ダンジョンに裸で潜るのは間違っているだろうか   作:白桜 いろは

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第六閃 迷宮の策略

「――ッ!!」

 

 鋭い気合を込めて剣を振るう。

 重量のある鉄剣に勢いをつけて横薙ぎに繰り出す。ウォーシャドウはそれを左の爪で難なく受け止める。ギシリと間で何かが軋んだ音がする。

 俺の剣は一振りしかなく、それも片腕で振り回せるものではない。対して奴の腕は二本。右の爪が空っぽの俺の胴へと振り抜かれた。

 咄嗟に左腕を強引にはじき飛ばし、返す手で右腕をも打ち払う。

 立場が逆転し、相手の胴が無防備な状態となる。

 俺はそこに、勢いをそのままにショルダータックルをたたき込んだ。

 

『……!!』

 

 直撃を受けた相手の体がいくらか後退する。

 俺はそのまま距離を詰め、相手の方に袈裟切りの一撃を浴びせに掛かった。

 しかし奴も反撃と言わんばかりに再度右腕を伸ばしてこちらの首を狙ってくる。三本の黒爪が壁の灯火を受けてギラリと光る。それを回避しつつ、更に相手に肉薄。

 胴に存在するであろう魔石ごと叩き斬ろうと、上段に構えた剣を一息に振り下ろす。が、奴はまだ一本の腕を残していた。恐るべき正確さでそれを閃かせ、俺の剣の機動が僅かに反らされる。

 残念ながら俺は胴の中心を斬り裂くことが叶わず、相手の左腕の付け根に切れ目を入れるだけに終わってしまった。この相手の剣を見てから合わせることの出来るカウンターは、ウォーシャドウの攻撃の中でも注意すべき所だろう。

 余りに勢いを乗せすぎたせいか、振り下ろした剣の切っ先が地面に食い込む。それは恐るべき速度を持つコイツに対しては大きな隙を見せることに等しい。

 反撃とばかりに今度は奴の二腕が振るわれ、こちらの隙を容赦なく抉ってくる。

 首や手元と言った対処の難しい所に次から次へと迫る、斬撃の嵐。俺はそれを瞬間的な脊髄反射で時に回避し、時に叩き落として何とか防いでいく。

 それでも一度勢いに乗った相手の怒濤の連撃は簡単に止まることはなく、徐々に俺の手数を圧倒し始めてくる。防ぎきれないいくつかの斬撃が少しずつ俺の衣服と薄皮を斬り裂き始める。

 相手は最初の場所を動いていないというのに、圧倒的な射的距離と連続攻撃を誇る腕の勢いに押されて俺は一歩、また一歩と後退していく。

 せっかく詰めたはずの間隔が、再度相手に取って有利な距離へと広げられていく。

 徐々に防ぎきれなくなった斬撃が、大きく俺の体を抉りに掛かってくる。骨までは届かないものの、浅いとは癒えない傷が俺の脚や胴に刻まれる。

 ――強い。

 一度隙を見せただけでここまで圧倒されることになるとは。

 

「……ハァッ!!」

 

 強引に相手のターンを終わらせようと、迫ってきた左腕の切り上げを一際大きく払い飛ばし、次に襲いかかってきた右腕に対し踏み込む。相手の爪の攻撃範囲の更に一歩奥へと入り、その手首の部分の攻撃を左腰に受ける。

 骨が軋むような音を受けつつも何とかそれを耐え、精神力で無理矢理動かして前へと進む。そこで俺は、自身の背後にまで伸びた腕に狙いを定める。ピンと伸びたその腕は引き戻すまでに僅かな隙がある。そこを目掛けて剣を振るい――。

 

「ウラアアアッ!」

 

 その腕に直撃を喰らわせた。もちろん爪ほどの硬度があるわけもなくすんなりと刃は通り、相手の右腕を肘の上から斬り落とした。

 

『……!』

 

 腕を失った事に僅かな反応を見せるウォーシャドウだが、俺の反撃はそこでは終わらない。振り下ろした鉄剣をそのまま捨てるように地面に突き立て、相手本体へと迫る。

 非常に重い鉄剣を手放した俺の体は、先ほどまでとは段違いの速度を手に入れる。

 そして相手は突然速くなった俺に為す術無く、再度目の前まで近づかれてしまった。

 そこで俺は、自身の胸元を左手で探る。

 そこにあるのは、俺にとって長年の相棒であるコボルトナイフ。お守り程度に過ぎないにしても、切れ味は誰よりも俺が知っている。

 それを引き抜き、今度こそ完全にがら空きとなった相手の胸元を見据えたところで――奴は無事だったもう片方の手を瞬時に引き戻し、大きく振りかぶった。

 しかしそれを避けていては、この好機が生かせない。

 

「仕方ねぇ……よなぁっ!!」

 

 ――ザシュッ!

