~神に選ばれた子~
「ターミナルドグマに高エネルギー反応が出現!!」
「分析パターン……あ、青」
発令所に響く青葉の絶叫と、マヤの呟き。それはこの場に居る全員に、事態の把握をさせた。つまりは、リリスの目覚めを阻止出来なかったのだと。
「人類の母が目覚めたか……」
「ああ」
「さて、どう動くと読む? 反ATフィールドの展開は無いと思うが」
「……シイとの融合を果たすつもりだろう」
冬月の問いかけに、ゲンドウは思考の末に導き出した答えを告げた。
「成る程な。レイの事を考えれば、十分にあり得る事態か」
「だがその後は分からん。人類の未来は全て、リリスに委ねられた」
「神頼み、か。……初号機の反応は?」
ゲンドウの言葉に頷くと、冬月はオペレーターに状況確認を求める。初号機がシイと謎のシンクロを始めた事は、発令所でも掴んでいた。
「シンクロ状態は維持。脳波からシイちゃんの意識は戻っていないと思われます」
「こちらからアプローチ出来るか?」
「いえ、全てエヴァ側からロックされています」
「精神汚染は?」
「今のところ兆候は見られません」
マヤの報告を聞いた冬月は、チラリとユイに視線を向けてから首を傾げる。一体シイは誰の魂とシンクロしているのか。それは全員の疑問でもあった。
※
「大丈夫かい、トウジ君」
「お、おう。何とか動けるわ」
地底湖に大の字で倒れていた参号機を立たせ、トウジはカヲルに頷いて見せる。全身に痛みが残っているが、動けない程のダメージでは無い。
「すまん、渚。わしがもうちょい時間を稼げとったら」
「責められるとしたら僕の方さ。……ただ反省は後にするとして」
カヲルは視線を隔壁の向こうで四つん這いになっている、リリスへと移す。まだ動きを見せていないが、肉体と魂の融合が完全になれば、直ぐにでも行動を開始するだろう。
「もう僕達にリリスを止める事は出来ない。唯一、ロンギヌスの槍だけが始祖を滅ぼせるけど、それはサードインパクトを起こすと同義だからね」
「……リリスは、わしらを滅ぼすんか?」
「始祖はそれ程物騒では無いよ。ただ子供達を見守り、その願いを叶えるだけの存在だからね。変な言い方だけど、こちらが何かしなければ無害なんだ」
トウジの直接的な言葉に、カヲルは苦笑しながら答えた。
「ちょっかい出した方が危ないっちゅう事かいな……」
「残念だけど、そう言う事だね」
レイを止められなかった時点で、二人の戦いは終わっていたのだ。友人を止められなかったふがいなさに、トウジは思い切りレバーを叩いた。
「……そや。シイは、シイはどないなっとんのや!」
「まだ意識が戻っていないみたいだね」
「なら早うエヴァから出してやらな」
「神経接続中にプラグを抜くことは出来ないよ……」
カヲルは残念そうに首を横に振る。プラグはエヴァの頚椎に挿入されているので、それを強引に引き抜いたときに、シイが受けるフィードバックダメージは計り知れない。
今のシイには、誰も手を出す事が出来なかった。
「くそっ! 何でシイが初号機に乗れてるんや」
「僕にも分からない。リリスの魂とシイさんがシンクロ出来る筈が無いのに」
「リリスの魂はレイに影響受けとるんやろ。そんなら……」
「いや、逆だよ。シイさんがリリスの魂を受け入れたのが不思議なんだ」
どれだけ愛情を注がれても、人は他人に対して壁を作ってしまう。それは兄妹であっても変わらない。唯一自らを生み出した母親だけが、愛情を無条件で受け入れられる存在なのだ。
「レイはユイさんの遺伝子持っとるし、それであかんか?」
「魂と肉体は別物だからね。魂の情報を引き継げば別だけど……」
その時カヲルの脳裏に一週間前の会話が浮かんだ。
※
屋上から教室へ向かう途中、カヲルはシイの左手に巻かれた包帯について尋ねた。
「ところでシイさん。その手はどうしたんだい?」
「あはは……ちょっと包丁で切っちゃって」
「それは大変だね……もし良ければ僕が――」
「舐めてあげるってのはボツよ。生憎とレイが実行済みだから」
呆れ顔のアスカが指を指す向こうでは、勝ち誇った顔でレイが頷く。先を越されたかと、カヲルは両手を挙げて降参だと苦笑いするのだった。
