傷はあっという間に完治し、僕は病院を退院した。
そして何事もなかったかのように退院した翌日には学校へと登校した。
事件の前とあまりにも僕の雰囲気が違っていたのでクラスメートや担任の先生にはかなり心配された。
「心機一転だよ」
と、一言だけで大多数の人には納得してもらえたが同情や哀れみの視線は逆に増えた。そのせいか、それまで仲の良かった友人達とも少しずつ疎遠になっていってしまった。
それらは気にならなかったが、マスコミのしつこさにだけは参った。本当にしつこかった。
彼等にとって僕に起きた惨劇は格好の飯の種だったのだ。酷い時は自宅に上がり込まれそうになった。警察を呼ぶと言ったら渋々引き下がってくれたから良かった。
そのように僕が素っ気ない対応を取り続けた結果、気づけばマスコミの姿は僕の周囲から消えていた。涙一つ見せなかった僕の様子は映像的に全く美味しくなかったのだろう。
他人の不幸は蜜の味、とは言ったものだ。彼等も仕事なので仕方ないのかもしれないが、ああいった連中はどうも好きになれそうにない。
そんなこんなであっという間に高校生活は終わった。卒業式も大した事もなく終わった。楽しくなかったとは言い過ぎだが、振り返ってみても輝いていた青春時代とは語れそうにない。
卒業した僕は推薦入学が決まっていた大学に入学した。
本当はそのまま346プロに入社させてもらおうと思っていたのだが、例の今西さんが「君の可能性を狭めたくない」との理由で採用はしてもらえなかった。貴方が僕にアイドルを育てろと言ったくせに。
仕方ないので大学に通いつつ、346プロでアルバイトをしながら生活する事になったのだ。
大学の単位を取り、346でアルバイトするのは大変だった。言ってしまえば芸能関係の仕事である為、仕方がないのかもしれないが俗に言うブラックと呼ばれる業務形態だったのだ。
同じ年に入社した正社員も数人しか残っておらず、アルバイトの入れ替わりも激しい。そんな職場。
それでも、辞めるという発想は全くなかった。それどころか大学卒業したらそのまま就職しようと考えているくらい。
今となっては僕は職場においてベテランの域に達しており、「バイトさん」と呼ばれるほど職が定着した。
ーーちなみにここでは僕を名前で呼ぶ人はいない。誰もが僕を「バイト」と呼んでいる。
とにかく、今の僕はこんな状態で、
あの日から四年程の時間が流れていた。
いつの間にか大学四年の春。時が流れるのは早い、としみじみ思う。
そして今日出社したら今西さん……今西部長に呼び出された。何でも大事な話があるとかで。
「失礼します」
部長の部屋に入ると、ソファに座るように促された。一礼してから座る。
この人は基本的にニコニコしている。従って僕も同じような笑顔で返す。
「バイト君、君がここで働き始めてから四年経ちましたね」
先程、同じ事を考えていたので間違いない。
「そろそろ君に、大きな仕事をお願いしたいと思います」
大きな仕事。今までは確かにステージの設営とか雑用が多かった。つまり、それらとは違う仕事ということか。
「実は武内君に新しいプロジェクトの責任者をやってもらうことになりまして。君はその補佐をやってもらいたいんです」
「武内さんの、補佐」
武内さんというのは346プロに所属しているプロデューサーの一人。若い(と言っても僕よりは年上だろうけど)ながらも何人ものトップアイドルを送り出してきた凄腕のプロデューサーである。
しかし、
「武内さん、まだあの事気にしているんじゃないでしょうか」
あの事とは、彼が担当していたアイドル数名が一斉に辞めた事だ。僕も詳しくは知らないが、何でも武内さんのやり方に反発した結果らしい。
それだけ聞けば大失態だが、彼の元に残ったアイドルはきちんと成長し、トップアイドルとして大成功したのだ。
会社としては辞めた連中などどうでもよく、結果を出した武内さんを賞賛した。
それが逆にあの人を傷つけたというのに呑気なものだと、当時思ったのは懐かしい。
「そうですね。彼はあの件を深く気にしているでしょう。未だに自分の所為だと責めるくらいには。しかし、彼もまた変わらなければなりません」
「それは、武内さんにとって荒療治になりそうですね」
「……本当に君は頭が良いです。私の言いたい事を全て理解するまで早い」
「恐縮です。まぁ、人の顔色を伺うのが僕の唯一の特技ですから」
笑顔を崩さずにそう返す。この四年で僕もかなり変わったものだ。
「バイト君、君にとっても悪い話ではないと思うんです。この世界での経験を充分に積んだ今、アイドル達と出会いは絶対に良い刺激になります」
「そうですかね」
「そうだとも」
今西部長はやはり微笑みを崩さない。対する僕もきっと、同じような笑顔を浮かべているだろう。
――笑顔を顔に貼り付けるのも最早慣れたものだ。
「分かりました。そのお話、引き受けます」
「君ならそう言ってくれると思っていましたよ。それで武内君と一緒にやってもらう事になるプロジェクトの名前なんですが……」
既に名前も決まっているのか。名前なんてそんなに興味ないけれど自分が任される大きなプロジェクト。真剣な雰囲気くらいは出さなければ。
「シンデレラプロジェクト、です」
シンデレラ
御伽噺に登場する幸せを夢見る少女。
「そうですね。夢見る女の子達は文字通りシンデレラ。さしずめ僕達は彼女達に魔法をかけてあげる魔法使いといったところですか」
僕の言い回しに部長は満足そうに頷いた。
「この後に武内君と顔合わせも兼ねて挨拶してきてください」
「分かりました」
それで部長と僕の話は終わって、部屋を出た。ここから僕もアイドルを育てていく立場になる。
これでようやく、スタートラインに立てたと思う。彼女が夢見た景色を見に行くためのスタートライン。
しばらく会社の中を歩いて、ある部屋の前で足を止めた。そのドアを小さくノックした。
中から低めの声で返事が来た。ドアノブを回し、部屋の中に入る。
中にはスーツを着た大柄な男がいた。彼は僕の姿を捉えると、目の前に置かれているパソコンの操作を止めて立ち上がった。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです武内さん……今は武内プロデューサーと呼んだ方が良いですね」
そう言うと、身長が大きい方の僕よりも更に大きい男は困ったように首に手を当てた。この仕草は彼の癖のようなものだと僕は考えている。
「……これから、よろしくお願いします。バイトさん」
首に手を当てたままの体勢で僕に頭を下げた武内プロデューサーに、満面の笑顔で返事をする。
「はい。こちらこそよろしくお願いしますねプロデューサー!」