始業式の時と比べると暖かく過ごしやすくなった頃、我が総武高校では中間テストが近づいていた。
受験を控えている俺達三年生にとっては一つ一つのテストが非常に重要だ。故に、県下有数の進学校である我が校の三年生は少しばかりピリピリしていた。
俺を除いて。
「めぐりー!野球しようぜー!」
「ちょっとは空気読もうよ!颯君!」
ちょっとしたジョークのつもりなのに割とマジで怒られてしまった。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないかよー。なあー!構ってくれよー!暇だよー!昼休みまで勉強すんなよー!」
「うー!颯君うざい!」
「う、うざい!?」
あの可愛いめぐりんが俺にうざいと言っただと!?
なんて日だ……。地球滅亡の日は近いか……。
このように、いつもは自分から話しかけてくるめぐりでさえも机に座り教科書と睨めっこをしている。勿論、それはめぐりだけではなく他の生徒も同様だ。
「もう……。颯君も勉強しなよ。中間テストも近いよ?」
「そんな根詰めてやっても疲れるだけだろ?それに、俺は毎日少しずつってタイプだから。気合入れてやるのはそれこそ一週間前くらいからだよ。陽乃さんも言ってたじゃん、勉強をしないのはダメだけど、しすぎるのもダメだって」
「それで点とっちゃうから何も言えないよねー……」
そうは言うがめぐりだって勉強ができないわけではない。
生徒会長をしているだけあって生活態度は勿論、勉学に対しても生徒の見本に充分なりえる点を毎回とっている。学年順位も何度か負けたことがあるほどだ。
まあ、これ以上めぐりの邪魔をするのも流石に気が引ける為、おとなしく睡眠に入るとしよう。あんまりしつこくしすぎて嫌われるのも嫌だしな。
「あれ?寝ちゃうの?」
「嫌われたくないしな」
机へと突っ伏そうとした瞬間、めぐりの間の抜けたような声がその行動を止める。
「別に颯君を嫌うことなんてないけど……」
いつもはこれ以上突っ込んで絡んでいくのだが、案外すんなりと引いた俺に少し驚いたのだろう。
今年は受験も控えているし、そんな時までしつこく絡んでいくほど俺も自分勝手ではない。
「そうか、じゃあ勉強頑張れよ。わからんとこあったら声かけてくれれば教えるぞ」
「え、ちょっと颯君ってば……」
……なんでそんな悲しそうな顔すんだよこいつは。
「どした?」
「えっと……その……」
俺が顔を上げると途端に口ごもってしまうめぐり。
そんな俺達の様子を遠目でニヤニヤしながら見つめるクラスの女子たちが目に入る。その目は何故か期待に満ち溢れていて、俺に目配せをしてくる。
おい、お前らは何を期待してるんだ。てか、なんでみんな手を止めてんだ?さっきまで一生懸命机に向かってたじゃねぇかよ!
「んー……。やっぱ、少し勉強するかね。めぐり、要点とかまとめてんだろ?一緒にやろうぜ」
「え?う、うん!」
めぐりは元気な返事と共に机をくっつけてくる。
うーむ、やはりこの時間まで勉強をするのは性に合わんなぁ。でもまあ、めぐりとなら大丈夫か。
おい女子共!はしゃいでないで勉強しやがれ!
中間テストも目前まで迫ってきた。
つい先日までは気合を入れて勉強をすることはなかったが、ここまで近くなると俺も気合を入れざるを得ない。
今日も今日とて夜遅くまで勉強をしている。
朝の苦手な俺にとって夜更かしは最大の敵なのだが、どうやら俺は何かをやり始めると没頭してしまうタイプなようで、気が付くと深夜になってしまっていることが多々ある。
「んー……。ここまで来たらもう少しやるか」
時計の針はもうすぐ十二を指すところだ。
「……ん?」
少し目を休ませるため机から目を離すと、どこかの扉が開く音と共にゆっくりとした足音が聞こえる。
おそらく勉強をしていた八幡が飲み物で取りに台所へ向かったのだろう。
ついでだし、俺もご相伴に与るとしよう。
俺はひとまず広げていた教科書や参考書を閉じ、台所へと向かった。
「八幡も休憩か?」
「ん?ああ、兄貴か。まあな、兄貴もか」
「まあね。って、小町こんなところで寝てるのか」
リビングへ降りると、案の定コーヒーを入れている八幡とソファーで寝ている小町の姿があった。
一般男性の諸君には少し刺激的な格好で眠っていることにはもはや突っ込むまい。小町が八幡や俺の服を着ていることなんて日常茶飯事だからな。