※
「そうか……レイがシイさんの血から魂の情報を取り込んでいたら」
「肉体と魂は別物なんやろ?」
「血液だけは違うよ。血は魂と肉体を結ぶ役割を持っているからね」
実際にそれが正しいのかは分からない。だがリリスがシイと言う個人に固執した事も、それが関わっていると思えば納得も出来る。
「レイだけじゃない。リリスにとっても、シイさんはただのリリンでは無かったと言う事か」
「……難しい話はよう分からんけど、結局レイは何をしたかったんや?」
「僕の気を逸らすため……だけじゃ無いね。きっとリリスはレイの望み通り、シイさんを取り込むつもりだろう。その為に彼女を初号機に乗せたんだ」
「ん?」
「さっき言ったろ? ただ取り込んでもシイさんは存在を保て無いって。でも初号機とシンクロしているシイさんなら、リリスと融合しても己を保つ事が出来る筈さ」
群体生命であるリリンだが、単体生命であるエヴァとシンクロする事で、強い心の壁を、ATフィールドを生み出せる。シンクロとは同調、一つになる事なのだから。
「リリスに取り込まれたら、シイはどないなってしまうんや?」
「そうだね……当然リリスには拒絶されない筈だから、自我を保ったシイさんは……」
カヲルは不意に言葉を止めると、何かに気づいたように眉をひそめる。
「待てよ。だとすると…………そうか、そう言うことか、レイ」
「ど、どないしたんや?」
「僕達は勘違いをしていたのかも知れない」
突然態度が変わったカヲルに、トウジは不思議そうに首を傾げる。だがカヲルがそれを説明する時間は、残念ながら与えられなかった様だ。
「……動き出したみたいだね」
「どないする?」
「リリスと初号機の融合で互いのS2機関が共鳴し合った場合、相当のエネルギーが放出されるだろう。僕達の選択肢は二つ。全力で逃げるか……少しでも被害を抑える為にここへ留まるか、だね」
「さよか。なら選択肢は一つしかあらへんな」
ロンギヌスの槍を地底湖へ突き刺し、参号機はスタンスを広げて足を踏ん張った。トウジの決断にカヲルは嬉しそうに微笑むと、初号機を介抱させていた四号機を呼び寄せる。
そしてエントリープラグを排出して再搭乗を行った。少しでも生存確率を上げるために、エヴァと言う鎧を纏ったのだ。
「……来る!」
その呟きと同時に、巨大な白い何かが隔壁をすり抜けて姿を現した。
悠然と姿を見せたリリスは、トウジとカヲルを気にする事も無く、這うような動きで初号機へ一直線に向かっう。そして初号機の元へ辿り着くと、慈しむ様にその身体を抱きしめた。
ゆっくりと、しかし確実に初号機はリリスとの融合を果たしていく。その余りに常識外れの、しかし何処か神秘的な光景にトウジは目を奪われてしまう。
リリスが発する無限の母性を、彼は感じ取っていた。
「……あれがリリス……わしらのおかん……」
「融合が終わる。そろそろ始まるよ」
カヲルの言葉通り、初号機を完全に取り込んだリリスの身体が白く輝き始めた。それは次第に強さを増していき、やがて世界が白一色に染まる程の光を放つ。
「トウジ君、フィールドを!」
「ATフィールド全開!!」
二機のエヴァがATフィールドを全力で展開するのと同時に、S2機関の解放が起き、地底湖を中心にゼーゲン本部を大爆発が襲った。
※
「ターミナルドグマ最下層で、エネルギー反応が急速に増加しています!!」
「予想臨界点まで、後20」
「S2機関の解放か!? セントラルドグマ、ターミナルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。アブソーバーを最大にしつつ、全員衝撃に備えろ。……来るぞ!」
事態を把握した冬月の指示で、時田が改修した特殊装甲板仕様の隔壁が、一斉に閉鎖される。全ての作業をやり終えた職員達は、身を屈めて衝撃に備える姿勢をとった。
そして……ターミナルドグマで起きた爆発は、容赦なく本部施設を飲み込んでいった。
~道標~
やがて爆発が収まったとき、ターミナルドグマはジオフロントと一直線に繋がっていた。間にあった施設は全て消滅しており、元の面影は無い。
「……と、トウジ君……生きてるかい?」
