隣の席の女子、彼女は雪女と呼ばれている。


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わりと現実であったことが元ネタだったりします。それでもフィクションだらけですけどね。


僕のクラスには雪女がいる

 僕のクラスには雪女がいるらしい。

 とある関東圏内の私立高校。そこの二年生である僕、高見照(たかみ・てる)はこれといった特徴もない男子高校生でしかないと思う。

 そんな僕のことはどうでもいいけれど、僕の隣の席には不思議な人が座っている。

 彼女の名前は原恵(はら・めぐみ)という。その原さんは、まわりの人に雪女と呼ばれている。

 

 僕がこの高校に入学した時、当然季節は春だった。僕にはそうもいかなかったけれど、原さんはなんと初日から友達を作っていた。

 なんの気なしにその友達と原さんの会話を聞いていた。別に盗み聞きしようと思ったわけではなくて、聞こえてきたという方が正しい。

「えっ、原さん冷たすぎじゃない!?」

 一瞬なんのことかと思った。冷たいと聞くと、こういう状況だとなんとなく性格的な意味を思い浮かべるけど、まだ名字にさん付けする程度の仲でそんな感想を口にするだろうか?

 見ると、友達は原さんの手を触っていたのだった。

「そうなの、寒くて」

 苦笑いで答える彼女は確かに、厚着をしているわけではなかったが。

 当然だ。なんてったってその時は春、最近暖かくなってきましたねなんて話をよく天気予報で聞くような季節だったんだから。

「寒いって、もう春だよ? すごい体温低い人なの?」

「そうみたい」

 それが初めに僕が聞いた原さんの話だった。手が冷たいと、それだけの話。正直誰の体温が低くてもどうでもよかった。

 ただ、友達と話している時の彼女が苦笑い混じりの笑みを常に浮かべていたのは憶えている。

 

 話が大きくなったのが夏のことだった。各々が夏服へと服装を変え、当然原さんもそうだった。もちろん僕もだ。

 みんなの服装が変わりきった頃、聞き覚えのある会話が聞こえてきた。

「ちょ、うそでしょ? 原冷たすぎだよ」

 とりあえず名字からさん付けが取れていたけど、それはいい。

 真夏にこんな話を聞いたらやっぱり性格的な意味なんじゃないかと考えるけれど、なんとなくそうではない気がして僕は原さんの方を見た。

 やはり友達は、原さんの手を触っていた。

「うーん、寒くてね。大丈夫だよ別に」

 寒いと、真夏に似合わないことを彼女は言った。それに、寒いのならなぜ夏服にしたのだ。謎は多い。

「いや大丈夫って、こんな暑い日に寒いって言われて驚かざるを得ないんだけど……。すごいね、なんか……筋金入り?」

「筋金入りって、なんの」

 また苦笑いの混じった笑顔で笑う。春頃には他人の体温なんてどうでもいいと思ったが、さすがにこれはそんなものでは済まされない。

「大丈夫? 病気とかじゃないの?」

「大丈夫だってば。心配しないで」

 彼女はそう言ったけれども、結局次の日もその次の日も彼女は冷たいままだった。手だけでなく、首や腕、足も冷たいらしい。

 同性からだとしても、僕はなぜだか体のあちこちをベタベタ触られている異性を、原さんを見ることができなかった。意識して目を逸らす。

 なんだろう、根拠はないけれど見てはいけない気がしたのだ。

 

