妖因果奇譚   作:凸凹セカンド

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 ランタン型のLEDランプをぶら下げた長谷川が「飯嶋、これつけとけ。保険」と手首をぐるりと一周する数珠のひとつを外すと、それを飯嶋へ手渡した。飯嶋はそれを素直に受け取ると、冷たい石のそれを手の中でしげしげと眺め、無言で手首に嵌めた。

 この状況で級友が意味のないことをするとは思えなかったので、飯嶋はあえて手首できらめく天然石のことは聞かないでおいた。聞いても彼にどうこうする術はないのだが。

 

「さっきの祓い屋の…名取さんだっけ。どっかで見た気がするんだけどなぁ」

 

 飯嶋がもう少しメディアに明るければその答えはすぐにでたかもしれないが、彼は残念ながら世間の、特に芸能情報には疎かった。彼は「うーん」と唸りながら、森深くに建造された社の木張りの床にごろりと寝転がる。この社に本来の主がいるならばこんな罰当たりな格好はしないが、咎めるべき奉られた存在である道祖神はこの社を離れて久しい。

 四隅には蜘蛛が糸を張り、手入れするものがいなくなった木造の社はところどころがきしんでいる。かすかに残る何者かの残滓が、ここが現在手入れもされず()に使われているか存在を匂わせていた。

 

「なんかさびしいな」

「はい」

 

 独り言のように呟いた飯嶋の言葉尻に、まだ変声期を過ぎたばかりの少年の声が答える。

 飯嶋と少し距離をとり、不細工な護衛の猫を膝に抱いた夏目少年である。

 夏目少年も、まるで時代から切り離されたかのようなこの寂れた社の姿に、いろんなものが見えるからこそ複雑な思いを抱いているらしい。

 狭い社のなかを歩き回って、時々写真をとっていた長谷川が、あくびをかみ殺しながら二人と一匹の元に歩み寄る。

 ああ、そういえば、僕のためにこいつは夜更かしをしたのだった。と助けられたというのに随分と薄情なことを考えながら、寝転がった姿勢のまま下から級友を窺う。

 

「社は「や」を「弥」と記し、訳を「ますます」と意味し、さらに「しろ」を「城」と訳し、神が占有する一定の区域と定義する所謂神域だ。本来は人間が足を踏みいれることを許されていない神のための空間なんだが…ここはおそらく無格社なんだろうな。地元の人間に忘れ去られたら、そこで仕舞いだよ。さびしいもんさ」

 

 肩をすくめると、長谷川は「よっこいしょういち」と寒いギャグを口にして座ったが、飯嶋の呆れたような目線と、意味がよくわかっていない夏目少年の純粋な視線にさらされて「ジェネレーションギャップ…」とがくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

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「あの鎌のやつくるのかな」

「くる確立は高かろうなぁ。美味そうな餌が二匹、人目に付かない場所に集まってるんだから。夜、カゴ釣りでアジ入れ食いレベル」

「たとえがわかり難い」

 

 格子のはまった社の窓から、夜の深々とした静寂を守る森を眺める大学生の後ろに、こっそり家からここまで来た夏目が遠慮がちに近づく。

 この少年は、人間との距離のとり方が苦手のようだ。

 まあ、仕方ないよな、僕も昔はそうだった。と飯嶋は寧ろ共感した。今も、特別上手くなったわけではないが。

 

「でも、こんなわかりやすい罠にかかりますか?」

「かかると思うよ。人間からしたら鼻で笑えるレベルの見え透いた罠でも、ブレインのない状態なら判断が付かないから、見ただけの状況で反応するし」

「ブレインの、ない?」

 

 外を眺めたまま夏目の問いに答えた長谷川は、面白そうに少年を視界に納めた。夏目は眼鏡越しに、長谷川の目が赤に変色したような錯覚を抱くが、瞬きひとつで茶色がかった平凡な日本人の目の色に変わったので気のせいだろうと結論付けた。

 

「妖は君の猫や、さっきの祓い屋の連れている仮面のように頭の回るものばかりじゃない。小学生レベルの頭脳か、あるいは犬猫のように本能のみで動き回るものの方が絶対数は多い。だから強いものに淘汰されるんだけどね。そのなかでも特に、あれは末端。つまり古井戸の主の触手だ。主要の脳みそは深く暗い井戸の中。そんなやつに正しい判断なんてできないよ」

「そんなこと、よくわかりますね」

 

 長谷川は、地元の人間ではなく、遠く離れた大都会の人間だ。いくら民俗学を専攻しているからといって、名取のように祓い屋として前情報をもっているわけでもないのに、そんなに詳細を知ることなどできるのだろうか。

 飯嶋よりも飄々とし、見透かすかのような目で見てくる長谷川。

 夏目は、同じ風景が見えるものだとしても、何とはなしに彼と距離をとる。心が彼と接近できる気がしない。

 夏目の探るような目と、腕の中でおとなしくしつつも「妙なことをしたら食うぞ」と言外に匂わせる獣の双眸に、長谷川は何度目かわからないシニカルな笑みを浮かべた。

 

