更衣室でプラグスーツに着替えた三人。アスカのスーツは特別仕様だとリツコは言っていたが、見たところ普段のそれと変わったところは無かった。
「別に何も変わらないじゃない」
「耐熱仕様って言ってたから、材質が違うとかかな?」
「アスカ、右手首にあるスイッチを押してみて」
「これ?」
リツコに促されてアスカは、いつものスーツに付いていないボタンを押す。するとみるみるスーツが膨らみ、まるで風船の様な形状へと変化を遂げた。
「な、何よこれぇぇ」
「マグマの高熱環境でも活動出来るよう、技術部が自信を持って仕上げたわ」
「だったら格好にも気を遣いなさいよ」
怒るアスカだったが、赤い風船に手足と頭を着けたような姿では迫力がまるで無かった。
(可愛いな……)
「ちょっとシイ、あんた何笑ってんのよ」
「え、可愛いなって思ってたんだけど」
「ど・こ・が・よ! あんた美的感覚狂ってんじゃないの!?」
「そうかな……綾波さんはどう思う?」
「…………」
レイは答えない。だがその口元がほんの僅か、笑みの形に歪んだ事をアスカは見逃さなかった。
「あんた、今笑ったでしょ」
「……いえ、気のせいよ」
「あたしの目は誤魔化せ無いわ。正直に白状しなさい」
「じゃれるのはそこまで。時間がないって言ったでしょ。弐号機の用意も出来ているわ」
レイに詰め寄ろうとしたアスカを止めると、リツコは三人を連れて倉庫へと向かった。
「えぇぇぇぇぇ!! これが……あたしの弐号機!?」
エヴァ弐号機は確かにそこにあった。ただその全身を白い潜水服で覆っており、まるでぬいぐるみの様な姿でだが。自分のエヴァに自信と愛着を持っているアスカにとって、これは耐えられない屈辱だった。
「耐熱耐圧対核防護服。局地戦用のD型装備よ」
「嫌よ、私は降りるわ。こんな恥ずかしい格好で戦えないもの」
徹底拒否の構えを見せるアスカに、リツコとマヤは困ったように顔を見合わせる。零号機への換装が不可能である以上、アスカが拒否した場合、残る選択肢は一つしかない。
「なら本作戦はシイさんが担当になるわ。正直アスカが適任だったのだけど、仕方ないわね」
「何よそれ。あたしは笑い者に出来て、シイは駄目だっての?」
「マグマは水中と同様の動作を要求されるから、技量の高い貴方が適任というだけよ」
「それにシイちゃん泳げませんし」
「うぅぅ」
全員の視線を一身に受け、シイは申し訳なさそうに身体を縮ませる。レイの協力もあってカナヅチは克服できたが、泳げると言えるレベルには到底及んでいない。イメージが重要なエヴァの操縦で、搭乗者が泳げないと言うのは致命的であった。
だがアスカが拒否して零号機が使用できない以上、他に選択肢は無い。
「時間が無いわ。マヤ、D型装備を初号機に換装して」
「はい」
「ちょっと待ちなさいよ」
リツコの指示で動き出したマヤをアスカが呼び止める。
「良いわ、やったろうじゃないの。あたしが一番だって、全員に教えてあげるわよ」
一連のやり取りにプライドを刺激されたアスカは、不敵な笑みを浮かべて宣言した。
レイと零号機を本部に残し、シイとアスカは浅間山へと移動する。現地では作戦準備が着々と進められており、用意された指揮車両にはミサトの姿もあった。
『アスカ、パイプを接続したら作戦開始よ』
「分かってるわ。それよりミサト、加持さんは来てないの?」
『居るわけ無いでしょ。戦闘配備中にあいつの居場所は無いんだから』
「え~折角あたしの勇姿を見て貰おうと思ったのに」
不満げに口を尖らせるアスカ。その様子を苦笑して見守っていたシイの頭上を、飛行機が隊列を組んで飛び回っていた。こちらを伺うような動きにシイは眉をひそめる。
「あれ何だろ……」
『UNの空軍よ』
「ひょっとして、手伝ってくれるんですか?」
『ある意味ね。あいつらの仕事は、万が一この作戦に失敗したときの後始末よ。N2爆雷を火口に投下して使徒を処理してくれるわ……私達ごとね』
「酷い……お父さんは反対しなかったんですか?」
『その命令を出したのは、碇司令よ』
ミサトの言葉を聞いてシイは絶句する。
(作戦を失敗する人はいらないの? 分からないよお父さん)
優しい一面を見せた父親と非情な父親。まるで別人のようなゲンドウに、シイの心は乱れていた。
マグマ突入の準備を終えたD型装備の弐号機は、火口の上にクレーンでつり出されていた。背中に取り付けられた電気と冷却液を供給する六本のパイプが、まるで命綱のように見える。
フックのような両手に捕獲用ケージを掴んだ弐号機は、ゆっくりと火口に向けて降下を始めた。
「アスカ、頑張ってね」
『任せときなさい。あ、そうだ。見て見て、ジャイアントストロングエントリー』
両足を前後に開き、スキューバダイビングのように火口へと突入する弐号機。スタッフ達はその脳天気な行動に苦笑するが、どんな時でも平常心を忘れない姿にシイは頼もしさを感じていた。
