篠ノ之束の思考を予測することは可能であるか、との問いをすれば帰ってくる返事は間違いない、NOだ。
頭のネジが一本吹き飛んだくらいであれだけの天才になれるのであれば、今頃世界中の人間が壁に頭を打ち付けてネジを外そうと躍起になるに違いない。あの人はネジどころか回路基板そのものが違うと思った方が良い。ともかく、篠ノ之束という存在はそれくらい、人類から見ても規格外の存在なのだ。
例えそれが、血の繋がった姉妹であったとしても。
長々とした前置きはここまでとして、俺がそんなことに考えを巡らせたのは目の前に座る篠ノ之箒が切り出した言葉が原因である。
◇
放課後特にすることもなく、かといって束さんの襲撃も怖いので、織斑先生の目の届く範囲でうろつこうと思っていた俺を待ち受けていたのは、一夏を囲む女性陣たちに加え三人目となる男子生徒だったシャルル改めシャルロット・デュノアである。
もっとも、デュノアが女であることは、一夏と俺を含めた三人の秘密であるが。
凰にここに座って欲しいと頼まれ、オルコットに紅茶をどうぞと渡され、デュノアに背後を固められてと、お茶会にしては随分と物々しい雰囲気である。ゴシップを期待してか、こちらに耳を傾けているクラスメイトが大勢居る。というよりこのクラスの人数より明らかに多い気がする。多分、廊下の方にも野次馬が数えきれないくらい居るであろうことは想像に難くない。
横からまぁまぁケーキでもどうぞとのほほんさんこと布仏さんからケーキを受け取り、一夏不在の女生徒の園の中心で、何の罪で俺は取り調べを受けなければならんのだと紅茶を一口啜った。
おいしい紅茶だ、こんな尋問めいた状況でなければより美味かっただろうに。そんなことをぼんやりと考えていたら、主催であろう篠ノ之箒が目の前に座って口を開いた。
「その、お前はどのくらい先に進んでいるのだ?」
どのくらい、と言われても何が、としか言いようがない。
束さんは俺の日常生活を邪魔するが、勉強を見てくれたりとか身体を改造しに来たりとかそういうことは一切ない。つまりは俺だけがISの秘密を教えて貰っているとか、何かインプラントを埋め込まれているとか、期待されるようなことは特にないのだ。
という旨を箒に述べたのだが、どうも歯切れが悪そうである。いつも一夏には歯に衣着せぬ物言いの篠ノ之が、こうも言い淀むとは。珍しいこともあるんだな、と俺は紅茶に口をつける。
「その、だな……あの人とお前の、男女の関係についてだ。もう、することはしているんだろう?」
思わず紅茶を噴き出しかけた。ぐっとこらえたが、見事に気管に入り込み激しくむせる。まさか、姉とは正反対で堅物まっしぐらだと思っていた篠ノ之箒からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。
というか、そんな話題を俺に聞くか、普通。
ちょっとエッチな恋愛の話なら俺ではなく、もっと経験豊富そうな人に聞いてほしい。織斑先生とか山田先生――ではなく二年生や三年生といった人生の先輩方に、だ。
そうか、これは俺の恋愛経験を聞きだすのが主目的の集まりか、と思ったが篠ノ之だけは別のようである。大多数が期待を膨らませているのに対して顔が暗い。
「正直に話そう。私は幼い頃あの人と共に育ってきたが、こんなにも一つのこと……個人に執着しているのは覚えがないことなんだ。だから、その、な。あの人がやると決めたら突き進む人なのはわかるだろう?」
それは言われなくてもわかる。世界を相手に白騎士事件なんて派手なことをした挙句、逃げ回るのを楽しんでいるのが束さんだ。確かに、あの人はとんでもないことをやらかす印象が強いから恋愛面でもそうだと思うかもしれない。
だがあの人は、篠ノ之が思っているよりも乙女だぞ。
と、俺の束さんに対する印象そのままを言ったのだが、篠ノ之のみならず他の誰からも珍妙な生物を見るかの様な視線を向けられる。唯一違うのは「そうなの~?」と素直に驚いてくれるのほほんさんくらいだ。
半ば自棄になりながら、のほほんさんからもらったケーキを食べる。悔しいが、これもまた美味い。
「だ、だって……あの人は自分を曲げる様な人じゃ……」
篠ノ之は大分ショックを受けているようだが、仕方のない事なのかもしれない。篠ノ之の辛い境遇は一夏の言葉の端々からなんとなく察しているが、姉である束さんに憎しみを抱いていても仕方ないだろう。
