ダンジョンに裸で潜るのは間違っているだろうか 作:白桜 いろは
――さて、これからどうしようか。
俺はそんなことを考えながら、空に上がった月を見上げ、狭い路地の一角に背を預けて座り込んでいた。
現在の装備品は長旅ですり切れたコート一枚、上下の布服、そしてお守り代わりのコボルトナイフ。そして……鞘代わりにボロ布を巻き付けてある一振りの長剣。それだけだ。村を出たときに背負っていたリュック等の他の物は、全て売り払ってしまった。この一振りを手に入れる、そのためだけに。
そう。今俺の所持しているロングソードは、村を出るときには持っていなかったもの。 つい最近、というか本日、オラリオに到達してすぐに手に入れたものだ。鍛冶師の眷属、へファイストス・ファミリアに並べてあった剣の一振り。
……さて。
もう誰だって分かるだろう。どうして俺がこんな、野宿の真似をする羽目になってしまっているのかを。
■
オラリオに来て真っ先に俺が向かったのは鍛冶師の眷属の経営する武具店。そこで俺は真っ先に自身の得物であるロングソードの列へ行き、どれが自身に合いそうなものかを調べるために色々見て回っていたのだが――そこで俺は、大失敗を犯したのだ。
そう、武器――ことに剣に関しては一切の妥協を許さない、武器中毒的な一面が。
当時の俺の所持金は一万二千ヴァリス。
オラリオで出来る限り良質の武器を買うために、貰った餞別を何とか節約しようとした結果がコレだ。
旅すがら出てくるモンスターを見つけ次第ひたすら狩りまくり、時には巣を丸々潰したりして稼いだ結果、プラス二千ヴァリスとなった。……ホントはもっと稼いだのだが、実は働きの分多飯喰らいの面もあるので、結果これくらいしか残らなかったのだ。
とにかく、一万ヴァリスもあれば最低限の装備を揃えるくらいなら問題ない分の金になる。別に鎧が無くともモンスターの一、二体なら問題は無いし、それなりの剣なら買えないこともない。
しかし俺は思ったわけだ――“このお金は
もちろん単に武器の為だけに残しておいたわけではない。衣食住の必要性だって分かっいる……分かっていた、のだけれども。それでも、店に入った瞬間。
そこに並べてあった武具の数々を見たら、そんなことは頭の中から吹っ飛んで行ってしまった。
言わずもがな、俺が望む剣とは安売りのものでは到底足りるものではない。そんなものでは自分で鍛え上げる前にぽっきりと折れてしまう可能性だって高いし、そもそも長く使い続けることすらできない。故にそれなりの得物が必要なのだ。
本来ならばこの店を出た後に宿屋探し等のためにお金を残しておかねばならない。ファミリアの神様だって、見た目がオンボロである人間を囲い込んだりはしてくれないだろう。
だがしかし――しかし、だ。
そんな神様だとか明日の安眠なんかのために、目の前に見つけた
正直、この時俺が偶然見つけた剣は、かなり良さそうな部類に入っていた。
名剣か駄剣かは大体直感で分かる。これでも村に冒険者が来たときには散々彼らの得物を見てきたのだ。優れた冒険者とそうでない冒険者の剣は、何となくだが
眼の前の此奴は、今まで見た中でも五指に入る一振りだった。
ヘファイストス・ファミリアの新米が作成した安売りのハズだが、それでもコレは絶対に違うと分かる。一寸の歪みもない澄んだ鋼の色。流水のように滑らかな縁のライン。特に金銀で飾られているというわけでもなく、
説明によると切っ先から柄までが一つの金属を圧縮して作ってあるようで、刀身と柄の継ぎ目も見えない。その全てが、純粋な一つの金属。
本来ならば軽く十万は行きそうなそのお値段はなんと、一万五千ヴァリス。
多分、ここの売り場を担当した馬鹿が値札を間違えたのだろう。そうでなきゃ、バーゲンに並んでいるような一品ではない。
そんな剣と、今後しばらくの生活費。天秤に掛けることもない。
……選ぶものは、既に決まっている。
俺は足りない三千ヴァリスを持っていた荷物の中身を売り払うことで賄い、その剣を手にするのだった。
■
結果、今の俺は無一文と言うことでオラリオの寂れた路地裏を今夜の寝床にするしかない現状だ。
頭上の銀に輝く月は、そんな俺を嘲笑うかのように鬱陶しくなるほど、明るく光を放っている。……そんな馬鹿な考えに至ったのは、腹が減ったせいか。
ぐーぎゅるるる、と腹の中から音が鳴る。お金がないので夕飯は食べられなかったのだ。