 夏休みに入る前、原さんには初めにできた友達以外にも何人か仲の良い人たちができていた。要はグループが形成されたわけで。

 一年生の夏になっても一人も友達がいなかった僕からすれば少し羨ましかったかもしれない。

 それはともかく。

 友達の一人が突然言ったことだった。

「ねぇ、あたしたちは原に触って冷たいと思うけど、原はあたしたちのこと熱くないの?」

 言われてみればそうだった。当然考えるべきことで、すでに言うのが遅すぎたまである。

 僕は当然彼女に触ったことがないから程度は知らない。けれど、ずっと水中で暮らしていて体温の低い魚を人間の手で触れるとどうなるのかというのをテレビで見たことがある。

 やけどするらしい。そう言われても魚がやけどしているかなんて僕には見分けがつかないけれど。

「大丈夫だよ。むしろあったかくて助かる」

 彼女が苦笑い混じりにそんなことを言うから、なんだか強がっている風に聞こえてしまう。

 もし誰かが触れることで彼女をやけどさせていたら、それは判別がつくことなんだろうか。

 しかしそれ以前にもっと疑問なことがあった。そもそもなぜ彼女は、異常なまでに体温が低いのだろう? 真夏にまわりからああも冷たい冷たいと言われるのは異常ではないか?

 本人が病気の類ではないと言うので、わかることなんてなにもないけれど。

 

 というわけで、いろいろあって二年生になり今に至る。

 夏が終わってからは特筆すべきこともなかった。もうここまでくると、原さんが冷たいのは当然だということになっていたから。

 ただ一つだけ、誰がいつ言いだしたのかは知らないが、彼女は雪女という愛称をつけられていた。

 それからはもっぱら雪ちゃんやら雪子やらと呼ばれている。初めの頃はやはりその呼び方も苦笑いで受け入れていた彼女だが、今はすっかり慣れたようだった。

 現在高校生活二度目の五月、彼女は僕の隣の席に座っている。

 白状する。僕は、これだけ彼女が雪女だなんだと騒がれているのを知っていながら、彼女に触れたことは一度もない。

 隣に座ったからといって冷気があるわけでもなし。極論、全員が僕を騙すため全てを演技していたとすると、僕はまんまと騙されていることになる。

 さすがにそれはない。ないとは思うけれど、しかし僕は一度も彼女が雪女と呼ばれる理由を自分自身で確かめたことがない。

 白状する。二度言ったが、これは白状だ。僕は彼女に、原恵に触れたい。変な意味ではなく、本当にただ話に聞く冷たさを体感してみたい。

 でも、だからってどうする? 触らせてくださいと言うのか? 僕と彼女が小学生だったらそれでもよかったかもしれない。

 お互い思春期真っ只中なのだ。下心は一切ないので触らせてください、なんて言って言葉をそのまま鵜呑みにしてくれはしないだろう。

 僕は生まれて初めて自分が男だということを少しだけ悔いた。いや、女子を羨ましく思ったのが初めてだったのかもしれない。

 とにかくだ。

 僕は彼女に触れたい。しかしそのための名案などはまったく浮かばない。これが最近の僕の悩みだった。

 いやせめて、僕と原さんが友達と呼べる程度の親密さがあればよかったのに。そうすればなんの脈絡もなく「腕相撲しようぜ!」と言えば馬鹿なことを言うなぁと思いつつも、彼女のことだから苦笑いしながら付き合ってくれたかもしれない。

 まだ僕は彼女と話したことがない。第一声が「腕相撲しようぜ!」だったら完全に不審者である。

 じゃあどうする? まずは普通に友達になることを目標とするか? ……で、どうやって? 僕は高校に入ってから今まで、実に一年経ったが友達がいないのだ。その僕が自分から友達を作りに行くなんて、無理、無理だ。

 わりと八方塞がりだと思っている。どうしようもないと。

もしかしたら卒業する時に最後だからーみたいなノリで触れないだろうか? いやどうしてもやっぱり一度も話したことない人がそれやると不審者だよなぁ。勢いで押し切れる可能性がなくもない気がするけど、危険だ。

