帝都アーウィンタールの闘技場前。
ある一人の男が激昂し自分の奴隷であるエルフに当たり散らしていた。
道を行く人々が眉を顰めるものの、巻き込まれてはかなわないといった風に足早に通り過ぎていく。
これが人間種やドワーフなどの奴隷だったならばきっと衛兵などに話を通すものもいたかもしれない。だが帝国の法律ではエルフに人権はなく、主人がどうしようとも本人の勝手であった―――人の眼を気にしなければ、ではあるが。
少なくともこの男の虐待ぶりは異常であり、ともすれば義憤に駆られた者ならば止めに入りかねないものだ。何故この男がここまで荒れているかというと、それは今日の闘技場での戦績のせいである。
自他共に強者と認めるこの男は名を「エルヤー・ウズルス」と言い凄腕のワーカーとしても知られた男である。
ただし、知られている部分の半分程は選民主義―――人間種以外を徹底的に見下すという悪評でもあったが。
この男はワーカーの仕事以外にも、度々闘技場に出ては名声を得て自分の実力を観客に見せびらかしていた。
まあ闘技場の戦士は多かれ少なかれそういったところはあるが、この男の虚栄心は人一倍であり勝負に負けた時には手持ちの奴隷をいたぶることで鬱憤を晴らしているのだ。
しかし今日は普段にも増して虐待が苛烈である。
その訳は今日闘技場で負けた相手が自分より劣るはずの亜人だったからであり、闘技場で最強などと言われる亜人の鼻を折ってやろうと挑んだ結果敗けを喫した事実が許せなかったからだ。
「くそがっ! 亜人如きが私に勝つだと!?」
エルフ達はひたすらに怒りが収まるのを待ち、耐えている。彼女達はエルフの誇りである耳を半ばから切断されており、完全に心を折られていた。
「ふぅ…ふぅ。ちっ、何を寝転がっているのです。さっさと行きますよ」
一頻り鬱憤を晴らした後は自分のせいであるにも拘わらず、一瞥もせずにさっさと着いてこいとばかりに歩きだす。
着いていくのが遅れたせいで折檻が増えるのは堪らないと、傷んだ体を押して立ち上がるエルフ達。その瞳は悲しみと絶望以外を映していなかった。
この男は強い―――
闘技場にて記念すべき初の相手と闘っているオデンキングは、予想以上に苦戦しているこの状況に素直に驚いていた。
確かに自分は今マジックキャスターとしてではなく《クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造》の魔法によって創造した装備で戦士として闘っている。
だがそれでもレベル換算で言うならば30強はあると見ていた。この世界の難度で表すと100前後だろうか。
間違いなく目の前の亜人の男よりパワーもスピードも一回りずつは上回っている。だが当たらない、どれだけ武器を振り回しても紙一重で避けられ反撃されるのだ。
「くっ…おわっ、危なっ!」
今またも一撃を入れられそうになったオデンキング。今は身体能力によるごり押しでなんとかなっているが、遠からず敗北に追い込まれることは目に見えていた。
「くっそっ…」
強引に大剣を振り抜き、仕切り直しとばかりに相手と距離をとる。今オデンキングの心にあるのは、こんな筈じゃなかったという思いだ。
オデンキングの予定では、まず剣で圧倒した後に「いつから私が剣士だと錯覚していた?」などと言ってから4、5位階の魔法を使って会場を驚愕させるつもりだった。
それがこの始末。今オデンキングはレベル以外の見えない部分の強さが存在することを痛感していた。
「うおっ!?」
またもや相手の戦士の猛攻にさらされる。少しばかり格好がつかないがマジックキャスターに戻らざるを得ない。
なに、ちょっと低い声で「ここからが本番だ…」とでも言えばそれなりに良い感じになるだろうとオデンキングは魔法を解いて装備を換装した。
闘技場の観客達は驚愕に包まれていた。いま行われているのは新人とベテランによる一方的な試合の筈だった。
闘技場の目的は純粋に素晴らしい闘いを見たいというものから帝都の民のガス抜き、賭博行為による収益などがある。
そして月に一度くらいの頻度でこういった新人とベテランによる結果が解りきった試合が組まれることがあるのだ。
見せ物としての面白さに加えて、倍率は極端に低くなるものの結果が鉄板である試合による客への利益還元のためだ。
