこういう仕事についている人も多くいるんだ。

 

 現実離れした光景に若干戸惑いながらも使用人に中を案内される。

 そしてT字路に差し掛かった時。

 

「御親方様と楯無様はどちらに?」

 

「お二人とも奥の間に」

 

「そう。分かった……彼を連れてそちらへお伺いすると伝えて」

 

「畏まりました」

 

 いよいよか……場の光景や雰囲気もあってなのか、緊張から鼓動が早くうってるのが分かる。

 

「お荷物の方はお部屋に運ばさせていただきます。お着替えの方よろしくおねがいします」

 

「はい」

 

「お連れの方はこちらに。お着替えを用意してますので」

 

 一旦簪と別れ、別の使用人の後をついていく。

 広々とした個室へ案内される。そこには黒のスーツが一着用意されていた。

 これに着替えろということか。

 

「はい。恐れいりますが御館様とご当主様にお会いになられるのでお着替えの方よろしくおねがいします」

 

 一礼して部屋を出て行く使用人。

 やっぱり、偉い人に会うんだ。それ相応の正装をしなくてはいけないのは当たり前の話か。

 一応制服持ってきてはいるけど、学園の制服は白いし、一般的な制服と比べるとコスプレっぽくてこういう場や冠婚葬祭とかには似つかわしくないからな。

 スーツは着心地がよく、サイズがぴったり。多分、簪が事前にサイズを伝えてくれたんだろう。

 着替えをすませ、部屋の外に出ると使用人が外に控えてくれていて、再び案内される。そして先ほど別れたT字路で簪と再開した。

 フォーマルな洋服に身を包んでいる簪。とてもよく似合っていて可愛らしい。

 

「ふふっ……ありがとう」

 

 嬉しそうな笑みを簪は浮かべる。

 

「うん……似合ってる。あっ……ネクタイ曲がってるよ」

 

 簪にネクタイを直される。何だかこういうの気恥ずかしい。

 

 簪が使用人に「ここまででいい」と言い渡し、簪に案内されながら二人で目的地である奥の前へと向かう。

 その道中、ふと気になったことを簪に聞いた。御館様とはどういう立場の人なんだろうかということを。簪の父親であることは分かっているが、当主とはどう違うだろうか。

 

「うーん……先代の楯無がつく特別な地位で会社における会長みたいなものだよ。もっと簡単に言うならご隠居みたいなものかな」

 

 なるほど、そういうものなのか。

 

「権力的には当主である楯無よりはないけど、それでも更識では楯無の次に特別な存在。それに今は当主である楯無を補佐する形で変わりに実務的なことをしてるんじゃないかな? お姉ちゃんは歴代最年少として楯無の座についたんだけどほらまだ未成年だし……全てはお家の為、お国の為、ひいては世界の為にとはいえ、いろいろとやって忙しいから」

 

 それもそうか。

 実力もあって今の様々な地位にいるんだろうけど、IS学園の生徒会長、ロシアの国家代表、そして更識家の当主。様々な肩書きを持っていて、本当に楯無会長は忙しい人だ。

 全て楯無会長の実力があってこなせているけど、身体は一つ。当然手が回らないことだってある。

それを御館様という地位の人間がカバーする役割も担っているのか。本当、絵に描いたような構図だ。

 ただ暗部の人間が目立つ国家代表を、それも他所の国のをしているのは俺からすると変な感じだけど、それも一般人の俺では到底はかりしれないようないろいろと複雑な事情があるんだろう。

 楯無がやっぱり更識にとって特別なもの、地位であるのは再確認できたけど。やっぱり、簪もなりたかったんだろうか?

 

「んー……昔はね。お姉ちゃんに憧れてたから。でも、今はいい。だって、お姉ちゃん見てると大変そうでめんどくさそう」

 

 簪は少し皮肉っぽく言う。めんどくさそうって……でも、これが簪の本音なんだろう。

 そんな話をしていると、奥の間と書かれた部屋へと着き、中へと進む。

 部屋の中にはたくさんの人がいた。耳打ちして小声で簪が教えてくれたことによると、直系親族とその家に遣える高位の使用人の親族がほぼ全員揃っているとのこと。

 当主である楯無会長と御館様らしき人を中心に、沢山の人がくつろいでいる。

 その中には見知った顔がいくつかいた。本音と布仏先輩と、そして一夏だ。やっぱり、一夏も呼ばれていたか。布仏先輩は楯無会長の傍に静かに控えている。

 そして一夏と本音の二人は入ってきた俺達に気づくと目配せで挨拶してきた。そんな二人の様子に気がついた、他の人らはしていた談笑が微かに会話が途切れ、俺と簪を見る。むしろ、俺のほうが見られているのは気のせいじゃないだろう。いくら情報規制されて、顔写真とかは報道に出てなくても、俺のこと……俺がISを使えるというのは風の噂として知っているはずだ。