とか、こんな風に僕はいつも考えるけれど、僕はそのことをあまり好ましく思っていない。

だって要するに僕は、どうすれば女子の体に触れるのかを考えているわけで、常識的に考えてあまりいいこととは思えない。

「あー雪子は今日も変わらずひんやりしてるねぇ。夏になったらまたお世話になりますわ」

「どうぞどうぞ遠慮なく」

 原さんの手に頬ずりするその友達を見て心底羨ましく思った。

 あぁいやだから、変な意味ではなく。やっぱりこの話をすると僕が変質者みたいになるから嫌いだ。

 あ、わかった。いっそ腕相撲作戦のような特攻策を考えて実行し、なんどもそれを繰り返せば「近寄んじゃねぇ!」って感じでビンタくらいされるのでは? 結果としては触れられるのだからそれでも構わない。

 ……考え方がどんどん危ない方向へ行っている気がする。変質者に寄っている。

だいたい、特攻したらしたで普通に避けられて、最終的に生徒指導室行きだろう。やはりこの作戦もダメだ。効果もダメだが、倫理的にもダメだ。

毎日授業中もそんなことばかり考える。今消しゴムを落として、彼女が拾ってくれようとしたところで触れれば自然に見えるのでは? とか。

この作戦も却下。まず彼女が拾おうとしてくれるかが問題だし、僕が自然を装って彼女の手に触れられるほど演技力があるとも思えない。なにより良心を利用するようで気が引ける。

そんなこんなで考えを巡らせている内に一日は終わっていく。そして明日も同じようなことの繰り返しだ。

大げさに言えば、僕は彼女に触れない限り前に進めない気がする。

 

 次に日も僕は普通に登校した。原さんも同じだった。彼女はいつも僕より早く席に着いている。

「おはよー」

「おはよう」

 もちろんこの挨拶は原さんと彼女の友達が交わしているもので、僕は挨拶を交わしたことさえそういえばなかったと気づく。

 それとは別にもう一つ、今日は暑い。だからかはわからないけれど、彼女に触れたい気持ちが一層強くなっている気がする。

 五月、微妙な時期だ。暑かったとしても普通だという気もするし、珍しい気もする。

「はいおはようございます。とりあえず出席取るよ」

 担任が教室に来て、今日も平常通り学校が始まる。

 さて、僕はいったいどうすれば彼女に触れられるのか? 自然に、僕も彼女も、誰もが嫌な思いをしないように。

 ……そんなことがはたして可能なのだろうか。もしかして、どちらかが犠牲にならなければならないのでは。

 なにかを得るためには、なにかを失わなければならないのでは。

「高見くん」

「……」

「高見くん!」

「あ、はい」

 いつの間にか英語教師がいた。

「教科書とノート出して」

「はい」

 少し考えることに集中しすぎてしまったようだ。まわりが見えてなかった。

 それにしても今日は暑い。取り出したノートで自分を仰ぐ。

 仰ぎついでに隣を見る。原さんはいつも真面目に授業を聞いていて、必ず前を向いている。だからそれなりに露骨に隣を見ていても気づかれない。

 他のやつらが喋ったりしている中でのその態度は、真面目というよりは生真面目に見える。

 本来彼女の授業態度こそが理想であり、当たり前であるはずなのに。どうしても僕には生真面目だという風に見えてしまう。

 僕はそんな僕のことも嫌いだった。喋りながら授業を受けている生徒も嫌いだった。そんな生徒を止めることができず、かといって原さんを称賛するでもない教師も嫌いだった。

 嫌いなものだらけで、あぁだからこんな人間に友達なんてできるわけがないんだなと思った。

 自分も他人も嫌うやつに、友達ができて堪るものか。

 それでも僕は、原さんのことを嫌いだとは思わない。まさか、好きというわけでもないけれど。

 僕は彼女に触れたいだけだ。その執着心こそあれど恋心はない。もしも彼女の体温が平凡なら興味も抱かなかったに違いないのだから。

 あぁ、あるいはだ。あるいは、執着心を恋心を似たようなものと考えるのならば。僕は彼女の体温に恋しているのか……?

