~いざ浅間山へ~
キョウコの退院から数日が過ぎたある日、夕食の席でシイはゲンドウ達から思いも寄らぬ提案を受けた。
「温泉旅行?」
「ああ。ゼーゲンの慰安旅行で温泉に行く。何か問題があるか?」
「ううん、別に無いけど……急にどうしてかなって」
「以前から計画を進めていた。キョウコ君が復帰した今こそ相応しいタイミングだと判断しただけだ」
突然の提案に驚きこそしたが、反対する理由など何も無い。むしろみんなで一緒に旅行出来る機会を得られて、シイからすれば大歓迎だった。
「今週末に一泊二日で予定してるわ。シイとレイは予定空いてるかしら?」
「うん、大丈夫。旅行か~楽しみだね、レイさん」
「……ええ、本当に」
感慨深げに答えたレイにシイは少し驚く。あまり感情を表に出さないレイにしては珍しく、今回の旅行を待ち望んでいたのが伝わってきたからだ。
「レイさん、温泉好きなの?」
「……行ったこと無いわ」
「そうなんだ……ねえ、お父さん。温泉って色々あるけど、何処に行くの?」
「あまり遠くでは無い。浅間山の近くだ」
「浅間山……何処かで聞いたことがある気がするけど」
シイは眉間に指を当てて記憶を呼び起こし、ようやく思い出した。浅間山。それはマグマの中に使徒の幼体が存在していて、アスカが灼熱の死闘を繰り広げたあの山だと。
「シイは行ったことがあるのよね?」
「うん。使徒と戦って、その後ミサトさんとアスカと温泉に……あっ!」
ここに至ってシイは、レイが行く気満々な理由を察した。あの時一人本部に留守番していたレイは、一緒に温泉に入れなかった事を不満そうにしていた。
だからこそ、今回の温泉旅行はリベンジの意味もあるのだろう。
「レイさん、今度は一緒だよ」
「……ええ」
「ふふ、そうね。みんなで一緒に温泉に入れば、きっと日頃の疲れなんて忘れてしまうもの」
「楽しみだな~」
「……ふっ」
温泉旅行に想いを馳せる三人を見て、ゲンドウは満足げに頷く。多忙なゼーゲン職員を連れ出す慰安旅行。スケジュール調整に苦心したが、自分の決断が間違っていなかった事を確信した。
※
「――と言う事で、週末にゼーゲンの慰安旅行を実施します」
暗闇の会議室でゲンドウは、ゼーレの面々に本部を留守にする旨を伝えた。
「話は聞いていたが、随分と暢気な話じゃないか」
「左様。地球環境再生計画に人工食糧生産計画。ゼーゲンは暇で無いのだよ?」
「だからこそ、士気を高める為に必要なのです」
チクチクと嫌味を口にする老人達に、ゲンドウは揺るがぬ姿勢で答える。自分達の前に問題が山積みなのは理解しているが、心身を休ませる時間は必要なのだから。
「だが何故浅間山なのかね? 温泉旅行なら箱根で良いだろう」
「そうだ。わざわざ遠出をする理由が何かあるのか?」
「……参加者の要望です。他意はありません」
「まあ慰安旅行は良い。だが司令である君まで本部を空けるのは、些か問題だろう」
「左様。君は非常時に備えて、本部待機すべきでは?」
「非常時にはVTOLにて、即座に帰還できる手はずになっております。問題はありません」
遠出と言ってもバスで移動できる距離だ。宿泊予定の旅館付近にVTOLを待機させる予定なので、ゲンドウの言うとおり非常時への備えも万全だった。
「だが……」
「まさかとは思いますが、皆さんも行きたいのですか?」
「「!!??」」
図星だったらしく、ゲンドウの言葉にゼーレの面々は動揺を露わにする。先程までのきつい態度も、自分達が行けない事から出た嫉妬だったのだろう。
「ば、馬鹿な事を言うな!」
「全くだ。我々がそんな……」
「左様。我らは君達以上に多忙なのだよ」
「……そうですか。もし都合がつけばご一緒にと思いましたが、残念です」
ニヤリと口元を歪めるゲンドウに、今更発言を撤回出来ない老人達は忌々しげな視線を向ける。そんな子供の様なやり取りに、キールは頭痛を堪えるように頭を抑えた。
「もう良い。慰安旅行は正式な計画として受理している。こちらから何も言うことは無い」