 まるで異質なものを見るような目。懐かしい。こんな目で見られるのは、ISが使えると発覚した時を思い出す。

 それにこっちを見ながら、ひそひそと小声でなにやら話し合っている。何だかなぁ。

 だが、気にしていても仕方ないので構わず、簪の後について楯無会長と御館様の下へと行く。

 

「楯無様、おはようございます。ただいま参りました」

 

 そう言った簪に続いて俺も挨拶をして頭を下げる。

 

「ええ、ご苦労」

 

 楯無会長もフォーマルな服装に身を包んでいる。いつもと変わらない余裕のある笑みを浮かべているが、いつもとは少し違う顔だ。格式のある一族の当主としての威厳のある凛々しい表情。雰囲気もいつもとは違う。

 

「御館様、ご無沙汰しております」

 

 今度は御館様――簪の父親に頭を下げて挨拶をする。

 この人が簪の父親。初老、いや五十過ぎぐらいだろうか。渋く、厳格な顔立ち。威圧感がある。

 着ている高級感溢れる黒い着物の上からも身体は屈強で鍛えられているのがよく分かる。

 御館様は威厳に満ちた顔つきの中に、思いのほか満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「うむ、簪は入学式以来か。また美しくなって以前とは見違えた」

 

「嬉しいお言葉おそれいります」

 

「して、そちらが簪の」

 

 先程のとはまた別に、改めて名前を名乗り、挨拶をする。

 品定めされるような視線を御館様から向けられる。娘が彼氏を連れてきたんだ。釣り合うかどうか品定めされるのは当然のこと。覚悟はしているが、厳格な人に見られるというのは肝が冷える。この手の人は織斑先生で慣れたと思っていたが、やっぱりレベルみたいなものが違う。言っては何だか織斑先生なんて比べ物にならないほど視線が怖いと今感じている。

 そして品定めが終わったのか満足そうな笑みを再び御館様は浮かべていて、俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。

 

「そうか。この度は遠路はるばるこの更識家に来てくれたこと感謝する。君とは一度直接会っておきたかった。なんせ」

 

「お父様、お話したい気持ちは分かりますがもうじき餅つきの準備が整います。二人とも動き易い服装に着替えて来なさい」

 

「そうだな。長旅で疲れているなら、ゆっくり見物しておればいい」

 

「はい」

 

 下がって良いと言い渡され、下がる。

 その後、親族に片っ端から挨拶する簪に習い俺も挨拶をしていく。

 挨拶を返す皆、当主の実妹である簪には丁寧で敬い、その彼氏である俺にも体裁は保っているが、目の奥が異質なものを見るような目なのは変わらない。それがひしひしと伝わってくる。隠す様子はない。というよりかは、隠せないんだろう。

 一夏の様に後ろ盾もなければ、何故男にISが使えるのか科学的に証明されてない本来ありえない存在。奇妙だと見られるのは仕方ない。

 しかし、そんな目を俺が向けられているのを簪は感じて、俺には心なしか表情が硬くなっているように見えた。それでも簪は相手に不愉快感を感じさせることなく、型通りの挨拶を済ませていく姿は場慣れしている感じがして流石はお嬢様だと感じさせられた。

 

 最後に一夏と本音に挨拶をした。

 布仏先輩は楯無会長の傍でまだ控えていた為、挨拶は出来ない。

 

「本音……やっぱり織斑連れてきてんだ」

 

「はい、簪お嬢様。織斑様とのことは御館様もご存知だったようで連れてくるようにと」

 

「同じ、か……本音と織斑はいつごろ本家に着いたの?」

 

「昨日の昼でございます。既に昨日の夜、私と織斑様と御館様は面会が済んでおります」

 

「そう……今夜は私達の番」

 

「かもしれません」

 

 そんな会話を小さい声です話す簪と本音。

 俺と一夏も小さな声で話す。

 

「お前もお疲れさん。何か別の世界だよな。慣れねぇわ」

 

 まったくだ。

 IS学園に来た時も女子ばかりで別の世界だと感じたが、今回の方がその度合いは大きい

 この場にいるメンツの中にはいつものメンツや顔見知りがいるのに、皆それぞれ立場があって、それ相応の立ち振る舞いをしている。本音の立ち振る舞いと口調が特に顕著だ。いつもみたいなのんびりとしたほんわかな雰囲気は今の本音にはない。簪に仕える使用人そのもの。

 場の雰囲気といい、何から何まで一から十の型に嵌っていて、来て間もないのに何だか息苦しくて肩がこる。簪達はこんな世界で生きてきたんだと思うと、俺自身の場違い感が物凄い。

 

