自室の中で、電気を消して蹲っている影があった。
親指の爪は、何度も噛んだのか形がいびつになり、それでもなお捕食され続けている。
自室と言う表現は少し違うのだろうか、彼女の部屋は最近変わったばかりなのだから。
『大丈夫か? なんて聞かないけどな、お前がそんなにふさがってもしょうがないんだから割り切れよ。お前も結局、利用されてただけなんだから』
以前、去り際に千雨に言われた言葉だ。自分で仕掛けておいて何を言うと思ったが、彼女とて、計画的に行ったわけではない。あの事故、事件は自業自得のものであり、千雨に責任はない。それは頭で分かっていた。感情が分かっていなくても、理性の部分でそれを理解していた。けど……
「ネギ先せ……ネギ・スプリングフィールド」
彼の名を呟いて、また爪を噛み始める。カリカリと音が鳴るまで強く噛んでいた。
自責の念を持ってしまった朝倉は、麻帆良に戻ってクラスメイトに事実が突き付けられた際に最も傷つけられた人間だった。春日、朝倉、龍宮くらいだろうか、クラスメイトに悪感情を突き付けられたのは。その中で龍宮は立場上、または深い間柄がいなかったせいか、あまり反感を受けることはなく、春日は元から自分の周りで好きにやっていただけの上に、魔法使いをやらされている立場のために特に変わることはなかった。問題は、朝倉だ。
その事実を突き付けられた3-Aの面々は、修学旅行の二日目、ラブラブキッス大作戦が行われたすぐ後と言う感覚だったのだ。
なぜ自分たちがこのようなところで、このような立場に立たされているのか、察しのいい人間がすぐに理解し、それが伝播していった。朝倉の起こしたイベントが引き金になったのだと。
その後の説明で、もとより麻帆良いう土地にどのような仕掛けがあり、どのような意図があったのかを説明されたのだが、それは彼女たちにとっては日常でしかなく、それを壊された原因に恨みを持つ方が当然だろう。
しかも、麻帆良の地で、その説明をしたのが麻帆良の人間だったのがまずかった。できるだけ自分たちに悪感情がわかないように、自分たちが正当だと言うような説明の仕方をしたのだ。隣に関西の人間がいて、何度も説明を指摘していたが、あくまで魔法協会の管轄下であった麻帆良、その後処理のために過ぎた行動をとることができなかった。
魔法世界の人間がこれからもいなくなるようになっていれば、やりようもあったのだが、連合の元老院や、アリアドネー自体には交渉と同盟のようなものが結ばれているために、そこまでは主導権を取れなかったのだ。
そして、全てを受け止めるしかなくなった朝倉は、怒りを一身に受けることになる。
髪の毛はぼさぼさになり、肌は荒れ、目の下にはクマができていた。
「入りますわよ、朝倉さん」
ノックが聞こえ、それを無視して蹲っていると、それを知ってか知らずか、あやかが部屋の中に入ってきた。
あやかは、一日に何度か朝倉の部屋に入っては、食事の後片付けやら、洗濯物の交換やらをして帰っていく。時には朝倉に対し、何時間も外の事や、最近の出来事を話していったりもした。
あやかは、京都に戻ってから、もう一度自分を見つめなおすと同時に、両親に対し、なぜ麻帆良に送ったのかを詰問していた。彼女の父親は、彼女が魔法世界の常識に順応し、魔法世界へとシェアを広げられればと言う目的で麻帆良に送ったらしい。その後、人質のような扱いになったり、従者候補になったりしていたとは思わなかったらしい。その情報すら入っていなかったのだ。
麻帆良は、魔法使いの街だと言うことと、それを隠す結界のようなものが張られているとういうことはある程度の人間が理解していたが、それがどのようなものなのかを知っている人間がいなかったらしい。それに、弟の流産によって、あやかがショタコンになっていることも知らなかったらしい。傾倒した性癖だとは思っていたらしいが……
その後、当時のカルテを調べたりしたが、特に異常なものは見られなかった。しかし、それで白になるかと言われたら、それは否であるという結論になった。魔法使いが意識的に母親の状態が悪くなっているのを無視させたり、魔法によって誤魔化せたりしたら、悪化させることが可能だし、流産であったと言って処理してしまえばそこでお終いである。確実な黒ではないと言うことしかわからなかった。
それらを受けて、あやかは自分で道を選んだ。麻帆良を成長させる道を。千雨との口約束もあるし、もとより両親に期待された立場を行えるお膳立てができているのだ。世界でもこのような好条件を持っている人間はあやかだけだろう。
そして、その一環として、まずはクラスメイトや、魔法によって人生を狂わされていた人間を、一人の人間として支えようとしているのだ。
「朝倉さん、外に出てみませんこと? 今は夏休みですから、帰郷してる人が多いんですのよ」
「……いいんちょは帰らなかったの?」
基本的に、朝倉は話しかけを無視することはない。あやかは、それを知りながらいつも自分の事を長時間話して帰っていく。話し合うということが朝倉にどれだけ辛いことか理解し、それでも他との交流を欠かさせなかったのだ。
「私は家族で旅行に行く以外は、皆忙しいですから帰っても仕方ありませんわ」