周囲の人間はもっと恋愛的に面白いことがあるんじゃないの、と邪推しているようだが。
しかしだ、俺は篠ノ之が想像するような束さん像で話をするつもりもない。周りが望むからといって俺は束さんに対する印象を面白おかしく歪めて伝えるつもりもない。例え俺が恥をかいたとしても、構わない。
「で、では、無理矢理襲われて……とかそういったことは……?」
オルコットも人並みに興味があるんだな、なんて思いながら俺はそんなことはない、ときっぱりと否定する。
束さんは嫌と言ったら引き下がってくれる人である、もちろん俺を誘惑して色香を振り撒く時はあるが、基本的に俺の意志に委ねてくれている。だから、あの人は無理矢理なんてことはしない。
「じゃ、じゃあキスはどうなの?」
凰が興味津々と言った態度で訪ねてくる。
俺はファーストキスもまだだと言ったところで、なんで俺がこんなことを大勢の視線が集まる中で白状せねばならないのか、と悲しくなってきた。
小さい頃に親とか、それこそ犬とか猫とかとキスをしたかもしれないが、俺の記憶の中に誰かと恋愛的な意味のキスをした記憶はない、と言い切った。
お茶会ではなくこれは拷問か、本気で泣きたくなってきた、流石にもう無理だ。
それだけなら、俺は帰るぞと言うと、篠ノ之はぐっとこらえてもう一つだけ聞かせてくれ、と言ってきた。渋々、浮かせかけた腰を椅子に降ろす。
「で、ではなんでお前は……あの人を、姉さんを受け入れないんだ?」
そんなの、決まっている。
――怖いから。
俺の言った言葉の意味がわかりません、といわんばかりにぽかんとした顔をする篠ノ之。周りを見渡してみれば皆も同じ様な反応をしている。のほほんさんまで唖然としているのだから、よっぽど奇妙な答えだったのだろうか。
「怖いのなら、何故拒絶しないのだ?」
篠ノ之が、絞り出す様に言う。さて、そう言われると俺も困った。
何故、怖いのに拒絶しないのか。恐怖する相手に対しては拒絶する、あるいは避けるというのが人間の性である。
つまり、俺は束さんからのちょっと行き過ぎたアプローチを満更でもない、と思っているのか。しかし、同時に恐怖している。
「それは、どういう――」
「何をしている、お前たち」
篠ノ之の次の言葉は、突如教室に押し入ってきた織斑先生によって遮られた。もっとも、あれだけ教室の前に人だかりができていたら、教師としては確認をせざるをえないだろう。
織斑先生は篠ノ之に相対する俺の顔を確認すると、何事か悟ったのか、
「言っておくが、私の目が黒いうちはこの学園の中で不純異性交遊はない。相手が誰であろうともな」
と言うと、さぁ帰れと生徒たちを帰寮させていく。織斑先生は万事平等、このまま居ては頭に生徒名簿の一撃をお土産に貰うことになるので、オルコットとのほほんさんに紅茶とケーキの礼をして、引き上げることにした。
ちら、と教室を出る時に振り返ると、篠ノ之は俯いていた。
◇
ひそひそと噂されながら寮の自室に戻るのは初めてではない。二人目の男子生徒として入学した時と、篠ノ之束のお気に入りと判明した時と、大いに噂された。
三度目なのだから今更、とは思うのだがやはり少しは気が滅入る。
こんな時は束さんの全てをぶっちぎった思考が恋しくなる、と思ったがすぐにその考えを振り払う。あの人はこういう時に限って部屋に居たりするのだ。
ドアを開ける。かぐわしい紅茶の香りが漂ってくる、さっとドアを閉じた。
「やぁやぁやぁ、とりあえず座って一緒にお茶しない?」
当然というかやはりというか、束さんが部屋に居座っている。束さんが座っているのは不思議の国のアリスから飛び出してきたようなデザインのチェアだ。あんな家具はこの部屋になかったから、束さんの私物だろう。
個人用のデスクトップが乗ったテーブルに、ティーセットとケーキがある。どうやら言葉以上の意味はなさそうだ。部屋の備品である椅子に腰掛ける。
すっと、束さんが紅茶の入ったティーカップを差し出してくる。俺は受け取ってそのまま口につけた。温度も口当たりも味も、全てが未体験のロイヤルミルクティーだ。
束さんは満足そうに頷いている。
「前に、君の生活アルゴリズムの解明が私の最高順位だと言ったよね?」
確かに、そんなことを言っていた。