 俺の胸を、三本の爪が斬り裂いた。同時に気を失うような激痛が走る。けれどもそれは来ると分かっていて受けたものだ。歯を食い縛って一瞬耐えれば、すぐに意識の彼方へと消えていく。

 自らの傷のことを顧みず、そこで左手に握ったナイフを一閃。

 

「ッ!!」

 

 驚くべきほど素直に入った斬撃は、相手の胸を横一文字に通り抜けた。

 

『……――!!』

 

 声にならない悲鳴を上げ、ウォーシャドウの動きが止まる。一瞬遅れてその胸元に一筋の線が走り、奥の方に紫の光がちらりと見えた。

 刹那、その光の源が儚く崩れ去り――モンスターの体も一歩遅れて、黒い粒子となって爆散した。

 それらが儚く迷宮内の空気に溶けていく様子を見つつ、俺は急に糸の切れた人形のように力が抜けた。どっかりと地面に尻餅をつき、切れた戦闘の意識と共に戻ってきた激痛に顔を顰める。

 

「痛ぇな、畜生……。だがまあ、確かに相手としては申し分なかったなぁ。手応えもあったし、あれなら斬り応えが有る」

 

 そう呟きつつ、俺は自身の負った傷を把握しに掛かる。

 目を落とせばかなり痛々しい現状が広がっており、まず全体的に裂傷が走っている。恐らくあの猛攻の際に回避できなかったものだろう。骨までは達していないものの、決して浅いとは言えない傷ばかりだ。そのお陰でもはや上半身のシャツは原型を留めていない。しかしそれでも、最後に受けた一撃の痕跡よりかはマシである。

 ざっくりと抉れた胸元からは肉が剥き出しになっており、そこから怪我の深さを表すかのようにドクドクと血が流れ出ている。

 

「……とりあえず回復するか。それにこのシャツももう使い物にならないだろうし、っと」

 

 もはや血を吸ってボロ雑巾と成り果てたシャツを脱いで、ポーチの回復薬を取りだし、栓を開けて胸元の傷に直接振りかける。低級なので完全には戻らないまでも、止血くらいは期待できるだろう。他の所は、血止め用にシャツの残骸を引き裂いた布で縛っていく。

 やがて応急手当を済ませたところで、俺は近くに投げ捨てたままだった剣を拾いに立ち上がる。しかし思ったより脚に力が入らない。先ほどの戦闘中で精神力・体力共にかなり使ってしまっていたのか、体は歩くことだけで精一杯らしい。

 それを示すかのように、先ほどまでは軽く振るえていた剣も、改めて本来の重さがズッシリと腕にのし掛かってくる。

 

「……さて、と。戦闘不足の不満も十分晴らしたところだ。傷薬もないし、そろそろ地上に戻りたい所――なんだけどなぁ」

 

 俺は腕が上げる悲鳴を押し殺し、背後から迫る気配へと体を反転させる。

 路の奥に浮かび上がるのは、二つの鈍く光る陰。近づいて来るにつれ、その真っ黒な全身が露わになってくる。その正体は、新手のウォーシャドウ。先ほど消滅したものと全く同じ顔面の金属部分が迷宮内の光を受け、不規則に輝いている。

 

「迷宮はそう都合良く行くようには出来てない、ってか」

 

 相手はこちらに近づく足取りをそのままに両手の爪をゆっくりと持ち上げる。どうやら戦う意志は十分らしい。

 速さは向こうの方が僅かに上。かつその腕は伸縮自在と来ているものだから、逃げようにも逃げられない。更に付け加えるなら、記憶を辿れば奴らの先に五階層へと戻る階段があったハズだ。