一応、金を稼ぐために早速迷宮へ潜ろうとしたのだが、それには冒険者の資格が必要だと一蹴されてしまったのだった。それも、どこかの
『つーか、神が下界に降りてきていない時代には
『よくはありません、規則ですので』
『ってもなぁ、別に俺の一人で一層のコボルトくらいなら余裕で殺せるって。実際そこらのモンスターだって普通に
『それでも規則は規則です』
『どうしてもダメなのか?』
『はい。まずは主神を探すことから始めてみて下さい』
どうしても規則が盾となって俺の邪魔をする。
しかし、今になって思うのだが……こんなどこの馬の骨とも知れぬ風来坊チックな姿の俺を受け入れてくれるファミリアが有るのだろうかねぇ。いくら恩恵が必要だと言っても、その取得自体に難がある気がする。
「……まずはバイトでもして、軍資金を貯めなきゃならんのか」
ファミリアを訪ねる前に、最低限の身なりは整えなければならないだろう。しかし無一文の身ではそんなことは出来やしない。
数時間前の俺に出会うことが出来たなら、先に服装を整えてからにしろ馬鹿野郎。そう言っておきたいぜ、全く。……それでも結果は変わらないような気もするが。
「はぁ……にしても、バイトの面接だって今の時間からじゃ無理だろうしなぁ。とりあえず今日は、この辺りで野宿するしかないか」
仕方無く、俺はコートを再度深く羽織り直す。
明日になったら臨時のバイトを探しに飲食店を訊ね歩くとしよう。
それでもどうしようもなかったら、そのときはその時だ。オラリオの外でモンスターを狩ってくるしかない。この都市には有力者が多いこともあって周辺にモンスターは少ないが、遠出して巣の一つ二つ潰せばそれなりの身なりを整えることが出来るだろう。
「んじゃ、お休みなさいっと……」
俺はゆっくりと眼を閉じ、意識を闇の中へと手放していく。
――が。
「あら、見たことのない顔ね。こんな所でどうしたのかしら?」
そんな俺の前に、一人の女性が手を差し伸べたのだった。
■
突然現れた女性。名は不明だが、まぁ言ってしまえば彼女は恐ろしいほどに“美人”だった。
まるで美の概念の集大成であると言えば良いのか。言うなれば、恐らく神話級――それこそ、鍛冶神ヘファイストスが作成し、武勇に誉れのある英雄が使用した武器くらいと言っても良いのかもしれない。本物は見たことはないけれども、あるとすればそれくらいしか例えようがない。
とにかくそんな彼女に誘われて、俺はオラリオにあるとある一つの豪邸へと招待されることになった。
理由を尋ねてみれば、ただ何となく気になったからだとか。
正直不自然すぎて俺を嵌めようとしているのかとでも思ったのだが、現状腹が減りすぎていた俺には選択肢は残されていなかった。
「ここはアフロディーテ・ファミリアの本拠地なのよ」
「へぇー、そうなんですか……ぐまぐま」
随分と立派な内装が施してある屋敷。その大広間にて、俺は彼女の作った大量の料理を平らげていた。
彼女には無一文で何も返せるものは無いと言ったのだが、それでも何故か彼女は今日の食事を奢ってくれるどころか、泊めてもくれるらしい。……不自然を通り越して不気味でもあるのだが、出された飯が余りに美味そうなので俺は早速それに齧り付いてしまっていた。
……ホント馬鹿だよなぁ、俺。
俺は自分の馬鹿らしさを改めて感じながら、左手でスパゲッティー、右手で骨付き肉を囓りつつ、ファミリアの本拠地であるこの場所を見渡してみる。
「でも、見たところ眷属っぽい人間はどこにもいないんですけど。しかもなんか閑散としてますし」
「まぁ、ここに移り住んできたばかりだから。今はまだみんな、前の方の本拠地で過ごしているのよ。今は未だ雑貨を運んだりしている最中なのね。おかげで今は主神である私以外、誰もいないの」
……今、主神って聞こえたのだが、気のせいだろうか。
主神。ファミリアの中心核を担うもので、下界から降りてきて人間に恩恵を与える、存在として上位に位置する者たち。
「主、神……?」
「ええ、そうよ。
「へぇ、なるほど。道理で美人に見えますね」
「もちろんじゃない……で?」
聞き慣れたかのように彼女は俺の褒め言葉を聞き流す。
「で、それだけなの?」
「え、何がです?――お、この鶏肉上手ぇな、ぐまぐま」
「そんな在り来たりの言葉だけじゃなくて、せっかくこの私という美の女神に出会ったというのに、他に言葉はないの?」
