妖因果奇譚   作:凸凹セカンド

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 飯嶋律はぶるりと背筋を震わせた。

 丁度人でないもの(・・・・・・・)が彼らを興味津々に覗き込んできたところに、悪寒が走ったのだ。それは隣にいる人でないもの(・・・・・・・)のせいではない。それくらいのことは常に自分で対処してきたので、彼らをあしらうのは面倒ではあるけれど、背筋を震わせるほどのことではない。

 そうではなく、視線の先にある古井戸が問題なのだ。

 

「おい、長谷川」

「封印が緩んでるなぁ」

「吞気!」

 

 思わず怒鳴りつけるが、長谷川は飄々とした表情を崩しもせず眼鏡をずらすと、裸眼で古井戸を観察しだした。

 嫌な予感が飯嶋を襲う。

 飯嶋は己の第六感を信じて長谷川との距離を縮めた。できれば後ろに隠れたかったが、なけなしの男子としてのプライドが邪魔をした。といっても彼との距離は定規で測れるほどの近距離であるが。

 

 畑仕事をしていた老婆から聞いた話に興味を抱いた二人は、古井戸のある場所に足を運んだ。

 自然豊かなこの田舎町は、道をそれるとすぐに森に出る。人の手の入っていない枝葉が伸び放題の森は、太陽が真上に来ていたとしても斑の影を作り出し、陰鬱な雰囲気を醸し出す。

 勘の鋭いものなら「なんか出そう」というだろう。勘が鋭いを通り越した飯嶋には「出るわこれ」である。

 

「長谷川…」

「離れるか?正直再封印は地元の人間の仕事だ。余所者の俺らが関わっても最後まで責任もてねーし」

「賛成」

 

 長いため息を吐いた飯嶋と一緒に、回れ右と振り向く。

 

「待て」

 

 が、長谷川が飯嶋の肩を強く引く。

 風を切る音が飯嶋の耳に届いた、それと一緒に、草が舞う。

 バランスを崩した飯嶋は後方に倒れこむが、長谷川の腕がそれを抑え、庇うかのように前に出る。

 

「え…」

 

 そこには人でないもの(・・・・・・)つまり――――妖が大鎌を振り下ろしていた。

 

 顔に当たる部分に、能面の白い面をつけ、影と同化するような黒い着物を着た人型のそれは、しかし明らかに人ではなかった。鎌を握る腕があるべき場所は、黒い霧が集合したかのようにぼんやりと霞がかっている。不満そうに舌打ちをすると、ゆらり(・・・)と緩慢な動きで鎌を構えなおす。

 

「うん?飯嶋の腕が欲しいのか」

「はっ?」

「あの古井戸をあけたいんだろうなぁ。そのためにお前の腕が欲しいんだ」

「嫌だよ」

「うん、だな」

 

 吞気に「そういうわけだから、諦めろよ」という長谷川に、勿論妖が応じるわけもなく、寧ろ怒気の感じられる雰囲気に逆効果だったことが窺える。

 仕方がないなぁと、肩をすくめた長谷川が、眼鏡をはずし手首に嵌めている数珠に手をかけるが、何かに気づいたようにその動きを止めて、じっと妖を正面から眺めた。

 正確には―――妖の後ろに注視した。

 

 その先から、巨大な獣を従えた少年が見えた。

 

 

 

 

 

 

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少年は夏目貴志と、その相棒はニャンコ先生と名乗った。

長谷川と飯嶋もそれぞれ名乗ると、少年は「見えるんですよね?」と躊躇いがちに聞いてきた。何を、とは言わなかったが、それに気づかないほど二人とも鈍感ではない。

 

「見えるよ」

「ああ、うん」

 

 長谷川ははっきりと、飯嶋は歯切れ悪く答える。すると少年はほっと安堵の息をついた。

 大学に帰れば恵明大のシャーマン女と呼ばれる院生も存在するほど、わりと普通に知れ渡っているのに、それを気にするということは、夏目少年は随分苦労をしたのだろうなと、不細工な猫になってしまった妖を大事そうに抱く少年を見て、長谷川は柄にもなく感慨にふける。

 

