「これから三日間、みなさんのお手伝いをします……」
さわやかな笑みと声で眼前に座る百名程度の小学生に挨拶をする葉山君を横目に、俺は思わず出そうになるあくびを噛みしめる。
普段であればこの時間は昼寝の時間だからな。
それにしても流石葉山君だ。挨拶を終えると小学生から拍手が起こったしな。
なぜここに葉山君をはじめとする葉山グループがいるのかというと、平塚先生が内申を餌に募集をかけたらしく、それに見事釣られたようだ。
まあ、それは葉山君だけらしく、他の生徒は遊び半分で来ているらしいが。
「それでは、オリエンテーリングスタート!」
葉山君の挨拶の後、小学校側の先生がオリエンテーリングのスタートを宣言する。
俺達は様々な場所へ向けて散らばっていく小学生を見ながら一息つく。
「いやー小学生マジ若いわー!高校生とかもうおっさんっしょー!」
そんな中、葉山君グループの中で一際騒がしい戸田君が頭を掻きむしりながら声を上げる。
この中で一番年上の俺を馬鹿にしているのかなこの子は。だとしたらお兄さんちょっと怒っちゃうぞ!の意味を込めて金髪ロール娘に反論を食らっている戸田君に笑みを送っておく。
こら、何まぶしい笑顔を返してるんだね君は。そういう意味じゃないから!
戸田君との笑顔のキャッチボールをしていると平塚先生がこちらへやってくる。
「君達の仕事はゴール地点で昼食の準備と配膳だ。小学生より先に到着しておくこと」
確かに昼食の準備となれば小学生より先に到着しておかないとだめだよな。急ぐ必要があるかもしれん。
八幡もそのことに気付いているのか皆に出発を促している。
「ん?」
時間を確認するため携帯を出すと、不在着信が一件入っていた。
「めぐりか……」
液晶には城廻めぐりの文字。また陽乃さんだったら暑さとは別の意味で汗をかくところだった。
とまあ、それはいいとして、めぐりからの電話ならば掛け直さないわけにはいかないか。
「八幡、俺ちょっと電話してくるから先行っててくれるか?」
「ん?ああ、わかった。サボろうなんて考えるなよ?平塚先生だけじゃなくて、もれなく氷の女王からきついお説教が待ってるぞ」
「それは誰のことかしら?」
「はは、それは怖いな!特に氷の女王さんのお説教は勘弁してもらいたい!」
「兄弟揃って川に流されたいのかしら?」
氷の女王の雪よりも冷たい声に俺と八幡は頭を下げることしかできなかった。
ふざけるのも大概にしないとね!
『もしもし?』
「おう、めぐりか?どうかしたか?」
ゴール地点へと向かう八幡達を見送るとめぐりへ電話を掛ける。電話口のめぐりの声が沈んでいる様子はないことから暗い話ではないのだろう。
『あ、うん、えっとね?何してるのかなーって』
「平塚先生に呼び出し食らってな。今千葉村にいる。八幡や他の生徒もいるんだ。まったく、せっかくの夏休みだってのによ!どうしてくれんだめぐり!」
『私に言われてもどうしようもないよ……。そっか、今家にいないんだ』
「ああ、なんか用事でもあったか?」
『ううん。あー、でも夏休みに入って遊びに行ってないから少し寂しいかも』
寂しいという言葉を恥ずかしげもなく伝えるめぐりは昔に比べて成長した。
この成長には俺も助かっている。俺も気を付けてはいるのだが、夏休みはあまり顔を合わせることもないからな。メールや電話じゃ顔をみることもできないし。
「そうだな。俺もめぐりの顔が見たくなってきたころだったんだ。お父さんとお母さんの空いてるときってあるか?」
『来週の土曜日と日曜日はお父さんの仕事が休みだから、その日は空いてると思うよ?』
「そっか。ならその日にでも遊びに行くか。海とかいいんじゃないか?」
海に行く予定なんてなかったのだが仕方ないか。
あまりめぐりをチャラ男の巣窟に連れていきたくはないのだが、お父さんも俺もいるし大丈夫だろう。トイレ以外は傍に居させるつもりだし。
うーん、流石にそれは過保護すぎるか。
『行く!絶対行く!約束だからね!』
「いや、お父さんたちに確認をだな……」
『あの二人が断るわけないよ!颯君が一緒に行きたいって言ってるんだから一発OKが出ると思う!』
その自信はどこから出てくるんだろう……。まあ、いいか!
