「本当に送らなくていいの?」
「はい、こんな高そうな車が家の前に止まってたら妹が面倒くさいので」
あれから数時間ほど報告兼世間話を済ませた俺は、陽乃さんを見送るべくホテルの外で待機していた黒塗りの車の傍へ立っていた。
「そっか、今度弟君や妹ちゃんを紹介してね」
「いやです」
「ひどいなー。なんでそんな意地悪するのー?」
陽乃さんは拗ねたように頬を膨らませ文句を垂れてくる。
俺からすれば見慣れたあざとい仕草だが、世の男子諸君からしたら、きゅんと胸がときめいて思わず告白してしまい笑顔で断られるだろう。
そのくらい魅力的な表情を彼女はしている。
うん、振られちゃうんだね。
「八幡と小町が悪い影響受けたらどうするんですか。マジであり得ないです」
「私、そこまで貶されたの初めてかも」
「初体験ですか?エロいですね」
「颯太?それセクハラだからね」
「すみません」
俺は目にもとまらぬ速さで頭を下げる。
だから、その手に持っている携帯をしまってくれませんかね。その携帯はいったいどこへ繋がるんでしょうか。どこだとしても俺が社会的にも身体的にもお亡くなりになるのは目に見えているが。
「もう……。いいもーん。接触する方法なら幾らでもあるしー」
「怖いですよ。マジでやめてください」
どす黒い笑みを浮かべた陽乃さんに思わず身震いしてしまう。
こええよ!この人なら本当にどんなことでもしてしまいそうだし!
「まあ、冗談はさておき。私と会えなくても学校頑張るんだよ?めぐりの仕事もちゃんと手伝わないとだめだぞー?そういう約束なんでしょ?」
「わかってますよ。それに、別に陽乃さんがいなくても俺はやっていけますよ」
「あー、そういうこと言うんだ。卒業式では号泣してたくせにー!」
「それは若気の至りって奴ですよ」
あれは最大の不覚だった。
陽乃さんの卒業式、俺は陽乃さんを前にして号泣してしまった。人前で泣く事など滅多にないのだが、陽乃さんが卒業証書を自慢しながら笑う姿に何故か涙が出てしまったのだ。
彼女との関係が僅か一年でそれほどまでに深くなっていたことを思い知った瞬間だった。
その場には勿論めぐりも同席しており、めぐりにも時々今のようにからかわれることがある。
「それに、陽乃さんだってあの後無意識に俺を抱きしめてたじゃないですか」
「あ、あ、あれは!颯太が凄い勢いで泣いちゃうから!なんか……嬉しくなっちゃって」
俺が号泣した後、陽乃さんは普段見せないような慌てようを見せ無意識に俺を抱きしめていた。
あの時、俺の首筋が少し濡れていたのを今でも覚えている。
「むー!なんか颯太が余裕そうでむかつく!」
「はいはい。ここで話すと遅くなりますからさっさと帰ってください」
法令的にも少し危ない時間になってきたしな。
「そうだね!じゃあね、颯太。また今度呼び出すから!」
「できれば遠慮してほしいんですけど」
「無理!」
飛び切りの笑顔でそう答える陽乃さんに苦笑を浮かべながら手を振る。
陽乃さんが乗車したことを確認した運転手さんがこちらに会釈をして車を発進させていった。
やべぇ、運転手さんかっけえ。クールだぜ。
それにしても、本当に嵐のような人だ。
拗ねていたのかと思えば、次の瞬間には笑顔を浮かべている。ころころと変わるその表情に最初のうちは何度も惑わされたりもした。
陽乃さんと関係を持つことで、他の人が知らない陽乃さんの姿を垣間見ることが何度もあった。
ひどく冷たく、現実を見つめている陽乃さんの表情は、思わず背筋が伸びてしまう程に恐ろしい。しかし、俺はそんな冷たさの中に埋まっている暖かな部分も知っている。
その暖かさこそが彼女の本当の魅力なのだ。
それが彼女の本物なのだ。
俺はそんな彼女が悔しいが、本当に悔しいが……好きだ。
勿論ライクの意味合いでだが。
「帰るか」
俺は若干急ぎ気味で帰路へとついた。
八幡達も待ってるだろうしな。
「ただいまー」
「あ、おかえり!颯お兄ちゃん!」
玄関の扉を開けるとラフな格好をしながらアイスを頬張る小町が出迎えてくれた。恐らく風呂上りなのだろう、髪は少し湿っており、風呂上がり独特の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「そんなおめかししちゃって、どこ行ってきたの♪」
俺の格好を見て変な勘違いをしているであろう小町は、ニヤニヤとあまりよろしくない笑みを浮かべながら楽しそうに問うてくる。
「別に?卒業した先輩に会ってただけだよ」
「女の人?」
「まあな」
「颯お兄ちゃんは年上好きと……」
小町は小さな声でブツブツと見当違いなことを呟いている。
違うからね?俺が好きなのは……。ん?俺は誰を思い浮かべようとしたんだ?どの年代を思い浮かべようとしたんだ?