 差し詰めこれは俺が地上に戻るには避けられない戦闘、と言った所か。

 普段の状態でようやく打倒し得る相手、それが今度は二体。

 それを満身創痍かつ疲労困憊な状態で討つ。

 常識的に考えれば、絶望的な状況でしかない。

 それでも自然と、俺の口の端は上がっていた。剣を握った手の甲で額から垂れてきていた血を拭い、戦意の篭もった瞳で奴らを見据える。

 

「――良いぜ、やってやろうじゃねぇか」

 

 その一言で、自身の体を戦闘用へと再度切り替える。体に負ったダメージを無視し、全身を使い潰す勢いで気合を入れる。

 こちらが侮っている内は何もせず、危機に陥ったときに真価を見せる。そんな言い伝えなんて知った事かと、俺は目に見えぬ地下迷宮の意志を嘲笑する。

 ――そもそもこんな状況くらい、切り抜けてこその“剣”だろう?

 俺は、剣を見たい。

 持ち主と共に幾多の危機を、戦場を乗り越えた先にあるあの輝きが欲しい。

 そして今、この瞬間にその乗り越えるべき危機(好機)はある。

 ならばそれに一歩を踏み出せ。

 己の命さえも賭けて、剣を磨け。

 そう覚悟を決めた途端、ふいに背中が熱を帯びた。その灼熱のエネルギーが神経を通し、ゆっくりと全身に染み渡っていく。それと同時に、普段より力が漲っていくのが感じられる。

 それはまるで、ボロボロの鈍刀(なまくら)を焼き直し、鍛え直していくかのようで。

 ――熱を持ったその体は、いつもより鋭く剣を振れる予感がして。

 獰猛な笑みを浮かべながら、俺は目の前の脅威へ向けて斬り掛かるのだった。

 

 ■

 

 太陽も沈みかけ、空が赤く染まり始めた頃。“豊穣の女主人”前では、一人の女性がカタナの帰りを待って通りをぶらついていた。

 彼の所属するファミリアの主神、アフロディーテである。

 知り合いの口利きを元に現在の所持金で賄える寝床を手に入れた彼女は、自身の眷属である彼と落ち合う約束の場所へ来ていたのだった。

 ――ちょっとばかり多めに使っちゃったけど、別に構わないわよね。

 正確にはちょっとではなくほとんど全部なのだが、まぁ晩ご飯には困らない分のお金は残してあるのだし、彼も笑って許容してくれるだろう。

 少しばかり暗いところではあるが、住めば都という言葉もある。探索を終えて疲れた体を癒すのに十分な広さもあるし、彼も恐らく気に入ってくれるはずだとアフロディーテは意図せず笑みを浮かべる。

 あぁ、あそこ(・・・)に戻った時の彼の反応が楽しみだ。

 そんなことを考えながら彼女は今か今かとカタナが姿を見せるのを待っていた。

 

「多分、そろそろだと思うのだけれど……。まだかしら、カタナ君」

 

 男女を問わず魅了するその女神の顔に、通りすがる人々がちらちらと目を向ける。やがて意図せず、ここの通りの人々の影が数を増やしていく。彼らは誰もが一見普通に話しているようで、時折彼女の方へと目を向けては顔を赤くさせている。

 しかし当の本人であるアフロディーテはそんな視線を一切感知しない。

 そもそも天界にいた時も、数々の男神が言い寄ってきたのだ。全知の存在足る神でさえそうなのだから、下界の人々がこちらに惹かれるのも自然の摂理だろう、と。

 そんな風に“豊穣の女主人”前が徐々に賑わいを見せてきた頃――突然、ざわっと空気が変わり、彼女は人々の目が自身から離れていくのを感じた。

 彼らはどうやら何かを見つけたらしい。ざわざわと騒ぎながら、次々と近くでグループを作りながら、そちらへ話題を移していく。

 

「おい、誰だよあれ……」

「さぁな。変にしくじった冒険者だろうが、あんな奴は見たことねぇぞ……」

「というかフラフラになってないか、アイツ。なんか凄ぇ傷だらけだし、よく立って歩けてるよな……」

 

 そんな声に何となく嫌な予感を受け、彼女は人々の意識の集まっている方へと顔を向けた。

 刹那、余りのその姿に驚きの声を上げてしまった。

 彼女の視界に入ったのは別れたときとかなり様子が違っているが、それでも分かる。

 人々の話題の中心となっていたのは他でもない、待ち人だったカタナ、その人だったのだから。

 