あやかは、もういいんちょ――委員長ではないのだが、朝倉のその呼びかけに答えた。
本当は後2週間くらいしなければ夏休みにならないのだが、今年は特例で伸びていた。できるだけ先に時間を取り、常識に順応した状態。または、自身で気持ちの整理をつけた状態で授業を受けたほうがいいと判断されたのだ。そして、その時間内に教職員の選別も行われることになる。
「けど、いいよ。外に出たくない」
朝倉はそれだけ言うと、また壁へと視線を移した。
あやかはその様子を見て、悲しそうに顔を俯けた。
「……では、エステに行きませんこと? 車はこちらで用意させますわ。それに、この部屋に呼ぶこともできますことよ」
「……いいよ。いいんちょが行ってきな」
「私は行きたいときに行けるからいいのですわ!」
彼女は、このようなお嬢さまという立場を利用した行為を最近は一切していなかった。そのような軽挙を、自身で気づけるようになったからだ。しかし、このように、他者に対しての行動は、少しばかりはめをはずすのを止めなかった。彼女も、それでいいと思っていた。
「あぁ、でも」
「美容師も呼ばないと駄目ですわね! 直ぐに用意いたしますわ」
朝倉の反応から、まだ外に出ることは不可能と悟ったあやかは、直ぐに予定を変更させた。
エステティシャンも、美容師も、相手は人間だ。ピザや店屋物のための交流すらできなくなっている朝倉に、少しずつでもひとと触れ合わせるために、返事を聞かずに出て行った。今日の様子を見て、一歩前に踏み出せるかもしれないと思ったのだ。
あやかのいなくなった部屋の中、また朝倉は一人になる。
そして、彼女は布団をかぶった。頭まですっぽりかぶって、拒絶するように。
その手首には幾重もの傷跡があった。魔法の恩恵を授かり、簡単な傷をはじめ、腕が骨近くまで切り離されても治療可能なくらいなのだ。それなのにそのような傷があると言うことは、直ぐ最近に自傷行為をしたことに他ならない。
彼女の部屋にはナイフ類はおろか、鉛筆の一本すらおかれていなかった。電気のコードも切れる、外せるようなものはなく、全て壁に埋め込まれていた。それに、レンジはあるが、コンロもIHで火が出ないようになっている。完全に封鎖されていた。
しかし、それでも彼女の爪は紅く染まり、それを何度もあやかが止めていた。
あやかが呼んできたエスティシャンとあやかが入ってくる。ストレッチャーのような簡易ベッドが用意され、二人でエステを受けながら話をした。
「朝倉さんは夏にどこも行きませんの? 両親のもとへ帰ったりは?」
「しないよ。会っても、何話していいかわかんないし」
あやかが朝倉に積極的に話しかけている。リラックスするようなお香がたかれているせいか、いつもより会話のキャッチボールが多くなっていた。
「では、どこか旅行に行きませんこと? 行きたいところがあるのなら――」
「京都とウェールズ」
「え?」
あやかの言葉の終わりを聞かずに即答する朝倉。そのため、あやかは聞き逃してしまいもう一度聞く。
「どこに行きたいと?」
「京都と、ウェールズだよ」
あやかは、失敗したと思った。自分で南の島など、目的地を決めてしまえばよかったと。
朝倉の闇は、まだ全然解けてはいなかったのだ。
「他に行きたいところはありませんの? グアムとか、私の別荘があるのですが」
「京都とウェールズ以外なら行く気はない」
まっすぐを見つめながら、どこも見ていない朝倉をあやかは捉えた。
「京都に行って、何をするのですの? 金閣寺や池田屋など、見逃したところがあるのですの?」
「長谷川に会いたい」
その真意を、あやかは感じ取りきれなかった。あやかは、クラスの事で何度か千雨に連絡している。千雨も多少は負い目があるのか、極力クラスのメンバーに関しては協力してくれていた。そういった意味で言うのなら、千雨に会わせることで朝倉の今の状況が改善することはありうる。
しかし、それが復讐目的などであるのなら。ここで止めなければいけなかった。自傷行為をしている人間には2種類の人間がいる。自分を責めている人間と、やり場のない感情を自分に向けている人間だ。朝倉が後者であり、その感情のやり場が千雨なのだとしたら、会わせてはいけないのだと思った。
ウェールズの方は明言を避けた。あやかは朝倉の呟きを何度も聞いていたから。ウェールズに行ったとしても、ネギに会うことは不可能なのだが、それだと逆にフラストレーションを溜めてしまう可能性がある。
「長谷川さんに会って何がしたいのですか?」
とりあえず、朝倉の真意を探ろうと会話を続けるあやか。
「わからない。何を話せばいいのか思いつかないけど、会いたい。長谷川が何を考えてたのか、話も聞いたし記憶も見たけど、それでも私は……」
そこで言葉を切る朝倉。納得いかなかったのか、巻き込んでほしくなかったのか。しかし、それを朝倉が言う資格はないのだ。それよりひどいことを、何の考えを持たずに遊びで人を死地に追いやろうとしたことがあるからだ。
それから、言葉を無くした朝倉を見て、あやかは千雨に連絡を入れようと決意した。
ひねくれた人がなんか言ってたからHDD掘って探した