「んじゃ、そうですね……路頭に迷ってる身元不明の人間を自身のファミリアの本拠地に誘うなんて頭大丈夫なんですかカミサマ」
「言うことにかいてそれ!?」
今度は彼女は食事の手を止めて、驚愕の顔を浮かべてこちらを見てきた。
「あ、いや、すみません。それくらいしか思い浮かばなかったもので」
「なんでこの私の美しさを前にしてそんなことしか言えないの!?もっと他に、言うことが、あるんじゃ、ないの!?」
そういって彼女はわざとらしげに、その髪や胸を強調して揺らしながら迫ってくる。
とは言っても、確かに彼女は美しい存在ではあるのだが、俺からしてみたら喋る彫刻くらいにしか価値はないのだ。武器の審美眼には自信があっても、その他の芸術品に関する眼は正直一般人の欠片ほどもない。
一流の芸術を一般人が見たところで、特に何も感じないのだ。それに劣る人間が単なる美術品を見たところでどうしようもないだろう。
それでも彼女は他の言葉をお求めらしい。仕方無く、少しの間だけフォークを休めて頭を散々悩ませ――俺は、結論を出す。
「……他に何かありますかね?」
「はぁ!?あるに決まってるじゃないの!“さすがは美の女神様ですね、貴方の前ではどのような神でさえも傅くでしょう”とか!」
その他にも彼女は色々と、自らを褒め称えるような言葉を泉のようにわき出させてくる。
しかし俺はそんな口だけの出任せみたいなものを言えるような軟派野郎ほど語彙が多い訳でもない。というか、こんなどう見ても自意識過剰系な女神様にそんな事を言えるわけもないし――。
「――訳が分かりませんね、馬鹿じゃないんですか?」
つい、そんな一言を口に出してしまった。
「馬鹿ぁ!?馬鹿ですって!?」
「あー、分かりましたよ……褒めれば良いんでしょう、褒めれば。“ハイハイ、サスガハ美ノ女神サマ。オ美シイデスネ(笑)”」
「笑うんじゃないわよ!仮にも神に対してよくもそんな口を効けるわね!」
仮にも、って自分で言ってるくせに。俺はそう心の中で溜息をつきながら、近くにあった次の大皿に手を付ける。
「そんな口を叩いてまで、どうしてそう食べられるのかしら……」
ぜぇー、ぜぇー、と彼女は息を切らして呆れたような眼で俺を見る。
そんな彼女を見て、俺は一言呟いた。
「……楽しそうですね、神様」
「これのどこが楽しく見えるのか分からないわよ!?……ま、もうどうでもいいわ。貴方にはこれ以上言っても何にもならなさそうだし。――それよりも貴方って、見たところ冒険者希望の新人さんなんでしょう?」
「そうですけど」
「でも先ほどの様子を見る限り、金欠なのよね?」
「まぁ、はい。ですので明日から一旦バイトでもして最低限の生活費を確保しようかと」
「うんうん、それはごもっともだわ。ところで新人さん、貴方自身の腕に自信は有るかしら?」
いきなり何を聞いてくるのかと思えば、彼女はそんな事を口にした。
「ありますけど。これでもここに来る前は、野生のモンスターを狩るのが主な仕事でしたから。コボルトとかくらいなら余裕でイケますね」
「なるほど……一応聞くけれど、
「ええ。正直寂れた村なんで、ファミリアとかに関わった覚えは無いです」
「ふぅん……恩恵なしでモンスターを狩れる少年ね――良し。だったら貴方、私のファミリアに入らない?」
今度は突然、勧誘の一言を切り出して来る。
……なんでこんな見知らぬ他人を勧誘できるのやら。何が狙いなのか。さっぱり分からない。
「話を聞いたところ、それなりに有望そうだし。それより貴方みたいに私に興味が無いっていう人間は初めてで何か苛立つし、こんな人間を放っておくのもアレだから。もちろん、貴方さえ良ければだけど」
そうして彼女は席を立ったかと思うと、俺のそばへと歩いてきてその魅力的な肢体をこちらに寄りかからせてくる。
「……ねぇ、良いわ――」
「ああ、別に良いですよ」
「そこで全部聞かずに即答!?」
彼女は驚愕の声を上げて変なポーズを取る。……そこまで驚くべき所だったろうか。
「いやまぁ、別に神様にこだわってるわけではないんで。誰から受け取っても変わりはないんでしょう?俺は迷宮に潜れればそれで良いので」
そんな俺の言葉を聞いて、彼女はまさか、と顔を歪めた。
「……もしかして、私の美貌に興味をもったり、とかじゃ……」
「ないですね」
