―――黒い。
黒い腕が見える。
足元、影から突き出る様に黒い、影で編まれた腕が伸びており、それが岩石を全て飲み込んでいた。
バックステップで後ろへと跳んでも追従する事はなく、その場で動きを停止する。それを逃さないように黒尾が即座にくろいまなざしで捉え、消えようとする動きを止める。黒い影の腕はそのまま動きを完全に停止させ、サカキもドサイドン、毛一本も動かさず、その場で完全に停止していた。いや、違う。
停止しているのは世界の方だった。それはまるで時が止まっているかのようだった。トキワの森に吹いていた風が停止し、森が揺れたままの状態で停止し、舞い上がった土砂が落下する事無く浮かんでいた。明らかにありえない世界の法則が発生しており、その中で、それを破る様に出現したのは黒い腕だった。それを証明する様に残留した影は伸びる様に形を変え、そして徐々に人の姿を取る。
揺らめく影の様な体、アクセントの白と赤の色のポケモン―――ダークライの姿へと。幻のポケモン、悪夢を象徴するポケモンダークライは出現すると同時に、此方へと視線を向けてきた。
「ナ―――」
言葉を放とうとして、
「だいもんじ」
黒尾の炎で言葉とダークライを上書きした。
「マテ―――」
「だいもんじだいもんじハーブ食ってVジェネほのおのうずだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじ―――」
「スコ―――」
「だいもんじだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじ―――」
「マ―――」
「だいもんじだいもんじだいもんじだいもんじだいもんじ……」
ダークライが何かを話そうと言葉を放つが、それを上書きする様にだいもんじで逃亡阻止の技がはなたれ、一瞬で炎に包まれる。ルール無用、会話なんてしない、レギュレーションだとか知ったことかと言わんばかりのだいもんじの連射が集中爆撃の如く一気にダークライへと降り注ぎ、自然への一切配慮なしで一気に燃え上がらせる。酸素と緑が一気に燃焼されてゆく感覚の中で、それでも足りないと言わんばかりに黒尾にヒメリの実を食わせ、だいもんじを更に追加で三十連発させる。ダークライを包む炎が更に激化し、もはや炎がこちらにまで届いてくる。悪人に人権はない。特に人の頭の中を勝手に見る奴には更に許さない。その気持ちを込めて開幕でだいもんじ祭を開催したわけだが、
十数秒後、炎がゆっくりと消えるのと共にダークライがその中から出現した。
「少シ、待テ」
「うるせぇ。はよ死ねよ」
ボスぶっている奴に限って妙に喋りたがる。だからフライングするのは割と有効な手段なのだが、当のダークライの姿を見る限り、無傷だった。この夢の世界の主である以上、すさまじい力を発揮できるのは覚悟していたが、ここまでだとは計算外だった。流石にこれは手段を択んではいられないな、と判断する。
「よし、攻撃が通じない―――話を聞いてやろうじゃないか、ん? 盛大にヒントを出しやがれ」
「貴様ハ暴君カ」
ダークライのツッコミにあながち間違っていない、と答えるとダークライからため息が返ってくる。その動作、そして今までの経緯で大体ダークライの性格とも言えるものを把握しつつあった。だけど言葉を放たず、一旦心を落ち着かせ、向こうからの言葉を待つ。それを理解したのか、ダークライが腕を振るい、逆再生を行う様にトキワの森を再生して行く。
なぎ倒された木々は元に戻り、大地は再び草地に戻り、そしてボスとドサイドンの姿は消え、俺の傷が癒える。
「家ヘト帰レ。幸セナ夢ヲ見テ眠レ」
「悪いが俺の家はここにはない」
「ジョウト、カ」
ダークライに違う、と答える。