「なんとか……な……ホンマに……死ぬかと思ったわ」
廃墟とかした地底湖で、しかしトウジとカヲルは生き延びていた。全身に激しいフィードバックダメージがある為、自力で動くことは難しそうだが。
「君のATフィールドが、いつもより強かったから……命拾いしたよ」
「わしは……何もやってへんで」
「……なら、君のお母さんが力を貸してくれたんだろう」
「おかんが?」
子供の危機に母親の魂が力を発揮する事は、シイとアスカで実証されていた。それが同じ条件であるトウジに起こっても不思議では無い。
「……そうやな……おかん、サンキューな」
全身が焼けただれ、辛うじて原形を留めている状態の参号機だったが、それでもトウジを守り抜いて見せた。幼い記憶にしかない母の姿を想い、トウジは心の底から感謝を告げるのだった。
二機のエヴァは仰向けに倒れており、爆発によって空いた穴からジオフロントの天井が見える。
「みんなは無事やろか」
「見る限り、爆発のエネルギーは真上に放出されたみたいだね。位置関係から考えると、発令所はギリギリ耐えられた筈さ」
「何よりや」
自分達の行動が無駄では無かったと、トウジは安堵したように大きく息を吐いた。
「リリスはジオフロントへと浮上したみたいだね」
「……なあ、渚」
「何だい?」
「これから……どうなるんやろな」
「今、全ての決定権はリリスにある。僕達が生きるも死ぬも、リリスの思うがままさ」
半ば諦めたようなトウジの問いかけに、カヲルは普段と変わらぬ様子で答える。そこに今の状況に対しての絶望は、微塵も感じられ無かった。
「その割には余裕があるやないか……さっき言っとった勘違いと関係あるんか?」
「まあね。この状況は一見絶望的だけど……希望はまだ残ってる」
「希望?」
「そう……。希望は残っているんだ。どんな時でもね」
赤い瞳でジオフロントに浮上したリリスを見つめながら、カヲルはそっと呟いた。
※
電源が落ちて真っ暗な発令所に、冬月の声が響き渡る。
「……状況報告をしろ!」
「第21ブロックから53ブロックまで、完全に消滅!」
「主電源供給ライン断線。副回線にて電力供給を開始」
「有人エリアは消滅を回避しました」
「エヴァ参号機、四号機は大破するも、健在です。両搭乗者の生存を確認」
「MAGIのリカバリー完了。システム復旧します」
矢継ぎ早にオペレーター達が被害状況を知らせる中、再び電気が供給されて照明が灯り、一時的に停止していた全システムが再起動する。
あれだけの規模の爆発に対しては、奇跡的とも言える被害の少なさだった。
「……あの二人のお陰か」
「ああ。良く爆発を抑え込んでくれた」
ターミナルドグマで二機のエヴァが展開したATフィールドが、爆発による被害を最小限に食い止めてくれていた。もし二人がいなければ、恐らく自分達も生きてはいなかっただろう。
まさに命の恩人であった。
「高エネルギー体はジオフロントへ浮上。現在行動を停止しています」
「……目標を以後、リリスと認識する。モニターに出せ」
「了解」
ゲンドウの指示で、発令所のメインモニターにジオフロントが映し出される。そこには全身真っ白な、レイの姿を模したリリスが悠然と立ち尽くしていた。
その巨体はエヴァを遙かに上回っており、地表からジオフロントの天井まで届きそうな程だ。
「……シイ君を取り込んだか」
「ああ」
「初号機とシンクロしていた彼女なら、自我を保つ事が出来るだろう。不幸中の幸いと言うべきか」
「……いや。恐らくそれも含めて、シナリオ通りの筈だ」
思わぬゲンドウの発言に、冬月は眉間のしわを深くする。
「どう言う事だ?」
「……レイはリリスとの融合を目指しながらも、幾つか不可解な行動を取っていた。それが今の状況を作り出す為にレイの意識が干渉した結果なら……全て説明が付く」
「リリスとの融合は『目的』では無く『手段』と言う事か……」
「いずれにせよ、我々は神の選択を受け入れるしかない」
ゲンドウと冬月は、神々しく佇むリリスを見つめ続けるのだった。
~シイとレイ~
「……あれ、ここは……何処?」
