留美ちゃんと別れた後、俺達がベースキャンプに戻るといい感じにカレーが出来上がっていた。
それを食べ終えた俺達は、現在紅茶を飲みながら談笑していた。
「大丈夫、かな?」
そんな中、ガハマちゃんが八幡にそう問いかける。言うまでもなく留美ちゃんのことだろう。
「ふむ、何か心配事かね?」
「ちょっと孤立している子がいて」
ガハマちゃんの言葉を聞いて平塚先生が尋ね、葉山君が答える。
しかし、葉山君の答えは少し間違っている。まあ、その辺りは八幡が説明してくれるだろう。
「今回の問題は、悪意によって孤立させられていることだ」
「はぁ?なんか違うわけ?」
八幡の言葉を聞いて金髪ロール娘が首を傾げる。
大違いだ。
一人でいる人間には二つのパターンがある。
まず、好んで一人でいる人間。例を挙げるとするならば八幡だろうか。そして、八幡が言ったように悪意によって一人でいることを強いられている人間だ。今回の場合は留美ちゃんがここに位置する。
すなわち、今回の問題は留美ちゃんの孤立自体ではなく、留美ちゃんを取り巻く環境についてだ。
もし、この問題を解決するとなれば、留美ちゃんに孤立を強いている環境の改善をしなければならない。
「君達はどうしたい?」
話を一通り聞いた平塚先生が皆に問いかける。しかし、全員が具体的にどうしたいと口を開くことはなかった。
「俺は……。できる限りどうにかしたいと思います」
重苦しい空気の中で口を開いたのは葉山君だった。
できる限り……か。当たり障りのない言葉だ。
葉山君自体、自分に何ができるなんてわかっていないのだろう。それでも自分はどうにかしたい、そう匂わせることによって周りに希望はちらつかせておく。できないということも暗に含めておいて。
「あなたでは無理よ。そうだったでしょう?」
そんな葉山君の言葉を切り裂いたのは雪ノ下さんだった。
冷たい言葉に突き刺さるような目。そんな冷たい態度で葉山君の言葉をはっきりと否定した。
確かに、俺も葉山君に何かができるとは思わない。しかし、雪ノ下さんには俺とは違った明確な根拠があるのだろう。彼女らの間には何かがあるのかもしれない。
「そう、だったのかもしれないな……。でも、今は違う」
「どうかしらね」
そんな二人の会話に場の空気は更に重くなり、暗い沈黙が訪れる。
「やれやれ」
そんな様子を見た平塚先生はタバコに火をつけ雪ノ下さんを見る。
「雪ノ下はどうだ?」
「確認したいのですが、彼女の案件は奉仕部の活動の範疇に入りますか?」
雪ノ下さんはじっくり考え、質問をした。
「原理原則から言えば、その範疇に入れてもよかろう」
平塚先生はその質問を肯定する。
「私は……。彼女が助けを求めるなら、あらゆる手段を使ってでも解決に努めます」
雪ノ下さんは先程と同じようにじっくり考えそう答えた。
その宣言には、彼女の確固たる意志が含まれていた。
「で?助けは求められているのか?」
「それはわかりません……」
確かに俺達は留美ちゃんに助けを求められてわけではない。留美ちゃんがどうしてそんな状況になったのか、どんな環境の中に身を置いているのかを知っただけだ。
「ゆきのん。あの子さ、言いたくても言えないんじゃないかな」
若干俯き気味の雪ノ下さんの服の裾を引き、ガハマちゃんがそう口を開いた。
「誰も信じられないとかか?」
「うん……」
それからガハマちゃんが述べた言葉は拙いがしっかり的を射ていた。
話したくても、仲良くしたくてもできない。そんな環境がある。誰も話しかけていないのに自分が話しかけるというのは非常に勇気がいる行動で、話しかけると自分がハブられるのではないか、そうしてずるずるとそのままにしてしまう。
優しく、周りの人間関係をよく見ているガハマちゃんだからこその言葉だと思う。非常にガハマちゃんらしく、好ましい。
「雪ノ下の結論に反対のものはいるかね」