「この紅茶とケーキは、君の事を束さんがどれだけ
束さんが胸を張り、豊満な胸がたゆんと揺れた。
先程紅茶とケーキを食べたばかりであるというのに、フォークが止まらない。
「ふふふ、君が紅茶やケーキを食べてくることはわかっていたからね! それに合わせて口当たりの良さや味も変えておいたのさ!」
まったく、この人にはかなわない。
これでは最高です。と言わざるをえない。
「えっ、本当に本当? 最高なの? 良かったぁ~……えへへ。ま、まぁこの束さんが作ったものだからね! 万に一つも失敗することはありえないんだけどね!」
にへら、と顔を緩ませた後にきりっとした表情になる束さん。ころころと表情が変化する様子は見ていて楽しいのだが、だからこそ、恐ろしいのだ。
束さんが俺の心境の変化を読み取ったか、おずおずと聞いてくる。
「君は……私のことが怖い?」
はい、と即答した。
束さんは先程の篠ノ之との会話を聞いていたに違いない。そもそも地球上で束さんが認識できない場所があるのだろうか。多分、ないと俺は思う。
俺はロイヤルミルクティーを飲み干してティーカップを置くと、束さんに恐怖を抱いた瞬間を思い出した。
その時までは、美少女がある日突然俺に告白してくれないかな、なんて都合の良いことを考えていた。が、それは突然最新鋭の兵器を装着させられた上にやっぱり君は私の運命の人なんだよ、なんていうインパクトがありすぎる告白などではない、断じて。
「むー! 嘘ついてない。束さん傷ついちゃうなー」
束さんがすらりと伸びた白い脚を、ぷらぷらと遊ばせる。
考え込む素振りを数秒すると、パッと何かを閃いた顔をする。
あ、これはロクでもない考えだな。
「これから私、世界を滅ぼすね」
なら、俺が止めます。これも、即答していた。
正直言うと怖い。この人はやろうと思えば即座に世界を滅ぼせる人なのだ。更に俺が束さんを止めるとなると、ISに乗ることは必然になるのだが、束さんこそがIS開発者なのだ。俺の乗るISを無効化したりするくらい朝飯前に違いない。それでも、止めてやろうと思うのはやっぱり、理屈じゃない。
「………………」
束さんは無表情のままこちらを見て、にこっと笑った。
「なーんて、冗談だよ。私が、君が嫌がる様なことするわけないでしょ? 束さんは君のものだ。だから、私はなんだってする。君が言うなら世界だって滅ぼすし、ちーちゃんもいっくんも箒ちゃんだって殺せるよ?」
この人は本当に、さらりととんでもないことを言う。肉親や親友を殺すなんて、そんなことを束さんにさせる訳にはいかない。
「でもさぁ、それならどうして束さんの事を拒むの? 君だったら、私は何をされても構わないんだよ?」
ちらりとワンピースの襟を開く束さん。繊細なレースが編み込まれた黒のブラジャーが、俺を誘う様に覗いている。思わずごくりと唾を飲み込む。確かに魅惑的なお誘いだ。今すぐ束さんの手を取ってベッドに押し倒したい。それが本心だ。
でも。
――束さんを手に入れたら、束さんは消えてしまうんじゃないか。
そう、頭をよぎって仕方ないのである。
しかし、束さんは俺が手を出さない理由を聞くと笑い転げてしまった。なんだなんだ、人が割と真剣に悩んでいるのに、そんなに笑わなくてもいいだろうに。
俺が憮然とした表情で紅茶を飲んでいると、目尻に涙を浮かべた束さんはにやにやとしている。
「ううん、ごめんね。それは君が私に手を出せない訳だ。うん、客観的に見て君と私は釣り合ってなどいない。釣り合っていなければ、私が一方的かつ即座に君を見限ってもおかしくない、普通はそう考える」
面と向かって言われては、それはそれで傷つく。
けれども束さんは傷心の俺に構うことなく立ち上がって、俺の前に立つ。そして俺が考える間も無く、くるりと背を向けて両脚の間に座り込む。自然、俺は深く椅子に座ることになるが、身体は否応なく束さんに密着することになる。
束さんは、どこも柔らかい。しかも良い匂いがする。石鹸とか香水とかそういう人工的なものではなく、束さん自身から発せられている様な感じだ。
束さんの健康的で安産型なお尻が、容赦なくぐりぐり押し付けられてくる。性感が突きあがり、このまま抱きしめて胸を揉みしだきそうになるのをすんでのところで堪える。