そう、そんな一方的な試合になる筈だったのだが今闘っている新人は闘技場最強の男と渡り合っている。技術的には少し劣っているものの、亜人のお株を奪う身体能力によって拮抗している。
番狂わせが起きるのかと熱気が会場を包む。特に、超が付くほどの大穴を狙っていたギャンブラー達は大声援を送り声を枯らしている。
「やっちまえ新人!」
「勝ったら1400倍だぜ…! おらぁっ! 勝ったら奢ってやるからぶっとばしちまえー!」
声援で会場が震える。しかしそんな声よりも切実な感情を含む罵声も聴こえてくる。
「鉄板の試合じゃねーのかよぉ!」
「財布の中身全部だぞ…! 勝ったら殺すぞー!」
暗黙の了解としてこの利益還元の鉄板試合がある。
結果が解りきっていて倍率が低くても、賭ける元金が多ければ儲けはそこそこ出る。制限はあるものの上限いっぱいまで賭けているものもいた。むしろそういう事をする者ほど必死だったりするのは世の常だ。
罵声、声援、野次、賞賛、感心。欲望が渦巻く闘技場で誰もが手に汗を握り勝負の結果を見届けようと目を食い入らせている。
そして挑戦者が猛攻を防ぎきり間合いをとった後、黒い靄に包まれたかと思った瞬間、装備が一瞬で換わっていた。
見るからにその装備は特級品。輝く宝石の杖も、濡れた様な漆黒のローブも、マジックアイテムらしき腕輪も。どうみてもそれはマジックキャスターの装備であった。
会場が静寂に包まれる。
「さあ、ここからが本番だ」
重厚で低い声が静まり返る会場によく響いていた。
トブの大森林の奥深く。周辺諸国にも殆ど知られていない広大な湖。そしてその周辺にいくつかの部族がそれぞれ寄り集まり各々集落を作っている。
その種族の名は〈蜥蜴人〉といい屈強な体格と強靭な外皮を持ち、その名の通り蜥蜴に似た外見は人間から見れば恐ろしく狂暴に見える。反してその食性は雑食であり主に湖の魚を食糧にして生活している。
しかしそんな彼等も最盛期の繁栄と比べると非常に数を減らしていた。それは主食となる魚の減少、そして減った食糧を奪い合うための部族同士の戦争だ。
結局その戦いのせいで数を少なくした蜥蜴人に食糧が行き渡るようになったというのは皮肉的ではあるが自然の厳しさであり、必然のことだったのだろう。
そんな過ちを繰り返したくないと思う男が一人、この湖の一角に蜥蜴人にとっては革新的な「養殖」という行為を試行錯誤しながらも完成させていた。
とはいっても野生のモンスター対策に餌の選別、病気に対する備えや交配による稚魚の育成などまだまだやることは沢山ある。
しかし今は自分が育てた魚が成長し、通常の2倍近い大きさとよく乗った脂により最高の味となったことに達成感でいっぱいになっていた。
そんな彼の前にかなりの速度で移動してきた魔獣が急停止した。
「やっほー。調子はどう? いい感じに育ってるみたいだけど」
「5日ぶりでござる。なんとも旨そうに育っているでござるなぁ」
涎を垂らしながら生け簀を覗きこんでいる魔獣を叱りながら此方に降りてくる少年のような少女。彼女達の名前はハムスケとアウラ。少し前にこの森林を捜索している彼女達と遭遇しひょんなことから知己を得ることとなった。
蜥蜴人は本来ならば排他的で閉鎖的な気質をもち余所者を受け入れることなどまず無いが、この蜥蜴人ザリュース・シャシャのように外の世界に興味を持ち〈旅人〉として外界を巡った者は別である。
話をしていくうちに養殖のことが話題にあがり、ビーストテイマーであるという彼女が興味を持っためこの生け簀を見せたところ色々と助言をもたらしてくれた。
以来ちょくちょくと様子を見に来ることもあり友人の様な関係を築いていた。
「ああ、上々だよ。助言してくれた部分も目に見えて良くなっている。この出会いには感謝しなければならないな」
そうやってザリュースは小さな友人に感謝の言葉を贈る。
「いいよ別に。私もなんで知ってるのかよく解らなかったけど…」
謙遜するアウラに苦笑するザリュース、口をモグモグさせているハムスケ。異種族であっても友人にはなれるのだと思える優しい光景だった。
「それと前に言ってた件はどうなったの? ちょっとは進んでくれてたら嬉しいんだけど…」
つまみ食いをしたハムスケにお仕置きをしながらアウラはザリュースに問い掛けた。
「それなんだがな、族長の弟とはいえ旅人であった俺はあまり発言権が無くてな。この養殖がもっと成果を上げてアウラ達のおかげであったと判ればもう少しなんとかなると思う」