平塚先生がそう問いかけると反論するものはいなかった。
「よろしい。では、どうしたらいいか自分たちで考えてみたまえ。私は寝る」
そう言い残すと平塚先生はあくびをしながら歩いて行った。
平塚先生が去ったあと、残された生徒間では話し合いの席が設けられた。
議題は『鶴見留美はいかにして周囲と協調を図ればいいか』だ。
「つーかさー、あの子結構可愛いし、かわいい子とつるめばよくない?試しに話しかけるっしょ?仲良くなるっしょ?解決じゃん」
この金髪ロール娘は頭弱い子なの?その話しかけるってのが限りなく難しいんでしょうが。この子の意見は聞き流すことにしよう。
てか、その意見に思いっきり賛同している戸田君は金髪ロール娘よりもバカなのかな?うん、そうなんだろうね……。
葉山君のやんわりとした否定に金髪ロール娘が引き下がったところで赤い眼鏡をかけた女の子が手を上げる。
「姫菜、言ってみて」
姫菜と呼ばれた彼女は落ち着いた表情で喋りはじめる。
俺の隣では彼女の名前を戸塚君が八幡に教えていた。耳に入った会話によると、彼女の名前は海老名姫菜さんというらしい。あんまり関わることはないと思うが覚えておこう。
「大丈夫、趣味に生きればいいんだよ」
彼女から出た意見は予想以上にまともな意見だ。
確かに趣味というのは良い考えだと思う。趣味というのは自分を楽しませてくれるものだけではなく、他人とを繋ぐ一種の架け橋でもある。イベントなど、外部で繋がる交友関係もあるだろう。
そして、彼女は自分の実体験を元にしているらしく、述べる言葉に妙な説得力があった。
「私はBLで友達ができました!」
ん?
「ホモが嫌いな女の子なんていません!だから雪ノ下さんもわたしと……」
「優美子、姫菜と一緒にお茶取ってきて」
「おっけー」
葉山君が会話、というか海老名さんの演説を打ち切るように金髪ロール娘に告げる。
金髪ロール娘に連れていかれながら『まだ布教の途中だったのにー!』と喚いている海老名さんを見ながら、雪ノ下さんは苦い表情を浮かべていた。ガハマちゃんが気の毒そうにその様子を見ていることから同じように布教されたのだろう。南無三。
それからもぽつぽつと意見は出るのだが、これといった良い意見が出ることはなく、話し合いは沈黙の時間が多くなってきた。
そこで葉山君が再び口を開く。
「……やっぱり、みんなで仲良くできる方法を考えないと根本解決にはならないか」
それを聞いた俺と八幡は思わずふっと乾いた笑みを浮かべてしまう。そんな俺達を葉山君はジロっと睨むが、俺も八幡も彼の意見を真っ向から嘲笑う。
何でそんな意見をそんなキメ顔で言えるんだろう。
結局、この子は問題の根本を何一つ理解していなかったのだ。
みんな仲良く。そりゃ、これが出来れば一番良いだろう。しかし、どうしたって嫌いな奴は嫌いであり、関わりたくないのだ。そもそも、一度ハブった相手をもう一度引き入れるというのは無理に近い。仮に無視というものがなくなったとしても、その者から罪悪感は消えないし、ハブられていた側も負い目を感じる。
つまり、上辺だけの関係を取り繕ったとしても無理が出るのだ。
それが『無理』『嫌い』とはっきりと告げることが出来ればまだわからないが。
だから、そのことがわかっている俺や八幡は葉山君の言葉を笑う。
そして、それは俺達だけではなく。
「そんなことは不可能よ。ひとかけらの可能性もないわ」
俺達の嘲笑など優しいものだと感じることのできる冷たさを孕んだ言葉が葉山君へと突き刺さる。
それを聞いた葉山君は小さく息を吐き、目をそらす。
「ちょっと、雪ノ下さん?あんた、何?」
どこからどう見ても葉山君に好意を寄せている金髪ロール娘がその姿を見て黙っていられるわけもなく、雪ノ下さんへ吠える。
しかし、それに屈する雪ノ下さんではなく、バチバチと火花が散るような口論が繰り広げられていた。その間に挟まってなんとかなだめようとしているガハマちゃんが可哀想で仕方なかった。
