大志君から相談を受けた翌日から早速川崎沙希更生プログラムは始まった。
しかし、俺は小町の好意を素直に受け、中間テストへ向けての勉強を行っていた。
「颯君、何か飲む?」
「ん?ああ、お茶でいいよ」
「りょうかーい」
扉を開けてひょっこり顔を出しためぐりは返事をしながら階段を降りて行った。
俺は現在、めぐりの家で勉強をしている。中間テストが近いということで、生徒会活動も一時停止となり時間を持て余していためぐりに誘われたのだ。
めぐりの家はこれまでに何度か来たこともあり、めぐりとならば静かに安心して勉強ができることもわかっている為、俺も快く了承した。
ここに陽乃さんがいれば話は別だが。
最初の頃は、家に上がるのも少し緊張しながらであったが、それも三年目に入れば慣れたものである。今では自宅に次ぐ二番目に安らぐ場所である。
「お待たせー。はいお茶」
「いつもすまないね」
「それは言わない約束だよー、颯君」
こんな何気ない冗談でさえも心が安らぐ。
「そういえばお父さんやお母さんは?」
「お父さんは仕事で、お母さんは夕飯の買い物。颯君が来るってメールしたらゆっくりしていけだって」
「そっか、お邪魔してばっかじゃ悪いし、今度お手伝いでもしなきゃな」
「あはは。お母さん喜ぶと思うよ」
めぐりの両親には何度か、というか頻繁に会っている。夜が遅くなった時には夕飯も作ってくれる優しいお母さんと、まるで友人のように接してくれるお父さんはとても良くしてくれている。
「さて、勉強するか」
「うん!わからないところは教えてね!」
「はっはっは!どんとこい!気分によっては教えてやる!」
「絶対教えてよ!」
勉強を始めてから二時間くらいが経った頃、玄関の扉が開く音がする。
「お母さん、帰ってきたみたいだね」
「お、そうか。挨拶しないとな」
「そのうちお母さんの方から来ると思うけどねー」
音に気付いためぐりは少し疲れたのか体をぐっと伸ばす。
めぐりは勉強をするときも俺に合わせてくれる為、俺が没頭しすぎるとめぐりにも負担をかけてしまう。気を付けているのだが、どうしてもめぐりといると集中してしまう。
それほどこの空間が俺にとって心地の良いものだということだろう。
そんなことを考えていると、部屋の扉を叩く音が聞こえ、一人の女性が姿を現した。
「颯君いらっしゃーい」
「おかえりんりん!お母さん!」
「おかえりー」
「今日も元気だねー。おばさん嬉しくなっちゃう」
そう言ってめぐりによく似た雰囲気を纏うこの女性こそ、めぐりの母である。執拗にお母さんと呼んでくれと頼まれた為、俺はお母さんと呼んでいる。
「むふふーん!俺は元気なのが取り柄ですからね!」
「男の子はそうでなくちゃねー。めぐりもそう思うでしょー?」
「え?私は別に……」
めぐりが答えをぼかすと、お母さんはニヤッと笑い続けた。
「あ、めぐりは颯君がいいんだよねー?知ってる知ってるー」
「お、お、お母さん!何言ってるの!もうもう!」
めぐりは顔を真っ赤に染め、わたわたと慌て始める。
うーむ、可愛い。
「俺もめぐりが好きだぞ!」
「お母さんは好きとは言ってないよー!よくわかってないのに適当に合わせないでー!」
何故か怒られてしまった。
混乱しすぎて自我を保てていないな。いつもなら『ふぇ?』とかいうあざとい言葉が出てくるはずなのだが、逆にハキハキしている。
「まあまあ、落ち着けよめぐりさんよ。ほらーよしよし」
「……子供扱いしないでよー」
ちゃっかり落ち着いてるところ、充分子供っぽいと思うのだが。
まあ、これがめぐりの可愛いとこだよな。
「うんうん!相変わらず仲が良いね!そういえば颯君。夕飯食べていくでしょ?」
「えっと、毎回お世話になってますし、別に大丈夫ですよ?」
こう毎回毎回、お世話になるのもいい加減悪い気がしてきた為、断ろうとする。
「ふぇ?食べていかないの……?そっかぁ……」
まるでろうそくの火が消えるように落ち込んでしまうお母さん。
なんで城廻家の女性はこうもあざといんだよー!それに、やはり親子なのか、どことなく容姿がめぐりに似ている為、めぐりが落ち込んでいるようで断りにくくなる。
これはお母さんが使う常套手段であり、必殺技でもある。俺はこれをはねのけられたことが一度もない。
「わかりましたよ!ご馳走になります!」
「ほんと!?じゃあ、腕によりをかけて作るね!それまで勉強頑張って!それじゃ!」
まるで人が変わったかのような変化を見せたお母さんは、あっという間に部屋から出て行ってしまった。