 そういえば、一夏はもう御館様と話ししたんだよな。参考までにどんな話をしたのか聞いてみた。

 

「学校での生活やIS、後千冬姉とかについて聞かれたり話したりした。それとのほほんさんとだけこのまま交際していく覚悟があるかどうかって聞かれた。政治的な意味でもな。後は、のほほんさんとの交際状況?ってのを根掘り葉掘り聞かれたのが辛かった」

 

 結構いろいろなこと聞かれたんだな。

 政治的な意味で交際していく覚悟があるか、か……簪とは好きだから自分の意思で交際していて自分のものだけど、同時に自分だけのものじゃない。俺達が異性と男女交際するってことは必然的に政治的なことも絡んでくる。

 なぜなら俺と一夏は男でありながらISが使える。俺達のことを欲しい国や組織は沢山ある。手に入れようと異性である女子を使って、政治的な意味合いの強い交際または政略結婚だってなくはない。そうなったら個人では解決できないような複雑な事情がいくつも起きて絡み合っていくことは、俺にだって想像できる。

 更識家の娘と付き合ってるんだ。政治的な問題とかあるんだろうな、きっと。学園が保護してくれている身柄をどこにするかとかいろいろと。

 気が滅入りそうな話をされるのは間違いない。だが何があっても簪と別れるつもりはないし、手放すつもりもない。覚悟を強く持とう。

 

「俺もちゃんとのほほんさんとこのまま交際する覚悟を伝えられたんだ。お前なら大丈夫だよ」

 

 一夏の言葉は今はありがたい。

 

 その後、俺達は餅つきに参加した。

 

「織斑様。餅つき、よろしければとうぞ」

 

「は、はぁ……それじゃあ」

 

 周りに誘われて一夏は本音に見守られながら、餅をつく。

 俺も誘われはしたが、疲れているからといって丁重にお断りして、見物していた。

 蒸篭や釜の香り、蒸しあがったもち米の匂いが、食欲をそそる。

 本当に疲れているわけじゃないが、餅をつく気分じゃない。一夏が御館様と話した内容が頭の片隅でも思考の渦を巻く。

 簪は俺の隣にいて特に楽しそうという訳でもなく、ぼんやりと餅つきの光景を眺めていた。

 俺に話しかけてくる人はいない。一夏の様に姉という後ろ盾があるわけじゃないし、所詮は俗にいう庶民。話しかけるにしてもどう話しかけていいのか分からないのだろう。

 簪に話しかけてくる人ももういない。最初こそはいろいろな人が話しかけてきてはいたが、不愉快感は与えない程度だが反応はそっけなく事務的なので、だんだんと話しかける人はすくなくなっていった。

 二人してぼんやりと持ちつきを眺めていると、簪がそっと話しかけてきた。

 

「暇……だよね」

 

 まあな。

 暇だが餅つきが終わり、遅めの昼食が済むまでここから離れられない。変にこの場を離れて、何か言われるのも嫌だしな。

 ぼんやりと餅つきを眺めていると楯無会長の姿が見えた。

 

「……大変そう」

 

 凄い他人事の様にぽつりと簪は小さく言う。

 楯無会長は布仏先輩を連れて、現場や使用人を仕切ったりして甲斐甲斐しく働いていた。

 それと同時に親族やそこに仕える高位の使用人家の人達との談笑も欠かさずしている。学園では生徒会長をして学校行事や全校集会などを仕切っている楯無会長の姿は今まで何度も見てきているが、それとは雰囲気が随分と違う。威厳があって、その姿は当主なのだと改めて感じさせられる。

 知らなかった楯無会長の姿を見た。

 

 

 

 

 餅つきと昼食会が終わり、ようやく一旦この堅苦しいのから開放される。とは言え、あくまでも一旦。また夜には直系親族とそこに仕える上位の使用人家との宴会があるとのこと。堅苦しいのはまだ続きそうだ。

 それでもここからの開放なのは変わらない。今回寝泊りする部屋を用意しているとのことで今からそこに向かう。

 

「こっち」

 

 簪の案内で屋敷の中を歩く。

 慣れてるな……と思ったけど、IS学園に入学する以前はここに住んでいたんだ。当たり前か。

 

「……着いた」

 

 一部屋の前に着いた。何故だか簪は緊張した様子。

 ゆっくりと部屋の扉を空け、中に入る。最初に目についたのは綺麗に置かれた俺の荷物と、そして簪の荷物。中に進みながら、部屋を見渡す。

 客室にしては、テレビやパソコンがあったりと少し豪華な感じがする。そして使用感があり、目に入った本棚には教材やIS関連のほんの数々。そして漫画。

 もしかしなくてもここは。

 

「うん……私の部屋」

 