 そうだとすれば、やはりそれも嫌いだ。

 僕は僕が嫌いだ。女子に触れることだけを考える僕が、友達のいない僕が、彼女と話すことさえできない僕が、嫌いなものだらけの僕が、

 ……体温に恋をしたかもしれない僕が、嫌いだ。

「高見くん」

 でも僕はそれ以上に他人が嫌いだ。やっぱり、最後の最後では自分を擁護したいものなのかもしれない。

 授業中に話している彼ら彼女らが、原さんと話せる彼女らが、原さんに触れられる彼女らが、原さんと友達になれた彼女らが、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで

「高見くん!」

「……え、あぁ、はい」

「大丈夫……? 調子悪い?」

 授業の中で指されでもしたのだろうか? そして、僕はまた考えることに必死でそれに気づかなかったと。

 今日の僕は間抜けだな。やはりそれも嫌いな要素になる。

「そうですね、悪いかもしれません」

 彼女に触れないと前に進めない。それがいよいよ深刻な意味を持ってきているのかもしれない。

 彼女に触れなければ僕は今のような間抜けになったままなのかも知れない。もしそうなってしまえば、調子が悪いでは済まされない。

 ……いやそれは責任転嫁もいいところだ。なぜだろう、今日は自己嫌悪する要素が多い。

「じゃあ帰った方がいいよ。職員室行ってきな」

「……は?」

 帰る? いやいやいや、さすがにそこまでではない。いくら集中力がないとはいえ、帰宅を命じられるほどだったか……?

「顔真っ赤だよ。熱あるよ、それ」

 ……教師の言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。けれどもなるほど、理解する。

 今日は暑いと思っていたが、暑いというより熱かったのか、僕が。考えがおかしな方向へ向かって行ってしまったのも、熱で知らぬ間に朦朧としていたのだろうか。

「……じゃあ、帰ります」

「気をつけてね」

 荷物をまとめて教室を出る。いつも背負っているバッグが、というか今朝背負ってきたバッグが、熱があるとわかったとたん重く感じる。

 自己暗示的な状態にあるようで、体がどんどん熱くなってくる。バッグを背負うのが嫌になってくる。背中が暑い。

 階段を下りて職員室へ行く。いや、行こうとした。

 降りきるまであと数段というところで踏み外し、踊り場に転げ落ちる。今日はあれだ、間抜け記念日とかそういうのにしよう。

 そういうアホなこと考えてないとそろそろ精神的にキツイ。

 とにかく家に帰って休もう。そう思い立ち上がろうとしたが、体に力が入らない。

 まさか今の小規模階段落ちで体が動かなくなるような深刻な怪我はしないだろう。そんな怪我をしていたらいくら熱が出ていても激痛を感じるだろうし。

 となると、単純に体が熱にやられている。純粋に力が入らないのだ。

「あぁ……」

 まずいな。こんなところで寝転んでいてはそれこそ不審者だ。幸い犯罪的な不審者ではないけれど、なんにしたって変な人。

 どうせ不審な人物になるくらいなら、彼女に触れてなる方が何億倍も良い。

「高見くん! 大丈夫?」

 上から声がした。その声は基本的に叫んだりする声だとは思っていなかった。だから、一瞬だれかわからなかった。

「……原さん?」

 雪女がやってきた。そういえばフィクションの、雪女の話もこんな感じじゃなかったか……? 主人公が山で遭難したのだったか、とりあえず今の僕と同じくらい危ない状態だったはずだ。

 すると雪女は、一度目に会った時は助けてくれる。……いやどうだったろう。見逃してくれるのだったか? 憶えていない。

 同じクラスの雪女に執着こそすれど、それ以外の雪女には大して興味がないからか。

「心配になって来てみたんだけど、大丈夫……? 立てる?」

「いや、ちょっと無理……」

 情けない話だ。結局これが彼女との最初の会話になったのだ。もしかして腕相撲の方がマシだったんじゃないか……?

