「じゃあ、なんかあったらメールして」
「はい……。ありがと、お兄さん」
そう言って、先程よりかは少し落ち着いたガハマちゃんは家へと入っていく。
あの後、泣きじゃくるガハマちゃんを隠すように近くの公園まで連れて行ったのだが、そこでも落ち着く様子はなく、今日のところは俺が家まで送った。
途切れ途切れだったが何があったのかは話してくれた。
職場見学の後、八幡を迎えに行ったガハマちゃんは言われたのだという。
同情する必要はない。気にして優しくするのはやめろ。と。
おそらくガハマちゃんの顔を見た小町が思い出したのだろう。それを八幡に告げた。それがこういう結果をもたらしたということだ。
このままいくとガハマちゃんは奉仕部を去ることになる。
八幡と雪ノ下さんがそれを良しとするなら俺も止めやしない。雪ノ下さんは間違いなく許さないだろう。勝手に入り込んできて理由も告げずに出ていく。そんなことを許す雪ノ下さんではない。
ならば八幡はどうだろうか。
あいつは優しい女性を嫌う。このまま何のきっかけもないままだと確実にガハマちゃんとの糸は切れる。いつもならばそれを肯定し、八幡の好きなようにさせるだろう。それが八幡の為になるとわかっているから。今まではそういう人間しかいなかったから。
しかし、ガハマちゃんはどうだろう。
確かにガハマちゃんは優しい。優しいが、八幡に向けていたそれは果たして同情だったのか。
答えは否だ。
勿論、多少なりともそういう気もあったかもしれない。だが、彼女にはそれ以上の何かがあった。雪ノ下雪乃の人に合わせず、自分をはっきりと叱ってくれた時抱いた憧れ。それと似た何かが。
ならば俺はどうする。
いつものようにガハマちゃんも八幡から離れるべき存在だと認識するか?離れていくことを肯定するのか?ガハマちゃんと八幡は離れて良いのか?
答えは否だ。
ならばどうする。
兄貴として、比企谷颯太はどうする。
決まってる。
兄は兄らしく、陰からあいつらを押してやろうじゃないか。
職場見学の日から数日が経った頃、梅雨独特のジメジメとした嫌な気候が続く中、俺は八幡及び奉仕部の様子を観察した。
結果から言うと、やはりガハマちゃんはあれ以来奉仕部を訪れていない。
昼休憩に奉仕部を訪れてみても、そこに談笑しながら昼食を食べる二人の女生徒の姿はなく。その片割れのみが静かに食事をとっていた。
雪ノ下さんも顔には出さないように努力はしてるが、明らかに以前とは違う。
続いてガハマちゃんの様子だが、こっそりクラスを覗いてみると、葉山君達のグループと仲良く談笑していた。しかし、目線はちらちらと八幡に向いていて、目が合う度に気まずそうにそっぽを向く。
そして、最後に八幡だが、これには小町にも協力してもらった。
俺がいない場所でちょくちょく探りを入れてもらったのだ。
やはり、小町の目から見ても明らかに様子がおかしいようだ。小町が言うにはいつもより覇気がないとのこと。
奉仕部の今の状況はこんなところだろう。
八幡の様子を見てもわかる通り、八幡はガハマちゃんのことをどこかで気にしている。押しようによってはどちらにも転ぶ可能性がある。
「ふぅ……」
直接俺が手を下すのはだめだ。それでは意味がない。
結局、この問題を解決できるのは奉仕部。ならば、奉仕部内でこの場面を打開できる人物は一人しかいない。
「やあ、雪ノ下さん」
「こんにちは、先輩」
雪ノ下雪乃。この子だけだ。
「今日も一人なんだね。ぼっちなの?」
「そんな軽口はいいわ。今日は駄弁りにきたというわけではないのでしょう?」
「流石雪ノ下さん」
本当、この子には敵わない。人を良く見ているというか、変化に一早く気付く。それ故に八幡達の変化にも気付いているはずだ。
「……比企谷君と由比ヶ浜さんのこと?」
「ご明察」
「あなたは何か知っているのね」
雪ノ下さんは表情を崩さずこちらを見据えてくる。
怖いとかいうそんな感情は沸いてこない。表情は崩さずとも声の調子はいつもと違う。不安で、心配で、ほんの少しの怒り。そんなものが入り混じった複雑な声。それを聞いて怖いとは思えない。