「――か、カタナ君!?」

 

 思わずその名を呼びながら、アフロディーテは彼の下へと駆け寄る。

 近づいて彼の全身の様子を調べてみると、彼女はその余りの惨状につい顔を顰めてしまう。

 シャツは使い物にならなくなってしまったのか、裸になった上半身には乾いた血が至る所にこびり付いている。加えて全身に酷い裂傷を負っており、足取りもどこかおぼつかない様子だ。

 そんな彼は近づいてきた彼女の存在に気付くと、その外見とは到底似付かない気楽そうな雰囲気で彼女に声を掛けた。

 

「よぅ、主神さん。待ったか?」

 

 その余りに日常的な挨拶にアフロディーテは一瞬度肝を抜かれる。

 しかし彼女はすぐに気を取り直してカタナに向かって口を開いた。

 

「――っ!!待ったか、じゃないわよ!それよりこれは一体どうしたの!?全身は傷だらけだし、見るからに重傷なのだけれど!」

「あー、ちょっとばかり読みが外れたせいで手ひどい反撃を喰らったんでな。まぁ、どうって事は……」

 

 言い切らないうちに、アフロディーテは自身の手が汚れるのも構わず彼の手首を手に取った。

 先ほどまで周囲の目を惹いていた美人と、たった今衆目を集めていた重傷男。その二人の組み合わせに人々が勝手に噂話を始めていくが、そんな物は意に介せずといった様子で彼女はカタナを、裏路地の方へと引っ張っていった。

 

「ちょ、一体何処へ行くんだよ。そっちは豊穣の女主人とは方向が違うぜ?」

「君がそんな体なのに悠長に食事なんかしてられる場合じゃないでしょう!」

 

 ぷんすかと怒る彼女に、なぜだか分からないと言った様子で首を傾げたカタナ。

 そんな彼に尚更苛立ちを募らせながら、彼女はオラリオの裏路地へと進んでいく。

 いくつかの路地をくぐり抜け、陰に満たされた場所を過ぎていき、やがてその足はある一軒家(・・・)で止まった。

 

「……ここは?」

「もう、疑問は良いからさっさと中に入って!」

 

 彼女は鍵の掛かっていた古いドアをガチャガチャと美の神に相応しくない様子で乱暴に開け、その中に彼を押し込んだ後、音を立てるようにして閉め直した。

 家の中に入ったカタナは、その中をぐるりと見渡した。そこは大きいとは言えないまでの、それなりの広さがあるところだった。最低限いくつかの部屋に別れているらしく、その中の一つに彼は強制的に入れられる。

 その部屋の中には二つのベッドが並べてあり、その内一つにアフロディーテは彼を無理矢理押し込んだ。訳が分からないと言った様子で彼女の顔を見るカタナ。しかし彼女は何も答えない。

 目で一切の問いかけを許さず、有無を言わせない口調で告げる。

 

「とりあえず一旦寝なさい、話はそれからよ」

「え、でも、飯は……」

「寝て休憩を取ってから、でも遅くはないでしょう?その間に血は落としておいてあげるから。ほら、早く寝てしまいなさい!」

 

 アフロディーテはカタナを強引に寝かしつけ、その細指で目を閉じさせる。

 するとものの数秒も立たないうちに、規則的な寝息が聞こえてくるようになった。

 その様子を見て、彼女はようやく落ち着いた素振りを見せる。

 

「一体なんなのよ、もう……」

 

 血塗れでなお元気そうにする彼と、そこに至るまでの軌跡。

 ――聞きたいことはたくさんあるのだけれど、とりあえずは治療が最優先でしょうね。

 後で全てを説明して貰うわよ、と心の中で呟きながら、彼女は血を拭き取るためのお湯を沸かしに掛かるのだった。

 

 ■

 

 ――目が覚めた時には、窓から見える景色は既に真っ暗になっていた。

 ……俺は一体、どれだけの間眠っていたのだろうか。

 

「あら、起きたのかしら」

 