「無理かぁ……。困ったな、私じゃあたぶん担いだりできないし……」

 担ぐとな。そりゃあほとんどの女子はほとんどの男子を担げないと思うぞ。男子でも男子を担げるかは怪しい。男子が女子をくらいなら、……まぁ、僕みたいな貧弱なやつじゃなければいけるんじゃないだろうか。

「気持ちだけで十分だよ。……そうだな、とりあえず先生を呼んで来てもらえると」

 しかし彼女もさすがに床に寝転ぶ同級生男子を見て混乱しているのか、僕の話を聞いているように見えなかった。

 現に、職員室ではなく僕に近づいてくる。

「……わっ」

「あっ、ごめん! 冷たいよね」

 触れた。彼女が僕に触れた。腕を掴まれた。

 ゾッとするほど冷たかった。氷とまではいかなくても、冷凍庫の冷気くらいはあった。およそ五月の、水で濡れたわけでもない人間の手の温度とは思えなかった。

 真冬の水に濡れた手が、これまでに自分が触れてきたものの中で一番似ている。そう思った。

 本当に彼女は、雪女と呼びたくなるような冷たさだった。人外的な冷たさだった。

「いや……大丈夫だけど……」

 ついに僕は彼女に触れた。触れたのだ。念願の、彼女に。

 もし僕が体温に恋をしていたというのなら、見事それは成就した。

「そう……? よかった」

 しかし、よく考えたら僕の体温は今とても高いはずだ。あの人外を思わせる冷たさは相対的なものであったのかもしれない。

 それでもいい。僕の体温が平常でも彼女がそれなりに冷たいことに変わりはない。冷凍庫から冷蔵庫に変わるくらいだろう。大した問題じゃない。

 それよりも、

「僕はいいけど。……原さんは、熱くないの?」

 ずっと訊きたかったこと。今しかないと思った。

 彼女はまわりの人に触られることを暖かいから助かると言っていた。本当にそうなのだろうかと、ずっと気になっていた。相対的な問題は、やはりどう考えてもあると思うのだ。

「うん、大丈夫だよ? むしろあったかくて、カイロみたいでもっと触っていたいくらい」

「……」

 僕の思考回路は女子に「もっと触っていたい」と言われたことにより断絶した。

 ……いやいやいや、そんなことを考えては僕は本当に「女の子に触りたいんじゃあぐへへへへ」みたいな変質者になってしまう。僕は彼女に、彼女の体温以外には大した感情を抱いていない。そうだ、そのはずだ。いや絶対にそうだ!

「あ、もしかしてこうしたら気持ちいい?」

 額に手を当てられる。この上なくひんやりして、今の僕には最高だった……。

 ……だったけれども! ダメダメ! なんかこう、よくない感情が生まれそう!

「あれ、なんかさらにあったかく、というか赤くなった……? 大丈夫……?」

 いやいやいやいや、さすがにこれ以上体温は上がらないし顔も赤くはならないだろう。

たとえどんな感情があってもだ。体調不良で発熱しているんだから、熱の原因はそれが全てだ。

「だ、大丈夫大丈夫ありがとう。それでなんだけど職員室に行って先生を」

「あっ! そっか! そうだね、行ってくる」

 すたたたたーと走っていく彼女を視線だけで見送り、……ちょっと体に力を入れてみると立ててしまった。

 なんか知らないけどちょっと容体がマシになったみたい……。

 担任教師が来る頃の僕はちゃんと二本の足で立っていて、

「あ、すいません。とりあえず立てるようにはなりました」

 と、また間抜けなセリフを言うことになってしまった。担任はそんな僕を見て、原さんに一応心配だから付き添いで昇降口まで見送ってくれないかと言った。

 彼女は承諾した。珍しく苦笑いはしていなかった。

 

「……高見くんさ」

「……うん?」

 未だ重い体を引きずるように昇降口へと向かう。

 不思議なことにそれは苦痛ではなかった。たぶん、人と一緒に歩いているからだ。……間違っても原さんと一緒に歩いているからとか、そういうことではない。

 友達がいるというのはきっと毎日がこんな風なのだろう。羨ましい。

「いつも私のこと見てたでしょ」

「えっ」

 うそだ。バレているはずがない。本当に気づかれていなかったんだ。逆に気づきながらもあの態度だったとしたら、彼女は相当演技が上手い。上手すぎると言ってもいい。それくらい断言できるほど、僕は絶対に気づかれていない。