まあいいか!俺が好きなのは八幡と小町だし!あれ?それじゃ俺が好きなのは年下?それはそれで……。
「小町、誤解するのはそこまでにしろ。それよりも、ちゃんと髪を乾かさないとダメだろ?やってやるからドライヤーと櫛を持っておいで」
「了解であります!颯お兄様!」
調子のいいことを言いながら小町は洗面所へと走っていった。
それと入れ替わるように八幡がリビングへ入ってくる。
「お、八幡ただいま」
「おかえり。って、なんだその格好」
八幡は少し驚いた顔で俺の服を見る。
まあ、確かに普段の俺を見ている八幡なら不思議に思ってもおかしくはないか。
「ちょっとな。先輩と会ってたんだよ」
「そんな高い店に行ったのかよ」
「その人お金持ちだからね。雪ノ下さんと同じくらい」
「げっ、超金持ちなんじゃ」
「そうだねー」
まあ、同じくらいというか同じなんだけどね。
「あ、そういえば八幡。今日、また八幡のせいで平塚先生に呼び出されたんだぞ!どうしてくれよう!」
「いや、どうしてくれようと言われてもな。俺は正直に書いただけだし。兄貴も同じような事かいたって聞いたぞ?」
うむぅ。それを言われてしまうと何も言い返すことができない。
去年呼び出された俺が言えた義理じゃないからな。
「まあそうだな!次からは気を付けてくれたまえ!」
「軽いな……。兄貴、チェーンメールを止めようとするならばどんな方法を取る?」
いきなり話を変える八幡。
明確に言っているわけではないが、十中八九奉仕部の依頼だろう。
「犯人を捜してやめさせる。あらゆる手段を使ってでも」
「雪ノ下と大体似てるな」
まあ、あの雪ノ下さんなら言うだろうな。ついでに社会的にも抹殺されてしまうかもしれない。
「困ったら遠慮なく頼れよ」
「ああ、そん時はこき使ってやるよ」
兄をこき使うとは失礼な奴だな!まったく!
「颯お兄ちゃん!持ってきたよ!」
「おう。じゃあここ座れ」
タイミングよく戻ってきた小町をソファーの前に座らせると、俺はソファーに座り小町の髪を乾かし始めた。
「んふふーん!」
小町は嬉しそうに鼻歌を歌いながら俺に頭を預けている。
「どうした?嬉しそうじゃないか」
「んー?なんかこうやって髪を乾かしてもらうのも久しぶりだなーって」
「そういえば、最近はめっきり見なくなったな」
小町の言葉に八幡も賛同する。
思ってみればそうだった。
まだ二人も俺も小さかったころは、二人の髪を乾かすのは俺の役目だった。まあ、先に思春期に入った八幡が嫌がるようになってからはしなくなったが。
「八幡も後でしてやろうか?」
「バカ言うなよ。間に合ってるよ」
少し残念だが、これも兄離れの一歩なのだろう。甘んじて受け入れるしか……!
「八幡!俺を捨てないでくれ!」
「どういう経緯でそうなったんだよ……」
「颯お兄ちゃん!手が止まってるよー!」
八幡の呆れた声と小町の催促の声を聞いてなぜか凄まじい安心感に包まれる。
これが比企谷家の兄と弟妹のあるべき姿だと感じることができた。
比企谷家はこうでなくっちゃな。
そう思いながら俺は小町の髪にドライヤーの風を優しく当て始めた。