 主神の声が腰の辺りから聞こえたので、そちらに首を動かす。彼女は俺の寝ているベッドの横にあった椅子に腰掛けていた。

 何とか体を起こそうとするが――途端、節々に痛みが走り、つい顔を引き攣らせてしまう。

 そんな俺の様子を見て、彼女は優しく笑いながら囁いた。

 

「別に無理しなくて良いから、そのままもう少し寝てなさい。貴方、歩けるのが不思議なくらい重傷だったのよ?」

「――いや、大丈夫だ」

 

 俺は痛む体に無理矢理力を入れ、上半身を起こす。確かに痛いことは痛いが、今のは寝起きで油断していたせいだ。歯を少し食い縛ればなんて事は無い。

 ついで体を見ると、血だらけだったはずの体は清潔に拭かれており、全身に回復薬を浸した布を挟んで包帯が巻かれてあった。どうやら寝ている間に彼女が体の治療を済ませておいてくれたらしい。

 意地を張って起き上がった俺に彼女は嘆息した素振りを見せる。

 

「無茶するわね……まあ良いわ。それで、どうかしら?ご飯は食べられそう?」

「……ああ」

「じゃあ今から準備するから、少し待ってて頂戴」

 

 そう言って奥の方へ消えて行こうする彼女の手を無理矢理動かした手で掴み、この場に引き留める。

 

「いや、昼に言った通り“豊穣の女主人”に行こうぜ。体ならもう少しすれば慣れるし、日常動作くらいなら問題は無いだろ」

「問題無いって……さっき顔を歪ませてたじゃないの」

「あれは単に起き抜けだったせいだよ、っと」

 

 体を横へ動かし、足を下ろして地面につける。

 腰に力を入れ、ふくらはぎにピキピキと響く痛みが走るのを我慢しつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 そんな俺の様子に彼女は溜息を付いて、こちらの胸元をその人差し指で軽くつついた。

 途端、雷に打たれたかのような衝撃が走り――

 

「――ッ!!」

「涙目になってるじゃない」

「突然一番酷い所に下手に触るからだろうが!ったく、そう言う所に注意しておけば動くくらい問題無いんだよ!」

 

 ついでに叫んだせいで、更に胸の傷がじくじくと痛む。

 なんでよりにも寄って一番大きな傷の所をつついてくれるのか。

 息を切らし、額から脂汗を流す俺に、彼女は呆れた様子で呟く。

 

「……はぁ、良いわ。それじゃ、もう少しして落ち着いてから行くとしましょうか。言っても聞かなそうだしね」

 

 その前に、と彼女は再度ベッドに腰掛けた俺に問いかける。

 

「聞いておきたいのだけれど、この怪我の原因は何?」

「六層で会ったウォーシャドウの奴だが?思ったより強かったなぁ、アイツ」

「……そこまで強かったの?」

「ああ。上層でも危険視されるだけのことはあるぜ。結構手応えがあったな。そういえば、悪いが魔石は回収してきてないぞ?そこまでの余裕がなかったんでな、それを砕くしかなかった」

「貴方が生きて帰ってきてくれるのならそれで構わないわよ。で、単にそれだけじゃないんでしょう?」

「分かるのか?」

「なんとなく、だけれどね」

「勘が鋭すぎるだろ……。ええっと、実は何とか一体倒した後にもう何匹かと交戦したんだよ。ちょっと待ってろ、今数えるから」

 

 記憶を辿り、六層で戦ったモンスターの数を数えていく。

 最初に戦ったヤツの次に二体、その後更に倒した数を数えると――。

 

「計五体、って所か?最初に一体、次に二体、後一体ずつ。五層へ戻ろうとしたら一気に湧いてきたからな、逃げようにも逃げれないし戦ってきた」

「……さっきの話なんだけれど、ウォーシャドウ一体で余裕が無かったのよね?」

「ああ。傷だってほとんどアイツに付けられたヤツだし」

「で、仕方がないからと計五体もの危険モンスターを相手にした挙げ句、こんなボロボロになって帰ってきたってこと?」

「そうなるな」

 

 俺の返事に、彼女は額に手を当てる。

 

「……生粋の馬鹿ここに極まれり、ね。貴方、言っておくけれど、それって普通に重傷の部類に入るわよ。確か回復薬は一本しか持って無かったはずだし、一体目でそれも使い切ってたんでしょう?その状態で戦うなんて、ホント良く生き残って帰れたわね」