「はぁ……。今日も勝てなかった……」
「あはは……。でも、本当にお母さん嬉しいみたいだし、きっとお父さんも喜ぶと思うよ?」
確かに、俺が夕飯を頂く時、二人は嬉しそうにこちらを見ながら飯を食べている。その時、俺も悪い気はしないし、むしろ楽しい為良いのだが。
「めぐりは?めぐりは迷惑とかじゃないか?」
「全然?むしろ颯君と長く一緒に居れて嬉しいよ?」
めぐりはなんの恥ずかしげもなくそう答える。
本当にこいつはこういう時だけずるい。いつもならば顔を赤くするくせに。自分の言ってる事わかってるのかね。
まあいい、今日も美味い飯を食べれるのだから、感謝をしよう。
あ、小町にメールしとこ。
「はっはっは!さあ颯君、食べてくれ!」
「はい!いただきやす!うっはあ!うめええ!」
「颯君……。静かに食べなよー」
夕方となり、お父さんも帰ってきたところで城廻家は夕飯の時間となった。
机の上には、お母さん特製の料理が所狭しと並んでいる。その、どれもが美味そうな湯気と匂いを立てており、俺の腹を刺激してくる。
そして、俺の正面に座る男性こそ、めぐりの父であり、俺がお父さんと呼ぶ人物だ。
優しそうな人相と明るい性格はとても親しみやすい。
「お母さん!今日も美味いっす!お嫁に来てください!」
「お!お父さんにケンカを売ってるのかー?いいぞー!母さんを奪えるもんなら奪ってみろー!」
「あらあら、この年で奪い合ってもらえるなんて嬉しいわー」
「はぁ……」
このような冗談もこの四人の中では見慣れた光景だ。
俺とお母さん達の関係は、それこそ友人のようなものだ。
共に笑い、共に騒ぐ関係。俺はこんな関係を非常に気に入っている。一見、呆れているようにも見えるめぐりの表情にも笑顔が混じっている。
「ふはは!颯君がいるとつい、はしゃいでしまうな!颯君、勉強は進んでるかい?」
「ええ、おかげさまで。この分なら中間テストも大丈夫だと思いますよ」
「そうかそうか!まあ、中間テストにしろ受験勉強にしろ疲れはたまるだろう。そういう時は遠慮せず遊びに来なさい。俺が休みの日にはリフレッシュがてら遊びに行ってもいいしな!」
そう言ってお父さんは笑う。
本当にお父さんは良い人だ。うちの親父が悪い人というわけではないが、これほど良いお父さんはいないと思う。
そして、その傍らで微笑むお母さんも同様だ。
この二人に育てられたからこそ、めぐりもこんないい奴に育ったのだろう。
俺がもし家庭を持つことになれば、城廻家のような暖かい家庭を築きたいと思っている。勿論、子供が複数人であれば、俺達のような仲の良い兄弟にしたいとも思っている。
「はい!そん時はよろしくお願いします!」
その後も、賑やかな夕食は続いていった。
夜も更けてきたころ、俺は城廻家を後にした。
お母さん達には泊って行けと言われたが、流石にそこまでお世話になるのは悪い。めぐりもいるしな。
そして、近くの公園に差し掛かったところで一通のメールが届く。
『比企谷君へ。どうも平塚です。もう夕飯は済まされましたか?食後の勉強にでも勤しんでいる頃でしょうか。お暇があれば返信ください。待ってます。』
「……」
どうしたらよいのでしょうか。
俺的には絶対に返したくない。返したら面倒くさいことになる。それはわかっているのだが、なんせ相手はあの平塚先生だ、返さなければ明日どうなるかわからない。
そう考えた俺は渋々指を動かす。
『どうしたんですか?』
そんな短い文章だが、打つのに三分くらいかかった。
「どうしたもんか……」
そんなことを呟いていると一分もしないうちに返信が来る。
はえぇよ!こえぇよ!なんなの!?メールくる前から打ってたの!?
『生徒にこんなこと言うのはおかしいと思うのですが、今日、私はとても傷ついたのです。生徒に胸を打つような酷い言葉浴びせられました。もう一度言います。私はとても傷つきました』
「なんなんだよ!」
思わず外であることを忘れてツッコんでしまった。
結局この人は何が言いたいの!?
『それで、どうしたんですか』
『慰めて』
早い!そしてめんどくせぇ!
なんでさっきまで丁寧な文面だったのにそこだけ崩れてんだよ!どんだけダメージ負ってんだよ!俺ツッコミキャラじゃねぇのに!どうしろってんだ、コンチクショウ!
『今度ラーメン奢りますよ』
『うん……。楽しみにしてる』
ああもう!調子狂うな!可愛いな!
こうして俺の夜は叫びと共に更けていった。
『このことは内緒だよ?』
言えるかぼけぇ!