簪とのありふれた日常とその周辺   作:シート

102 / 127
秋を簪と 一

「今度のお休み明けといて」

 

 そう言われたのがついこの間のこと。

 そして休みになった今日、簪に連れて来られたのが今現在のこと。

 目の前には以前連れてこられた時とはまた違う立派な日本旅館が聳え立っていた。

 以前来た時は前もって説明があつたけども今回は朝起こされて、意識が完全に覚醒しないまま連れてこられたので今一つ着いていけてない。ここもいい温泉があるところだったりするんだろうか。

 

「とりあえず先に受付すませよ」

 

 呆気に取られながらも簪の後を追い受付へと向かう。

 

「すみません。予約している更識ですけど……」

 

「はい。更識ご夫妻様ですね。確認しました。ようこそ御出で下さいました」

 

 一緒になった今の名字が聞こえた。

 ここで正解なんだ。そのまま旅館の人に部屋と案内され、簡単に部屋や設備などの説明をしてもらった。

 今回の部屋も内風呂がついた和室タイプ。なんでも内風呂は疲労や肩こりに効能があるようで秋の紅葉と綺麗な大海原が同時に楽しめるようになっている。

 ようやく気付いた。これはもしかしなくてもサプライズ的なものか。

 

「正解。ほら最近、肩凝り酷いみたいだったし、疲れも溜まってるみたいだからどうかなと思って」

 

 そういうことか。

 これは気を遣わせた。悪い気がするが同時に嬉しい。感謝しなければ。

 

「感謝なんていいよ。私がしたかっただけだから。それに私は……あなたの奥さん、なんだから」

 

 自分から言っておいて照れるのは何というか反則だ。

 こっちまで照れくさくなる。

 

「えっと……お茶でも入れるね」

 

 誤魔化すように簪は立ち上がり、部屋に備え付けられてるのでお茶の用意をし始める。

 俺は部屋をぐるりと見渡した。

 落ち着いた和室から見える景色も絶景なのだが、これから何かするべきなんだろうか。

 例えば観光とか? ここ辺りのこと全然知らないけども。

 

「そんなあれこれ考えなくても、ゆっくりしてればいいの。何かあれば、私が全部してあげるから」

 

 と言われ、入れてもらったお茶が出てきたので一口飲む。

 ゆっくりか。ここ最近はゆっくりする間もなかったから、いい機会なのか。

 けれど、ゆっくりってどうするものなんだろう。久しぶり過ぎて分からなくなってきたのと、このままボーっとし続けるのも勿体ないような。

 

「う~ん、それなら……お風呂、入ろ……? 折角あんなに立派な内風呂あるんだから」

 

 それもそうだ。

 風呂に入りながら、ゆっくりしてればいい。

 入るなら、その言い方的に簪も一緒に。

 

「もちろん。お供させていただきます」

 

 悪戯っぽく言った簪と内風呂へと向かった。

 

 

「ふぅ~……ふふっ、被っちゃった」

 

 湯舟に肩まで浸かって一息ついた声が重なる。

 丁度いい湯加減とヒノキの香り。青々と光る大海原と秋の紅葉が一度に拝める。

 そよ風に揺れる紅葉の様子が、秋の風情を醸し出していた。

 

「綺麗……紅葉が湯舟に落ちて流れてくの乙だね」

 

 隣で風呂から見る光景に見とれる簪。

 いい湯、絶景を今この時だけは二人だけのものとできる。そして隣には簪。贅沢の限り。

 

「大げさだなぁ……でも、そうかも。凄く贅沢」

 

 くすりと笑う簪の隣で時がゆっくり流れていくのが分かる。

 湯が疲れたところに染みるこの感じ。ゆっくりするのが本当に久しぶりなんだな。

 ふと簪の名前を呼ぶ。

 

「ん? ああ」

 

 何を言いたいのか分かってくれたようで簪は足の間へとやってきてくれた。

 そんな簪を俺は後ろから抱きしめた。湯のせいも当然あるんだろうが暖かい。                                                     

「ん……安心する」

 

 簪は自分の身体を預けてくれていることも心地いい。

 簪が体に巻いたタオルが届いてない部分と肌と肌が触れ合いそこから体温が直に伝わってくる。熱がある。湯で温まったからだろう。温かいとも言うべきそれは何よりも安心させてくれる。 