「じゃ、じゃあいろいろ決まったら連絡くれよ」
『うん!楽しみにしてるね!』
「俺も楽しみにしてるよ」
めぐりの嬉しそうな声と共に電話が切れる。
さて、俺も八幡達の元に向かうとしますかね。
「お?」
八幡達に追いつくべく山道を歩いていると、前方に小学生のグループが目に入る。
おそらく多く存在するグループの中でも比較的高カーストに位置するのだろう。確かに可愛い子が多い。いや、そういう目で見ているわけではなく。
しかし、俺の目を引いたのは彼女たちではなく、グループから少し離れた場所にいる少女だ。
容姿はグループの中でも群を抜いて良い。雪ノ下さんをそのまま幼くした感じが一番わかりやすいかもしれない。首にかけたカメラを見るその冷たい目は雪ノ下さんそのものだった。
なぜ彼女がグループから離れているのか、それは誰がどう見てもいじめだろう。
まあ、いじめといってもハブり、全然初期段階だ。
「……」
彼女を見つめていたのがばれたのだろう、こちらを向いて真っすぐ俺を見つめてくる。その目はやはり冷たく、暗いものを孕んでいた。
彼女はこの環境を無理して変えようとは思っていない。むしろ受け入れているのだ。中学に上がればいじめもなくなる、新しい友達ができるという軽い気持ちで。
しかし、そんなに世の中甘くない。過去のことなどすぐに広まる。学校とはそういうものだ。
特に中学校というのはいくつかの小学校が合わさるだけであり、周りの人間が消えてなくなるわけではない。それこそ中学受験をしない限りは。
「……ねぇ」
「うぉ!?」
俺が考えに耽っていると、先程まで遠くにあった少女の顔が俺の目線のしたに現れる。
うむ、見れば見るほど雪ノ下さんに似てるな!
「な、何かな?」
「あんたって高校生なんだよね?」
「あんたじゃないぞ。俺には比企谷颯太っていう名前があるんだ。颯太かお兄ちゃんと呼んでくれ」
「きも」
この子生意気だ!このちっちゃい雪ノ下さんめ!
「ふーんだ!名前を呼ばないと答えてやんないもーんだ!」
「……颯太は高校生なんでしょ?」
たっぷり五秒ほど考えて彼女は問い返す。
最初からそうすればいいんだよ!呼び捨てってのは引っかかるけど!
「そうだよ。君は小学生だ。小さい学生と書いて小学生」
「どうでもいいし。それと、君じゃない」
相変わらず不機嫌そうな顔でこちらを睨んでくる。
「そっか、名前は?」
「鶴見留美」
「そっか!よろしくな、ルミルミ!」
「ルミルミじゃない、きもい」
この子は少々言葉遣いが悪いな。雪ノ下さんは言い方だけは丁寧だからな。いや、似てほしいわけではないんだけどね?
「わかったよ。じゃあ留美ちゃん、高校生がどうしたの?」
「小学生を見てどう思う?」
「……可愛いと思うよ?」
他意はない。小学生、可愛いじゃない。
「ロリコン。本当のこと言って」
「……はぁ。ハッキリ言って興味ない。どうでもいいと思ってるよ」
可愛いとは思う。元気で若いなぁとも思う。だが、それ以上の感情はない。仲良くしたいとか、一緒に遊びたいとも思わない。故に、鶴見留美を取り巻く環境をどうにかしようとも思わない。
「そう。颯太はあっちの奴等とは違うんだ」
「あっちの奴?」
「今わいわいやってる連中。同じグループの奴とか、さっき颯太と一緒に居た金髪の男達とか」
つまりリア充ってことか。確かに違うかもな。
「はっはっは!確かにそいつらとは違うかもしれない。だけどな、俺は君とも違う」
「どういうこと?」
俺と留美ちゃんとの決定的な違い、それは。
「愛し、守るべき存在がいる。俺は君と違って本物を持っている」
「本物……」
「そう、だから俺と君は一緒じゃない。だけど、一緒になることはできる。まあ、君のこれから次第だけどね」
そう言い残すと俺は山道を先へと進んでいった。
これから留美ちゃんが変わるには何かきっかけが必要だ。それがどんなものかは俺にもわからんが。
「ん?」
山道を歩いていると、ポケットに入れていた俺の携帯が震える。
『どうも平塚です。今何をしているのでしょうか?ちらほらとゴールをしている小学生もいるのですが……。弟君達はとっくに到着していますよ?』
次の瞬間、静かな山道に俺の叫び声が響き、やまびことなって帰ってきた。