「二人部屋を二部屋、希望したい。」
細やかで美しい金の刺繍を施した漆黒のローブを身に纏った異邦人が、この酒場の主人に言う。
ここはエ・ランテルの酒場兼宿屋。質は低いが、その分賑わい、初級の冒険者がよく集う。
安さを売りにしているので、客の質もあまり良くなく、テーブルに着いてるのは皆、薄汚れた格好をしている。
「あんたら、見たところ相当な金持ちじゃねぇか?それだったらここじゃなくて、いっそ『黄金の輝き亭』とかの方がいいんじゃねぇのか。」
主人が眉を顰めて低い声で問う。
知る人は知る情報だが、この主人は意外に優しい。
金のない冒険者には一品サービスしてくれたり、相性の良さそうな冒険者同士を引き合わせたり。
欠点はと言えば、口調と顔が悪い印象を与えてしまう事か。
今、主人の前に居るのは、話しかけてきた豪華な黒いローブの魔法使い、黒をベースに銀のラインが際立つ軽鎧を着た拳闘士、純白に黒のデザインが施された服の鞭使い、薄暗い白で統一された軽鎧を着た槍使いの4人だ。
4人の装備すべて、素人目にでもわかるほどに高価で、強大な魔法が込められた品だとわかる。
この酒場には似つかわしくないのだ。
だが、漆黒の魔法使いはその予想を否定する。
「実は今日この国に来たばかりで、ほとんどお金を持ってないんです。明日から冒険者として活動するので、今日さえ凌げば大丈夫なのですが…」
装備のひとつでも売ればそれこそ住居が買えるだろう、と思った主人だが、なるほど、今日来たのなら金がないのも仕方ないのかと納得する。
ローブの内に下げられた金貨袋の大きさと鳴らす音の貧弱さを聞いて、二人部屋を二部屋、了承する。
「一部屋一日6銅貨だ。飯は追加で一人1銅貨、肉が欲しけりゃさらに1銅貨。備品の損傷は場合によっちゃ弁償してもらう。いいな?」
「ああ、ありがとう。飯は結構、保存食は持っているのでね。」
「…部屋は二階の奥の左右だ。」
本当は一日7銅貨なのだが、まけてやろう。
「さて、じゃあみんな、部屋に…っと。うん?」
店内左奥の階段へ進もうとしていたアインズ…モモンの前に、テーブルに着いていたスキンヘッドの男が足を延ばす。
なるほど、新人いびりというやつか。どこの世界でも居るもんだな。とNIKUYA…ニックは小さくため息を着く。
モモンは一度足を止めたが、同じく小さなため息の後に再度足を進めようとする。
当然、モモンはそのスキンヘッドの男の足を蹴る。
「おっとぉ、いてぇじゃねぇか?あぁん?どうしてくれんだよぉ?」
あー、これはリアルでもいた『チンピラ』みたいなもんか。懐かしさを覚えたニックだが、まぁそんなことはどうでもいい。
こういうやつは一回ちょっと痛い目見せといた方が
「これは…後ろのかわいい嬢ちゃん達に優しく介抱してもらうしかねぇなぁ??」
殺す。
突如爆音が鳴り響き、目の前にいたスキンヘッドは軌道上の机や椅子、壁を破壊しながら屋外へ退場していった。
誰もがそれを見ていたのに、なにが起こったかわからず青ざめる。
それを行ったであろう拳闘士が、低く、圧のある声で店にいる人間に言う。
「俺の、俺達の子を下卑た目で見る奴は、殺すぞ。今回は最初だったから半殺しで済ませてやった。次はないぞ。」
全員の血の気が引いた音が聞こえる気がした。
ただ、例の拳闘士の仲間の3人は、逆に高揚している気がしたが。
全員が全員、恐怖と対峙しているときに、客の一人が口を開く。
「あ、あのー…」
赤毛の髪を乱雑に切りそろえた、鳥の巣のような髪型の女が、恐る恐る話しかけてくる。
「なんだ?」
いまだに怒りが収まらないニックではあるが、相手が女であれば手はだせない。
さっきよりは多少優しい声で問う。
「あの無礼な男が吹き飛ばされた際にですね、私のいたテーブルも吹き飛ばされまして…で、私のポーションが割れてしまいまして…」
ポーションが割れたのは確かにあのスキンヘッドのせいだが、あいつらには弁償できる額のものではないので、どうか一本お譲りいただけませんか。とのことだ。
「ああ、すまなかったな。…モモン、一本やってもいいか?」
