副司令執務室から移動した一行は、盗聴などの心配が無い葛城家へと話し合いの場所を移した。リビングに正座する冬月と向き合う形でシイ達チルドレンと、ミサト達大人組が腰を下ろす。
テーブルにお茶が並べられると、冬月が呆れたように口を開く。
「やれやれ、君の動きには注意していたつもりだったが……」
「俺と同じく真実を求める人間が、少なくともこれだけ居ると言うことですよ」
加持の言葉に冬月は素直に頷く。加持とミサト、そして時田の動きは把握していた。場合によっては何時でも消せるように用意もしていた。だが流石にリツコとシイ達までもとは予想する事は出来なかった。
「これではユイ君の力を借りずとも、いずれ真実に到達しただろうね」
「多大な犠牲を払ったでしょうが」
「否定はしない。事実加持君と時田博士には、退場して貰う予定だったのだから」
穏やかな口調で物騒な事を言い出す冬月。利用価値のあるミサト以外は、容赦なく闇に消してしまう。ネルフの裏を改めて知らされたシイ達は、今更ながら背筋が凍る思いをしていた。
「さて今の君達に私が語ることはあるまい」
「……爺さんは用済み?」
「ははは、まあまあレイさん。副司令にはこれからたっぷり働いて貰うんですから」
「そうね。気持ちは分かるけど、全てが終わるまでは我慢しましょう」
「……了解」
敵意丸出しのレイは、時田とリツコになだめられて引き下がる。あの件以来完全に冬月は、レイにとって敵と認識されてしまったようだ。
そんな普段と違うレイの態度に、シイは不思議そうに首を傾げる。
「綾波さんは冬月先生の事嫌いなのかな?」
「あんま気にせん方がええで。疲れるだけやからな」
「半分以上はあんたのせいだけどね」
「え?」
「いーのよ、細かいこと気にしないで。そんなことより、今は先のことを話すべきよ」
アスカの言葉にその場に居た全員の顔が引き締まる。そう、まだ何も終わっていない。ゲンドウとゼーレ。真に戦うべき敵が残っているのだから。
「ゼーレと事を構えるのは、それこそ最後の最後だろうな。少なくとも今は手を出すべきじゃ無い」
「て~事は、やっぱ碇司令をどうにかするのが先ね」
「私も賛成だよ」
「説得には骨が折れそうですわ」
リツコの発言に一同は腕を組んで悩んでしまう。頑固一徹、碇ゲンドウ。例えこちらが真実を知っていると告げても、上手く説得出来るとは思えなかった。
そんな中、不意にアスカが何かに気づいたように口を開く。
「あのさ、ちょっと良い?」
「何アスカ。良いアイディアでもあるの?」
「考えてたんだけど、碇司令を説得ってか、味方にする必要ってある?」
「「……あっ」」
一瞬の沈黙の後、シイを除く全員がぽんと手を打った。
「考えてみれば、別に味方にしなくても良いのよね」
「まあ、問題は無いな。実務はだいたい私がやっている」
最高責任者はゲンドウだが、実際にネルフの運営を担当しているのは冬月だ。居なくては困るのは確かだが、絶対に必要と言うわけでも無い。
「あまり役に立ちそうに無いしね」
「身柄を拘束して、監禁しておくか」
「おお、それならおあつらえ向きな部屋がありますよ」
ミサトと加持、時田が口々に物騒は事を言い出す様を見て、トウジは改めてゲンドウの評価を知った。
「司令は随分嫌われとるんやな」
「……だって、碇司令だから」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
口々にゲンドウ不要論を展開する一同に、シイが慌てて待ったをかける。
「あの、冗談ですよね? お父さんにもちゃんと、分かって貰いますよね?」
「「…………」」
「どうして目を逸らすんですか!?」
「……シイちゃん」
興奮のあまり思わず立ち上がるシイの肩に、ミサトがそっと手をおく。そして優しい声で告げた。
「犠牲は必要よ」
「うわぁぁぁん」
それがとどめとなって、シイは泣きながら自分の部屋へと駆け込んでいってしまった。
その後全ての責任を押しつけられたミサトが、必死にシイをなだめて事なきを得た。頬を膨らませ拗ねていたシイだが、レイに背後から無言で抱きしめられ、次第に気持ちを落ち着かせていく。