そうこうしているうちにコーヒーの良い匂いが部屋に漂い始める。
「んー……」
その匂いを嗅ぎつけたのか小町がもそもそと起き上がる。
「……寝すぎたー!」
「起きたのか」
少し眠るだけのつもりだったのだろうが、この時間まで寝てしまったようだ。それにしても五時間は寝すぎだが。
寝起きの小町と八幡の会話を聞きながら俺はコーヒーをカップにそそぐ。
高校に上がるまではブラックコーヒーなど飲めなかったのだが、陽乃さんと関係を持ち始めてからは飲めるようになった。慣れると意外にイケるものである。
まあ、陽乃さんが飲ませてくれるような高いコーヒーには程遠いインスタントではあるが、庶民の俺にとってはこれくらいがちょうどいい。
そんなことを考えていると、話を進み八幡と小町は一緒に勉強をするようだ。
「兄貴も一緒にやるか?」
「そうだな。どうせもう少しやるつもりだったし」
「よーし!決まりだね!」
小町がそういうと、俺と八幡は勉強道具を取りに部屋へと戻っていった。
道具一式を持ってきた俺達は早速各々勉強を始める。
八幡は黙々と問題を解いては答え合わせを繰り返している。
俺も先程と同じように参考書や教科書を見ながらテスト範囲の要点まとめを行う。
「お兄ちゃん達って真面目だよね」
小町が俺達の方を見ているかと思えばそんなことを口にした。
「そうかね」
「なんだよ、どんだけ上から目線なんだ。アホ毛引っこ抜くぞ」
八幡のそんな言葉にも小町は笑うだけ。
「でも、お兄ちゃんも颯お兄ちゃんも小町を殴ったりしないよね」
確かにそうだ。
八幡は小町に対してきつめの冗談や苦言を言ったりするが絶対に手を出さない。俺に関しては問題外だ。小町を殴るなんてこの身朽ち果ててもすることはないだろう。
「そりゃ、親父に殴られるしな。まあ、一番怖いのは兄貴だけど。殴られはしないだろうがそれ以上の説教が待ってるからな」
「そりゃまあ、小町を殴るならそれ相応の理由があるんだろうしな。それをたっぷり聞き出さないといかんし」
「こええよ」
もしそれが実際起こったとしたら小一時間じゃ全然足りないだろうな。相手が八幡なら尚更だ。
「この家で怒ったら一番怖いのは颯お兄ちゃんだからね。お父さんも怒らせないようにしてるし」
「親父に関しては実際に怒られたことがあるからな。身をもって知ってるんだろ」
「あー、確かに」
八幡達の言う通り、俺は親父に説教をしたことがある。
中学時代、親父が冗談のつもりで八幡にだけクリスマスプレゼントを渡さなかったことがある。勿論、別口で用意してはいたのだが、そのことを知らなかった俺は親父に対して怒りを爆発させてしまったのだ。
今考えればジョークだとすぐわかるのだが、中学時代の俺は少し余裕がなかったのだろう親父がジョークだと八幡に謝るまで説教をし続けた。
「最後の方はお父さん涙目だったよね」
「母ちゃんも流石に焦ってたな」
「それだけ八幡を愛しているということだよ」
「はいはい、俺もだよ」
八幡の棒読み返しも照れだと思えば可愛いものだ。
「で?何の話だっけ?」
「俺達が真面目って話だろ?」
「ああ、そうだった!」
俺が話を戻すと小町が再び話し出す。
「お兄ちゃん達は真面目だなって思ったんだよ。小町の友達のお姉さんは不良化しちゃったらしいよ」
「不良ねぇ」
他人の話になって興味を失くしたのか、八幡は日本史の参考書と睨めっこを始めてしまった。まあ、耳には入っているだろうが。
「夜とか帰ってこないらしいよ」
「そりゃいかんな」
夜帰ってこないとなると様々なことが容易に想像できる。女の子となればなおさらだ。
「総武高に通ってて真面目なお姉さんだったらしいんだけどね」
よりにもよってうちの高校の子ですか……。
「その子と最近仲良くなって相談されたんだよね。名前は川崎大志君っていうんだけど」
「小町」
「小町ちゃん」
俺と八幡の声が重なる。
「その川崎大志君とはどういう関係だ?仲良しとはどういう形だ」
「小町、正直に答えなさい。お兄ちゃん怒らないから」
「二人とも目が怖いよ……」
小町が割とガチで引いていた。
思わず本気の目をしていたらしい。あれだ、小町にはまだ早い。そういうのはまだ許さないぞ。
「まあ、困ったことがあれば相談しろよ。俺、奉仕部だから」
「そうだな。俺も力になれることがあれば協力するぞ」
「ほんと、二人とも真面目だね」
そういって小町は優しく微笑んだ。