俺がそうバッサリと切り捨てると、今度はひどくショックを受けたようにして、彼女はがーんと崩れ落ちた。
「そんな……美の女神である私がこの美貌をもってして誘えないだなんて……それも相手は男……嘘よ、嘘に違いないわ……ポセイドンやアレスでさえもこの私に陥落するというのに……信じられない……」
机の上で頭をかかえて項垂れながら、訳の分からないことをグチグチと呟く。……正直良く聞こえないのだが、俺、何か間違った事を言ったかな。
俺は気まずさに一旦食事を止め、慰めようと彼女の肩を軽く叩く。
「強いて言うなら一宿一飯の恩義って所ですよ。見知らぬ俺を簡単にそんなことをしてくれたその馬鹿らしさに感謝して、です。それじゃダメなんですか?」
「私が言われたいのはそういうことじゃないのよ!」
彼女は勢いよく立ち上がり、ずずいっと顔を近づけてくる。
身長百七十オーバーの俺に対して彼女は百五十後半くらいなので、自然と向こうの方から俺を見上げる形になる。その澄んだ翡翠色の瞳が、俺の顔を覗き込む。
「なんでですか?それだって一種の美徳の成せる業でしょう?俺は貴方の外面じゃなくて、善を成す内面に感謝してるんですよ。流石は美の女神、性格も美しいんですね」
「あ、あら、そうかしら?」
そんな俺の言葉に今度の彼女は少し態度を変えて、戸惑うような表情を見せた。
「少なくとも普通は他人を家には入れませんよ。正直非常識って言っても過言じゃないです」
「結局馬鹿にしてるわよね!?」
彼女は顔を戻して怒りの表情を露わにし、こちらへ迫る。
そんな彼女に俺は笑って答える。
「えぇ、してますよ」
「肯定!?」
「でも、馬鹿は馬鹿でも美徳の成せる馬鹿です。美の女神である神様でならそれで良いのでは?」
「あ、う、うーん……それならいいのかしら……?」
「とにもかくにも、一旦落ち着いた方が良いと思いますけど。はい、深呼吸」
「へ、あ、う、うん、そうね」
スー、ハーと大きく息を吸って彼女は気分をなんとか落ち着かせた。
この神様、案外チョロいというかなんというか……案外馬鹿なんだなぁ。そんな事を心の中で呟く。
「なんにしろ、それじゃあ君は私のファミリアに入ってくれるってことで良いのよね?」
「はい、よろしく神様。いや、これからは主神様か?」
「そうね、そう呼ぶが良いわ。よろしくね……えっと」
「どうしました、何か悪いモンでも食べましたか主神様(笑)?」
そう声を掛けると、彼女は直ぐに苛立ちを露わにしてしまった。……せっかく気分を落ち着かせたのに。
「なんで君はそうちょっかいかけるような言葉しか出さないのよ!……そうじゃなくて、名前よ、名前。私、貴方の名前、聞いてないんだけど」
「あ、そういえば……」
俺は目の前の主神の名前だけ聞いて、肝心の自身の名前を話していなかったっけ。
「俺の名前は――カタナ。カタナ・アルマドゥーエ」
「
「そうだ。
「……目的って何よ?私より優先させるものがあるわけ?」
「もちろん。至高の剣を手に入れること。鉄を穿ち霞を断つ、冒険者が己の魂を分けた武器――それは長い歴史の重みを感じさせる、実と美を兼ね揃えた頂点。それをこの手に掴みに、オラリオまで来たんでね」
「ふぅん……」
彼女は少しの間顎に手を当て、悩む素振りを見せる。
さすがに面と向かって“貴方より優先すべき物がある”と言ったら、誰だって悩むか。それも相手は下位存在で在る人間だ。今彼女は、神としてのプライドと俺の意見を天秤に掛けているのだろう。
それがどれくらいの時間だったのか分からないが、彼女はかなり長く悩んだ後、俺の方へと向き直る。
「――だったら良いわ。私はよく分からないけど、それは私の持たない“美”に通じるってことでしょう?」
「そうですね。正直目の前の神様からは剣特有の美しさは感じません」
「感じられるわけないでしょうに……まぁ、いいわ。私の知らない美を追い求める、それはそれで興味があるし。良いでしょう。あながち私の眼も間違っては居なかったのね。なればカタナ、鋼の“美”を追い求める貴方は私のファミリアに相応しい。喜んで迎え入れるとしましょう――ようこそ、アフロディーテ・ファミリアへ」
こうして俺は幸先良く、ファミリアへの加入を果たすのだった。
最もその幸運は、翌日の内になかったことになってしまうのだが。
目の前のこの微笑ましい女神の微笑が、実は偽物であったとは――見抜けなかったのだから。