「でも、パッと見、留美ちゃんは性格きつそうですし、小学生だけのグループに溶け込むのは難しそうですねー。もう少し年齢が上がってくると派手目の子達と付き合えると思いますよ?」
二人が激論を交わす中、小町が思いついたように口を開く。
流石小町だ。女子の関係性が良くわかっている。
小学生は良くも悪くも単純なのだ。何も考えず、ただ楽しければ良い。そんな環境に留美ちゃんが溶け込むのは、小町が言ったように難しいだろう。
しかし、高校生にもなると女子は交友関係を考えるようになる。主に色恋沙汰に関して。
留美ちゃんのような女の子は、女子との関係はそれほど良くはならない。しかし、それを見た男子共がおそらくチヤホヤしてくれるだろう。それを見た、もしくは見越してグループに引き込もうとする女子もいるはずだ。
本当に女の子の世界って怖い。
「確かに、ちょっと冷たいというか冷めてるところはあるよな」
葉山君がうんうんと頷きながら小町の意見を肯定する。
「冷めてるっつーか、舐めてるっていうか、超上から目線なだけなんじゃないの?周り見下したような態度とるからハブられるんじゃないの?」
金髪ロール娘は挑発的な笑みを浮かべながら笑う。
うーん。超上から目線か。それを君が言うかね、君が。ブーメランだと俺は思うぞ!
まあ、そんな挑発に雪ノ下さんが声を荒げることはなく、淡々と答える。
「それはあなた達の被害妄想よ。自分が劣っていると自覚しているから見下されていると感じるのではなくて?」
雪ノ下さんの言葉と態度が気に入らなかったのだろう、金髪ロール娘は立ち上がり反論しようとする。
しかし、そろそろこの応酬も耳障りになってきたし、俺の興味ある人間が興味のない人間に貶されるのも気分が良くない。ここらで一喝しておくとするか。
「っ!あんさー、そういうこと言ってっから」
「やめ……」
「そろそろやめなよー。何を言っても君は勝てないよ」
金髪ロール娘を止めようとする葉山君の言葉にかぶせるようにして口を開く。
そういえば、この会議で口を開くのは初めてだな。
「そろそろ見苦しいよ」
俺の精一杯の低い声で、尚且つ笑顔を絶やさずそう続ける。
予想外の伏兵に皆一様に驚きの表情を浮かべており、その中で、八幡と小町だけが額に汗を垂らしていた。
「っ!気になってたけど、あんたさ何なの?テニスの時、いきなり割り込んできたりさ!この会議だって一回も口開いてなかったし!」
「会議ね……。果たして、今までやってたのが会議っていえるのかな。俺は無意味で無益な会議なんてしたくないし、関わりたくもないから黙ってたんだけど」
「なっ!」
金髪ロール娘は驚きと怒りの混ざった表情を一瞬浮かべ、徐々に驚きだけをなくしていく。
「あんたね!先輩だかなんだか知らないけど、みんなで協力して仲良くやろうって時にふざけたこと言ってんじゃないよ!」
「仲良く……ね。さっきも雪ノ下さんにそんなこと言ってたみたいだけど、仲良くして問題は解決する?間違っていることを肯定して解決する?それに、君の挑発的な言葉は、君の言うみんな仲良くってのに反してると思うんだけど」
「そ、それは、雪ノ下さんが!」
「人のせいか?確かに、雪ノ下さんの言い方は少しきついかもしれない。けど、君は雪ノ下さんの言葉に耳を傾けようとしたかい?言葉の厳しさだけを見ていたんじゃないのかい?言葉の中にある理由を問おうとしたかい?それができない会議なんて会議じゃない。だから俺は黙ってた」
「っ!……あーし、あんた嫌い」
随分と幼い反論だ。
だがまあ、そうハッキリ言ってくれた方がいい。
「奇遇だね。俺もだ」
笑顔を絶やさず、先程とは違う明るい声で答えた。
その後、金髪ロール娘は黙ってしまい、翌日へ持ち越しということだけが決まった。
まあ、これが現実だ。
高校生でも仲良くできないのに、小学生ができるわけがない。