「ふむ…」
帝国の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは下から上がってくる膨大な案件に目を通しながら、その中にあった重要な報告について思案していた。
「森がそのような事になっているとはな…」
ワーカーという職業の中ではそれなりに信頼されているチームから、衛兵を通して伝えられたトブの大森林の現状。それが事実ならば厄介な事だと調査隊を出したジルクニフだが、帰ってきた結果はまさに報告通り。人間の領域以外は関せずといったスタンスがこの事態を招いたのは間違いないだろう。
「さて、ナザリックの方が気付いていない訳は無いだろうが…どう出るか」
しかし様子見をしている余裕は無いなと少しばかり思考に耽った後、部下を呼び出す。
「王国への休戦の申し入れをする。それと戦の準備は3割ほどはこちらに流用出来るだろう。ゴブリンとはいえ数が数だ、極力被害を抑えたい」
今の王国ならば休戦協定はもっけの幸いとばかりに受け入れるだろう。ゴブリンのために戦を取り止める訳ではないが、時代が大きく変動している今余力は充分に残しておくべきだとジルクニフは考える。
「王国の方はどう出るか…いや、森の範囲と領土を考えると協力して事にあたることも考えなければならんな」
帝国の領土からだけの対策では少なくない数のうち漏らしが王国の村を襲うだろう。領土を増やすことは先帝からの命題とはいえ、荒れ果てた領地など侵略しても旨味は少ない。そして、それ以前にジルクニフは周辺諸国との関係を考え直す必要があると考えていた。
「『人類って争ってる余裕なくない?』…か。まさに耳に痛い言葉だったな」
人類の脆弱性や生存圏の狭さは知識としては持っていたものの実感してはいなかったジルクニフ。クレマンティーヌから聞いた法国の、そして漆黒聖典の考え方は過激で極論といった部分があるもののきっと間違ってはいないのだろう。
人類の生存圏を確かに護り続け、帝国からすればとるに足らないような小国を滅びの憂き目から人知れず救ってきた法国。その立場から見れば人類同士の小競り合いを繰り返す王国と帝国はさぞ愚かに映っていたことだろう。
「今までの政策が間違っていたとは思わんが、変革の時がきたということなのだろうな…。とはいえ法国の考え方に沿っていては滅びは必定」
ナザリックの実態を知ってなお、人類以外を認めないなどと言う妄言を吐くのならばその報いは手痛いしっぺ返しどころでは済まないだろう。沈みゆく泥船に乗る訳にはいかないと、ジルクニフは帝国という巨大な船の舵取りを必死で模索しつつも、人類そのものの救済も考えながら机に向かう。
「最近独り言が増えた気がするな…」
人間種が団結するための第一歩は―――まずは帝国の皇帝が踏み出した。行く先は繁栄か衰退か、それはきっと進まなければわからないのだろう。
「こうも立て続けに不測の事態が起きるというのは、何かの兆しか?」
王都リ・エスティーゼの居城で、蒼の薔薇のメンバーから上がってきた報告に頭を抱えるランポッサⅢ世。このままではゴブリンが森を埋め尽くし、いずれ溢れだすだろうという情報は職務に追われる彼に新たな悩みの種を植え付けた。
「しかし帝国の休戦協定自体はありがたい」
だがゴブリンの群れの掃討程度のことで休戦協定、それどころか共闘の申し入れまでしてくるのはあまりにも不可解に感じるランポッサⅢ世。
何か裏があるのではないかと推測するものの、情報が少なく結局は受け入れる選択肢しかないのが王国の王である自分と帝国の皇帝である相手の差を表しているようで憂鬱さを助長している。
「出来ればこのまま毎年のような戦などなくなってしまえばよいのだがな…」
今までの苦労を水の泡にするようなことを帝国がするはずもないかと、都合のいい妄想を振り払って王は返事を考える。しかしそれを遮るように室内にノックの音が響き渡った。