火口で待機しているシイには、弐号機からの音声こそ届いているが映像は見えない。指揮車両とアスカからの声のみで状況を把握するしかなかった。
パイプがゆっくりと火口に飲み込まれていく様子を見ながら、シイはじっと無事を祈る。
『深度1020、安全深度オーバーです』
(アスカ……)
奥深くへと潜れば潜るほど、無事に帰還できる可能性は減っていく。マヤの報告を聞いたシイは、安全深度を超えてなお下降を続ける事に不安を抱かずには居られなかった。
『深度1300、目標予測地点です』
『アスカ、何か見える?』
『……居ないわ』
『対流がこちらの予測よりも早いわね。再計算をさせるわ』
『ええ。では下降を続けて』
(そんな……もう安全深度を超えたって言ってたのに)
ミサトの決断により作戦は継続され、パイプは更に沈降を続けていく。不安からかシイは初号機で火口の周りを忙しなく歩く。そんな彼女の元へ、更に危機を告げる報告が入ってきた。
『深度1400、第二パイプに亀裂発生』
『深度1480、限界深度オーバー』
『深度1600、ベルト破損。弐号機プログナイフ喪失』
「ミサトさん! アスカが、アスカが死んじゃいます!」
耐えきれずにシイは指揮車両のミサトへ思い切り叫ぶ。使徒の捕獲は大切かも知れないが、それでもアスカの命には代えられないはずだと。
しかしミサトは感情を押し殺した声で、シイの訴えを退ける。
『まだ使徒と接触していないわ。作戦は継続するわよ』
「そんな……ミサトさんはアスカが」
『何情けない声出してんのよ。あたしは全然平気だってば』
シイを止めたのは、高熱のせいか籠もって聞こえるアスカの声だった。流石に疲労の色が見えるが、自信と活力は全く失われていなかった。
「でもアスカ……」
『良いからあんたは安心して待ってなさいって。この作戦担当はあたしなんだから』
それは強がりなのかもしれない。だがシイはその言葉を信じるしかなかった。
なおも弐号機はマグマの中を下降し続ける。そして遂に、目標との接触予想地点までたどり着いた。
『……居た』
小さなアスカの呟きにシイはごくりと唾を飲む。作戦の目的は捕獲だがそれを失敗すれば、既に限界深度を超えている弐号機は危険な状態へ陥る。
目を閉じて祈るシイに、捕獲作業の経過報告が次々に聞こえてくる。弐号機と使徒は互いにマグマの対流で流されてる為、捕獲のチャンスは一度だけ。心臓の鼓動が煩いくらいに高鳴る中、
『捕獲成功』
アスカの作戦成功報告がスピーカーから聞こえた。
指揮車両に歓声が響き、シイも大きく息を吐いて強張った身体の力を抜く。作戦が成功した喜びよりも、これでアスカが戻ってこられると言う安心感の方が強かった。
『OK、アスカ良くやったわ。今引き上げるから、落とさないように気を付けてね』
『分かってるって。あ~それにしても暑いわね。もう汗べとべとよ』
『近くに良い温泉があるから、戻ったら一緒に入りましょ』
『そうね。シイ、聞いてる? あんたも来るのよ』
「……うん、行く」
『何、あんた泣いてんの?』
「だって……アスカが死んじゃったらやだし……無事で嬉しかったから」
家族と思い始めていた少女を失う恐怖と、それを免れた安心感がシイの涙腺を緩めてしまった。
『全く、ちっとはあたしを信用しなさいって。こんな作戦楽勝だってば』
「そうだね……アスカは凄いんだもんね」
『ふふん、これでレイもあたしが一番だって認める筈だわ』
困難な作戦を完遂した安堵感からか、アスカはいつになく上機嫌で饒舌に話す。それを分かっているからこそ、指揮車両のミサト達も軽口を戒めようとはしなかった。
『えっと、今は深度700か。後どれくらいで…………え!?』
「アスカ?」
不意にアスカが緊張した声を発する。状況が分からないシイが声を掛けると、答えは指揮車両から返ってきた。
『し、使徒が変質しています!』
『不味いわ。羽化を始めたのよ。計算よりも早すぎる』
『捕獲に気づいた!? これじゃケージが持たないわね。アスカ、ケージを破棄して』
『了解!』
『現時刻を持って捕獲を断念。作戦を使徒殲滅へ移行します。弐号機は浮上しつつ、戦闘準備して』
『ふふん、待ってました』
ミサトの迅速な指揮に、アスカは直ぐさま反応する。
灼熱での使徒殲滅作戦が始まった。
シイとゲンドウは近づいたり離れたり、やはりこの親子の関係は一筋縄ではいきませんね。
この作戦は装備うんぬんを抜きにしても、やはりアスカが適任だと思います。技量では間違いなくチルドレン一でしょうから。
残念ながら失敗した捕獲作戦。これから殲滅作戦へと移行します。
非常にキリが悪いので、本日はもう一話投稿致します。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。