「そう、釣り合っていない。だからこそ君と私の間には愛という不確定なモノは存在し成立する。しかし私は科学者だ。自分の身体のことは完璧に理解しているし、愛や性欲というモノは脳内物質の働き如何によるものだと幾らでも証明できる。なんだったら分泌の加減も自分でコントロールすることだってできるから、愛を芽生えさせることも性欲を増減させることも自由自在だ」
と、束さんは俺への悪戯を止めて、猫の様にぐりぐりと頭を胸板に押し付けてくる。束さんの頭が、すぐ目の前にある。
「しかし、私はそういったコントロールを完全にした上で尚、君に対して愛と性を感じている。これは揺るぎない事実だ。それでも君は、私を失うことを恐れるのだろう。私を信頼するが故に、疑ってしまう」
何度も言うが、束さんは魅力的過ぎる人である。そんな人にのめり込んで、いや、そんな甘いレベルじゃなくて、溺れた後にすっと姿を消されてしまったら、きっと俺は耐え切れない。
束さんは俺の胸の中でくすくすと笑う。
「ふふふ、自分の魅力が恐ろしいがこれほど恨めしいと思ったこともない。君の為に全てを磨いてきたのに、それが仇になるとはこの私の眼でも見通せなかった。が、だからこそやりがいがある」
すっと束さんが立ち上がった。正直、束さんの体温が恋しくてたまらないのだが、そこは気合で乗り切る。ここで襲い掛かっては、何もかも台無しだ。
もっとも、襲い掛かったとしても束さんは受け入れてくれるのだろうけど。
「私は絶対絶対ぜぇぇぇったい!
そう言うと束さんは大輪の笑顔を咲かせた。
「まぁ、それはそれとして」
思わず椅子からずり落ちそうなテンションの急落である。真顔に戻った束さんは元のチェアに座り、俺も姿勢を正す。
「頼まれていた通り、あの女に関することは全てやっておいたよ。もうっ、君の頼みじゃなかったら絶対やらなかったんだからね!」
束さんは最後の方はぷんぷんと頬を膨らませていたが、この寸前までは絶対零度の無関心を隠さない声だった。やはり、この人は恐ろしいが、頼りになり過ぎてしまう。
束さんの言うあの女とは、デュノアのことである。一夏がデュノアを連れ立って部屋にやって来たときは何事かと思ったが、まさかデュノアが実は女でフランスに帰さない為に協力して欲しい、と言われた時は本気で困った。
もちろん一夏がそんな悪趣味な嘘をつくとは思わないので、更に困ったことになった。
結果、その途中のいろいろを省くが、束さんなんとかしてくださいという情けないメールを送る次第になったのである。
「でもなぁ、束さん、君の頼みを聞いたんだから、ちょっとくらいご褒美があってもいいと思うんだけどな~」
ちらちらっ、とわざとらしく言いながらこちらを見てくる束さん。これは多分、束さんの望むご褒美を進呈しないと後で拗ねて大変なパターンになるやつだ。
悩む、束さんはどんなご褒美でも喜んでくれるとは思うのだが、なんでもというのが一番困るというやつである。頭を抱える、束さんは相変わらずちらちらとこちらを見ている。
形の良い、瑞々しい唇が、可愛らしくとんがっている。
――じゃ、じゃあキスはどうなの?
凰の言葉が甦ってくる。熱情と劣情に任せて束さん、と肩をがっしりと掴む。いきなりのことで驚いたのか束さんにしては珍しくあわあわと唇を震わせている。俺がじっと見ているものを気付いたか、束さんは顔を真っ赤にして小さくなっていく。
「あ、あの、あのね? 束さん、知っての通りキスもハジメテなんだ。だから、だから、とっても幸せなキスにして。ね?」
それ以上は、言わなかった。束さんは瞳をとじるとおずおずと唇を差し出してきた。束さんは、小さな肩を震わせて俺が来るのを待っている。
俺は気合いを入れ直した。女性に恥をかかせてはならない。
――その後はどうしたかはご想像にお任せする。
――ただ、レモン味ではなく、紅茶の甘い味だった、とだけ。
もの凄い数の評価と感想、ありがとうございます。束さんの力は凄い。
期待の高さに応えられるだろうかという重圧が胃に来ます。
前回までがマッドに振り切った束さんだったので、今回は乙女
こんな感じで極端に振り切ったり振り切らなかったりを続けて行こうと思います。
進捗などに関しては活動報告の「書けタスク」に随時更新していきます。
nicom@n@様、山のカニ味噌様、SERIO様、radatoy様、ふまる様、誤字脱字報告ありがとうございます。