東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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エピローグ

 

 ゾディアックの対応は迅速だった。僕らが導き出した結論を知るやいなや、一時間後には閉園した隈本城に人員を配置。九箇所にも及んだフェイズ0の揺らぎには特殊な処置がなされ、それ以上の侵蝕に至る可能性は排除された。事後報告が僕らの下に届いたのは、午後八時過ぎのことだった。

 

「あっという間に終わったね」

「貴重な休日を無駄にしたけどね」

「あはは。無駄って言わないでよ」

 

 僕と郁島は今、隈本城のふもとに立っている。とっくに閉園時間は過ぎていたけど、事態の収束へ大いに貢献したこともあり、特別に立ち入りが許されていた。

 通常なら拝めない、夜の隈本城内。ある意味で貴重な体験だ。

 

「少し休んでいかない?流石に私も疲れたよ」

「同感」

「それに……話、したいから」

「……ん」

 

 休憩所のベンチに向かう道すがら、自動販売機に小銭を入れて、炭酸飲料のボタンを押した。郁島にも選ぶよう促すと、郁島は困ったような笑みを浮かべて、同じボタンに触れながら言った。

 

「ユウキ君は、覚えてるかな。私がユウキ君を、弟みたいに思ってるって言ったこと。六月頃だっけ?」

「ああ、それ?忘れるはずないでしょ」

 

 忘れて堪るか、と声を大にして言いたい。あれは五月末、放課後の話だ。

 缶の蓋を開けながらベンチに腰を下ろすと、やや離れた位置に座った郁島は、思いも寄らない告白を始めた。

 

「多分、私はね。ユウキ君のことを、下に見ていたんだと思う」

「はあ?」

「だってそうだよ。いつも独りでいるユウキ君を放っておけなかったっていう想いに、嘘はなかったけど……同い年を年下扱いするなんて、普通はしない。ユウキ君も、良くは思ってなかったみたいだし。そう、だよね?」

「それは……まあ。確かに、そうだけどさ」

 

 他人を見下すなんて、郁島に限ってあり得ない。素直にそう思える反面、居心地の悪さを感じていた自分を、否定はできない。郁島が焼いた世話の数々は別問題だ。集団を嫌って単独に走る僕を放っておけず、声を掛けたり、昼食を押し付けたりしたのは、郁島の良心による行動だ。

 一方で、男子としての自尊心や誇りは、少なからず僕にだってある。同い年の女子から唐突に弟扱いをされて、決していい気はしなかった。嫌で仕方なかったぐらいだ。僕のそんな感情を、郁島は敏感に受け取っていたのかもしれない。

 

「でもユウキ君は、変わったよ。私がいなくても、クラスに溶け込んで、みんなから頼りにされてる」

「眼科に行った方がいいんじゃないの?」

「またそうやって。それに昨日の夜は、すごく大人に見えた。正直に言うとね、ちょっと戸惑っちゃった」

 

 昨晩。食事に出掛けた時のことだろうか。僕が大人びていたというより、ああいった場に郁島が慣れていなかっただけの話だろうに。

 

「今日だってそう。天才だって持て囃されてたって、前に言ってたけど、私はその通りだと思う」

「視野が狭いよ。僕以上の天才は世界中にいるし、今回の決め手は郁島の物だろ」

「ううん、違わない。同じ高校生にあんなことできないよ。天才って本当にいるんだなって、思い知らされた」

 

 段々と話が見えなくなっていく。郁島の意図が掴めない。一体何を言おうとしているのか。

 視線を落としていた郁島は、大きく息を吸い込みながら頭上を仰いだ。夜空に一際明るく輝いた月の光が郁島を照らして、不明瞭だった視界に、郁島の表情が浮かんだ。

 

「だから私、お姉さん役を止めようって考えてた。今に始まった話じゃなくて、前々からずっとそうしたかった」

 

 思わず息を飲んで、飲み掛けの缶が足元に転がった。

 分からない。僕はまた、郁島が分からない。

 

「でも、できなかったよ。止めたかったのに、どうしても、できなかった」

 

 どうして。どうしてだ。

 どうしてお前は、深い憂いを帯びた表情で、泣いてるんだよ。

 

「だって、何も残らない、から。ユウキ君が、遠くに、行っちゃいそうで」

「い、行く訳ないだろ。何言ってんだよ、行かないって」

「わた、私はただ、特別で、いたかっただけ、で」

「まっ……駄目だ、やめろ。もういいって、言うな、言わなくていい」

 

 視界が歪んでいく。自分への憤りが一気に膨れ上がり、両拳を握ろうとして、思い留まる。代わりに僕は、郁島の手を取っていた。

 