アウラが言うあの件、それはナザリックとの交流と同盟だ。穏便に世界征服を企む彼等は手始めにナザリックの近くにある蜥蜴人の集落に目をつけた。
いずれは全てを取り込んで統率するつもりだが、まずは穏便に話し合いをするためにアウラが偶然を装い接触したのだ。
蜥蜴人の集落を観察しその生活や気質などをデミウルゴスに報告した結果、何度か交流すれば強き者を尊ぶ彼等は隔絶した力の違いに気付き自然と取り込めるだろうという話になった。
「ん、まぁそこまで急いでるわけじゃないからいいよ」
「すまんな」
ザリュースは友人とはいうものの、この凄まじい力を感じる魔獣を従える彼女が属している組織の力には漠然とだが気付いていた。
焦っているわけではないが、穏便に話を持ってきている内に兄と他の集落を説得したほうが良いだろうと考える。
「家には寄っていくか? ロロロもアウラに会えたときは嬉しそうだからな。出来れば顔を見せてやってほしい」
ロロロとはザリュースの飼っているヒュドラであり、生まれつき頭の数が少なく親に捨てられていたところをザリュースに拾われたのだ。
ビーストテイマーという職業故か、はたまたザリュースと仲がいいためかロロロはアウラに良く懐いていた。
「うん。じゃあ少し会ってこうかな」
アウラも満更ではないのか笑顔でザリュースと一緒に歩き出す。ハムスケは2匹目のつまみ食いに挑戦し、遂に鞭でしばかれた。
ラナーに調査を託された冒険者パーティー「蒼の薔薇」
消えた犯罪者達の行方を追い調査を進める彼女達だが現時点では正直にいって芳しい結果とは言い難かった。
既に消えた犯罪者の行方はさっぱりと掴めず、今から消えるかも知れない犯罪者を見張っていても全く姿を消す気配がない。
はっきり言って現状は新たに犯罪者が消えるのを待つしかないといったところだ。
それでも優秀な彼女達はある一つの事実を掴んでいた。それは王国だけではなく周辺諸国でも犯罪者が消える現象が起きているということだ。顕著なのは王国ではあるがそれは多分に治安の悪さが際立っているということだろう。
そしてこの辺りで一番の勢力を誇る盗賊団「死を撒く剣団」すらも最近は姿を全く見せなくなったことから考えて同様に行方不明で間違いない。
目撃情報の時期的に考えて行方不明者の最後辺りが「死を撒く剣団」らしいということで現在も双子の忍者ティアとティナが情報を探しているがあまり期待は出来ないだろう。
何らかの意図が絡んでいるのは間違いないというのが蒼の薔薇全員の総意だが、ここまで痕跡を消しつつも広範囲にわたっているのは相当な規模の組織ということがほぼ確信できる。ラナーの不安も頷けるというものだ。
何にしても取り敢えずは双子の帰還を待って一旦調査を終了し、ラナーへと報告しようということになった。
そして報告をまとめラナーに渡した日の夜。ラキュースは目の前の親友の智謀をいまだに見くびっていたのだと思い知らされる。
「ここね」
地図の一点を指差して簡潔に言うラナー。
「えーと…何が?」
確かにこの一言で理解しろというのは少し酷だろう。そしてラナーは続ける。
「きっと此処に何かある」
目撃情報、姿を消した時期、時系列に並べた失踪位置情報。彼女の脳内で弾きだされた答えは常人には全く理解できないものではあったが正確にナザリックの位置を捉えていた。
「何でこれだけで答えが出せるのよ…」
呆れながらもきっと間違いないんだろうなと溜め息をつく。
「ここに何かがあって、何者かが居たのならば丁重に王国へ招待してくれないかしら? 勿論敵対はしないで、たとえ何者であろうとも」
この言葉にラキュースは更に混乱する。ここに居るのはどちらにしても犯罪者ではないのだろうか?
どういう意図があるのか全く理解できない。
「もう全くわかんないわね。危険そうなの?」
ラナーの頭の中身への理解を放棄し任務の難易度だけを簡潔に問う。
「ええ、私の予想が正しければ国の存亡レベルかもしれないわ」
予想以上の答えが返ってきた。だがラキュースも国を憂う一人の民であり、貴族にも拘わらず冒険者になった身ではあるが王国の危機と聞いてしまっては断れようはずもなかった。
「りょーかい。準備が整い次第出発するわ」
仲間達の了解も得ずして返事をしてしまったが、きっと了承してくれるだろうとラキュースは確信していた。
次話 さあ、お前の罪を数えろ!