エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

82 / 221
16話 その3《死に至る病》

 

 初号機を飲み込んだ影はその後も広がり続け、直径700m弱まで拡大した所で動きを止めた。範囲内にあったビルなどを全てを飲み込んだ影は、まるで地獄に繋がる穴の様にも見える。

 険しい表情を崩さずにモニター越しに影を睨むミサトに、リツコがそっと近づく。

「アンビリカルケーブルの引き上げが終了したわ」

「駄目だったのね?」

「はい。先端に初号機の姿はありませんでした」

 硬いリツコの声色から結果を察したミサトは、気持ちを整理するように大きく息を吐く。ケーブルの引き上げは僅かな希望であったが、絶望を再確認する結果に終わってしまった。

「初号機は現在、内部電源で起動していると思われます」

「シイちゃんが初号機を無闇に動かさずに、直ぐ生命維持モードに切り替えてくれれば……」

「理論上16時間は耐えられます」

 内部電源でエヴァが活動出来る限界は通常で五分。フル稼働では一分しか持たないが、最低限の機能だけを生かす生命維持モードならば、半日以上は稼動可能だった。だがそれは理想論に過ぎない。

(この状況下でそんな冷静な判断……出来る訳無いわよ)

 人一倍孤独を恐れる少女がどんな精神状態なのか、それは考えるまでも無いだろう。ミサトは己の無力さに苛立ち、手の平に爪が食い込む程強く拳を握りしめた。

 

 見渡す限りの白。それが影に飲み込まれたシイに見える光景だった。

「何ここ……嫌……ここは嫌だ……居たくない……」

 人の精神は色に大きく左右される。真っ暗な場所に閉じこめられた人が、精神異常を引き起こす事は知られているが、それは白一色の空間でも同じ。

 シイはこの空間から逃れようと必死にレバーを前後に動かすのだが、何故か初号機はこの空間に飲み込まれてから、一切の動作を受け付けなかった。

「どうして……どうして動いてくれないの!?」

 祈るようにレバーを握りしめるシイ。するとその想いに答えるかのように、外部モニターが遮断されてプラグ内の照明が非常灯へと切り替わる。

 消えたモニターには『生命維持モード』に移行した事を知らせる表示が浮かび上がった。

「……これ、前にリツコさんが教えてくれた」

 初号機に乗り始めた当初、シイはリツコからエヴァの機能についてレクチャーを受けた事がある。その中には非常時にパイロットの生存を最優先する、生命維持モードへの切り替えも含まれていた。

「内部電源に切り替わってる…………貴方はそれを教えてくれたの?」

 先程まではパニック状態だった為に気づかなかったが、プラグ内の隅にはゆっくりとカウントダウンする、デジタルタイマーが表示されていた。

 それは内部電源での稼動時間。もしあのまま動き続けていたら、直ぐにでも稼動限界を迎えていただろう。初号機の行動は現状でとれる最善策だった。

「……うん、そうだよね。みんながきっと、きっと助けてくれる……」

 自分は一人ではない。きっとみんなが助けてくれる。シイはそう信じると、インテリアシートに身体を丸めて瞳を閉じた。

 

 

 第三新東京市に広がる影と空中に浮かぶ球体。その周囲を国連軍の探査機が飛び回り、情報収集を行っていた。

 影の範囲外にはネルフによる特設前線基地が設置され、ミサト達スタッフが集まり使徒の分析と初号機の救出作戦が検討されている。

「じゃあ何? あの影が使徒の本体だって言うの?」

「恐らくはね。直径680m、厚さは約3ナノメートルの使徒よ。本来あり得ない極薄の空間を、内向きのATフィールドで支えていると推察されるわ」

 リツコはこれまでに得られた情報を分析した結果を告げる。

「ならシイちゃんと初号機は?」

「ディラックの海と呼ばれる、虚数空間に閉じこめられたのね」

 ホワイトボードに描かれた複雑な数式を指し、リツコは教師のようにネルフスタッフに、状況の説明を続けた。正しくそれを理解している者は少ないが、状況が最悪に近いことは察しがつく。

「中は多分、別の宇宙空間に繋がってるかもしれないわ」

「そんな……。そんなの、どうやっても脱出出来ないじゃない!?」

 絶望感を誤魔化すようにミサトは声を荒げる。予想していたよりも遙かに悪い状況に、焦りと苛立ちを隠せなかった。

「……赤木博士、あの球体は?」

「あれこそが使徒の影。まんまと騙されたって訳ね。本体を破壊すれば、球体も消える筈よ」

「何よそれ……どうしようも無いじゃない」

 アスカは対抗策が到底見つからない使徒に、無力感を含ませて呟いた。それは他のスタッフも同じ。特異すぎる使徒に、誰も打開策を提示できなかった。

「今、MAGIと技術局が総力を挙げて、シイさんと初号機の救出案を探っているわ」

「初号機の内蔵電源量を推察すると、後五時間で危険域に突入します」

 マヤの状況報告にスタッフ達の表情が一気に引き締まる。

「時間との勝負よ。全員、シイさん救出のため、全力を尽くしなさい。良いわね!」

「「了解!!」」

 気合い十分の返事と共に、ネルフ職員はそれぞれの仕事へと戻っていく。何としてもシイを助ける。その明確な目的が彼らのモチベーションを最大限に高めていた。

 