「まあね。内容は言えないけど」
「それは構わないわ。それで、私に何をしろというのかしら」
「六月十八日ってなんの日か知ってる?」
「何をいきなり……」
「いいから」
雪ノ下さんは俺から視線を外し考える仕草を見せる。
「……由比ヶ浜さんの誕生日かしら」
「ほー、その心は?」
「メールアドレスに入っていたのよ。0618って」
「よく見てるね」
「……そんなことはないわ」
知らなかったら教えるつもりだったのだが、すでに知っているのなら話が早い。
そう、六月十八日はガハマちゃんの誕生日。これだけわかっているのならここに来る必要もなかったな。
俺が雪ノ下さんにしてほしかったのは、ガハマちゃんのプレゼントを買いに行ってほしかったのだ。できれば八幡同伴で。どうせ、八幡は知らないだろうしな。
それにしても、俺と同じことをしてる子がいるなんてな。
実はメールアドレスから誕生日を割り出す方法は、昔俺もしたことがあるのだ。
「プレゼントは渡すつもりなの?」
「ええ、そのつもりなのだけれど、何を渡せばいいのかわからないのよ」
「そっか、なら八幡を連れていきなよ」
「あの人にプレゼントなんて選べるようには見えないのだけれど……」
まあ、確かに見えないよなぁ……。
「でも、わかったわ。期を見て誘うことにしましょう」
「そっか、頼んだよ」
「構わないわ。あの二人はまた始められるのだから」
そう言う雪ノ下さんの表情は寂しそうに見えた。
「じゃあ、俺はこれで。さいならー」
「さようなら」
「……俺は君を恨んでいないよ。八幡は気付いてないみたいだけど」
俺は扉を抜ける寸前にそう呟いた。
部室では驚いた顔をする雪ノ下さんの姿があった。
「珍しいな。お前から頼み事なんて」
「ははは!していいならいつでもしますよ!」
「お断りだ」
「ひでえ!」
奉仕部を後にした俺は、その足で職員室へと向かった。奉仕部顧問である平塚先生に頼み事をするためだ。
「要件はなんだ」
「ガハマちゃんのことは聞いてますか?」
平塚先生は火をつけようとしていたタバコを収めると、ゆっくりとこちらを見据え口を開く。
「奉仕部に来ていないようだな」
「はい」
やはり平塚先生の耳にも入っているようだ。
「お前は何があったか知っているんだな。それで、私は何をすればいい」
「先生には部員補充を急がせてほしいんです」
「由比ヶ浜を見捨てるということか?」
平塚先生の目が厳しいものへと変わる。
平塚先生もあの三人の奉仕部が好きなのだろう。見ていて危なっかしい、喧嘩の絶えない部活。だが、平塚先生にはまぶしく見えていたのだ。だからこそ、ガハマちゃんを手放したくない。
だが、俺が言っているのはガハマちゃんを見捨てるというわけじゃない。
「違いますよ。先生にはあいつら、特に雪ノ下さんを焚き付けてほしいんです」
「雪ノ下を?」
「はい。八幡を今の状況で動かすのは難しいです。なら、奉仕部の長たる雪ノ下さんを焚き付け、ガハマちゃんを戻せばいい」
その方法が部員補充ということだ。
聡い雪ノ下さんのことだ、俺の真意を見抜いてくれるはず。
「部員補充。すなわち由比ヶ浜を補充要員にするということか」
「そういうことです。出て行ったのなら、連れ戻せばいい。そういう論理です」
「わかった。どうせ、いつかは言わなければいけなかったことだ」
そう言うと平塚先生はタバコに火をつけ背もたれに寄りかかる。
「すみません。つらい役回りで」
「気にするな。これが教師というものだ。こういう役回りこそ、お前のような奴にやらせてはならんのだよ」
にやりと笑う平塚先生は本当に素晴らしい教師だと思う。
格好良くて、優しくて、厳しくて。
俺はそんな平塚先生が大好きで、心から尊敬している。
「お前もあまり無理をするんじゃないぞ。お前のような人間が私は一番放っておけん」
「ははは。じゃあ、一生養ってくださいよ」
「私にヒモはいらん」
「つれないなぁ」
何はともあれ、周りの人間にやるべきことは伝えた。
あとは、事の成り行きに任せるしかない。どう転ぶかは、二人次第だ。