 だが現にバレていた。なぜ。

「私は最初気づかなかったんだけど、友達が教えてくれたの」

 ……あぁ。それは盲点だった。原さんを見る時、原さん以外の人の視線なんて気にも留めていなかった。

 なるほどなるほど。友達とは本当にいいものなのだなぁ。

「……いや、見てたと言うか。その、なに、……見てたけど」

「なにそれ、なんでそんなに慌ててるの?」

 いつもの苦笑い混じりに笑顔で彼女は笑った。いつも自分を見ていた男を前にして笑った。それで笑えるものなのか。

「いや、だって……」

「まぁいいや」

 彼女が話を打ち切ったと思うと、もう昇降口まで来ていた。

 僕は外靴を履いて振り返る。目に映る人は彼女だけで、ここには、この世界には僕と彼女しかいないように思えた。

 もちろんそんなのは気のせいだけれど。

「じゃあ、ありがとう」

「お気になさらず」

 そうは言っても、僕を追いかけて教室を出るのはそれなりに手間だったと思う。まさか誰も道半ばで僕が倒れているとは思わないだろうし。

 それでも、気にするなと言われたのだからそれ以上はなにも言わない。彼女が人に触れることで熱いと思わないのか、そもそもその体温はおかしくないか、そういう問いを彼女は今まで大丈夫だと、気にしないでと言っていたから。

 ずっと冷凍庫に閉じ込められたような寒さを感じていてその体温なら、きっと彼女は耐えられない。

 相対的に温度を感じるなら、僕に触れた彼女は熱湯にでも触れたように感じるんじゃないのか。

 そんなことは考えるだけ無駄だ。そんな状況を「大丈夫」と、もし言っているなら、それこそそんな演技力は人間のものじゃない。

 彼女は人間だろう。この世に雪女が実在するものか。雪女がどんな特性を持っているかなんて詳しくは知らないけどさ。

「じゃあ、……また明日」

 今しかないと思ったから言った。熱くないのかと訊いた時のように、今しかないと思ったから言った。

 明日も会いたいと、彼女は特に重くは捉えないだろうけど。僕には勇気のいることだった。

「うん、また明日。また話そうね」

 僕の感じていた熱はどこかへ感覚ごと飛んで行った。体が軽くなったような気がして、スキップしそうになるのを我慢して歩きだす。

 僕は体温に恋をしていたのか? たぶん、いつの間にか変わっていた。目的と過程がごちゃ混ぜになるというあれだろうか。

 僕は彼女が、原恵が好きになってしまったみたいで。僕の恋した女性は雪女のような人だった。だけれども、きっと彼女は人間だ。

 ……いやそんなことどうでもよかった。彼女が人間でも雪女でも、そう恥ずかしいことに、これは僕の初恋なのだ。

 




 すべて読んでくれた方、ありがとうございました。
 さて申し訳ないお知らせです。いかんせんこの話は書く前日に思いついた話なので、構想は半日くらいです。そして執筆時間も三時間ちょいです。休憩挟みながらの三時間ちょいです。短いですね。
 なにが言いたいのかと申しますと、原恵が人間だった場合の体温に関する説明、恐ろしい程の低体温で人に触れても熱いと感じないことについての説明、そんなものは一切ありません。考えてないです。
 同時に彼女が雪女だった場合、なぜ現代に雪女が学校に通っているのか、どこから来たのか、とかその他もろもろのことも考えてません。
 そうです、作者の私自身彼女、原恵が人間なのか雪女なのか知りません、わかってないんです。
 いやぁーいつかわかる日がくるといいですね!(他人事) そんなテキトー小説でした。ごめんなさい☆


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