 スタッフが散っていく中、ミサトは一人その場に立ち尽くす。そんな彼女にアスカとレイが近づいていく。

「ミサト」

「……今回は私のミスよ。言い訳のしようもないわ」

 二人が自分を責めるのは当然だとミサトは思っていた。実際シイは自分の作戦通りに行動し、結果として使徒に飲み込まれてしまった。全ての責は自分にある。

「別にあんたにとやかく言うつもりは無いわ。言ってシイが戻ってくるなら、徹底的に罵倒するけど」

「……碇さんを助けます」

 アスカとレイの気持ちは既に前へ、シイを救出するという未来へと向いていた。

「も、勿論。だけど方法が……」

「ようはあの使徒はATフィールドで空間を維持してるんでしょ。なら」

「私達がフィールドを中和すれば、使徒の空間を破壊出来ます」

 ミサトが驚いた様に二人へ視線を向けると、アスカとレイは真っ直ぐにミサトを見つめ返す。そこには強い決意が込められていた。

「貴方達……」

「まだ終わってないのよ。こっちにはエヴァが二機残ってる」

「……やれます」

「ほら、とっととリツコに提案して来なさいよ」

 アスカに促されたミサトは、打ち合わせを始めたリツコの元へと駆け出す。その姿を見つめるアスカは表情を曇らせて呟く。

「早くしないとシイの心が持たないわ。閉鎖空間で一人なんて、あの子が耐えれる訳無いじゃない」

「……ええ」

 シイが極度に孤独を恐れている事を、アスカもレイも良く知っている。だからこそ彼女を一刻も早く救出する必要があった。命だけで無くシイの心も守るために。

 

 

 初号機のプラグ内でシイは眠りについていた。体力の消耗を抑えると言う理性的な判断では無く、孤独に心が押しつぶされない様にと、本能が取った自衛行動だったのだろう。

「……んん、寝ちゃったんだ……っっ! 何これ!!」

 眠りから目覚めたシイは、自分の周りに起きている異変に気づき表情を強張らせた。プラグを満たしているLCLが目で分かる程濁っていたのだ。

「循環機能が落ちて来てるの? ……ごぼ」

 一度意識してしまえばもう戻れない。慣れ親しんだはずのLCLが不意に酷く汚い物に感じられて、シイは肺からLCLを吐き出し苦しそうに顔を歪める。

「血……血の臭い……嫌、嫌だよ……」

 初めて搭乗した時に感じて以来、意識しなかった生臭いLCLの臭い。血をイメージさせるそれが、落ち着きかけていたシイの心を激しく乱す。

 パニックになったシイは非常用のハッチを開けようと、強張った表情で必死にレバーを回す。だがプラグがエヴァに挿入されている状態では開く筈も無かった。

「誰か! 開けてよ! ここから出してよ!! お願いだから……一人にしないで」

 力無くレバーから手を離し涙を流す。生命の危機と孤独。シイは死に至る病に心を囚われ始めていた。

 

 

「強制サルベージ!?」

「ええ。現状で唯一可能な、救出作戦よ」

 再度集結したミサト達を前に、リツコはハッキリと言い切った。

「エヴァ二機によるATフィールドの中和は確かに有効よ。だけれどもディラックの海を支える程強力な、使徒のATフィールドを完全に中和するのは不可能とMAGIによる結論が出たの」

「じゃあ、どうやって」

「現存する全てのN2爆雷を一斉に影へ投下。そのタイミングに合わせて、零号機と弐号機はATフィールドを展開。虚数空間に千分の一秒だけ干渉するわ」

「たったそれだけしか……っ!」

 自分達の力では本当に僅かな干渉しか出来ない。アスカは悔しさを隠すように拳を握りしめた。

「干渉した瞬間に爆発のエネルギーを集中。ディラックの海を破壊するわ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあシイちゃんが……」

 リツコの説明にミサトが待ったをかける。それ程のエネルギーを受けては、内部にいる初号機も無事では済まない筈だ。いや、無事である可能性の方が遙かに低い。

「救出成功確率は1%足らず。だけどこれが最も高い数値だったの」

「1%って……あんた、本気で言ってんの?」

「貴方に言われたくないわ」

 食って掛かるミサトにリツコは皮肉混じりに答える。成層圏より飛来した第十使徒戦で、これよりも更に低い作戦を立案したのは、目の前にいる彼女なのだから。

「ありとあらゆる可能性を考えたわ。提案作戦数は一万を軽く超えたでしょうね。その中で実現可能かつ成功率が最も高い作戦よ」

「……奇跡を信じろっての?」

「そんなあやふやなものでは無いわ。未来を切り開くのは人の意思と力。これは前に貴方が言った事よ、ミサト」

 二人の視線がぶつかり合う。リツコの目に強い意志と覚悟を感じ取ったミサトは、それ以上は何も言わずにただ小さく頷いた。

「信じるわ。あんたとアスカとレイに、みんな……そして、シイちゃんを」

「ええ、約束は守るわ。二人も良いわね?」

「あったり前でしょ」

「……問題ありません」

「では以後の作戦は私が指揮を執ります。作戦開始は一時間後。準備を急ぎなさい」

 ネルフ職員達はそれぞれが決意を新たにして持ち場に着く。奇跡ではなく自分達の力が、シイの救出を実現させると信じて。




エヴァ二機でも中和出来ない強力なATフィールド。単体で存在する使徒は、他者を拒絶する力が強いと言うことでしょうか……。

子供の頃は、死に至る病の意味が分かりませんでしたが、調べてみて成る程納得の回答を得られました。確かにその通りですね。

リアルで久しぶりの休日を得られ、使徒戦が絶賛継続中ですので、16話は本日中に全部投稿したいな想っております。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。