「さて、よく見えすぎ(・・・・)てね」

 

 妙な雰囲気になっている級友と地元の少年をちらりと視界に納め、我関せずと改めて外に視線をよこす薄情者の飯嶋律は、格子がはまって視界の悪いなかで何かを探すように頭を縦横斜めと動かす。その挙動不審さに思わず「何してるんだ、飯嶋」と長谷川が声をかける。

 

「んー…名取さん、外で隠れてるっていってたけど…どこいるんだろう」

「隠れてるんだからお前に見つかったらいかんだろう」

「そうか…そうだなぁ。僕は祓い屋っていまいちピンとこないからどんなんか見てみたいような見たくないような…好奇心が」

「巫者や物質化した霊魂すら相手したことあるくせにしてから……伯父がいるだろ」

「開さんは…開さんはなぁ…必ず味方になってくれるわけじゃあないし」

 

 諦めて格子窓から体を離すと、飯嶋は夏目に抱かれているニャンコ先生に視線をよこす。実家に残してきた彼の護衛と見比べると、なんとも愛嬌があってかわいらしい。

 その視線に気付いたニャンコ先生が「何だ小僧!」と短い足で威嚇してくる。夏目が「先生」と諌めるが、なんともコミカルな動きで飯嶋は思わずふっと笑った。

 

「可愛いなぁ」

「可愛いですか?」

「ほれみろ夏目!私はきゅーとでちゃーみんぐだといっただろう!」

 

 尾白と尾黒は昼間だと相手がアカでも食べられてしまうから、この猫の妖とは相性が悪いだろうなぁと、なんとも自分の式相手に低い評価をつけながら、少年の腕のなかでおとなしくしているニャンコ先生の頭を撫でる。

 猫を飼うだけあって心得ている手つきで撫でられたニャンコ先生は「あ、そこ…」とうっとりしながらも、撫でている優男を見上げる。

 

「貴様も夏目もよくもまあ、いままで無事であったものだな」

「ああ、うちは祖父が僕を守るためにいろいろしてくれたからね」

「おじいさんが…?」

「そう、亡くなったあとも、いろいろね…」

 

 飯嶋律と自分の共通点を見出して、夏目はなんともいえない複雑な気分になった。強い霊力で、子供のころから見えなくてもいいものがよく見えて、人間関係で苦労して。夏目は友人帳と、それにまつわる災禍を亡き祖母から受け継いだ。飯嶋は、亡き祖父から産まれたときから祝福され守護されてきた。

 同じような生まれでも、こうも違うのかと、鬱屈したものがじわりと溢れる。

 

「夏目」

「夏目君?」

 

 ニャンコ先生の短い愛らしい前足が、自分の胴回りを抱く少年の腕を嗜めるように数回叩く。飯嶋も、いきなり黙り込んだ少年を心配そうに窺っている。

 

「…なんでもないです」

 

 同じように生まれて、その人生の扱いが違うのは当然だ。まったくの他人なのだから。少年は腕の中の存在を抱きしめる力を強めた。

 

 災禍は降ってきた。けれど、自分は不幸ではない。

 

「なんか来たぞ」

 

 一人、外を観察していた長谷川の言葉に、はっと二人と一匹が顔を上げる。

 

「うむ、鎌の妖の匂いだ」

 

 ニャンコ先生が鼻をひくつかせ、目を細める。

 

「名取さん…」

「お、式が出た」

「僕にも見せろ」

「狙われてる自覚あんのかお前」

「名取さんっ」

 

 それぞれがそれぞれで小さな格子窓に駆け寄る。ぎゅうぎゅうと押し競饅頭状態だ。「うおおお夏目ぇ」と腕の中のニャンコ先生が悲鳴をあげている。長谷川は面倒くさくなったのか「ええい、まだるっこしい!」と叫ぶと社の観音扉を両手で勢いよく開け放った。ニャンコ先生もこれ幸いと腕から逃げ出し、華麗に宙返りで着地を披露する。残念ながら誰も見ていなかったが。

 

 LEDランプの人工的な明かりと月光があたりを照らす。

 社の前では、着物姿の式と夜でも目深に帽子をかぶった名取が鎌の妖と戦っていた。

 鎌の届く範囲から安全圏まで離れた名取が式に指示を出し、式たちが周囲を取り囲む。

 

「名取さん!」

「夏目、離れていなさい!」

 

 社から出てきた夏目たちを見ると、名取が舌打ちを打つ。彼としては、社の中でおとなしくしていて欲しかったのだろう。

 鎌の妖はわずらわしそうに鎌を振り回しているが、長谷川のいうように頭の回る妖ではない。すぐに囮役の式に気を取られているうちに、名取の式である柊の一閃で地に伏した。

 

「死んだのか?」

「いんにゃ、まだまだ」

 