意識を取り戻したシイは、不思議な浮遊感にそっと目を開ける。そこは自分が居たはずのエントリープラグでは無く、一面オレンジ色が広がる空間だった。
周囲に自分以外の姿は無く、穏やかに水が流れるような心地よい音だけが聞こえている。
「す~は~す~は~」
大きく深呼吸をして、シイは心を落ち着かせる。今までの彼女ならパニックになっているケースだが、伊達に数々のピンチを経験しては居ない。
こうした事態でも冷静さを失わない程に、彼女は精神的に確実に成長していた。
「よし! えっと、まず私はレイさんと初号機に乗ってたよね。それでカヲル君とレイさんが戦ってて、止めようとして、そこからは覚えてないや」
自分に言い聞かせるように、シイはこれまでの事を口に出して確認する。あの時レイはシイの脳を揺すって気絶させたのだが、流石にそれは記憶していなかった。
「うん。大体分かった。……ここは私が知らない何処かだね」
「……それは分からないと言う事よ」
突然背後から聞こえた声にシイが振り返ると、そこには彼女が一番会いたいと願っていた少女が、碇レイが何時の間にか姿を現していた。ただ、何故か一糸まとわぬ姿でだが。
生まれたままの姿でじっと自分を見つめるレイから、シイは照れたように視線を逸らす。
「れ、レイさん。どうして裸なの?」
「……気にしなくて良いわ」
「気になるよ! とにかく服を着て」
そうシイが声を発した瞬間、レイは学生服の姿へと変わっていた。
「えっ、服……着てる?」
「貴方がそう望んだから」
「それはそうだけど……でも神様じゃ無いんだし、そんな魔法みたいな事出来ないよ」
困惑しながらも否定するシイに、しかしレイは首を横に振る。
「シイさんは今、神様になっているわ」
「…………え?」
「正確には神様の自我。……でも意味は同じ。貴方の意思が神の意思だもの」
レイに言われて、シイは自分の身体を何度も見返す。意味も無く手を握って開き、軽くストレッチをしてみるが、自分に特別な変化が起きたようには思えなかった。
説明を求める視線を向けるシイに、レイは小さく頷いてから口を開いた。
「……ここはリリスの中。全ての存在が溶け合う原始の海」
「なら私達は、レイさんを止められなかったんだね?」
「ええ。リリスの魂は目的を果たし、肉体と一つになったわ。そして覚醒したリリスは、貴方を初号機ごと体内に取り込んだの」
淡々と説明をするレイだが、シイにはある疑問が浮かんでいた。
「ちょっとごめんね。今のレイさんは、リリスさんじゃ無いレイさんだよね?」
「……ええ」
「えっと、レイさんの魂はリリスさんで、でも魂は身体と一つになって、でもレイさんはここに居て……」
すっかり混乱しているシイを落ち着かせようと、レイは言葉を紡ぐ。
「ここは全てが溶け合う場所。他者との境界線が、心の壁が無い空間。私もシイさんの身体も、全て溶けて一つになっているわ。こうして話している貴方と私は、精神だけの存在」
「前に私が初号機でお母さんと会った時と同じ?」
「そう思って構わないわ」
かつて初号機に取り込まれた経験のあるシイだからこそ、肉体の消失に対しての理解は早かった。
「リリスさんが目覚めたって事は、人類は滅んじゃうのかな?」
「……それを決めるのは貴方」
「そこが良く分からないんだけど……どうして私なの?」
不思議そうにシイは尋ねた。自分は眠っていただけで、実際に何かをした訳でも無い。神の自我と言うなら、それはリリスの魂であるレイの事では無いのかと。
「始祖は自らが生み出した生命を見守り、その望みを叶える存在よ。だから自分と融合した子供の意思を尊重して、それに従うだけ。自分から子供達に干渉する事は無いわ」
「過保護なんだね」
「…………」
予想外の突っ込みに、レイは思わず言葉を失い口をぽかんと開ける。
「あ、ごめんなさい」
「……いえ、気にしないで」
「えっと、レイさんじゃ駄目なの?」
「……エヴァに例えるわ。リリスの身体に私という魂が宿っているの。そこに搭乗しているシイさんが、リリスを操縦すると思って」
分かりやすいレイの説明に、シイは成る程と頷いた。
その後、レイはシイに彼女が意識を失っていた間に起きた事と、現在の状況を説明した。本部の破壊はショックだったが、発令所の面々とカヲル達の生存は、彼女にとって何よりの朗報だった。