「夢と理想にはない、って話だよ。夢や理想に逃げる思春期はとっくの前に終わっちまったんだよ。俺はもう現実を生きる大人だ。幻想になる事も、幻想を追いかける時も終わり。そりゃあ生きていれば辛い事だってあるさ。責任を投げ出したいときだってある。何も考えず父親のような人に甘えたい願望だってあったさ」
だけど、
「俺はもう大人だ。現実から目をそらしちゃいけない。俺はカントーとジョウトを代表するチャンピオンなんだ。テレビを見て子供たちは俺を見て、ポケモンマスターになりたいって言うんだ。旅をするトレーナーたちは目指すべき頂点に俺の姿を見て道標にするんだ。そしてポケモン協会はどうにもならない時は俺に頼ってなんとかしようとするんだ。俺はその場所に自分で望んで立って、そして今も望んで居続けているんだ。大人は―――夢に逃げちゃいけないんだよ」
結局のところ、それが全てだった。夢におぼれるのは人生から逃げるという事なのだ。それが自分には堪えられない。今まで自分がやってきた事の否定でもある。チャンピオンという座の責任から絶対に逃げない。それは頂点に君臨して自分が決めたことでもあった。帰る場所を作って、結婚して、そしてみんなの目標となる。
そこから逃げちゃ駄目だ。昔がどんなに恋しくても、それは現在を超えて優先させるものじゃない。
「……」
その言葉にダークライは黙る。故に言葉を続ける。
「なんで俺を殺そうとしない」
「殺セト言ワレテイルガ、私ハ、オ前ヲ―――殺ス事ガ出来ナイ」
それは明確なダークライの意志であり、そしてダークライの背後に誰かが命令を下した、という事を証明する言葉でもあった。誰かがダークライに命令を下したのだ、オニキスを殺せと。だがダークライはその命令に逆らってこの夢を生み出して、そこに閉じ込めたのだろう。そこには確かなダークライの想いが感じられた。
「オ前ヲ……尊敬シテイル」
「じゃあここから出せ」
「ソレハ出来ナイ。オ前ハココデ、夢ニ沈ンデイテ欲シイ。ココデナラ、ナンデモ用意出来ル」
「いいや、それはいいからここから出せ」
「ソレハ、出来ナイ」
チ、と舌打ちして唾を吐く。先ほどまではあんなにも口の中が痛かったのに、今ではそんな事は欠片もない。完全に傷が治っていた。折れた歯も既に揃っており、ダークライのこの夢の中でおける干渉力の強さを物語っていた。それはまるで神・アルセウスが世界を創造した、その強さを思わせる様だった。息を吐き、ダークライへと視線を向ける。質問を変えよう。
「じゃあ、質問をさせて貰うけどよ―――なんでこんな事をした」
それが一番気になる事だった。まず理解できるのはダークライ自身に一切の殺意が存在しない事だった。むしろこちらに対して配慮すらしているという事実だった。だが同時にこの世界からは逃がさないという意志も感じられた。それが妙にあべこべだった。此方に対して本当に配慮するのであれば、そもそもこの夢の世界へと誘い込む必要すらなかったのだから。だからダークライが個人の感情を優先してまで命令に逆らっている様に見えるのは少し、歪に感じた。
だから、次の言葉で少しだけ、感情が揺れた。
「
「―――あ゛?」
こちらの聞き返す様な言葉に、ダークライが言葉を繰り返す様に告げて来る。
「コノママオ前ヲ行カセレバ、ソレヲオ前ハ後悔スルダロウ」
「だから俺をここで眠らせて守る、だって……?」
ダークライの頷きを見ながら情報を纏めれば、辻褄は会う。おそらくこのダークライ、あのフーパ使いの手持ちだ。あのフーパ使いは俺を殺して何かをしようとしている。そしてその中で、直接的に俺の干渉を妨げれば問題はなくなるという事から、ダークライは殺す事ではなく眠りに就かせて殺す必要性をなくそうとしているのだろう。それがダークライの個人の感情であり、そして判断だった。まぁ、ダークライの判断は主の言葉を守っていないという事を考えれば褒められるものではないのだろう。だけどそれがダークライ自身の判断と言うのならば、それはまたいいのだろう―――ダークライにとっては。