「逃がしちゃったな」

「僕らのせいか…ごめん」

「飯嶋、タイミング悪すぎ」

「僕だけのせいかよ!」

 

 長谷川は眼鏡をかけなおすと、先ほどの妖が消えたほうを眺めた。飯嶋が苦虫を噛み潰したような顔で少年に謝罪をする。少年は慌てて顔を上げるように飯嶋に言うが、飯嶋が申し訳なさそうに自分を助けるために間に入ってくれたのだから、と引かない。夏目は困ったように逡巡したあと「実は…」と話始めた。「あ、これきくと後戻りできないパターン」と思ったが、ときすでに遅く、少年は先ほどの妖についてぽつぽつと話し始めた。飯島はトラブルメーカーだなぁと旅の連れは呑気な感想を抱いた。

 

「本当は、俺を狙ってたんです。でも、逃げてる途中で、飯嶋さんに狙いを代えたみたいで…」

「そっちのでっかくてちっさいのみたいな護衛がいない上、美味そうだからね」

「でっかくてちっさいとは何だ!小僧!」

「ニャンコ先生!」

 

 ニャンコ先生の本来の姿を垣間見た長谷川は、その巨躯が一気に招き猫サイズに縮まったのを見てでっかくてちっさいとからかった。プライドの高い猫は、むきー!と夏目の腕の中で暴れている。

 実は愛でているだけなのだと知っている飯嶋が、うんざりした顔で「この猫好きめ…」と呟いた。

 

「あの、俺たちはさっきの妖を追いかけます。森、出れますか?」

「あー大丈夫だよ」

「君たちだけで?大丈夫?」

 

 夏目は心配する飯嶋の言葉にかすかに頬を染め「大丈夫です、協力してくれる人がいるから」といって軽く頭を下げると、猫と一緒に森の奥へ駆けていった。

 

「大丈夫かな…」

「あのでっかいにゃんこがいるから大丈夫さ」

「……僕はおじいちゃんやお前みたいに詳しくないけど、さっきの化け猫は強いの?」

「まあ、お前の親父さんとどっこいか…相性によっては親父さんが勝つかな」

 

 まるで他人事のように少年を見送った長谷川は「じゃあ行こうぜ」と飯嶋の背を押すと、さっさと森をあとにした。

 

 

 

「後戻りできないパターンだと思ったよ」

 

 長谷川はうんざりと呟くと、窓の外を眺めた。

 夜の帳の降りた外はすっかり闇に染まっている。時間は深夜二時。丑三つ時。

 旅館内は深と静まりかえり、常闇が人の気配を押し殺している。

 旅の連れが布団の中で健やかな寝息を立てているのを「緊張感のないやつ」と詰ると、彼を足を使って蹴り起こした。

 

「…何するんだ…」

「お客さん来てるぜ、モテモテだな飯嶋」

 

 不機嫌そうな顔を隠しもしないで起き上がった飯嶋は、長谷川の言葉に「はあ?」と首を傾げ、彼の視線が外に向いているのに気づくと、顔を顰めた。

 

「昼間の?」

「そ、うろうろしてるね。夏目少年仕留め損ねたかな」

「子供だし」

「自分たちで片付けるっていうから、てっきり訓練受けてるのかと思ったけど」

「お前みたいなやつが早々いてたまるか」

「俺って……蝸牛先生や開さんならどうにかできたと思うけどね……動いた」

「こっちくる?」

「んー…どうする?逃げる?迎撃する?」

「旅館に迷惑かけたくないな」

「しょうがないな、飯嶋部屋にいろよ」

 

 長谷川は窓を開けると、すぐ真下の屋根の上に足をおろす。瓦の上を裸足であるき、半ばほどで足を止めると、昼間に見た鎌の妖を見下ろす。妖も、長谷川に気づき、その背後にいる飯嶋に気づくと、ぞろり(・・・)と影が這うような動きで旅館に足を向けた。

 長谷川はそれを視界に納めると、浴衣の合わせ目からずるり(・・・)と和弓と矢を取りだした。

 明らかに浴衣の間に収まる大きさではない、彼の背丈程はありそうな弓をまるでマジックのように取り出すと、矢をつがえる。その異常な光景を後ろで見ていた飯嶋も「馬鹿らしくなるなぁ」と頬杖を付いて見守っている。

