一月も終盤へと差し掛かり、あと数日学校に行けば自由登校となる頃、俺は自室で明日のことを考えていた。
我が総武高校では毎年二月に校内マラソン大会が行われる。
例年通りであれば、そのころには既に自由登校となっている三年生が出場することはないのだが、今年は学校側の都合で明日に前倒しで開催されることになり、三年生である俺達も参加を強制されたのだ。
本来であれば出場しなくても良いはずのマラソン大会だ、主に走ることが苦手な生徒からは不満の声も上がったがその決定が覆ることはなかった。
そこで俺が何を考えていたのかという話に戻すが、率直に言うと全力を出すか出さないかだ。
実を言うと、俺は長距離を走ることが得意ではない。短距離ならば敵なしの俺だが、どうも長い距離を走るということにやる気を見出せないのだ。
とはいえ、中学時代は三年生まで部活で嫌という程走り込まされたしある程度は走ることが出来る。要はやる気の問題なのだ。
「どうすっかなー……」
最後のマラソン大会だし、出来たばかりの彼女や我が愛弟に格好良いところを見せたいという気持ちもある。悩ましいなぁ。
「兄貴、いいか?」
「んー?八幡か。いいぞー」
ベッドの上で唸っていると、ノックと共に八幡の声が聞こえてくる。最近は八幡がよく訪ねてきてくれるからお兄ちゃん嬉しいよ!
「悪い。もう寝るところだったか?」
「いや、もうちょっと起きてるつもりだったよ。それで?何か用事?」
申し訳なさそうに入室してきた八幡は俺の言葉に安心したような表情を見せ、クッションの上に座ると真面目な顔で用件を伝え始める。
「頼みがある」
「よし、任せろ。何をすればいい?」
「いや、普通は何をするか聞いてから返事をするんじゃないか?」
「八幡の頼みを断るお兄ちゃんじゃありませんよ!なめないでください!」
「そこで胸を張られても困るのだが……。まあいいか」
八幡は溜息を吐きながら気を取り直すとぽつぽつと話し始める。
軽く流されてお兄ちゃん少しだけ寂しいな!
「明日のマラソン大会、全力で走ってくれないか?」
「八幡が全力で走れというならそうするけど、またなんでそんな頼みを?」
個人的には俺の格好良い姿が見たい!とかなら嬉しいけど、八幡がそんなことを言うわけもないだろうし。
「別に最後まで全力で走ってくれと言っているわけじゃない。兄貴が前に出ればついて来ようとする奴が一人いるだろ?ここまで言えば大体わかるんじゃないか?」
「……なるほどね」
俺が全力で走ればおそらく先頭を走ることになるだろう。しかし、そんな俺の独走を許さない生徒が一人だけいる。
勿論、葉山君だ。
前年度優勝者の葉山君が連覇を狙っていないはずがないのだから。
そうなると、今回のマラソン大会の少なくとも前半は俺と葉山君だけが集団から離れて走ることになるだろう。しかし、それが八幡の狙いだ。
「葉山君を俺が引っ張り集団から抜け出す。つまり、八幡と葉山君の二人きりの空間を作ってほしいということだろ?」
「そういうこと。……戸塚にも協力してもらうことになってる」
「……そっか」
そうか。八幡も周りを頼ることが出来たんだな。これまで俺が担っていた役割も後々はあの子達が担っていくのだろうか。
考えてみると少々寂しい気もするが、兄として喜ばしい気持ちがあるのも事実だ。まあ、もう少しの間はなんだかんだ甘えん坊な八幡のままで良いと思うけどね。
「兄貴にはいつも頼み事ばかりして悪いと思ってるよ……。でも……頼む」
「ははは、気にするなよ。俺にとって八幡や小町に頼られるっていうのは、めちゃくちゃ嬉しいことなんだから。……お兄ちゃんに任せなさい!」
そう言って、俺は飛び切りの笑顔を浮かべながら胸を叩いた。
「そういえば、俺が全力で走るのはいいけど、八幡ついてこられるの?」
「……善処する」
「はっはっは!鬼ごっこで一回も追いつけなかったもんねー!」
「うるせぇ……」
翌日、様々な思惑が渦巻くマラソン大会当日がやってきた。
まあ、当然と言えば当然だが、やる気のある人間はそれほどいない。
