『ねえアキちゃん。どうしたの?』
「シオリさん、ですか?」
『どうして、泣いてるの?』
「な、泣いてるって。私、泣いてなんかないですよ」
『だって、ほら』
「あれ・・・・・・ど、どうして、私」
『とっても悲しいことがあったんだね』
「・・・・・・そうかも、しれません」
『じゃあ、嘘を付こっか』
「嘘?」
『うん。悲しいことは嘘にしちゃって、楽しいを本当にするの』
「い、嫌ですよ。私は嘘を付きたくないです」
『安心して。ここには私達しかいないよ?だから絶対にバレないんだ』
「そういう問題じゃないですって」
『んー。じゃあさ、一つだけ嘘を付いて、あとは無かったことにするっていうのはどう?』
「それって同じことだと思いますけど・・・・・・」
『だって、私も嫌だもん』
「シオリさーん」
『うん、それがいいよ。アキちゃん、そうしよ?』
「・・・・・シオリ、さん?」
『大丈夫、全部私に任せて。ジュン君にも絶対にバレないよ』
「ま、待って下さい。無かったって、それどういう意味ですか?」
『そのままの意味だよ?』
「何を・・・・・・何を、するつもりなんですか」
『もう、何度も言わせないで欲しいな』
『ぜーんぶ、無かったんだよ』
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6月5日、午後19時。
「アキ。おい、アキ!」
「ん・・・・・・うん?」
コウが繰り返しアキの名を呼んでいると、重い瞼がゆっくりと開かれる。
「あれ、私・・・・・・と、とと、時坂君!?」
「ったく。またこんな場所に帰って来やがって」
「でもアプリのおかげで簡単に探せましたし、これで漸く一件落着って感じですね!」
保健室で異界化に飲まれた筈のアキの出現座標は例によって変化し、今回の居場所は本校舎屋上の、更に上。壁面に設置された梯子を上った先、時計台の真上に、アキは大の字で眠っていた。
「本来は立ち入りが禁止されている場所なのですが・・・・・・致し方ありませんね」
「遠藤のおかげで、貴重な体験ができたって訳だ」
「ちょ、郁島。押すなって、狭いんだから」
既に異界化に巻き込まれたとされる生徒、教職員一同はその安否の確認が取れている。唯一発見が遅れていた生徒が、アキ。グリムグリードの脅威も去り、事態は収束の一手に向かっていた。
「あー、何だ。その、アキ。近い近い」
「あ、あの。その、ええ?」
そして誰もが安堵の表情を浮かべる中、アスカだけがコウの腕に縋り付くアキの姿を見て、違和感を抱いていた。アスカはコウから離れようとしないアキの眼前に屈み、柔らかな物腰で問い始める。
「ねえアキさん。貴女の名前、フルネームで言える?」
「と、と・・・・・・遠藤、アキです」
「なら、貴女の故郷は何県?」
「東亰都、ですけど。育ちは、伏島で」
「そう。それと今日は、何月何日だったかしら」
「え、えーと。4月の、23日?」
賑やかな喧騒が消え、表情が消える。
「・・・・・・もう一度聞くわ。今日の日付は、何月何日?」
「あ、あの。ここは、何処で・・・・・・ど、どちら様、ですか?」
少しずつ、少しずつだけど、一歩ずつ。
全ての歩みが、まるで夢であったかのように―――嘘のように、消えていた。