 

「今夜は突然の落雷が限定的に襲いました、っと。千邪斬断万精駆逐……発雷!」

 

 長谷川の指から放たれた矢は、雷をまとって吸い込まれるように妖を襲った。

 

 

 

「昨夜、凄い音でしたね。どうも近くに落ちたようですよ」

「ああ、避雷針があってよかったですねぇ」

「ええ、まったく。雨も降ってないのに雷だけ落ちるなんてあるんですねぇ」

 

 朝、朝食を運んできた仲居の言葉に、長谷川がにこやかに答える。「よくいう」と内心毒づきながら、飯嶋は賢明に口を閉ざした。次から守ってもらえなくては、彼自身ではああいった輩を相手にすることができない。

 仲居が朝食を並べ終わり退出すると、「仕留め損ねた」と味噌汁を啜りながらあっけらかんと長谷川がいう。

 

「夏目少年のこといえないじゃん」

「ん、そうだな。予想以上に砂埃が舞った。あれじゃあ見えん」

「なんでわざわざ雷呼んだし」

「ただ単に物理で襲うと、クレーターができるだけで、自然現象で説明できないんだよなぁ。警察沙汰は面倒だろ?」

「……そうだな」

「旅館の中に誘っていいっていうんなら、近距離でもいだんだけどね」

「朝からヘヴィな話を聞いたわ…」

「あと何か(・・)みてたっぽい」

「何かって何」

 

 べったら漬けと白米を口に放り込み、もぐもぐと租借する。食事は美味いし、空気も綺麗なのだ、ここは。

 

「祓い屋がいんじゃねーかな。夏目少年も協力してくれる人がいるって言ってたしね」

「祓い屋?お前の同業?」

「んなわけねーじゃん。俺、祓い屋じゃねーし」

 

 

 

 

 長谷川たちが旅館から出ると、夏目が木陰で待ち構えていた。

 相変わらず不細工な猫を抱きこんでいる。その顔は冴えない。隣には、帽子を深くかぶった男が一人。

 

「夏目くん」

「あ…の…」

 

 飯嶋が声をかけるが、夏目少年は目を伏せた。

 おそらく昨夜の妖についてだろうと検討が付いていたので、長谷川は「昨夜来たよ」とさらりと答える。すると案の定、少年ははっと顔を上げた。

 はく、と口をあけて何か言おうとするが、なんといっていいかわからないという表情で、すぐにうつむいてしまった。

 すると隣の男が夏目の肩をぽんと叩き、前に出てくると、二人に和やかに声をかける。

 

「始めまして、夏目からすこし話は聞いてます。昨夜の件もう少し詳しくいいですか?」

「いいですけど、お宅は?」

「ああ、これは失礼。私は夏目の協力者で名取といいます」

「祓い屋が素人に肩入れしてるわけ?」

 

 揶揄するかのような長谷川の言葉に、名取は驚いたように長谷川を凝視した。「おい」と止める飯嶋に長谷川は「大丈夫だよ」と答えると「歩きながら話しましょうかー」と勝手に歩き出した。

 

 先頭を長谷川が、その後を追うように飯嶋、名取、夏目と続く。

 世間話をするかのような軽さで、昨夜の話を始める長谷川に、名取と夏目は戸惑いを隠せないでいた。

 

「貴方も祓い人で?」

「いいえ、俺らはただの大学生ですよ」

「茶化すなよ、長谷川」

 

 飯嶋が呆れた顔をして長谷川の背中を殴るが、殴られた本人は相変わらずのほほんとしている。ただの(・・・)成人男性に殴られたくらいでは、彼の体はびくともしない。

 

「嘘はついてないだろ?そんなことより、昨夜の妖が飯嶋を諦めてないんだ。さっさと片付けてくれないと、俺たちも調査に集中できないんですよね」

「その件なんだが…」

 

 名取は、油断なく長谷川の一挙一投足を注視しながら、ある作戦を口にした。

 

 

 


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