夜も近くなり、辺りが薄暗くなってきたころ、俺達は肝試しのコースを下見し終え待機場所へと戻ってきていた。
「それで、どうするの?」
待機場所へ着くなり口を開いたのは雪ノ下さんだ。
その言葉に活発に発言していた連中も口を噤んでしまう。
留美ちゃんのことをどうにかする、そう決めるまでは良かった。しかし、これといった良い案が出ることはなく、明確な答えが出せないままだ。
おそらくこの肝試しを逃せばこの計画は失敗する。それを考えれば皆に焦りが出ていることは容易に感じることができる。
「留美ちゃんがみんなと話すしかない、のかもな……」
葉山君の言葉を聞いた瞬間、俺の耳は完全シャットアウトしてしまった。この期に及んでまだそんなことを言っているのでは話し合いもクソもないだろう。
俺は話し合いに進展があるまで再びだんまりを決め込んだ。
「う、うわー……」
「ヒキタニ君、性格悪いな……」
気が付いたら弟が全力で引かれていた件について。
まあ、八幡が話を始めたくらいから話を聞いていた為、何があったかは把握している。堂々巡りの中、八幡が出した意見はこうだ。
『人間の醜い部分を晒させ、連中をばらばらにさせる』だ。
流石八幡というべきか、周りをドン引かせることに関しては最強だな!
「ははは!いいね八幡!最高最高!」
「馬鹿笑いされながら褒められてもうれしくねえよ」
そんな八幡の言葉と共に、金髪ロール娘からきつい視線が送られてくるが気にしない。
雪ノ下さんも渋々ながら決断したようだし、他の意見が出ない限りこの方法が通るだろう。
「でもそれじゃ、問題解決にはならないんじゃないのか」
「問題の解消はできる」
そんな葉山君と八幡の短い問答の末、最終的に葉山君も八幡の意見に賛同した。
「そんじゃ、その不良役は俺が……」
「葉山、悪役は頼めるか」
「ああ」
あるぇ?八幡さん?
「八幡?」
「兄貴、今回はお休みだ。兄貴には小町一緒に入り口で小学生の誘導をしてもらう」
「お、おう。そうか……」
なんだよ!俺が格好良く悪役になる覚悟を決めていたことも知らないで!八幡がするなっていうなら勿論しないけど、なんか肩透かし食らった気分だよ!
「しっかり入り口で小学生を盛り上げつつ、上手く留美達を最後に行かせるよう仕向けてくれ」
「それって意外に難しいこと言ってるよね」
「兄貴、そういうの得意だろ?」
八幡は当然のように言ってくれるが、そんな簡単にできることでもない気がするんだけどなぁ……。まあ、小町と俺がいればできないこともないだろうが。
「はいはい。八幡が言うならそれでいいよ。小町!頼んだぞ!」
「了解だよー、颯お兄ちゃん」
こうして、俺の考えていた展開とは少し異なったが、この件に関しての答えが固まった。
これがどのように転ぶかは、葉山君や八幡達、そして留美ちゃん次第だろう。
小学生が雰囲気作りの為に怪談DVDを鑑賞している間、俺達は肝試しの準備へ取り掛かっていた。まあ、準備と言ってもあらかじめ準備されているコスプレ衣装に着替えるだけだが。
八幡と葉山君はこれからについて話し合いをしている。その真剣な様子を見ていた海老名さんが顔を赤くし、息を荒げていたのは気のせいだろう。
「それにしても……」
俺は周りの様子を見てそんな言葉を吐く。
別に騒いでいるとか、緊張しすぎているなどではない。注目すべき点はその服装だ。
巫女服を着た海老名さんや白い着物を着た雪ノ下さん、戸塚君は魔法使いの格好をしている。なんで巫女服なんかあるんだよ!脅かす側に巫女さんがいるっておかしいだろ!魔法使いにも言えるがそもそもお化けじゃないし!
「ねえねえ、颯お兄ちゃん。似合ってる?」
「ん?小町……」
俺の服の裾を引きながら問いかける小町を見た瞬間、思わず息をするのを忘れてしまい声を失う。
振り向いた先にはおそらく化け猫の格好をした、我が愛しの妹が立っていた。
「颯お兄ちゃん!?」
「可愛すぎる……」
一瞬のまばたきの後、俺の体は勝手に小町を抱きしめていた。
なんだこの化け猫は!可愛すぎて卒倒しちゃうかと思ったぜ!この子、俺の妹なんだよな?お持ち帰りしても問題ないよな!