そして、ただでさえ真冬の寒い日だというのに、普段であれば参加しなくても良い三年生のテンションは一、二年生よりもさらに低く、やる気を全くと言っていいほど感じない。
その為、そんな雰囲気の中で念入りにストレッチを行う葉山君やさりげなく先頭集団へ向かう八幡の姿は、俺の目からすると良く目立っていた。
「颯太ー」
「お、一か」
そんな弛緩した雰囲気の中で葉山君を見習ってストレッチをしていると、やる気のない間延びした声で一が話しかけてくる。
「颯太は全力で行くのか?」
「まあ、ちょっとばかし事情がありまして。最後だし、めぐりに格好良いとこ見せたいしな」
「なるほどねー」
そう言って笑う一は非常にリラックスしており、全くやる気が感じられない。
「一は全力で行かないのか?」
「ははは!俺が全力で走り回るのはピッチだけだぜ!」
「なるほど。おたくの後輩は手を抜くつもりないみたいだけど?」
俺は、尚胸を張る一の後輩に目を向ける。
「隼人はなー。去年優勝したし、手を抜くことも出来ないんだよ。あいつも抜く時は抜かないと辛いだろうにな。周りの期待に応え続けてさ」
そう言って後輩の姿を見つめる一の表情は複雑なものが露骨に表れており、普通の先輩が後輩の心配をしている様子とはなんとなく違う気がした。
「まあ、頑張れよ。後ろの方から応援してる」
「ああ、いけるところまで頑張るよ」
先程まで浮かべていた複雑な表情を引っ込めた一は、いつもの笑顔を浮かべて後ろの方へと下がっていった。
それを見届けた俺はスタート地点付近へと向かい、八幡と同じように先頭集団へと紛れ込む。
葉山君や八幡が各々女子からの声援を受ける中、きょろきょろと誰かを探すようにあたりを見回しているめぐりが目に入る。
「めぐりー」
「あ、颯君いたー!」
俺の声で気づいためぐりはそのほんわかした笑顔に嬉しさを混ぜ俺に向けてくれる。うん、可愛い。
「頑張ってね!応援してるよ!」
「ああ、なるべく早く戻ってくるよ」
「ふふー、一位で帰ってきたら胴上げしないとね!」
「あー……。あれって飛んでる途中気持ち悪くて吐きそうになるんだよねー」
「ふぇぇ!?そうなの!?」
一年生の時にやられたけど、まじであれはやばかった。あの時ばかりは本気で陽乃さんを恨んだね。自由登校のくせにわざわざ見に来て煽るだけ煽って帰るとかマジ自由すぎるよ。
「えっと、じゃあ……」
「別に特別なことしてくれなくて大丈夫だよ。いつもの笑顔で迎えてくれればそれで充分。それだけで疲労回復しちゃうからさ」
「うん!わかった!待ってるね!」
「おうよ」
そんなめぐりの笑顔に見送られ、俺はスタート位置に向かった。
「位置について、よーい」
スターターである平塚先生の凛々しい声に続き、スターターピストルの音が響き渡ると目立ちたがり屋の諸君が一気に走り出す。
そして、少しすればその子たちが後ろへと下がっていき、葉山君を先頭とする集団が前に出てくる。
そのタイミングで俺は少しだけペースを上げ、葉山君と八幡を引っ張るように前に出る。すると、葉山君の後ろを走っている八幡と集団の間が空き、材木座君と戸塚君、及び男子テニス部が行く手を阻むようにして走り始める。
これで先頭集団は少しの間だが俺達だけになる。
さて、この時間を生かさない手はないよな。
「……っ!」
俺がさらにスピードを上げると葉山君は驚いたように目を見開き、同じようにスピードを上げる。
徐々に二位集団との差は開き、折り返し地点を回る頃には完全な独走状態を作り上げることに成功した。
「……え?」
ここまでくれば俺の役目は終了だ。
ほんの少し離れてはいるが、ちゃんとついてきている八幡に目を向け、俺はスピード緩めながら八幡の後ろへと後退していく。
葉山君はその行為に驚き、間の抜けた声を出しながら俺を見てくる。
そして、二人の声が聴こえない位の位置でペースを落ち着かせた。
「きっつ……」
やっぱ俺に長距離は向いてねぇや。この長距離走独特の息切れがどうにも苦手でしょうがない。
微かに見える前方では八幡と葉山君がなにやら話している様子がうかがえる。おそらく文理選択のことを話しているのだろう。