「入れ」
またもや政務の追加かと身構えるランポッサⅢ世だが、その予想に反して部屋に入ってきた男は自分が最も信頼する戦士であり、王国最強と謳われる武人ガゼフ・ストロノーフであった。
「お忙しいところ申し訳ありません。ですがどうしてもお耳に入れておきたいことが」
実直でまさに質実剛健といった言葉が似合うこの男は見事なお辞儀をしながらも、貴族のように装飾過多な挨拶や空々しい美辞麗句などは一切使わず用件を告げようとする。
「ふ、こうるさい貴族も今は随分と静かになったのだから気にせずともよい。だがお前が直々に来るというのは気が沈むな」
大したことでなければ通常の書式に則って報告をすれば問題ないのだ。つまり態々ここに来たということはそれなりに重要なことなのだろうと、厄介事が増える予感に溜め息をつくランポッサⅢ世。
「はは、心中お察しします。…しかし軽々しく扱う問題ではないと考えましたので参った次第です」
真剣な顔で王の顔を見詰めるガゼフ。
「やれやれ、老骨の身には堪えるものだ。優秀な後継ぎがいればこんな席などいくらでも譲るのだがな」
ランポッサⅢ世は顔をしかめつつもガゼフに用件を話すよう促す。
「会って頂きたい者がいます」
簡潔に一言で伝えるガゼフだが、短い文句とは裏腹に鹿爪らしいその表情からは重々しさが窺える。それを察してかランポッサⅢ世の方も姿勢を整えながら言葉の続きを待つ。
「カルネ村の件で世話になったマジックキャスターの話は覚えておられますか?」
「む…ああ、覚えているとも。忘れるものか」
マジックキャスターの件というよりも、ガゼフが貴族達に嵌められて装備もろくに整えられず命を落としかけたという事で鮮明に記憶しているランポッサⅢ世。そのマジックキャスターと会えばいいのかとガゼフに問い掛ける。
「は。旅のマジックキャスターと聞いていたのですが、改めて話を聞いたところ何らかの事故によりその拠点ごと王国の領土に転移したというのが事実だったようです」
「なに?」
なんとも信じがたい事実に疑問の声をあげる。王国の歴史を紐解いてもそんな珍事はまず無いだろうことを思えば、仕方の無いことではある。
「それは…事実、なのか?」
「蒼の薔薇によれば今まで影も形も無かった場所に巨大な墳墓が広がっているとのことです。まず間違いないでしょう」
王国でも数少ないアダマンタイトの冒険者の報告だ。自分の愛娘とも親しい彼女達の言ならばランポッサⅢ世にとって疑う余地は少ないだろう。
「そうか…。いや、大墳墓と言ったか?」
ガゼフは拠点と言ったが、普通に考えて大墳墓が拠点などというのは趣味が悪いというレベルではない。
「はい。それに関しては…その」
この部屋に入って初めて歯切れ悪く言い淀むガゼフ。何度か逡巡しながら、しかし意を決して口を開く。
「そこは…その拠点の勢力の殆どは、アンデッドや異形の者達で構成されているそうです」
驚きで声も出ない様子のランポッサⅢ世。自分の領地にアンデッドの一大拠点が出来ていたともなればそれも当然かもしれない。
「ですが陛下。かつて話した通り、その大墳墓のトップは温厚で義に篤い優秀な方なのです。いえ、優秀などという言葉では表すことが出来ないかも知れない」
「…どういうことだ?」
問われたガゼフは答える。大墳墓に入った蒼の薔薇が見たもの、感じたもの、そして思い知らされたこと。
何でもないように、礼だと言って国宝級のアイテムや高価な消耗品などを大量にぽんと渡された事実を。又聞きではあるが充分に伝わってきたアインズの勢力の脅威。その紳士的な対応なども余すことなく伝える。
「にわかには信じられんが…他ならぬお前の言うことだ。真実なのだろうな」
一番信を置く部下がこれほど熱弁して擁護する人物。アンデッドといえどもそういう者もいるのかと、ひとまず偏見や色眼鏡で見ることは無くなったランポッサⅢ世。