状況を理解して落ち着いたシイに対して、レイは本題へと入ることにする。
~少女の決意~
「……世界は今、進むべき未来を選ぶ岐路に立っているわ。シイさんの意思は道標。どんな未来へ向かうかを決める、神の意志よ」
「実感は無いけど……私が見たいと思っている未来は、ずっと変わらないよ」
シイは自らの確固たる意思を告げた。
人類が互いの存在を尊重し合い、世界中の人々が笑顔で生きられる世界。そして、そこで自分もみんなと生きていきたい。それがシイの望みだった。
「……他者の存在は、貴方を傷つける事もあるわ」
「うん。でもみんなが居れば、それ以上に楽しい事や嬉しい事がきっとあるから」
「……一つになれば、不安や恐怖から解放されるわ」
「うん。でも人の温もりも優しさも感じられ無くなっちゃうから」
「……シイさんは、私と一つになりたくない?」
「うん。だって……一つになっちゃったら、好きって気持ちも無くなっちゃうから」
シイはそっとレイの元へ近寄ると、自分よりも背の高い少女を優しく抱きしめた。友人として、姉妹として、レイはシイから伝わる純粋な好意を確かに感じていた。
「私は大好きなみんなと一つになるんじゃ無くて、一緒に居たいの」
「……それが、貴方の望む世界なのね」
レイは少し嬉しそうに、しかし何処か寂しげに頷いた。
「……お別れね」
「え?」
そっと身体を離して別れを告げるレイに、シイは驚きの表情を浮かべる。彼女はこのままレイと共に、ここから出られると思っていたからだ。
「……さよなら。貴方に会えて嬉しかった」
「ちょ、ちょっと待って。レイさんも一緒に――」
「私はこのままリリスと眠りに就くわ。何時までも、シイさんの望む未来を見守って居るから」
「駄目だよ。そんなの駄目」
諦めた様子のレイを、シイは首を横に振って強く否定する。
「レイさんも一緒に行くの。一緒に居てくれるって言ったよね」
「……私の魂はリリスの魂。身体から離れれば、また回帰衝動が起きるわ。……ごめんなさい」
「むぅ~」
子供を宥めるように頭を撫でるレイに、シイは何か無いかと必死で思考を巡らせる。
「神様命令で、とかは駄目?」
「……ええ」
「ん~ならリリスさんの身体を壊しちゃうとか」
「シイさん。もう良いの」
諦めきれないシイに、レイは満足げな微笑みを浮かべて告げた。
「……私はもう、満足してるから」
「嘘だよ!」
「……いえ、本当よ。こうして最後に貴方と会えて、約束していたお別れも直接言えたわ」
黙って居なくならない、それがレイとシイの間に結ばれた約束。手紙をゲンドウに預けていたが、直接伝えられなかった事が、ずっと心残りだった。
そしてリリスが目覚めた時、シイを含むみんなを滅ぼしてしまう事を恐れた。一つになりたいと言う自分の願望がシイとの強引な融合へ繋がり、彼女の存在を消失してしまう事を恐れた。
だからこそ回帰衝動にギリギリの干渉を続け、シイの自我を保ったまま融合を果たし、神の自我となったシイに未来を選んで貰おうとしたのだ。
それこそが、リリスの魂に目覚めたレイが唯一出来る抵抗であり、彼女のシナリオであった。
果たしてそれは叶えられた。一つになりたいと言う願望に対し、明確な回答を得られた。そして直接別れを告げる事が出来た。
もうこれ以上は望まない、と満足げなレイに、しかしシイは真っ向から反論する。
「そんなの嘘! レイさん嘘ついてる!」
「……そんな事は無いわ」
「だってレイさん、嘘をつくとき鼻がピクピク動くもん」
「…………あっ」
思わず鼻を触ってしまってから、レイは自分が文化祭の時と同じミスをしたと気づいた。まさかシイに引っかけられるとは思わず、レイは何ともばつの悪そうな顔をする。
「ふふ~ん。私だって何時までも、騙されてばかりじゃ無いんだから」
「……そうね」
誇らしげに胸を張るシイに、レイは参ったと頷いた。
「大体レイさんには、戻ってからやる事が一杯あるの。ここに残るなんて駄目だよ」
「やる事?」
「色んな人に、一杯迷惑かけちゃったでしょ? 本部の人とか、カヲル君に鈴原君、それにアスカにも……。だからちゃんとごめんなさいって謝らなきゃ」