一応、この冒険者パーティのリーダーであるモモンに問う。
「ああ、まぁ仕方ないだろう。」
懐から下位ポーションを取り出し、女に渡す。
なにやら首を傾げていたが、懐にしまい込み、礼をして去っていく。
「ああ、ほんっと、殺すとこだった。」
部屋に入ったニックは深呼吸をしたあと、ベッドに座り込む。
ティアも同じく、向かいのベッドに座る。
いつもなら俺の許可なく座ることなんてないんだが、いまは家族ロールの最中。
子が座るために親の許可をもらう必要なんてない。
「NIK…パパは、なんでアレを殺さなかったのであり…ですか?」
ところどころおかしいが…っていうかパパと呼べと言った覚えなんてない。誰だ言わせてるやつ。
「殺してしまっては利用できないこともあるんだ。それに、この世界には法律ってのがあるはずだ。どんな理由であれ、殺人は罪になるだろうしな。」
「なるほど…後で隠密班に回収して貰いますか?」
どうしても殺したいんだなこの子は…
もしかしたら顔の利くヤツかもしれないし、急に居なくなっては原因を疑われるかもしれない。
さすがにもう怒りも収まってきたし、この件はこれで終わりにしようと思っている。
「放置で。どうせもう絡んでこないでしょ。…さて、朝まで暇だな。なにするよ?」
今から朝まで、だいたい10時間ほど。
寝ないニックは、いつもは食堂やバー、各階層の守護者の部屋などへ遊びにいっているのだが。
今はこの部屋からでないようにアイン…モモンから言われてるし、部屋でなにかできることを模索する。
「それならば…えっと…私がNI…パパにマッサージしてあげます…」
え。
なにそれ。
「…どういう、え、こと?」
マッサージ…マッサージとは?
肩を揉む、ツボを押す、コリをほぐす。
それがマッサージ…だよな。
リアルでもマッサージされた記憶がないニックだが、内容は至って健全な、ただの療法だということはわかる。
いや、健全ではないマッサージは…あったのだが。
「お疲れの御体には、マッサージがいいと聞き…ました。疲労無効であっても、小さなコリなどは溜まるらしいですし…」
健全だ。健全なマッサージのお誘いだ。
…しかし、ティアはマッサージなんてできるのか…?
「じゃあ、うん、お願いしようかな…」
「…はいっ」
何故かすごく顔を赤くするティア。
いいか、これはただの、ツボ押し、コリほぐしのマッサージだ。
それ以上のことはない。
マッサージ師が客にマーサージするのと同じだ。
「じゃあ、上は脱いだ方がいいよな。下は…脱がなくてもいい、よね?」
マッサージのCMを見たときは、上も下も脱いでた気がするけど…あれは個室で、同性のマッサージ師がやるからであって…
「下もお脱ぎください…」
なんでそんな目で俺をみるの。
…いや、足もマッサージしてくれるんだよな。そうだよな、よく歩いたし。
うん、じゃあ…下着はいいよね、さすがに。
上を脱ぎ、下を脱ぎ…下着にとある強化魔法をかけ、タオルを巻いてベッドにうつぶせになる。
脱いでる間は、ティアには後ろを向いててもらったが。
「これでいいか。じゃあ…うん、えっと、お願いします。」
「こ、こちらこそ、不束者ですが…」
なんのことだ。
とにかく、マッサージが始まる。
「では、失礼します…」
ティアがニックの腰に跨り、首の付け根に手を置く。
…温かい。吸血鬼って、もっと冷たいイメージがあったんだが。
首のツボから始まり、肩甲骨、腕、腰、足の付け根、脹脛へ順番にマッサージを施されていく。
その手腕は多少強引だがしっかりとツボを押さえ、確かに体がほぐれていく。
っていうか人間に変形してるとはいえ、ゴーレムなのにツボなんてあるんだな…
「あっ、いいよ、そこ…あーもうちょっと右も…もっと強く…いい、最高…」
「…ここなんてどうです?ここや…ここなんかも…痛くないですかぁ…?」
すごく気持ちいい。身体から力が抜けていく。
涎が垂れかけ、ハッとなり啜る。だがまたすぐに力が抜ける。
「あーもうダメ…もう、良すぎ…あぁ…はぁ…」
疲労無効なのに呼吸が荒くなる。
全身のマッサージは3時間を超え、全身が脱力し、涎が枕(付属されていたものではない私物の)に滲みている。