「はい」
「では今回の会議はここまでだ」
「「全てはゼーゲンの為に」」
お約束の締めを行い、老人達は姿を消した。
「……碇」
「どうされましたか、キール議長」
退席しようとしたゲンドウに、再び姿を現したキールが声を掛ける。
「先日、碇家から連絡があった。ユイとシイ、それにレイを一度京都に来させろとな」
「存じております。その件についてはユイに一任してありますよ。私が対応すれば拗れるでしょうから」
「あれは頑固な娘だ。素直に言う事を聞くはずが無い」
「私に説得しろと?」
碇家からすれば、死んだと思っていた娘が生き返り、しかも養女まで出来たとあらば、直接会って状況説明を求めたくもあるのだろう。
ゲンドウは既に絶縁状態にある為、全ての対応をユイに任せていた。だが今のところは、彼女に碇家を訪れる意志は無いらしい。
「まあこれは君達の問題だから、口を出すつもりは無い。ただ、あれから十年経ったのだ。そろそろ君もユイも、正面から向き合っても良い頃合いだと思うが」
「……一応、忠告は聞いておきます。では」
ゲンドウは一礼すると立ち上がり、会議室を後にした。
(全ては流れのままに、か。義理は果たしたぞ)
キールは古い友人の顔を思い浮かべながら、一人きりの会議室で静かにため息をつくのだった。
※
そして週末、ゼーゲン一行はマイクロバスで一路浅間山へと向かう事になった。だが流石に本部を留守にするわけにも行かず、必要最低限の人員が留守番として残らざるを得ない。
MAGIによる抽選不正がキョウコによって見破られた為、今回は古典的なあみだくじで抽選が行われ、幾人かのスタッフが涙をのんだ。
「あの、お土産買ってきますね。マグマ饅頭って言う凄い美味しいお菓子があるので」
「「ありがとう、シイちゃん」」
何も知らないスタッフ達は、感激の涙を流しながらバスを見送るのだった。
浅間山へ向かうバスの中には、楽しげな空気と賑やかな話声が満ちていた。何せゲヒルン時代から通じて初の慰安旅行だ。テンションがあがるのも無理は無いだろう。
「ぷはぁ~。やっぱバスで飲むビールはまたひと味違うわね」
「呆れた。貴方、旅館に着いてからも飲むんでしょ?」
「モチのロンよ。何せタダなんだから、飲まなきゃ損ってもんよ」
ミサトと隣の座席に座るリツコは、脳天気なミサトの姿を見てため息をつく。これで良くアルコール中毒にならないものだと、逆に感心すらしてしまう。
「にしても、あんた今まで何処に行ってたの? サルベージの時も姿が見えなかったけど」
「……ちょっと月にね」
「ぶぅぅぅぅ」
予想外の答えにミサトは思い切りビールを吹き出す。
「無様ね」
「つ、月ってあんた。一体何で?」
「ゼーゲンの月面支部建設予定地の下見よ。因みに副司令も一緒だったわ」
「それってやっぱ、ユイさんを怒らせたから?」
タイミングを考えたら、あの事件の責任を取らされたのだろうとミサトは推察した。しかしリツコは軽く首を横に振ってそれを否定する。
「たっぷりお説教はされたけど、今回の下見とは無関係ね。前々から話には出ていたから」
「そうなの?」
「ええ。それにユイさんは過保護だけど、公私混同はしない人だもの」
ユイがシイを溺愛していると言っても、それはあくまでプライベートな事。仕事上ではキチンと分別を弁えていた。でなければゼーレを初めとする面々から、信頼を得ることなど出来ないのだから。
「にしても月か~……良く生きて帰ってこられたわね」
セカンドインパクトの影響で、人類はそれまで順調に進めていた、宇宙進出の研究を中断せざるを得なかった。これ程科学が発達していても、未だ宇宙は人類にとって未知の世界なのだ。
「悪運だけは強いみたい。でもお陰で貴重な光景が見られたわ。地球って本当に青かったもの」
「そうなの?」
「ええ。地球も私達と同じように生きている。そう思えたわ」
「へぇ~、あんたにしちゃ、随分とロマンチックな事言うじゃ無い」
「あれだけは、直接見た者にしか分からないわよ。貴方も機会があれば、一度見てみなさい」