傍から見れば言い合いをしているようにも見えることから素直に教えてくれるということはなさそうだ。
そして、八幡が何か言葉を発した瞬間、二人は足を止めてしまった。
何を言ったのかはわからない。しかし、八幡の放った言葉は何か刺さるものがあったのだろう。その様子を俺も足を止め眺めていると、後ろから二位集団が迫ってくるのが見えた。
やべ、先頭の三人が止まってたらそりゃ仕掛けてくるよな。んー、めぐりとも早く戻るって約束したしな。二人を見届けるのはやめにしよう。
そして、俺は再び足を動かし、未だ足を止めている二人の横を後ろに集団を引き連れて通り過ぎた。
一度は追いつかれた二位集団を再び突き放し、ゴールまでもう少しというところで俺は後ろを向く。
「終わったの?」
「やっぱり、あなたも一枚噛んでいたんですね」
そこには爽やかな笑みを浮かべ、額に汗を浮かべる葉山君の姿があった。
「俺は弟の頼みを聞いただけだよ。話す内容については何も口出ししていないし、君が文系を選択することも言ってない」
「そのことについては心配していないですよ。比企谷も最後の最後までわかっていないようでしたから」
「そうか」
てか、この子はやっ!俺に追いつくだけでも相当早いペースで来たはずなのに俺を追い抜こうとしてるし!サッカー部ぱねぇわ。
「俺は比企谷のことが嫌いです」
一瞬の沈黙の後、葉山君はそんなことを言いだす。
そんなこと見りゃわかるっての……。そんなことより、ペース落としません?やばいんだけど。
「俺は八幡が大好きだ」
「……あなたの気持ちが俺にはわかりません」
「当たり前でしょうに。君は俺じゃない。俺は君じゃない。君の気持ちを押し付けられても困る」
そもそも、俺と葉山君じゃ、八幡と過ごしてきた年数が違う。家族でもない。そんな相手にわかるなんて言われてもこっちが困っちゃうよ。
「それで?結局君は何が言いたいの?」
「……俺はあなたも嫌いだ」
なんだ、そんなことか。
「あなたと俺は似ている。最初はそう思っていた。……けど違った。期待されて、それに見合うだけの力を持っていて、周りからの信頼も厚い。それでいて、誰かを助けることが出来る」
「まるで君みたいだね」
「いや違う。俺は誰かを助けることなんてできない。俺はあの人も、あの子も救うことが出来ないのだから」
そう言って葉山君は俺から目を逸らす。
「俺も君みたいな子は大っ嫌いだよ。理由は、人を嫌うのに他人を理由に使うその根性が大っ嫌いだ。まあ、その他にも、言動や諸々嫌いな部分は沢山あるけど、今この瞬間にそれが一番の理由になった」
「……」
「でもまあ……みんながそうとは限らない。実際、お互いがお互いを嫌っているけど、俺を、君を大切だと言ってくれる人がいる。それでいいんじゃねぇの?全員に好かれる人間なんて存在しねぇよ」
そこまで喋り終えると俺は最後の力を振り絞ってペースを上げる。
「本当に……本当に俺はあなたが嫌いだ。どうしてもあなたに劣っていると感じてしまう」
「だから……」
「でも、俺はあなたに負けたくない」
その時の葉山君の顔はどんなだっただろう。ゴールテープを切った瞬間の葉山君の顔はどんなだっただろう。
決まっている。
みんなが知っている葉山隼人の笑顔だ。
まったく、俺は心底君が嫌いだよ。
とある休日のとあるオープンカフェ。
先程まで我が愛弟と話をしていた彼女の元へ俺は歩みを進める。
愛弟が去った後の椅子を眺めながら彼女は呟き、こちらを振り返る。
「本物なんて、あるのかな……ねぇ、颯太」
「それは、俺達がわかることじゃないですよ。あの子達がもがき、苦しみ、たどり着いた場所に答えはあるのですから」
どうもりょうさんでございます!
毎度毎度更新遅くなってしまいすみません!最終回もおそらく近いです!多分!最後までお付き合いいただけると幸いです!
次回もよろしくお願いします!
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