姉妹(ある意味母子)の様な二人の姿に、一同は和やかな空気で今後の対策を練っていった。
「……ふむ。大まかな流れはこんなところだろうな」
「ええ。使徒が後三体と言うことを考えれば、早急に行動へ移すべきでしょう」
「私の方は何時でも。明日にでもやれますよ」
「こちらも同じく。MAGIは直ぐに使えますわ」
時田とリツコは競うように、準備万端であることをアピールする。ハード担当者とソフト担当者。分野は違えど互いにライバル意識があるのだろう。
「碇は明後日から出張の予定だ。チャンスがあるとすれば」
「明日、ですね」
「そりゃ早いほうが良いだろうけどさ、シイはやれんの? 碇司令と、父親と面と向かってちゃんと話せる?」
「……うん。私はもう決めたの。逃げない。諦めない。これは私のわがままでもあるんだから」
父親に怯え、恐れ、逃げていた少女はそこに居なかった。これまでの経験と母親との邂逅は、弱虫だった少女を確実に成長させていたのだ。それが分かったからこそアスカ達も安心して頷けた。
「最後までシイ任せっちゅうのは、情けないところやな」
「親子の間に余計な口出しは野暮さ」
シイにとってゲンドウとの対峙は、乗り越えなければならない事。みんなの中心となっている少女に、彼らは全てを託すことにした。
話が一段落した時、リビングにく~っと小さな腹の音が響いた。皆の視線が音の発生源であるレイに向かう。
「あんたね。この状況で何やってんのよ」
「……お腹空いた」
「おや、もうこんな時間か。随分と話し込んでしまった様だね」
冬月に言われて窓から外を見れば、すっかり日が落ち夜空に月が輝いていた。それで空腹を実感したのか、他の面々も軽くお腹をさすり始める。
「あ、今ご飯を作りますから」
「あんた馬鹿ぁ? まだ左手治ってないんだから、料理なんて出来ないでしょ」
「でも……それなら誰が作るの?」
困ったようなシイの問いかけに、アスカ達は互いの顔を見合わせる。
「リツコ、あんた出来るでしょ?」
「……あまり得意では無いわ。リョウちゃんはどう?」
「何せ不精者だからな。時田博士なんか意外と上手いんじゃ無いか?」
「生憎と料理はとんと疎くて。綾波さんはいかがです?」
「……鈴原君に任せるわ」
「おいおい、そりゃ無茶やで。そや、副司令ならいけるんとちゃいますか?」
「外食ばかりだよ。ふむ、困ったな」
誰一人名乗りを上げる者が現れず、出前を取ると言う行為を失念している一同は腕組みをして悩む。そんな中、ただ一人声を掛けられなかったミサトが、不満を露わにして立ち上がる。
「ちょっと、私を忘れて貰っちゃ困るわね」
「だってミサトさんは料理出来ませんよね」
「いいえ、出来るわ。ただシイちゃん程上手くないから、やらなかっただけよ」
何処からその自信が来るのかと疑わずに居られない程、ミサトは力強く言い放つ。考えてみればシイはミサトの料理を食べたことが一度も無かった。
(ひょっとしたら、ミサトさん料理だけは出来るのかも)
掃除や洗濯は壊滅的だったが未だベールを脱いでいない料理。シイは自信に満ちたミサトの立ち振る舞いに、少しだけ希望を抱いてしまった。
ミサトがかつて自分は料理に向いていないと自白していたのをすっかり忘れて。
「よ~し、なら私が久しぶりに腕を振るわ。楽しみに待ってなさい」
ドンと胸を叩いてミサトはキッチンへと向かった。
待つこと数十分。シイ達が待つリビングのテーブルにはミサトの手料理が並べられていた。白い皿に盛られたご飯に、野菜が入った茶色いルーがかかった料理……まあつまりはカレーだ。
「ね、料理出来るでしょ」
「って、これレトルトカレーじゃない」
あれだけ自信満々の態度の後にレトルトを出されて、アスカが呆れたように文句を口に出す。ただミサトをよく知るリツコはこの展開を予想していたのか、何処か諦めた表情を浮かべていた。
「まあミサトの料理なんて、最初から当てにしてなかったけど」