「しかし、国を滅ぼしかねないという言葉は些か大げさではないか? 大墳墓といっても街より大きい訳ではないだろうに」
「…」
その言葉を聞いて俯き、複雑な表情で声を絞り出すガゼフ。
「国堕としの伝説は…ご存知でしょうか?」
その問いに勿論だと頷くランポッサⅢ世。国王ともなればその程度の知識は持っていて当たり前だ。たった一人で国を滅ぼした恐ろしい吸血鬼の逸話。そしてそんな話を急に持ち出したということは、そういうことなのだろうかと顔を歪める。
「それは、つまりそれほどの戦力を持ち得ているということか?」
確かにそれは敵対したくはないなと空笑いするランポッサⅢ世。しかしガゼフはゆっくりと首を横に振り、衝撃の事実を告げる。
「蒼の薔薇のイビルアイ。彼女がその国堕とし張本人であると聞きました」
「な…!」
諸国にも知れわたる名高い冒険者チームの一人が伝説の吸血鬼であった。驚くなという方が無理というものだ。
しかしランポッサⅢ世はその驚愕を更に塗り潰すほどの事実を既に聞いていることに気付き、それと同時に今度こそ声を失った。
「つまり小国ならば単騎で滅ぼしかねないイビルアイ殿が、更に手も足も出ない存在が何人も居る場所。それがアインズ殿の拠点、ナザリック地下大墳墓というところなのです」
少しばかり呆け、一瞬だけ我を失った。だが彼は王だ。例え凡庸と言われようとも、いつまでも茫然自失などとはしていられない。
「つまり帝国の不可解な動きは…そういう訳であったか」
「恐らくは」
椅子に深く座り直し、少し考え込んだ後に口を開くランポッサⅢ世。
「……まずは、非公式にと言うことだな?」
「それがよろしいかと」
今日一番の深い溜め息をつきながら天を仰ぐ。王の座について奔走してきた日々があり、そしてようやく斜陽の国を再興させる目が出てきた。目の回るような忙しさもそれが国のためならばと、疲労しつつも充足感を得ていた。
だがしかし、王冠は―――王の座というものは、王を休ませるということを知らないようだ。
「ガゼフよ」
「はっ」
「王とかどう?」
「はっ!?」
疲労とはかくも恐ろしいものである。
ペコペコと頭を下げながらナザリックを後にするエルダーリッチを見送り、実験室に戻った3人。
「実に有意義な実験となりましたな」
「ええ。とくにスキルツリーの規則性を多少なりとも把握出来たのは大きい」
「ユグドラ的に糞みたいなスキル構成になってましたけど…」
剣も使えて拳も使える、歌って踊れて回復も出来るネクロマンシーなアンデッド。スーパーカジットの誕生であった。全てが中途半端というのは触れてはいけない部分である。
「さてと、これから少々忙しくなります。お二人もよろしくお願いしますね?」
「了解です。ま、気楽にいきましょう」
「争いが減れば魔法の研究に没頭出来ますからな」
そう言って帝国に戻るオデンキングとフールーダ。見送るアインズは予想外に大事になった事態に溜め息をつきつつも、周辺諸国との良好な関係が築けそうだと安堵する。
各勢力の思惑が混じりあい、大森林にて収束する。対する敵は役者不足のゴブリン達。強者達の邂逅は世界に何をもたらすか。
―――そして密やかに策謀を巡らしていた彼女も、遂に動きだす。
「く、くふ、くふふふ」
緻密に組まれた悪魔の計画。何人たりとも侵せない、邪魔さえ出来ないマヌーヴァー。
「永遠に一緒です。アインズ様…!」
その手に握られた恐ろしき計画書。一枚目のタイトルは―――
『ブライダルプラン』
そう、書かれていたのだった。
あー…やっと話を動かせる…次回は結構長くなると思います。
え? イビルアイがそんな簡単に正体をバラすかって? 最近色々あったからタガが緩んでたんですよきっと。
荒れ狂う大海に一人の勇者が足を踏み入れる。その名はブレイン。彼こそが全てを動かす鍵だった(嘘)