「お持ち帰りぃぃ!」
「いや、意味わかんないから」
「そんな冷たい声音で囁かないでくれよ、マイシスター」
お兄ちゃんビックリしちゃったよ?直撃した右耳が凍るかと思ったよ?
「もう……。いいから離して!お兄ちゃんにも見せてくるから!」
「そうか!八幡にもその可愛い姿を見せてこい!」
「このシスコンは……」
そう言い残すと、小町は葉山君との話を終えた八幡の方へと歩いて行った。
「おや?ふむふむ。比企谷先輩はドラキュラさんですね?」
歩いていく小町を見送っていると、いつの間にか隣に立っていた海老名さんが俺の姿を見ながら話しかけてきた。
「そうだよ。男物があんまりなかったから選択肢は極端に少なかったけどね」
現在、俺の服装はドラキュラの格好だ。
背中を包むマントが少々鬱陶しいが、特にコスプレというコスプレはしていない。本当であれば牙らしきものもコスプレセットにあったのだが、俺にはもともと八重歯がある為、着けなくてもよかった。
「いいですね、いいですね。格好良いですよ」
「ありがとう」
「その姿で隼人君や戸塚君の首を……。うへ、うえへへ……!ぶは!」
素直に喜べないなぁ……。
俺は大きなため息を吐きながら海老名さんの介抱を始めた。
「さあ!次の班は君達だ!そこの魔女っ娘ちゃんにルールを聞いてくれよな!」
無駄に元気な声で目についた班をスタート地点へと送り出す。
雰囲気作りの為だろう、篝火のたかれたスタート地点に立った小学生は、怖がっている者もいれば純粋に楽しんでいる者もいた。
それにしても、小学生を送り出すとルール説明を行う戸塚君へ視線を送るのだが、小さく微笑んで頷いてくれるその姿は完璧に女の子だ。さっきも『あ、可愛い』って思っちゃったもんな。
俺自身小学生に魔女っ娘ちゃんに聞いてくれと言っちゃってるもんな。いかんいかん。
「あ!玉ねぎのお兄さんだ!その格好、格好良いー!」
「ふふふ、ありがとう。お礼に君の血を吸ってあげよう。さあ、首をだしてごらん?」
「はいはーい。それのどこがお礼になるのかわからないけど、今はお仕事しましょうねー!あと、教育に悪いから本当にやめてね?」
ちょっとした冗談のつもりだったのだが、割とガチで小町に怒られてしまった。まあ、流石に顎クイはやりすぎたかもね。声をかけてきた小学生の女の子も真っ赤になってしまっているし、悪いことをしたかな。
「さあ!次は君達の班だよ!れっつごー!」
小町の掛け声で次の班がスタートする。
先程までこちらの様子をうかがっていた八幡の姿も見えないことから見回りにでも行ったのだろう。
一番最初の班がスタートしてから三十分程だろうか、大体七割の班がスタートしており、計画実行の時は刻一刻と迫ってきていた。
そして、件の班は相変わらず留美ちゃんをハブりながら話をしており、時折黄色い声がここまで届いていた。
「もう少し、か……」
彼女たちを送り出せば、今回の件について俺がすることはなくなる。後は八幡や葉山君に任せるという形になる。まあ、雪ノ下さんの言うように、これが本来の俺なのだろう。別に変ったことはないか。
「さて」
いつの間にか戻ってきていた八幡が再び森の奥へと入って行くのを確認し、携帯の時計を確認すると小さく息を吸い込み口を開いた。
「最後は君達だよ!それでは行ってらっしゃい!」
あとは任せたぞ、弟よ。
留美ちゃん達の班がスタートしてどれくらいの時間が経っただろうか。
殆どの班がこのスタート地点へと戻ってきたことからおそらくかなりの時間が経っているのだろう。もう留美ちゃん達と葉山君達は邂逅を果たしているはず。どう転んだのかはわからない。俺にできるのは事が終わるのを静かに待つことだけだ。
「もう終わったころかな?」