 飯嶋の呟きに、長谷川が答える。長谷川のいうように、地には伏しているが妖はまだその霧のような腕の部分をばたつかせて暴れている。

 名取の式たちが力ずくで押さえつけると、パタリと乾電池がきれたおもちゃのように動かなくなってしまった。

 夏目はその動きに、本当に死んでしまったのだろうかと、腕を狙われていたというのに、ここまできてもお人よしを発揮し「離れていなさい」という名取の言葉を忘れ、じりじりと妖と距離をつめる。

 

「ぐっ!」

 

 それを、長谷川が襟首をつかんで静止する。

 

「君のその優しさは、いつか命取りになる」

 

 気道を絞められて、夏目が咳き込み前かがみになるのと、妖の黒い霧が飛び出してくるのは同時だった。

 

「「夏目!」」

 

 ぎゅるぎゅるぎゅる

 

『仁義八伝 彼宿の霊玉 天風矢来の豪雨と成りて 疾く 彼の 辣奸を 撃ちしだけ』

 

 丸い石同士が擦れる不快な音を立てて、長谷川の手首から弾けとんだ数珠が円を描く様に夏目と長谷川の前に陣取る。

 形を持たない黒い霧が、その円の中に飛び込んだ瞬間。円は急激な収縮運動を起こし、形無しの霧を文字通り締め上げた。

 

 ギュアアアアアアアア!

 

 黒い霧から金切りの悲鳴が上がる。

 

「そっちが本命ね」

 

 興味の失せた声音が嫌に響いた。

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

 翌日。

 鎌の妖を封じ込めている数珠を持った長谷川と飯嶋は、古井戸から離れた林道で名取と夏目に合流した。

 夏目は長谷川の持つ数珠に興味があるのか、彼の掌の中で美しい光沢を失くした黒ずんだ数珠をしきりにきにしている。

 長谷川は数珠を名取に手渡す。

 

「結局は問題を先送りにしているだけで、なんの解決にもなってませんぜ」

 

 古井戸から漏れる妖気は諦める気配などなく、今でも手段があればその身を我が物にしようと、夏目か飯嶋に襲い掛かるだろう。

 

「古井戸の綻びに関してはこちらで手配をしてるんだが、まだ到着してなくてね」

「そうですかー。まあ、気休めでしょうけど榊を植えるのを推奨します」

 

 所詮は地元の人間ではないので責任はない。長谷川の気だるげな発言に、しかし名取はそれを粛々と受け止め神妙に頷いた。

 夏目は長谷川の発言に首をかしげ、なぜ榊なのかと問う。

 

「榊は「境木」。俗なる空間とを仕切る目印として使われる樹木で、神職の人なんかが厄払いに用いる祓え串に使用されたり、穢れを祓う特別な力がある木といわれてるんだよ。だからあの空間を隔離するのに勝手がいい」

「へぇ」

「君もそちらの俳優兼祓い屋さんになにか習うといいかもな。自衛は必要だと思うけどね」

 

 揶揄するような長谷川の発言に「ああ、俳優かぁ!CMで見た!」と今更気付いた飯嶋が声を上げる。そのタイミングのよさに毒気の抜かれた夏目は、なぜかふふっと笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




ここまでの設定

飯嶋律…百鬼夜行抄の主人公。幼い頃から祖父譲りの強い霊感を持ち、祖父である蝸牛の命で小学校に上がるまでは、魔をよけるために女の子の格好をしていた。現在は従姉の晶と同じ恵明大学に通う大学生であり、民俗学を専攻している。その霊感故に日常的に妖魔や霊、妖怪の類と関わり意思疎通が出来るが、それらを退治したり操る術を持たず、彼らに振り回される日々を送っている。物腰は柔らかいが安易に人に心を開かない部分があり、友人も少ない。実は怖がりで人間の霊や自然霊は苦手。

長谷川虎徹…宵闇眩燈草紙の主人公格の一人である、長谷川虎蔵の息子。数多の日本刀や巨大な術、方術を扱う父に習い、一通りの手ほどきを受けている。ただし周りからの英才(!?)教育から、特化型ではなく器用貧乏へと変貌したため、劣化版虎蔵。実技→虎蔵、教育→朝倉。周りが人外魔境過ぎて、育ての親である木下と椎名になついている。そのため、宵闇勢の中ではすこぶる良心的。飯嶋のことは実家が面白いな、と観察しながら、友人みたいな関係を築いている。

夏目貴志…夏目友人帳の主人公。常人には本来見えないはずの「妖」を見る能力を持っている少年。以降にある妖怪に語り継がれている、強大な妖力を持っていたと言われる「夏目レイコ」の孫。両親を亡くして以来、妖が見えるゆえの奇行も一因となって親戚の間をたらい回しにされていたが、最近ようやく父方の遠縁の藤原夫妻のもとに落ち着いた。祖母・レイコの遺品である「友人帳」を手にして以来、そこに書かれている名を妖達に返すため、ニャンコ先生と共にせわしない日々を送っている。
フィールドワークで東京から訪れた上記二人と知り合う。


続く…かなぁ?

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