「宇宙ね~。興味はあるけど相当コストがかかるし、簡単には行けないんじゃない?」
「その内誰もが自由に、宇宙へ行ける日が来るわよ。そして人類は地球をもう一度見直すべきね。身近にあり過ぎると、本当に大切な物が見えなくなるから」
そうミサトに語るリツコは、以前よりも一回り大きく見えた。未知の世界への接触が、彼女の視野を広げる事に繋がったのだろう。
(ユイさんがリツコを選んだのって、これを狙ったのかもね)
ミサトは前の方の席でキョウコと談笑しているユイを見て、苦笑しながらビールを一気にあおった。
バスの後部座席では、チルドレン達が温泉への期待に胸を躍らせている。仲良く談笑するその中には、唯一部外者であるヒカリの姿もあった。
「本当に私が参加しても良かったの?」
「勿論だよ」
「でも私、ゼーゲンの関係者じゃ無いのに……」
「ふふ、君は鈴原君のフィアンセなんだろ? なら無関係とは言えないさ」
からかうようなカヲルの一言に、ヒカリとトウジは揃って顔を真っ赤に染める。頭から湯気が出ている二人に代わって、アスカが声をあげる。
「あんた馬鹿ぁ? この二人は恋人よ、恋人」
「そうだよカヲル君。……でもフィアンセって何?」
「あんたも馬鹿ぁ? 婚約者に決まってんじゃない」
「……結婚の約束をした男女よ」
大きな声で婚約やら恋人やらと連呼したため、バスに乗っているスタッフ達の視線が、後部座席へと集中する。シイ達のフォローの結果、トウジとヒカリは二重の意味で、恥ずかしい思いをする羽目になってしまった。
「とにかく、ヒカリは参加して問題無しってこと。良い?」
「う、うん。ありがとうアスカ……」
顔を真っ赤にしたヒカリには、もう部外者だから何て気にする余裕は無かった。
「相田君も来られれば良かったのに」
「親父さんが不参加っちゅうのに、息子だけ参加するんは抵抗あるんやろな」
ケンスケの父親は不幸にも留守番に選ばれてしまった。シイ達は自分達の友人だからと誘ったのだが、父親に気を遣ったケンスケは気持ちだけ受け取ると辞退した。
「妙なところで殊勝なのよね」
「ふふ、まあ彼なりに考えた結果なんだろう」
「お土産を忘れないようにしないと」
「あ、それなら良いのがあるよ」
「……シイ、マグマ饅頭だけは勘弁したってや」
友人の身を案じたトウジの言葉に、アスカとヒカリも力強く頷いて同意するのだった。
「にしても、またあそこに行くとは思わなかったわ」
「うん。凄い偶然だよね」
「ふふ、偶然じゃ無いかもしれないよ。だろ、レイ」
カヲルにニヤリと笑みを向けられて、レイはぷいっとそっぽを向く。今回の旅行先決定に、彼女の希望が十二分に反映されていたのは、極一部の人間しか知らない事だった。
「浅間山って、惣流とシイが使徒を倒したとこやろ?」
「ふふん、そうよ。あたしの見事な活躍、あんたにも見せたかったわ」
「でも鈴原君。良く覚えてたね?」
「……は、ははは、忘れたくても忘れられへん」
超絶マグマ饅頭の犠牲者となったトウジは、引きつった笑みを浮かべる。一度食べたら決して忘れない、そんな破壊力を秘めていたのだから。
「おや、君はシイさんに助けられて、命からがらマグマから生還したと聞いたけど?」
「そうなのアスカ?」
「ま、まあシイにもちょっとだけ、見せ場があったのは確かだけどね」
「うん。使徒を倒したのはアスカだし、私はちょっとお手伝いしただけだよ」
当事者であるシイがフォローして、どうにかアスカの武勇伝は守られた。
ネルフ一行を乗せたバスは順調な運行を続けて、無事定刻通りに宿へと到着するのだった。
本編中では絶対に不可能だった慰安旅行ですが、後日談でようやく実現しました。10話でレイがお留守番だったので、いつか一緒にとずっと思っていました。
今回の慰安旅行ではこれまで抑え気味だった分、少し馬鹿になろうと思います。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。