「たぶんな。そのうち連絡が来るだろうよ」
小町が心配そうに森の奥を眺めながら呟く。
声には出していないが戸塚君も心配なのだろう、そわそわしているのが目に見えて分かった。
「あ……」
小町の声に下げていた頭を森の方へ向けると、一生懸命こちらへ走ってくる留美ちゃん達の姿が見えた。
「八幡の思惑とは違った結果になったみたいだな」
「え?」
俺はそう呟くと不思議そうに首を傾げる小町を無視し、留美ちゃんに視線を合わせる。
しかし、彼女は俺に見向きもせず俺達の横を駆け抜けていった。
これが留美ちゃんの出した答えなのだろう。彼女は自分から歩み寄ることを選び、それを実行した。それが彼女にとって最高の決断だったのかは今現在ではわからない。ならば、今は願うとしよう。彼女の決断が間違っていなかったことを。
同じ班の子の手を掴んだ留美ちゃんの姿を見ながら俺はそう思った。
肝試しの後、小学生はキャンプファイヤーへと移った。
あの後、小町と戸塚君は森から戻ってきた八幡達にどうなったかの結果を聞いていたのだが、俺がそれをきくことはなかった。留美ちゃん達の様子を見れば大体わかるからな。
キャンプファイヤーを囲む小学生の表情は明るく、楽しそうだ。
やがて、キャンプファイヤーも終了し、小学生は宿舎へと戻っていく。そこで留美ちゃんが八幡と雪ノ下さんの前を通っていくのが見えたが、留美ちゃんが二人と視線を合わすことはなかった。
まあ、八幡自体感謝されることはしてないからな。当然と言えば当然の対応だろう。
「おっ」
小学生のいなくなった運動場ではガハマちゃん達を筆頭に花火が行われていた。楽しそうな声がここまで聞こえてくる。
さて、それじゃあ俺も混ぜてもらうとしますかね!林間学校最後のイベント、楽しませて貰いましょうか!
「はっはっは!花火十本持ちじゃー!」
それからの日程も特に事故なく終了し、俺達は無事総武高校へと戻ってきた。
「ほら!息ぴったり!」
なんでこの人がいるんですかねぇ……。
無事総武高校へ戻ってきたまでは良かったのだが、そこに現れたのは黒塗りの車に乗った陽乃さんだった。今現在も八幡や雪ノ下さんをいじって遊んでいる。
「陽乃、その辺にしておけ」
「陽乃さん、ストップです」
まあ、いつまでも野放しにしておくのもあれな為、平塚先生と共にストップをかける。
「久しぶり静ちゃん」
「その呼び方はやめろ」
「久しぶり颯ちゃん」
「今まで一度もそんな名前で呼ばれたことないです。それに最近会ったじゃないですか」
なんだよ颯ちゃんって。ばあちゃんにしか呼ばれたことねえぞ。
「先生、兄貴、知り合いなんですか?」
「昔の教え子だ」
「先輩だ」
「それって」
八幡が詳しい話を聞こうとするがそれを陽乃さんが遮る。
「まあ、積もる話はまた今度ということで。それじゃ、雪乃ちゃん行こうか」
しかし、雪ノ下さんが動くことはない。
「ほら、お母さんも待ってるよ」
しかし、陽乃さんの言葉を聞いた雪ノ下さんは僅かに反応を示した。なるほど、裏に潜んでいるのはあの大魔王か。
「それじゃあね、比企谷君。ばいばーい!」
雪ノ下さんを車に乗せると陽乃さんは大きく手を振りながら、同じように車へ乗り込んでいった。
「あ、颯太。またメールするから」
はぁ、その一言はいらなかった……。
陽乃さんは悪魔のような一言を残し去っていった。
「ねえヒッキー……」
「まあ、ハイヤーなんてどれも似たようなもんばっかだしな。それに、痛すぎていちいち車なんて覚えてねえよ」
そんな二人の会話を聞きながら車の行く先を俺は眺めていた。
そんなはずないのにな。あの車を見た瞬間、八幡は気付いていたはずなのだ。
その夏休み。俺をはじめとする雪ノ下さんにかかわりのある人間は、彼女の顔を見ることはなかった。