「はは、赤木博士は相変わらず手厳しい。例えレトルトと言えど、空腹にはありがたいものですよ」
「そうやで惣流。ミサトさんの手料理を食えるなんて、わしは幸せもんです」
「たまには良いだろう」
比較的肯定的な意見を述べる時田達とは対照的に、加持とレイの表情は曇っていた。
「葛城の手料理……か。だがレトルトだ。あの悲劇を繰り返す事にはならないだろう」
「……肉、入ってる」
「あ、それなら私がとるよ。……はい、これなら大丈夫だよね?」
「……ええ。ありがとう」
シイに肉をよけて貰ったレイは、待ちきれないとスプーンを手に取る。他の面々も同様で、レトルトと言えどカレーの香りは彼らの空腹を一層刺激していた。
「じゃあ副司令の協力に感謝を、そして明日、碇司令をシイちゃんが説得できる事を期待して」
「「頂きます」」
ミサトの挨拶と同時に一同は一斉にカレーを口に運んだ。
「はっ!?」
シイが目を覚ますと、そこには自分の部屋の天井が広がっていた。慌てて上半身を起こすと、自分は布団に寝かされていたらしく、何時の間にかパジャマも着ていた。
「私、一体どうして……。確かミサトさんのカレーを食べて……」
「おや、気がついたかね」
混乱するシイに冬月が部屋の入り口から声を掛けた。いつもの制服姿では無く、ラフなシャツとスウェットズボンの冬月は、何処にでも居るおじさんと言う印象を与える。
「冬月先生。私は……」
「葛城三佐のカレーを食べた君は、そのまま失神してしまったのだよ」
「し、失神!?」
「まあ君だけで無く子供達は全滅。時田君と赤木君も寝込んでいるがね」
とんでもない大惨事だった。どうしてただのレトルトカレーでこんな事態を引き起こせるのか。シイは改めてミサトの底知れ無さに驚かされてしまう。
「そんな訳で無事だった私と葛城三佐、それに加持君が皆の看病をしているんだよ」
「加持さんは平気だったんですね?」
「彼は昔、葛城三佐と付き合っていたからね。皆が食べるまで箸をつけなかったらしい」
ならば一言注意して欲しかったと思ったシイだが、恨み言の前に疑問を一つ冬月に投げかける。
「……冬月先生はどうして平気なんですか? 確か私が食べる前にちゃんと食べてましたよね?」
「私はこう見えても山登りが趣味でね、昔は山菜と間違えて毒草を食べてしまった事もあるんだ。まあそのせいか毒物への耐性がついてしまったのだろう」
彼の中でミサトのカレーは毒物と認識されている様だ。苦笑する冬月にシイもつられて笑みをこぼす。
「少し意外です。冬月先生はインドアのイメージがあったので」
「よく言われるよ。まあ軽い趣味程度だがね。……そうそう、ユイ君とも良く一緒に山へ登ったんだよ」
「お母さんも?」
初めて聞く事実にシイは驚き聞き返す。
「ユイ君から聞かなかったかね?」
「はい……あの、冬月先生。もし宜しければ、お話聞かせて貰えませんか?」
時間が無かったからか、シイはユイから重要事項以外の話をほとんど聞くことが出来なかった。母との邂逅を果たした今、シイはユイの事をもっと深く知りたいと思っていた。
「それは構わないが、さて何を話せば良いのか」
「先生とお母さんが出会ってから……二人の話が聞きたいです」
ユイとの出会い。そしてそこから始まった物語は、彼にとって良くも悪くも忘れられない記憶だ。シイの願いに冬月は少し考えるそぶりを見せたが、やがて静かに頷く。
「少し長い話になる。子守歌代わりに語ろう。眠くなったらそのまま寝てしまって構わないよ」
「はい」
「あれはそう……今から十五年前。私が京都の大学でまだ教師をやっていた頃の話だ」
冬月はシイの枕元に腰を下ろし、静かに昔語りを始めるのだった。
原作ではゼーレに拉致された冬月が、昔を思い出す形で話が進みました。今回は冬月がシイに昔話を語ると言う形で、若かりし日の話を進めようと思います。
次からは過去のお話……全部で3パートあるのですが、回想なのにそんなに尺をとるのもあれなので、一気に投稿してしまいます。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。