俺個人の感想としてはたった一つ、
「
キレる以外の選択肢がなかった。殺意が心を満たしてゆくのがハッキリと解る。その様子にダークライが驚くのも見える。
「お前が俺の何を知って、この先の何を知っているのかを知りはしないが―――ふざけるなよ、てめぇ。誰が命を助けてくれと頼んだ。何勝手に憐れんでるんだてめぇ……!」
結局のところ、ダークライの話は一点、
血管に冷水を注ぎ込まれたかのように一気に熱は引いて行き、頭がクリアになる。今までにない程、誰かを、何かを殺したいと思ったのは初めてだった。一方的に弱者を見下す様に憐れむこの存在だけは絶対に生かしてはおけない。その優しさは理解できても、絶対に踏んではならない地雷を踏んだ。故に殺さなくてはならない。理屈とかではなく、感情をここまで昂らせて殺したいと思ったのは初めてだった。義務でも責任でもなく、
こいつは絶対にぶち殺す。その意思だけが血液の様に体を巡っている。
「無駄ダ……ソノ意志ハ解ルガ―――譲ル訳ニハイカナイ」
ダークホール。ダークライのみに許された脅威の催眠技。広範囲を一瞬で眠りの中へと落とし、悪夢へと誘い込むその代名詞。ダークライの何が恐ろしいかと言えば、この技、ダークホールの異常に高い命中率とその範囲の広さになる。街単位を一瞬で夢に落とす事の出来る奥義とも呼べる技、それを逃げ場を残さないようにトキワの森全体を飲み込むように放たれた。無論、避ける事等不可能だ。一瞬でダークホールの闇が全てを飲み込むのが見え、意識が朦朧とするのを感じる。強靭な意志の力で睡魔に対抗し、自身の心臓に負荷をかけてその痛みで抗う。だがここがダークライの領域である以上、抵抗なんてほぼ無意味ともいえる状態だった。
怒りで狂いそうなのに、それに反して体は動かなくなってくる。何もできない。その感覚が何よりも怒りを増幅させていた。
才能―――未来―――進化―――システム―――メタ。
メタ、つまりはこの世界の根本を理解している。どうやって生み出されたのか、どういう法則で世界が回っているのか、それを自分は理解している。だが同時にそれからはみ出た者が多く存在しているという事実も理解している。結局のところ、ただメタ知識というチートとも呼べるものがあっても、生まれ持った才能や資質を超える事は出来ない―――自分にもナチュラルやヒガナの様な、異能の力があれば何とかなったかもしれない。
そこまで考えた所で、あぁ、そうか、と思いつく。
あるじゃないか、すぐそばに、才能と神秘と能力の塊が。人間なんてものを超える圧倒的な力を持った存在が、どんなに鍛えても最終的には勝つ事の出来ない、この世の神秘の象徴であり、当たり前の存在として受け入られている神の創造物が。
そう、ボスは昔こう言った。
未熟だと感じるなら鍛えろ―――足りないと思ったら補え、と。
果たして補うというのはどういう事なのだろうか。育成に特化していると知ってポケモンの育成を勉強して、新しい方法を生み出してもポケモンと出会えなかった。だから災花を手に入れて足りない部分を補い、そして未熟だと感じた指示を今、ホウエンまで来て何とか鍛えている。そう、足りなかったら鍛えればいい、そして持っていないのなら他所から補えばいいのだ。
なぜこうも簡単な事を思いつかなかったのか。
目が閉じる。夢の中で意識が閉じる前に、口を開いた。
「―――食って良し」
直後―――狐の遠吠えが響いた。
憐れむ奴だけはゆるちゃにゃい。ぶちころちゅ。絶対だ。
という訳で次回、vsダークライ。
▷おや、オニキスの様子が……?(進化BGM