「一番で、いたかったの。ユウキ君、の、一番に」

 

 何が天才だ。何が神童だ。僕は、馬鹿だ。

 そっと寄り添うだけでよかった。こんな小さな手を、握るだけでよかった。

 募る想いと向き合うだけで、よかったはずなのに。

 

「散々僕を振り回しておいて……何、言ってんのさ」

 

 郁島の手は僕よりずっと逞しくて、そして小さかった。

 自分以外の誰かの手が、とても温かく、儚くて―――愛おしかった。

 

___________________

 

 

 季節は春を迎えた。

 月が替わり、始業式を来週に控えた四月の初め。X.R.C全メンバーに集合を呼び掛けたのは、部長のコウ先輩。クラブの存続が確定したことだし、改めて今後一年間の活動方針について話し合おうという先輩の召集は、恐らく頓挫するに違いない。

 クラブの性質上、協議の内容が曖昧な上に、今日は青天にも恵まれ、外出には打って付け。どうせ玖我山先輩あたりが「折角だから遊びに行かない?」とか言い出して、カラオケに直行だ。

 想像を働かせながらクラブハウスに入り、二階へ上がる。部室の扉を開くと、既に僕以外の面子は揃っていた。

 

「オッス。相変わらず時間にルーズな奴だな」

「遅刻はしてないでしょ。効率がいいって言って欲しいよ」

 

 コウ先輩と柊先輩は相変わらず。玖我山先輩もいつも通りのハイテンション。郁島は右手を振って応え、遠藤先輩は―――誰だよ、この人。

 

「あはは。ユウ君は相変わらずだね」

「アンタ誰?」

「予想通りの反応をどうもありがとう」

 

 レッドブラウン色の眼鏡。そして初対面の時と同じショートヘア。似合っているかどうかはともかく、まるで別人のような変貌を遂げていた。

 

「四宮君。それを直接聞くのはどうかと思うわよ」

「色々あったのよねー、アッキーは。でもまあ、可愛らしくていいんじゃない?」

 

 詳細は追々聞くとしよう。僕と郁島が玖州で右往左往していた最中、先輩も先輩で、とある騒動に巻き込まれていたらしい。

 少なくともあの眼鏡は本来、遠藤先輩にとっては傷のような物。かつて記憶を失い、視力の低下に苛まれていた期間中に使っていた眼鏡だ。それを進んで掛けているということは、何かしら心変わりがあったのだろう。余計な詮索は不要だ。

 

「ワリィ。顧問のトワ姉も来る約束なんだけど、少し遅れてるみたいだな」

 

 時刻は午前十時ピッタリ。今日もあの人は多忙を極めているらしい。コウ先輩の血筋は、きっと働き者ばかりに違いない。

 ちょうどいい。喉も渇いていたし、少し席を外しても問題ないだろう。

 

「おいユウキ、何処行くんだよ」

「飲み物を買いに行くだけだって。すぐに戻るよ」

「あ、なら俺のも買ってきてくれ。コーラな」

「私もコーラが飲みたい」

「レモンティーをお願いするわ」

「あたしはあれ、さくらブロッサムクリームラテ」

 

 百歩譲って後輩としての務めを果たすとして、最後のは馬鹿なのか。駅前にしか売ってない。

 やれやれと溜め息を付いていると、郁島が椅子を引いて立ち上がる。

 

「私も行くよ。一人で持てる量じゃないしね」

「ああ、そう」

 

 扉の前で立ち止まっていると、郁島が鞄から財布を取り出した拍子に、一枚の硬貨が床へと落下した。硬貨はコロコロと縦に転がっていき、やがて戸棚と床の僅かな隙間に吸い込まれていった。

 

「んん……困ったなぁ。手が届かないよ」

「箒なら届くんじゃないの。用務員室の柄が長い奴」

「あ、そっか。じゃあ取って来るね」

「別に後でいいでしょ。先に行ってるよ、ソラ」

「ち、ちょっと待ってよユウキ」

 

 部室を出て、横並びになって廊下を歩く。部室の扉を閉め忘れたせいで、先輩らの好き勝手な会話が背後から聞こえてくる。

 

「何かしら。妙な違和感があったような気がするわ」

「うんうん、あった。ていうかすごくあった」

「まあ、何かはあったんだろうな」

「あはは。きっと良いことがあったんですよ」

 

 あの頃。一年前の僕は、桜が嫌いだった。

 春を報せる花びらが嫌いで、新たな高校生活を前に、何の希望も見い出すことができないでいた。

 でも今は、悪くないと思える。春爛漫の陽気で、胸が一杯になる。

 桜の香りが心地良くて―――僕の右手は、温かかった。

 

 

 

 


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