 こんな時間を過ごせること簪には感謝しないと。

 

「もう……相変わらず気が早い。まだ旅行は始まったばかり……一々感謝してられないほどいっぱいお世話して今日はたっくさんあなたに羽伸ばしてもらうから」

 

 そういうことなら感謝をするのはほどほどにする。

 

「それでよろしい。本当、何かしてほしいことあったら言って。私……もっとたくさん色んな事をしてあげたい」 

 

 振り向き様に目を見つめられ、少し困った。

 簪はすっかりもっと何かをしたいという様子一色。

 だが実際、俺は簪に充分すぎるぐらい尽くされているので、今のままで大満足している。わざわざこんな素敵な旅館を用意してくれて、こうしたゆっりとした時間をくれているし。

 けれど適当にごまかしたり、何も言わないでおくというのは平行線を繰り広げるのは何度も経験済み。

 簪がいろいろとしてくれるのは嬉しいし、その気持ちでいてくれるのも嬉しい。

 なので簪の気持ちに今日は存分に甘えることにした。

 

「任せてっ。ドロドロに溶けるぐらい甘やかしてあげる」

 

 なんて簪が小さく笑って言う冗談と共に重なる唇。

 唇が離れると顔を見合わせて二人揃って微笑んだ。

 そして細い簪の腰を抱いて自分の方へと寄せ、また唇を重ねる。湯舟が揺れる。

 湯が溢れるかと錯覚するぐらい数え切れないほど唇を重ね合った。

 

 

 別に疑っていたわけではないが風呂での言葉は本当だった。というよりかは言葉通り。

 内風呂から上がると何も言わずとも、浴衣を羽織らせてくれる。

 ありがたい。

 

「どういたしまして」

 

 と嬉しそうな顔を簪はする。

 内風呂から出て居間で休んでいるけども、夕食の時間までまだ大分ある。

 

「六時頃にしたからまだあるね。どうする? オススメしてもらった見晴台とかお庭見に行く?」

 

 部屋の説明をしたもらった時にオススメされたっけか。

 時間を潰すにうってつけだろうし、健康的な時間の使い方。

 だが、しかしだ。

 

「ふぁぁ……」

 

 手で口を押える簪と欠伸が重なった。

 風呂上がりで身体がポカポカしているのと、昼間の眠くなる時間が相まって正直かなり眠い。部屋から出たくない気持ちが強い。

 

「分かる。ねむい……寝ちゃう……?」

 

 昼寝は選択肢として大いにありだ。

 この旅館は予め隣の寝室に布団が敷かれており、いつでも寝ころべる状態。

 ちなみに布団は二つ並びでくっつけられている。

 旅先に来てまで昼寝と言うのは勿体ないと感じる反面、これはこれである意味贅沢の一つか。

 六時の夕食前に内線をくれるとのことなのでそれまではゆっくりしてられる。 昼寝、簪に付き合ってもらおう。

 

「ふふっ、分かった」

 

 二人で布団の方へ向かう。

 布団は二つ並んでいるからそれぞれ一つずつ布団に落ち着いたのだが、少し物足りなさを感じた。

 

「実は……私も」

 

 ならばと簪にこちらへ来るよう手招きした。

 

「そんな近かったら邪魔にならない?」

 

 むしろ、近くにいてくれないと困るぐらいだ。

 

「そういうことなら」

 

 言って簪は近くにやって来てくれた。

 すかさず簪を自分の方へ抱きよせる。

 伝わる簪の温もりと感触。風呂上りだから柔らかないい匂いが鼻先をくすぐる。こうして引っ付いているだけで落ち着く。

 言うならば、これはぐっすり安眠間違いなしの安眠枕だな。

 

「抱き枕って……じゃあ、私はあなた専用の抱き枕だね」

 

 冗談に冗談で簪は乗ってくれた。

 これで今すぐにでも俺は寝れるが、これだと簪は寝づらいか。

 やっておいてなんだが簪にも昼寝してもらって体を休めてほしい。

 

「大丈夫。あ……でも……」

 

 でも、なんだろう。

 

「こんな風にぴったり引っ付いて寝るの久しぶりでしょ? だから、何だかドキドキして寝れないかも」

 