自分も一緒に謝るからと微笑むシイに、レイはもう何も言えなかった。
「だからレイさんも一緒に帰るの」
「……でも回帰衝動がある限り、私はまた同じ事を繰り返すわ」
「ならそれを解決してから帰ろうよ。それなら大丈夫だよね?」
「え、ええ……」
レイも本心では勿論シイと共に帰る事を望んでいるのだから、提案を否定する理由は無い。
「……でもどうやって?」
「リリスさんの身体を壊しちゃうのは、多分駄目なんだよね?」
シイの確認にレイは小さく頷く。受け皿である肉体を失えば、魂の消滅は免れない。カヲルがアダムの肉体を失っても存在出来ているのは、彼の魂がアダムの子『タブリス』でもあるからだ。
しかしレイの魂はリリスのものであり、リリスの滅びはレイの死を意味する。だからこそレイは自らの生存を諦め、リリスと運命を共にすると決めていた。
自分の生存を諦めれば、シイ達を含めた全てを守る事が出来るのだから。
「ん~それなら…………あ」
腕組みをして真剣に考え込んでいたシイだが、何かに気づいたのか小さく声を漏らす。
「リリスさんの身体があれば、レイさんは大丈夫なんだよね?」
「……ええ」
「それで、身体と一緒に居れば、回帰衝動は起こらないんだよね?」
「……そうね」
「じゃあ最後に。私がお願いすれば、リリスさんは何でも手伝ってくれるのかな?」
「……貴方の意思がリリスの意思よ」
レイの答えを聞いて、シイは自信に満ちた表情で何度も頷く。何かの確信を得たようなシイの態度に、レイは戸惑いと同時に期待を抱いていた。
この少女ならば、自分の諦めを吹き飛ばす可能性を見せてくれるのでは無いか、と。
「うん、決めた!」
「……聞かせてくれる?」
レイの問いかけに、シイは自分の考えを伝える。それはレイの予想の遙か上、いや、正確には斜め上を行く突拍子も無いものだった。
開いた口がふさがらないと、ぽかんとした表情を浮かべるレイ。彼女にしては珍しく、と言うよりも初めて見せるであろう姿に、シイは急に不安になった。
「えっと……駄目、かな?」
「……本気なの?」
「うん。これが多分、唯一の方法だから」
困惑するレイに、シイはさらに言葉を続ける。
「私はレイさんを救うために、みんなを犠牲にしても良いなんて思わないよ。私のわがままでみんなの幸せを壊しちゃうなんて許さないし、レイさんもきっと喜ばないから」
「……ええ」
「でも、みんなの為にレイさんを犠牲にするのも絶対に駄目。誰かの犠牲が必要な未来なんて、私は望んでない。みんなが笑顔でいられる世界に、レイさんは必要なんだから」
「……時田博士が言っていたわ。どちらかしか選べない時は天秤にかけて、より大切な物を選ぶって。人類の命と私の命では、とても釣り合わない」
「だからどっちも選ぶの。……きっと出来る。だって私は今、神様なんでしょ?」
かつてシイはエヴァの戦闘で犠牲を出した事について、ミサトと衝突した事があった。全てを守りたいと言うシイを、『人が出来る事は限られている』『神様にでもなったつもりか』とミサトは突き放した。
その後、シイは一人でも守れるのならば戦うと決意したが、全てを守りたいと言う気持ちは変わっていない。そして今、彼女は人に出来ない事を可能とする、神の力を使う事が許されている。
「……失敗する可能性もあるわ」
「うん。その時はちゃんと責任を取るよ。レイさんを巻き込んじゃうけど……付き合ってくれる?」
「……貴方は死なないわ。最後まで……私が居るもの」
「ありがとう。よ~し、じゃあ行くよ!」
複雑に絡み合った歯車が紡ぐ物語は、一つの結末を迎えようとしていた。
すいません、決着してません。
長くなりましたので、次回まで延長させて下さい。
このエピソードでほとんど活躍しなかった主人公が、満を持して登場です。美味しいとこ取り感がありますが、この役割だけはシイ以外には許されないと思います。
これまでの経験を全て踏まえた上で、シイはどんな未来を選ぶのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。