 

 彼女はどこからか手鏡を取りだし、俺に自身の傷を確認させていく。

 

「まずは顔。頬に三本の傷が斜めに走ってて、ほったらかしにしてあったせいで垂れた血がそのままになっていたわ。続いて上半身。ここを出て行くときに来ていたシャツが失われてて、その代わりに見える素肌には幾つもの裂傷が存在し、それを低級回復薬で血止めしただけの無茶苦茶な止血が行われた形跡があったわ。そして最後には下半身。ここが一番見える傷が少なかったけれど、所々が切断されてズボンが紅く染まるほどの出血があった……。それで戦って死なないなんて、目の前の実例がない限り信じられないわよ」

「ここに実例が生きてるけどな」

「実は死んだのを忘れてるだけの幽霊だったりしてね。まだソッチの方が信じられるわ。――あのね、傷って言うのは単に血が止まればいいってもんじゃないのよ。分かる?それも貴方の場合、その後に激しく動いたせいで更に酷い事になってるのよ」

 

 そう言いながら彼女は更に、机の上に並べてあった瓶を指さす。

 それらは回復薬だったのだろうが、その中身は全て空っぽになっている。

 

「あれだけ使って、ようやく処置が終わったほどなのよ。もう少しその事実を深く受け止めなさい」

「……分かったよ」

「低級だから直ぐに治る訳ではないし、数日すれば大体回復するでしょうね。けれどもそれまで迷宮探索は禁止よ」

「いや俺は余裕だって……」

 

 反論しようとした俺に、じろりと彼女は睨みを効かせる。

 そして傍らに立てかけてあった剣を指さすと、

 

「神の言うことに従わないなら、この剣売ってくるわよ」

 

 などと言ってくれた。

 確かに怪我はしているものの、一日寝ればそれなりに回復するだろうし、第四層くらいまでなら大した事故も起きないだろう。そう思っての発言だったのだが、彼女はそんな俺の考えをバッサリと切り捨てる。

 

「じゃないと次こそは死んじゃうわよ。例え貴方が雑魚呼ばわりしている第一層のコボルトが相手だろうと、下手を打てば殺されてしまうわ。迷宮はそんな状態で潜って良い場所じゃないの。おわかりかしら、カタナ・アルマドゥーエ君?」

 

 是非を言わさぬ彼女の忠告は、こちらに一切の反論を許さないような真剣味を帯びていた。

 ――戦闘経験は俺の方が上だろうが、オラリオにいた時間は彼女の方が長い。その分、俺も知らないようなダンジョンの恐ろしさを知っているのかもしれない。だからこその忠告、なのだろうか。

 そんな彼女の言葉に、俺はしぶしぶながらも納得することにした。

 

「……分かったよ。んじゃ、明日くらいは養生に努めることにする。それで良いか?」

「よろしい。言うことを素直に聞いてくれて嬉しいわ」

「剣を売られたら堪ったもんじゃないからな。あくまで剣を大事にしてのことだぜ」

「それでもちゃんと聞いてくれたじゃない。信心深い子供には見返りも大きいわよ?」

「はいはい、アフロディーテ様万歳万歳。というわけで恩恵寄越せ」

「欲に塗れ過ぎよ、お馬鹿さん」

 

 ぺし、と窘めるように彼女は俺の頭を叩いた。

 

「けど、それくらいの軽口を叩けるならもう十分でしょうね。それじゃあ、もうお腹の虫も鳴き始める頃でしょうし、出ましょうか」

「んじゃ、よっこらせっと」

 

 先ほどより幾分か力の入るようになった体で、俺は立ち上がる。

 そこで気が付いたのだが、そう言えば服がない。シャツは破り捨ててしまったし、ズボンももう役に立たないほど血塗れになっていたはずだ。

 

「ああ、ちなみに新しい服はそこよ。キチンと買ってきておいて上げたわ」

 

 ベッドの脇に置かれていた服は、俺が着てきたものとほとんど似たものだった。

 それに身を通し、財布を持って俺達は夜のオラリオへと出るのだった。

 

 

 




感想等々、よろしくお願いします。

次回はようやく原作キャラがちらほらと出せるかと思います。
それによって時系列もある程度察して頂けるようになるかと。

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