 なんだそれ。おかしくてつい笑ってしまった。

 普段一緒に寝ているけれど、ここまでぴったりくっついて寝ることはなかった。

 だからまあ……言われてみれば、分からなくはないような。

 

「ね。あなたの心臓もドキドキ、音してる」

 

 聞かないでくれ。

 苦し紛れではあるが誤魔化すように簪を抱き寄せ、目を閉じた。

 静かに流れる時間の波に乗せられ、眠りにつく。

 

 本当にぐっすり眠れたのは簪のおかげだ。

 目覚めがよく、スッと起きれた。

 少し寝ただけでも大分違う。風呂で癒され、昼寝で休めれたからか体が軽い。

 結構な時間寝ていたと思ったが、起きようと思っていた時間の十分ほど前。割と早く目が覚めた。

 

「……すぅ……すう……」

 

 なので一緒に昼寝してる簪は、寝息を立てながら隣でまだ寝ている。

 まずは目覚ましを止めた。二度寝する気はないし、内線が来るまで簪をゆっくり寝かしといてあげたい。

 俺の為にいろいろしてくれているが、疲れが溜っているのは簪も言えること。簪にもちゃんと疲れを取ってほしい。

 

 で、内線来るまでどうしたものか。

 そんな長いこと時間を持て余しているわけでもないので一人内風呂に入って時間を潰すとかはできない。

 何より、寝る前は俺が簪を抱き枕にしていたはずなのにいつの間にか俺が簪の抱き枕になっている状態。

 離れようものなら。

 

「……ん、んん~……」

 

 離れるなと言わんばかり、嫌そうな唸り声を小さく上げられる。

 なので完全に動けないわけではないものの動くに動けない。それにここで離れるのは何だか気が引ける。このままでいるべきか。

 

「……すぅ……すう……」

 

 視線を簪に向ければ、変わらず気持ちよさそうに熟睡中。

 幸せそうな寝顔を浮かべている。

 そう言えば、こうしてゆっくり簪の寝顔を見るのは久しぶりだ。

 あどけない表情。無防備な寝姿が愛おしくて、簪の頬に触れた。触れた指から伝わる確かな体温と柔らかな頬の感触。本当に軽く指で頬を押すとふにっと沈み、ぷにっと元に戻る。ふにふにのぷにぷに。触るのが結構気持ちいい。起こさないように気を付けながらもツンツンつてしまう。

 柔らかいし、すべすべなのは凄い。いつ触ってもこうだ。いや、触る度によくなっているようなそんな触り心地。普段からしっかり肌のケアをしているから、その弛まぬ努力の成果だ、これは。

 

「……ぅ、ん~……」

 

 簪が身を捩らす。

 気持ちいいからってついつい触りすぎた。

 このぐらいにしておかないと起こしてしまう。時間までは寝かしておいてあげたいし、後少しだけ寝顔を眺めていたい。

 

「ん……――……」

 

 寝言で簪に名前を呼ばれた。

 ただそれだけのことなのに胸の中で愛おしさでいっぱいになった。

 頬をつつきたい衝動にまた駆られたが、堪えて代りに頭を撫でるに留める。

 いつまでもこんな時間が続けばいいと思った時ほど終わりが来るのが早いのは何故か。内線がかかってきた。名残惜しさを感じながらも簪の抱き枕からうまいこと抜け出し、内線に出る。

 後、十分ほどで夕食を持ってきてくれるとのこと。手短に話を済ませ、内線を切った。

 

「……ん、ぅ……あれ? ぁ……ごめんなさい、結構寝ちゃってた……?」

 

 内線と話し声で簪が起きた。

 意識が覚醒しきってないのか眠そうな目をしながら、のそのそゆっくりと上半身だけ起こす。

 俺は簪におはようを言い、内線が来てたこと、後少しで夕食が運ばれてくることを伝えた。

 

「そう……分かった。ごめんなさい、私の方が凄い寝ちゃって」

 

 先に起きるつもりだったのだろう簪は申し訳なさそうにしているがまあ気にしないことだ。

 それより、簪は体の疲れとかが少しは取れたか気になる。

 

「うん、おかげ様で」

 

 ならよかった。安心した。

 二人揃って寝起きなので顔を洗い、夕食を迎えた。

 




今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。