あまりにも予想外な多幸感と脱力感に襲われながら、呼吸を整える。
「んっ…どうでしたか…?」
3時間もマッサージしてたんだ、多少は疲れているだろうと思っていたが、何故か物凄く色気づいた目で語りかけてくる。
そうだな、『至高の御方に喜んで頂けた事への喜び』とかだろう。
「ああ、すごくよかったぞ。本当に。で、だ。モノは試しなんだが…」
ーーーマッサージ。
ティアは頭が真っ白になるのを堪え、考える。
今、この御方はなんと仰ったか。
思い出せ。
『お返しに俺もマッサージしてやろうか』
…どういう意味だろう。いや、分かるのだが、解らない。
「つまり…その…私は、脱いでうつ伏せになればいいんですよね…?」
きっと、それでいい。もうそれでいい気がする。
ティアは考えるのを諦め、服を脱いでベッドにうつぶせになる。
…ニックは咄嗟に後ろを向き、ベッドにうつぶせになったのを察して、ティアの腰にタオルを被せる。
「じゃあ、マッサージを始めよう。」
「ああ、おはようモモンさん。」
「ああ、ニックさん。…ああ、眠い。」
日が昇り、他の部屋の冒険者達が次から次へと退店していくころ、部屋をでた四人は一階へと降りていく。
朝から飲んでいるものもちらほらいるが、大体はココを会議の場にしているようで、紙を眺めながら話し合っているものが多い。
それらが皆、一度俺らを見、すぐに目を逸らす。
昨日のが効いてるようだが…
「うーん、人気者になる計画が最初から破綻しそうだな…」
「すまんな、モモンさん。」
冒険者として高位に君臨し、皆からの羨望と好意を我が物とする計画は、前途多難に見えてきた。
「とりあえず、依頼でも見に行きますか。」
酒場を出、冒険者組合に足を運ぶ。
朝、アイリことアウラは非常にモヤモヤしていた。
昨日の夜、部屋に入ってから朝にかけて、向かいの…ティアとニックの部屋から聞こえてきた、嬌声や物音について。
(やっぱり…いや、シャルティアはああ見えてウブだったし…じゃあ音はどう説明する…?)
「ん?どうしたの、アイリ。」
(げっ、シャルティア…うーん、聞いてみるしかないか…)
「いやぁ、昨日はどうだったのかなーって思ってね?」
どうだったのか、なんて、ナニを聞いてるんだろう。
私はアドバイスはトークしか思いつかなかったから、デミウルゴスやパンドラに聞きに行けといったのだが。
デミウルゴスかパンドラが何か吹き込んだのだろうか…?
「ああ、昨日…すごく喜んでもらえましたわ。それはもう、息が乱れるほど。」
(息が乱れる!?喜んでもらえた!??…やっぱり…そうなのか)
「そ、そっかぁ。ニックさんはなんか言ってたの?」
いや、まだ早計である。息が乱れるほど喜んでもらえることなんて…うん、きっといっぱいある。大丈夫だ。
なにが大丈夫かわからないけど。
「ああ、パパは…気持ちいいって言ってくれましたわ。」
「気持ち、いい!?」
ああこれは…いや、しかし、…いや無理だ、アレしか考えられない。
アウラはこう見えて76歳。子供ではないのだ。
「ええ。お返しにパパにもして貰ったのだけれど…すごくテクニシャンでね、それでいて力強くて…頭がどうにかなりそうでしたわ。」
恍惚の表情を見せるティア。
これはもう、決定だろう…とアウラは思う。
「そっか…ティア、私はアンタを応援するからね!…皆には内緒にしててあげるからっ」
「え?ああ、そう、ありがとう、アイリ。」
今日あったことは、アインズ様に訊かれても口を割らないでおこうと、心に決めるアウラであった。
「そういえば、昨日暇じゃなかったですか?」
「ああ、ティアがマッサージでコリをほぐしてくれたんですよ。すごく良かったですよ?なんでも、パンドラがマッサージの技術を教えてくれたんだとか。」
「パンドラが…うーん、私も一回、してもらいに行きましょうかね。」
「親子水入らず、楽しんでください。」
マッサージに金を出したことないです。
確か、9階層にマッサージ店があったような、無かったような…
設定確認しなおそうと思って原作読んでたら5時間たってたでござる