 やっぱり。ここが簪が生まれてから学園に入るまで過ごしていた部屋。寮の簪の部屋には何度も行ったことがあるが、あれは学園での部屋。今こうして本当の簪の部屋にいると思うと、緊張してしてくる。

 しかしなんでまた俺と簪を同じ部屋にするんだ。嫌じゃないが、いろいろとまずいだろ。いろいろと。

 

「……御館様……お父様が気を利かせてくれたみたい」

 

 簪は困ったような表情をしている。

 どういう気の利かせ方なんだ。からかわれているのか。はたまた試されているのだろうか。こういう意図の読めない感じは楯無会長を強く思い出させられる。流石は親子だ。

 まあ、信頼はされてないとしても信用はしているはずだ。多分。でないと付き合っているとはいえ、結婚前の愛娘を男と同じ部屋にはしないだろう。家柄がある家なら特に。

 その証拠……と言っていいのだろうか、ベットは一つしかない。上流階級の家らしく、ベットは高級感があって、ふかふか。サイズは大きく、二人一緒に寝ても余裕は充分ある。

 これもその気を利かせてくれてのことなんだろう。もしかして、床で寝たほうがいいのだろうか。

 

「い、一緒で……いいんじゃ……ない……かな」

 

 消え入りそうな簪の恥ずかしそうな声。

 頬が赤い。昨日も列車の中で二人一つのベットで一緒に寝たのに何を今更と思うが、俺も恥ずかしい。彼女の実家……しかも、彼女の部屋で二人っきり。緊張しない方がどうかしてる。

 まあ、折角気を利かせてもらったんだ。気持ちを受け取って、甘えない方が失礼になりかねない。

 それに夜の宴までは自由。ここには俺と簪の二人だけ。恥ずかしさからの緊張はあれど、慣れない場で疲れた体や気持ちを休めるにはこの場をおいて他はない。簪にならいらぬ気をつかわなくてすむ。

 

「疲れた……よね」

 

 床に腰を落ち着けて休む俺を見て、簪は隣に腰を降ろし心配そうな表情を向けてくる。

 まあ……と否定するわけでも肯定するわけでもなく曖昧に答える。疲れは顔に出ているみたいだから肯定しているみたいなものだけど、「疲れた」なんて言葉にするのはばかられる。

 今日の行事はまだ全部終わったわけじゃない。この後は夜の宴、そして御館様――簪の父親との話し合いがあるかもしれない。ここで「疲れた」と言葉に出して弱音を吐けば、本当に疲れてくる。だから、顔に疲れが出ていても、言葉にはしない。

 

「……大変な思い……嫌な思いも……させちゃった」

 

 今度は不安そうに申し訳なさそうな表情を簪は浮かべた。

 ああ……俺に向けられて周りの視線しかのことか。仕方ないだろう、アレは。別にああいうのは、初めてのことじゃない。それに大変なのは簪もだろう。俺を連れてきたんだ当主の実妹とは言え、いろいろと詮索されるだろう。それに当主の実妹として、更識家の娘としての役割がたくさんあるはずだ。だから、大変な思いも、はたまた嫌な思いもするのは簪のほうが多い。俺のなんて些細なことだ。一々簪が気にとめるほどのことじゃない。

 

「もう……強がって。かっこつけてる」

 

 しかたないなとでも言うかのように簪は小さく笑う。

 男の見栄なのは重々承知しているがかっこぐらいつけさせてくれ。折角、彼女の実家に来てるんだ。親族や親には、かっこわるい姿は見せられない。簪とのなかを公に認めてくれるかどうかがかかってきたりも、もしかしてあるかもしれないし。

 疲れたり、嫌な思いをして暗い顔はしてられない。

 

「……えっと……くる?」

 

 照れた様子で簪は両手を広げている。

 これは抱きしめて、癒してくれたり、勇気付けようとしてくれているということなのだろうか? 気持ちは嬉しいが今は遠慮した。

 すると、簪は少し悲しげな表情をしていた。簪が力になってわけでも、無理をしている訳でもない。疲れたり、嫌な思いをして暗い顔はしてられないと思ったばかりなんだ。今、簪に甘えてしまうわけにはいかない。俺はまだ大丈夫。

 それに流石に外で聞き耳を立てていたり、部屋の中にいる俺達の様子を伺っている人達はいないだろうけど、万が一のことがある。今はそういうことはよしたほうがいい。

 俺達はこれからもずっと一緒になんだ。そういうことは後でいくらでも好きなだけできる。

 

「それも……そうだよね」

 

 はにかむように小さく笑う簪。

 簪が勇気付けようとしてくれた。それだけで俺は元気をもらえて、夜の宴も大丈夫だと感じた。

 




今回の話に出ていた一夏は本音と付き合っている設定です。
気になる方は以前の話をお読み下さい。

今回の話の男主も前回同様に簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
無論、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません。

それでは~

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